シカゴ駐在 1 

1967年1月15日駐在の為、山根さんとシカゴへ
新幹線で新大阪から東京駅へ到着、出迎えは東京事務所の谷山さんであった。
アメリカへ行く前に疲れを取っておこうと東京駅地下の東京温泉でサウナに入ったあと
羽田へ向った。
羽田からノースウエストのDC-8でシアトル経由シカゴのオヘヤ空港に飛んだ。
このノースウエストの飛行機は米軍人さんが極東移動に利用が多く,
兵どもを扱いなれているスチュアデスの気性も荒っぽかった。
通路に足が出ていると蹴り込まれる始末であった。
シアトル上空からの第一印象は「えらいいなかやな〜」でした。
しかしシアトルを離陸後シカゴのオヘア空港に着くまで飛べども飛べども果てしない台地
こんな国と戦争したのか〜とあきれた感じもした。
当時は戦後20年チョットだったため敵国の日本人に対する感情もあまり良いものでは無かった。

山根さんと一緒に到着した日は大雪でCE-Show会場に使われるマコーミックプレイスが
火災で焼失したのもこの日でした。

McCormick Place . 2301 S. Lake Shore Drive Chicago, Illinois 60616

到着2日後、1967年1月17日車も埋まるほどの大雪で移動も出来ず事務所前で山根さん
3004 W Logan Blvd. Chicago, IL 60647

W Logan 角の信号機のところ

望月清三さんと部屋で

1967年当時の事務所

永井さんの息子のひろくん

ELGINからシカゴダウンタウン方面を望む

1970年頃のシカゴ事務所 テレックス確認中の谷山さん

電話中の谷山さん

久保さん

西鉄航空の伊藤さん、前任者は佐々木さんにもお世話になりました。