SCR放送

アメリカ駐在時(Jan.1967〜Oct.1970)日本語ニュースと言えばOCSで送られてくる日にち遅れの日本の新聞日本語放送はシカゴの場合、日曜夜だったか1時間だけ現地の放送局から「桜放送」がありました(時間前後はメキシカンとか他の言語放送に成る)ロスアンゼルスではSCR(サブキャリア)放送で日本語専用放送を聴くことが出来ました。このSCR放送を聴くには専用の受信機が必要で契約しレンタルしたりしておりました。従いFMステレオ受信機の場合SCR放送の混信を避けるためSCRフィルター回路が必要でした。特にローカル放送とSCR放送が混信したことがGE向けステレオシャーシーで大問題となり GEのステレオ工場のあったシカゴの南方Decaturと言う町で倉庫を借り、津山製の大量ステレオシャーシーにSCRフィルター回路の追加対応これにはミツミからの出張者、F社の駐在員、Jecoの出張者など大勢で長期にわたりアパートを借りて住み対応、

現地のヘルパー4名も加わり数ヶ月間修理しました。久保田さん、久保さん、Jeco林さん、F林さん、小林さん、岡林さん、赤松さん、松岡さん、ミツミの人、井内

写真Decatur倉庫でのステレオシャーシー修理の様子。

現地ヘルパーのおばちゃん


コンテナ到着を眺めるのはミツミの人

ささやかなランチタイム(MACとかKFCでした)久保田さんと赤松さん

1970年6月24日(休日)倉庫のオーナー一家に招かれてひとくつろぎ (画像はパノラマメーカーで2枚を横方向に合成)このときにとってもらったモノクロの20代の写真


今の時代なら衛星放送やインターネットで幅広くニュースや流行している歌を同時に知ることも出来ますが当時は島流し同然の状態でどんな事が日常起きているのやらどんな歌が流行っているのか知るよしもなしでした。当時の日系人に好まれていたのは森進一の「港町ブルース」で出身地が出てくる歌詞を懐かしく聞いていたようです。