四国あるき遍路  ☜ 🚶 40 日目 

四国あるき遍路 ☜ 🚶 40日目 平成25年4月8日(月)

84番屋島寺 85番八栗寺 86番志度寺 87番長尾寺まで
 
☆☆

平成25年4月8日(月)
88箇所四国あるき遍路40日目  
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20
平成25年4月8日は屋島下の広瀬旅館〜84番八島寺〜85番八栗寺〜86番志度寺〜87番長尾寺〜前山おへんろ交流サロン〜タクシーで塩江の樺川荘本館まで(歩行区間のみ30km)
☆☆
ひろせ旅館5:53〜84番屋島寺6:43/7:17〜洲崎寺8:10〜85番八栗寺9:03/9:40〜86番志度寺11:06/11:26〜めんくい(昼食)12:11〜87番長尾寺13:41/14:00〜道の駅ながお15:54〜樺川荘本館(車)16:45 歩行距離30km  歩数44,850歩
☆☆


前日に清算しておいたので玄関を自分で開け広瀬旅館を発つ  05:53 (500年も続いている遍路宿である事があとから頂いた結願礼状への返信ハガキでわかる)

ひろせ旅館で早朝に発ちたいと言うと夕食時におにぎりを作ってくれた  05:25

84番八島寺をめざし正面の屋島の方へ歩いて上り最初の辻を左折します  05:53

大宮八幡宮の鳥居前を更に左(西)へ  05:57

池の所で県道14号に合流し上って遍照院から屋島へ上る  06:12

最初は揺るやかな道、山にかかると段段道で舗装がしてありテンポに合わず
かなり歩きにくい道でした  06:13

不喰梨 06:29 空海弘法大師)が屋島に登ったとき、梨がおいしそうに熟していたので一つ所望をなさいました。でも持主は「うまそうに見えてもこれは食べられない不喰の梨です」と、嘘を言ってことわりました。その後、この梨はほんとうに石のように固くたべられなくなってしまったと伝えられています。
KUWAZU-NO NASHI(UNEATABLE PEARS)
When the Monk Kukai (Kobo-Daishi) climbed Yashima, he saw some ripe pears and asked for one from an old peasant, the owner of the pear tree. But the peasant told a lie, "They look good to eat, but in fact they are uneatable." and refused to let him have any.
It is said that afterwards the pears became hard like a stone and were not fit for eating

くわずの梨   06:29
☆☆


平成25年4月8日(月)
84番屋島寺 ( Nanmenzan Yashimaji, 84th of Shikoku 88 )
H286m
第84番札所 南面山 屋島寺 (なんめんざん やしまじ) 
本尊 十一面千手観世音菩薩 (じゅういちめんせんじゅかんぜおんぼさつ 伝、弘法大師作 
真言  「おん ばざらたらま きりく そわか」
開基  鑑真和上 
宗派  真言宗御室派
御詠歌 あづさゆみ やしまのてらに けふでつつ いのりをかけて いさむもののふ
所在地 香川県高松市屋島東町字屋島峯1808番地
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☆ 高松市街へ入ると紫雲山の東麓に、高松藩松平家の別邸だった栗林公園があり、街中からは左に大きく横たわる屋島(標高二九三㍍)が近づいてくる。山上は平らで南北二つの嶺に分かれ、屋島寺は南嶺にある。天平勝宝六年(七五四)来日した唐僧鑑真は大宰府を出発して難波へ向かったが、その途中屋島へ立寄り、北嶺に普賢堂を建て、その弟子恵雲律師が堂宇を整備して住職となった。これが寺の草創である。弘仁六年(八一五)には弘法大師が登山し、勅命によって一夜のうちに本堂を建立し、自刻の十一面千手千眼観世音を本尊として安置した。その後山岳仏教霊場として盛んであったが、戦乱で衰退し、藩主の援助などで再興されている。仁王門から天暦年間に明達律師が二天像を安置したという二天門を入ると、正面が朱塗の本堂、右に大師堂、平家供養の鐘で知られる梵鐘がある。弘法大師ゆかりの獅子の霊巌、源平の古戦場「壇ノ浦」などの古跡もある。☆ (四国ネットより)

84番八島寺の山門  06:43

84番八島寺の山門、その向こうに見えるのが四天門  06:43

84番八島寺の四天門   06:44

正面が84番八島寺の本堂、手前右は手水舎  06:45

84番八島寺の手水舎と鐘楼  06:45

84番八島寺の鐘楼   06:46

84番八島寺境内の五重石塔   06:45

84番八島寺の本堂   06:45

84番八島寺の納経所と大師堂  06:46

84番八島寺の本堂と赤い鳥居は蓑山大明神の鳥居   06:46

84番八島寺の手水舎と宝物館   06:46

84番八島寺の四天門   06:46

84番八島寺の大師堂  06:46 屋島寺に着いた時はまだ7時前で納経所の人がお堂を開きに廻っていた大師堂で納経中に隣の遍路が私の肩をトンと叩いて 「めったに見ることが出来ない大師さまです」 と教えてくれた丁度寺男が格子を開けて灯明をあげる少しの間に拝むことが出来たのですが格子はすぐに閉じられました。

84番八島寺境内の五重石塔  06:46

84番八島寺の千体堂と東大門  06:46

84番八島寺の大師堂、奥のお堂は熊野権現堂   07:15

84番八島寺の納経所、本堂と蓑山大明神   07:16

84番八島寺五十石塔、鐘楼と四天門   07:16

84番八島寺東大門からの境内   07:17


84番八島寺の東大門を出たところにある85番八栗寺へのへんろ道しるべ  07:17

血の池のほとりから元甚五郎ホテルの壇の浦が展望できるところへ屋島の端は壇ノ浦を見下ろす展望台 (ここでかわらけ投げをした記憶があります)    07:20

下が源平合戦の壇ノ浦で向こうの山がこれから向かう八栗山(五剣山)  07:20

これより屋島山上から地上へと歩いてへんろ道を下ります  07:20

屋島から八栗山への下りへんろ道はスリルが有ります  07:22

屋島から八栗山への下りへんろ道  07:32

屋島から八栗山への下りへんろ道しるべ  07:33

屋島から八栗山への下りへんろ道  07:35

道を下り終えて見合あげる屋島   07:48

道を下り終えて見合あげる屋島   07:48

道を下り終えて見合あげる屋島   07:48

屋島を下り浜北のスーパーマルナカ付近  08:05

浜北のスーパーマルナカの交差点   08:07

真念さんの御墓がある須崎寺   08:10

手打ちうどん、うどん本陣山田本店  08:23

手打ちうどん、うどん本陣山田本店は立ち寄らず   08:23

八栗山ケーブル駅の横から参道を上って行く   08:57

八栗山からの高松市内  09:00
☆☆


平成25年4月8日(月)
85番八栗寺 (Gokanzan Yakuriji, 85th of Shikoku 88 )
H222m
第85番札所 五剣山 八栗寺 (ごけんざん やくりじ) 
本尊  聖観世音菩薩 (せいかんぜおんぼさつ) 
真言  「おん あろりきゃ そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗大覚寺派
御詠歌 ぼんのうを むねのちかにて やくりをぼ しゅぎゃうしやならで たれかしるべき
所在地 香川県高松市牟礼町牟礼字八栗3416番地
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☆ 五剣山の名は五つの峰が剣の尖のようにそびえ立っていることからつけられたが、元禄十一年(一六九八)の豪雨で西の峰が半分に割れ、宝永三年(一七〇六)の地震で東の峰が崩れ、現在は四峰になっている。山の中腹の寺までケーブルもある。仁王門を入ると正面が本堂で、弘法大師作といわれる本尊聖観世音が安置されている。寺は天長六年(八二九)の創建で、当初は千手観世音の小像を安置し、千手院と称していた。弘法大師は幼少のころよりこの山に登り、土で仏像などをつくられたが、後に求聞持の法を修されているとき五柄の利剣が虚空より降ってきたので五剣山と名づけ、山項からは八ヵ国が見えるので八国寺とし、大師が入唐前に植えた八個の焼き栗が、帰国後ことごとく生長繁茂していたので八栗寺に改めたという。本堂左手前の聖天堂には弘法大師作の歓喜天がまつられ、商売繁昌を願う信者で賑わっている。白みかげ石で知られる庵治の町が山麓にある。☆ (四国ネットより)

85番八栗寺参道の鳥居と山門 09:02

85番八栗寺の山門(二天門)  09:03

85番八栗寺の山門(二天門)  09:03

85番八栗寺二天門から境内、正面は本堂   09:03

正面は85番八栗寺の本堂   09:04

85番八栗寺の手水舎   09:04

85番八栗寺の多宝塔   09:21

85番八栗寺の大師堂と多宝塔  09:21

85番八栗寺の大師堂   09:21

85番八栗寺地蔵堂地蔵尊像   09:22

85番八栗寺の大師堂と多宝塔   09:22

85番八栗寺本堂の方へ戻って聖天の鳥居  09:22

鳥居と85番八栗寺歓喜天を祀る聖天堂    09:23

85番八栗寺の本堂   09:23

85番八栗寺の鐘楼   09:23

85番八栗寺の本堂   09:23

85番八栗寺本堂と八栗山   09:23

85番八栗寺の聖天堂  09:23


八栗山(五剣山)  09:40

八栗山から下って、二ツ池公園、県道145号、国道11号、道の駅から浜の道へ途中にさぬき市志度字越窓にある平賀源内旧宅  10:54

さぬき市志度字越窓にある平賀源内旧宅  10:54
☆☆


平成25年4月8日(月)
86番志度寺 (Fudarausan Shidoji, 86th Shikoku 88)
H2m
第86番札所 補陀洛山 志度寺 (ふだらくさん しどじ) 
本尊  十一面観世音菩薩 (じゅういちめんかんぜおんぼさつ) 
真言  「おん まか きゃろにきゃ そわか」
開基  藤原不比等
宗派  真言宗善通寺派
御詠歌 いぎさらば こよひはここに しどのてら いのりのこゑを みみにふれつつ
所在地 香川県さぬき市志度1102番地
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☆ 仁王門を入ると左に海女の墓がある。謡曲「海士」で知られる伝説によれば、天智天皇のころ、藤原不比等が亡父鎌足の供養に奈良興福寺の建立を発願した。唐の高宗皇帝の妃であった妹はその菩提にと三つの宝珠を船で送ったが、志度の浦で龍神に奪われた。兄の不比等はあきらめきれず、姿をかえて志度の浦へ渡り、土地の海女と夫婦になり一子・房前をもうける。やがて海女は観世音に祈願し、夫とわが子のために命を捨てて龍神から宝珠をとりかえす。不比等は海辺の近くに海女の墓と小堂をたて「死度道場」と名づけた。後に房前は母の追善供養に堂宇を増築し、寺の名を志度寺と改めるのである。寺伝によれば推古天皇の三十三年に志度の浦に楠の霊木が漂着し、園子尼がこの霊木で観世音の尊像を刻みたいと念じたのがそのはじまりという。現在の本堂・仁王門は寛文十年(一六七〇)の建立。五重塔は昭和五十年、大阪に出て成功した当地出身の竹部二郎氏の建立。☆ (四国ネットより)

86番志度寺の山門前に到着   11:05

86番志度寺参道と山門   11:05

86番志度寺の山門   11:06

86番志度寺の本堂と大師堂  11:24

86番志度寺の本堂と大師堂  11:24

86番志度寺五重塔と本堂   11:24

86番志度寺の閻魔堂   11:24


86番志度寺の門前の自性院大師像と平賀源内の墓   11:44

志度寺から87番長尾寺へは県道3号を南下し、途中のうどん屋麺喰で違った味をと肉うどん大(480円)を注文したが肉が甘過ぎました   12:02

さぬき市志度讃岐うどん麺喰にも多くの定連客が車で次から次と来る   12:11

志度讃岐うどん麺喰の看板    12:11

長尾寺への道路標識  13:40

電柱に右とのマークがあり  13:40

横を見ると更に右とのマークそれに従いしばらく歩き変だなと庭仕事の男性に「長尾寺はまだ先ですか」「とうりこしています戻ってください」 13:40 長尾寺のお参りを済ませここまで来ると先程のおじさんまだ庭仕事をしておられたので「先程は有難うございました」と礼を述べて先へと歩きます。

もう一度見ると最初のマークは87番長尾寺へのまマーク  13:40

90度ずれて同じ支柱に貼られているのは88番大窪寺へのマーク  13:40

ともう一度戻ってみて判った。 長尾寺はこの右手方向でした 「あわてないあわてない」 13:40
☆☆


平成25年4月8日(月)
87番長尾寺 ( Fudarakuzan Nagaoji, 87th of shikoku 88 )
H36m
第87番札所 補陀落山 長尾寺 (ふだらくさん ながおじ)
本尊  聖観世音菩薩 (せいかんぜおんぼさつ) 
真言  「おん あろりきゃ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  天台宗 
御詠歌 あしびきの やまどりのをの ながをでら あきのよすがら みなをとなへて
所在地 香川県さぬき市長尾西653番地
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☆ 志度をあとに約七㌔の道をたどると長尾の古い町並になる。寺は町中にあり、弘安六年と九年の銘のある石の経幢を拝みながら仁王門を入ると、広い境内に本堂、右に大師堂、左に護摩堂と常行堂が建ち並ぶ。天平十年(七三八)行基菩薩が巡錫の折、道端にある楊柳をもって聖観世音を刻み、小堂を建てて尊像を安置したのが寺のはじまりという。弘法大師は入唐するにあたりご本尊に祈願し、護摩修法された。このとき人々に護摩符を授け、それ以来「大会陽福奪い」の行事が今日までつづいている。大師は唐より帰朝してから大日経を一字一石に書写して入唐の大願を成就したことを謝し、万霊の供養塔をたてて修法された。この供養塔は現在護摩堂の前にある。後に天長二年(八二五)には伽藍が整備され、永仁六年(一二九八)伏見天皇の勅により開扉法要が営まれ、天和元年(一六八一)真言宗から天台宗に改めている。住職の説法は人気がある。 ☆ (四国ネットより)

87番長尾寺の山門と山門手前両脇には経幢が収まった小堂  13:41

87番長尾寺山門と経幢が収まった小堂    13:41

87番長尾寺の山門  13:41

87番長尾寺の山門は鐘楼門   13:42

87番長尾寺の本堂と大師堂、手前は手水舎   13:42

87番長尾寺護摩堂と本堂   13:42

87番長尾寺山門を入り手水舎の横に楠大木  13:59

87番長尾寺の本堂  13:59

87番長尾寺大師堂  13:59

87番長尾寺の薬師堂と東門  13:59

87番長尾寺護摩堂、本堂と大師堂  14:00


長尾寺から県道3号線を前山へ  15:19

前山ダム  15:20

前山ダム  15:20

前山ダム  15:20

前山おへんろ交流サロン   15:25

前山おへんろ交流サロン駐車場と県道3号線    15:25

前山おへんろ交流サロンで「四国八十八ヶ所遍路大使任命書」頂きました(無料)   15:26

前山おへんろ交流サロンの向かい側には道の駅ながお  15:54

道の駅長尾は16時で閉店になるため慌しくしていた      15:55

道の駅長尾でタクシーを待つ   15:55

道の駅ながおからタクシーで3号線〜力石から377号線〜長谷から193号線で落合橋の
樺川荘本館に到着した 16:45
16:45
樺川荘本館の玄関  

塩江の樺川荘本館の夕食    18:35

塩江の樺川荘本館の夕食    18:35

すまし汁と茶碗蒸し  18:40 明日は荷物を預けて別格20番の大滝寺へ往復するので朝食用におにぎり弁当を作ってもらい事前に宿代金清算しておいた。