四国あるき遍路  ☜ 🚶 37 日目

四国あるき遍路 ☜ 🚶 37日目 平成25年4月5日(金)

別格17番神野寺満濃池 76番金倉寺 77番道隆寺 別格18番海岸寺


平成25年4月5日(金)
88箇所四国あるき遍路37日目  
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20
平成25年4月5日は山本屋本館〜別格17番神野寺満濃池〜山本屋本館〜76番金倉寺〜77番道隆寺〜別格18番海岸寺〜民宿でぐちまで 37.1km
☆☆
山本屋本館5:49〜善通寺北局6:04〜別格17番神野寺7:56/8:27〜山本屋まで打戻11:15〜76番今倉寺12:05/13:01〜77番道隆寺13:52/14:26〜別格18番海岸寺15:18/16:07〜佛母院16:15〜民宿でくち荘17:02 歩行距離37.1km  歩数61,528歩
☆☆
山本屋本館のおかみんさんが書いてくれた別格17番神野寺(かんのじ)満濃池への地図を手に
1)東門をバックにして本郷通り(24号)を線路を越え突き当たりまで行き右折 (25号に入る)
2)ガストの次の大きな看板のラーメン屋の角を左折 (22号に入る)
3)千代歯科の角を右折(4号線にはいる千代歯科のとなりにもちよ歯科がある)あとは直進で神野寺に着く
☆☆



ラーメン屋の角を曲がって長い間歩く  05:49

東の空に太陽が昇ってきた   06:02

善通寺与北郵便局前   06:04

ちよ歯科では曲がらない   06:04

県道4号線の道路標識    06:04

県道4号線への交差点  06:05

3回目の曲がり角ちよ歯科の所を右折 06:05

まんのう5kmの標識が出てきた   06:06

満濃池まで4kmの標識    07:08
☆☆


平成25年4月5日(金)
番外別格17番神野寺(満濃池)( Gokokuzan Kannoji, Ex. 17th of shikoku 88 )
157m
番外別格第17番札所 五穀山 神野寺 (ごこくざん かんのじ) 
本尊  薬師如来 (やくしにょらい)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗善通寺派
御詠歌 ちまちだに いまもそそぎて のりのしの 恵みあふるる 満濃の大池
所在地 香川県仲多度郡まんのう町神野45-12
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☆ 略縁起、弘仁十二年弘法大師嵯峨天皇の勅命により満濃池修築の砌、その偉功を称えて恩賜りを給わり、末世憐民の勝計を廻らして当寺を建て、両部の秘法を伝え満濃池鎮護の霊刹となし給い、大治五年座堂再建二大門営築。明徳四年堂宇再建し益々隆盛していたが、天正九年九月戦火の時、伽藍一切を焼失し廃寺となる。昭和九年高祖大師一千百年御遠忌をむかえ、満濃大師会を結成し、大師会の発願により古の面影を偲ぶ神野寺として堂宇の一部を再建する。満濃池堤防では、日曜・祭日かりん市が開かれ終始賑わっている。案内・地図、JR琴平駅からタクシーで約六キロ。またはJR塩入駅から満濃池を目標に徒歩2キロ。車の場合、国道32号線から満濃池の標識に従って県道に入り、池を目標に進む。普通車20台、バス10台駐車可。☆ (四国ネットより)

満濃池に到着しました   07:55

別格17番神野寺(かんのじ)  07:56

別格17番神野寺(かんのじ)の石柱門  07:56

別格17番神野寺(かんのじ)  07:57

別格17番神野寺、丘の上には弘法大師像  07:57

別格17番神野寺の丘から満濃池を見下ろす弘法大師像  08:14

別格17番神野寺の丘から満濃池を見下ろす弘法大師像  08:14

別格17番神野寺の弘法大師像の前  08:14

満濃池     08:14

別格17番神野寺の弘法大師像の前    08:15

別格17番神野寺の丘から満濃池を見下ろす弘法大師像  08:15

別格17番神野寺の弘法大師像台座部分   08:15

別格17番神野寺弘法大師像の横のはお手植えの松   08:15

満濃池    08:26

満濃池    08:26


満濃池のアーチ状の堤  08:26

別格17番神野寺(かんのじ)満濃池の道しるべ   08:26

別格17番神野寺(かんのじ)満濃池を後に善通寺東門へ打戻  08:27

満濃池御創築 弘法大師御滞留之所 の石碑  08:33

岩の本と矢原の花梨説明板   08:33

きた道(本来のへんろ道ではないが迷わない道)を打ち戻る   09:55

讃岐といえばうどん
山下うどんで大盛りの冷やしうどん300円と稲荷2個200円の合計500円     10:02

山下うどんの駐車場  10:16

県道4号線、善通寺市与北町の山下うどん店   10:16
山下うどんの店は香川に多いようです

正面の県道22号線を左折します   10:23

左折で曲がり長い道を打戻り (1回まがり) 10:28

与北橋のところまで戻ってきた   10:44

次の角ラーメン店を右折  (2回まがり)  10:48

ラーメン店  10:49

ラーメン店  10:49

ガスト  10:49

駅のほうへ左へ曲がる (3回まがり)   10:52

人と自転車は線路の下のトンネルを抜ける  11:00

線路の下のトンネルを抜けた所     11:00

荷物を預けている山本屋本館まで直進  11:00

荷物を預けている山本屋本館までさらに歩く  11:02

大西寝具店のところ、山本屋で荷物を受け取ってここから76番金倉寺へと向かいます  11:05

荷物を預けている山本屋本館までさらに歩く  11:06

赤門筋に戻ってきた  11:10

76番金倉寺への道しるべ石   11:12

75番善通寺東門が見えてきました  11:14

山本屋で預けておいた荷物を礼を述べて受け取り大西寝具店のところからへんろ道を
金倉寺へと向かう 11:15

76番金倉寺へ線路の下を歩きます  11:41

畑の道を歩き   11:41

細い路地へのへんろ道しるべ石  11:43

細い路地を歩き  11:43

電柱のへんろマークとへんろ道しるべ石  11:46

へんろ道の常夜灯   11:49

チューリップの畑   11:51
☆☆


平成25年4月5日(金)
76番金倉寺 ( Keisokuzan Konzouji, 76th of Shikoku 88 )
H18m
第76番札所 鶏足山 金倉寺 (けいそくざん こんぞうじ)
本尊  薬師如来 (やくしにょらい 伝、智証大師作)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  和平道善
宗派  天台宗寺門派
御詠歌 まことにも しんぶつそうを ひらくれは しんごんかじの ふしぎなりけり
所在地 香川県善通寺市金蔵寺町字本村1160番地
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☆ 昔から文化の程度の高かったのは、四国では讃岐の那珂郡と多度郡で、この地からすぐれた人物を生みだした。多度郡弘田郷の豪族であった佐伯一門からも、弘法大師をはじめ、知泉円珍(智証)真雅などの高僧が輩出している。なかでも智証大師は善通寺から四㌔はなれた金倉郷に弘法大師の姪を母として弘仁六年(八一五)に生まれた。幼少のころから経典を読み、十四歳で叡山に登り、後に唐へ留学し、やがて延暦寺五代座主となり、三井園城寺を賜わって伝法灌頂の道場とした。金倉寺は智証大師の祖父和気道麿によって宝亀五年(七七四)開創され、道善寺と称していた。智証大師は唐より帰国後しばらく留まり、先祖の菩提にと唐の青龍寺を模して伽藍を造営し、後に勅願寺となり、延長六年(九二八)醍醐天皇が金倉の郷にあるので金倉寺に改称した。当時の寺域は広大であったが、戦乱のために縮小した。明治三十一年から四年間、乃木将軍が滞在したことで知られる。☆ (四国ネットより)

76番金倉寺の山門前に着きました   12:05

76番金倉寺の山門   12:05

76番金倉寺山門前の智証大師御誕生所、訶梨帝母(鬼子母神)御出現之地の石碑  12:05

76番金倉寺山門の仁王像  12:05

76番金倉寺山門の仁王像  12:05

76番金倉寺境内の大楠  12:06

76番金倉寺の境内  12:06

76番金倉寺の境内  12:06

76番金倉寺でカメラマンから桜の所を歩いてほしいと頼まれて歩く  12:09

そのカメラマンにコンパクトカメラを渡し写してもらった   12:09

カメラマンにコンパクトカメラを渡し写してもらった     12:09

カメラマンにコンパクトカメラを渡し写してもらった     12:09

76番金倉寺でカメラマンにコンパクトカメラを渡し写してもらった  12:09

76番金倉寺の訶梨帝母堂(鬼子母神)と本堂  12:32

76番金倉寺の訶梨帝母堂(鬼子母神)   12:32

76番金倉寺観音堂  12:32

76番金倉寺の大師堂  12:33

76番金倉寺の境内  12:33

76番金倉寺の境内  12:33

76番金倉寺の本堂  12:33

76番金倉寺の訶梨帝母堂(鬼子母神)  12:33

76番金倉寺の本堂   12:41

76番金倉寺観音堂、訶梨帝母堂(鬼子母神)と本堂  12:41

76番金倉寺の大師堂、観音堂、訶梨帝母堂(鬼子母神)12:41

76番金倉寺の地証大師像   12:55

76番金倉寺境内の乃木将軍妻返しの松   12:55

76番金倉寺の鐘楼と水子地蔵尊  12:55

76番金倉寺水子地蔵尊  12:55

76番金倉寺の本堂   12:56

76番金倉寺の訶梨帝母堂(鬼子母神)、休憩所と本堂  12:56

76番金倉寺の境内  13:01

76番金倉寺から77番道隆寺へのへんろ道  13:16

畑の中の77番道隆寺へのへんろ道  13:16

77番道隆寺へのへんろ道しるべ   13:41

77番道隆寺へのへんろ道しるべ   13:45

77番道隆寺へのへんろ道しるべ   13:46

この辺りで呼び止められミニチュアの瀬戸物地蔵をお接待にいただいた   13:50
☆☆


平成25年4月5日(金)
77番道隆寺 ( Soutazan Doryuji, 77th of Shikoku 88 )
H4m
第77番札所 桑多山 道隆寺 (そうたざん どうりゅうじ)
本尊  薬師如来 (やくしにょらい)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  和気道隆
宗派  真言宗醍醐派
御詠歌 ねがひをば ぶつどうりうに いりはてて ぼだいのつきを みまくほしさに
所在地 香川県仲多度郡多度津町北鴨1丁目3番30号
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☆ 西暦七一二年、この辺りは大桑園であった。中で夜毎怪光を放つ最大の桑の木があり、道隆親王その桑で薬師如来の小象を刻み、草堂を建て安置し、廻向の日々を送る。これが道隆寺の始まりである。子朝祐、意思を継ぎ、折りから唐より帰国した弘法大師に師事、大師自ら薬師如来像を刻み、道隆親王の薬師像を胎内に納め(二体薬師)御本尊とし、朝祐、家財を投じて方六〇〇米の寺院を建立する。三代目法光、四代目智証、五代目理源、各大師晋住し、七堂伽藍を完備して密法を弘場し、四国随一宝崩祈願寺となる。然しながら天正の戦火の為、一山壊滅する。三十代目法印、再建を決意、一五八六年、現在の金堂を再建、更に歴代住職により、大師堂、護摩堂、観音堂、仁王門、鏡堂、客殿、茶堂、多宝塔、聖観音像等建立し、法灯連綿現在に至る。四代目智証大師、水子、嬰児の菩提を祈り、その母の身体建固を祈願する為、五大明王聖観音菩薩の大像を刻んで安置する。水子の寺、之より始まる。境内に眼病平癒の仏、潜徳院殿堂あり。御本尊は御典医極左馬造公。公幼少の頃、盲目、当寺薬師如来の御慈悲により全快する。公医学を学び典医となり、特に眼科は達人。公寿命尽くる時、「私の魂魄を道隆寺に留め世人を救わん」との誓願を残す。☆ (四国ネットより)

77番道隆寺の門前に到着  13:52

77番道隆寺の山門  13:52

77番道隆寺境内からの山門   13:54

77番道隆寺の鐘楼  13:54

77番道隆寺の大師堂  13:54

77番道隆寺の本堂  13:54

77番道隆寺の納経所  13:54

77番道隆寺の本堂   14:11

77番道隆寺の多宝塔   14:12

77番道隆寺の大師堂、右端の銅像弘法大師と衛門三郎  14:12

77番道隆寺の大師堂   14:12

77番道隆寺の手水舎と本堂  14:12

77番道隆寺の境内  14:26

77番道隆寺の境内  14:26

77番道隆寺の納経所でこれから海岸寺へ行きますと言うと親切に海岸寺へ行く道順を書いてくれました「寺の裏を出て町民会館まで曲がらず西へ行き橋を渡り時計店の角を右折し114銀行の角を左折して直進神社をすぎて道が合流し海が見えてきたらそのまま進むと海岸寺へ着きます」簡単なメモだったがこのルートはへんろ地図に載っておらず迷わず着くことが出来ました。 77番道隆寺〜別格18番海岸寺まで2.9km途中の東白方のローソンでトイレを借り食品ランチパックとスポーツ飲料、リポビタンを購入した。


平成25年4月5日(金)
番外別格18番海岸寺( Kyounouzan Kaiganji, Ex. 18th of Shikoku 88 )
H3m
番外別格第18番札所 経納山 海岸寺 (きょうのうざん かいがんじ) 
本尊  聖観世音菩薩  (せいかんぜおんぼさつ)(本坊)
    弘法大師誕生佛 (こうぼうだいしたんじょうぶつ)〈奥之院〉
真言  「おん あろりきゃ そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗醍醐派
御詠歌 せとのきし まなこやひらく かいがんじ よろこびみちぬ 身も心にも (本坊)
御詠歌 わだつみの岸のお寺の産盥(うぶだらい)すすいでかける湯手掛の松 (奥の院
所在地 香川県仲多度郡多度津町大字西白方997-1
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☆ 略縁起、歩いて巡っていた時代でも、たいていのお遍路さんは、ぬかしてならない番外札所として海岸寺へは参ってくれていた。今は、バスや先達まかせで海岸寺を知らず寄らずが多くなった。まず海岸寺を知り、海岸寺へ寄って戴く事が一番。●その人はしあわせの始まり。今は施設のととのった本坊本堂へ参る方が多い。だが、大師御産屋あと、奥の院大師堂こそ本命。本堂だけ参るのは高野山で本山金剛峰寺だけ参って奥の院へ参らぬのと同じ。奥の院へ参ればお開帳。誕生大師・御両親・四天王・そして御産盥。大師の刻まれた光明真言石でお加持を受ければ、疲れや病気もふっとぶ思い。時間に応じてまんだら園、一万トン近い巨石を投じて築園。白壁をめぐらし、なるほどとうなずく法句四十碑。ミニ百八カ所には二百種にも及ぶ珍木。名花。若返りの泉、ウスサマ堂。四国三十六不動三十一番霊場悪縁断ち不動さん。何たって景色の良さに、みんなびっくり。案内・地図、JR海岸寺駅より200メートル。車の場合、国道11号線沿いの出光GSの角を北へ3キロ☆ (四国ネットより)

別格18番海岸寺境内図 (海岸寺HPより)


別格18番海岸寺本坊の山門   15:18

別格18番海岸寺本坊の山門には仁王のかわりに相撲取り像が立っています  15:18納経所の人が 「本坊に上ってお参りください」 と言ってくれたのでそのようにした
「ここには大師堂がありません、奥の院は道路や線路を隔てて少し離れていますが納経はここでも、向こうでも出来ます」 と言ってくれたがまだ御参りしてないのでお参りが終わってから納経しますと本坊を出た。

別格18番海岸寺奥の院の山門  15:41

別格18番海岸寺奥の院の境内参道  15:42

別格18番海岸寺奥の院境内の法雲橋  15:42

別格18番海岸寺奥の院の大師堂(御影堂)   15:59

別格18番海岸寺弘法大師湯方掛け松  15:59

別格18番海岸寺弘法大師産湯の井戸  15:59

別格18番海岸寺弘法大師産井  15:59

別格18番海岸寺弘法大師湯方掛け松と地蔵  16:00

別格18番海岸寺の手水舎と参道  16:00

別格18番海岸寺の案内板  16:00

別格18番海岸寺の手水   16:01

別格18番海岸寺境内から山門へ   16:01

別格18番海岸寺山門前の石柱   16:02

別格18番海岸寺奥の院前の踏切  16:03

別格18番海岸寺奥の院前の踏切を列車が通過  16:03

別格18番海岸寺の本坊、鐘楼とユースホステル  16:06

別格18番海岸寺本坊の山門  16:06


別格18番海岸寺本坊山門の力士像  16:07

別格18番海岸寺本坊山門の力士像  16:07

海岸寺郵便局前    16:12

佛母院の山門  16:15

あまりお参りに来る人も居ないのか隣には保育園もあります   16:16

佛母院の山門  16:25

佛母院の境内   16:26 佛母院は弘法大師の御母堂のお屋敷跡で産湯の井戸や臍の緒塚が有るようです。このあと西白方のきゅうべやと言う店でミカンやパンを購入して置いた  16:26

海岸寺に行く道で目星をつけておいた宿泊先の民宿でぐちと思いきやこれでは無いと言う
坂を上るよう書いてある     16:45

民宿でぐちではなく整骨院でした  16:45

矢印の方向へ行く途中で見付けた花  16:48

池まで上ってきたが民宿でぐちは見つからず携帯から電話  16:52

ちょっと判り難い場所にあった民宿でぐち  17:02

民宿でぐちの夕食  17:54

あすの朝は宿の都合で朝食無しで支払を済ませた  17:59 明朝は77番道隆寺の裏まで民宿の車で送ってもらえる事になりました。