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88箇所四国歩き遍路1〜43で紹介してない写真を逆順に載せてゆきます
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20, BACK TO THE ICHIBAN

☆☆
番外別格18番海岸寺 ⇒ 77番道隆寺 ⇒ 76番金倉寺 ⇒ 番外別格17番神野寺満濃池
☆☆


4月5日
番外別格18番海岸寺 ( Kyounouzan Kaiganji, Ex. 18th of Shikoku 88 )
H3m
番外別格第18番札所 経納山 海岸寺 (きょうのうざん かいがんじ) 
本尊  聖観世音菩薩  (せいかんぜおんぼさつ)(本坊)
    弘法大師誕生佛 (こうぼうだいしたんじょうぶつ)〈奥之院〉
真言  「おん あろりきゃ そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗醍醐派
御詠歌 せとのきし まなこやひらく かいがんじ よろこびみちぬ 身も心にも (本坊)
御詠歌 わだつみの岸のお寺の産盥(うぶだらい)すすいでかける湯手掛の松 (奥の院
☆ 略縁起、歩いて巡っていた時代でも、たいていのお遍路さんは、ぬかしてならない番外札所として海岸寺へは参ってくれていた。今は、バスや先達まかせで海岸寺を知らず寄らずが多くなった。まず海岸寺を知り、海岸寺へ寄って戴く事が一番。●その人はしあわせの始まり。
今は施設のととのった本坊本堂へ参る方が多い。だが、大師御産屋あと、奥の院大師堂こそ本命。本堂だけ参るのは高野山で本山金剛峰寺だけ参って奥の院へ参らぬのと同じ。奥の院へ参ればお開帳。誕生大師・御両親・四天王・そして御産盥。大師の刻まれた光明真言石でお加持を受ければ、疲れや病気もふっとぶ思い。時間に応じてまんだら園、一万トン近い巨石を投じて築園。白壁をめぐらし、なるほどとうなずく法句四十碑。ミニ百八カ所には二百種にも及ぶ珍木。名花。若返りの泉、ウスサマ堂。四国三十六不動三十一番霊場悪縁断ち不動さん。何たって景色の良さに、みんなびっくり。案内・地図、JR海岸寺駅より200メートル。車の場合、国道11号線沿いの出光GSの角を北へ3キロ☆ (四国ネットより)

番外別格18番海岸寺奥の院の山門と石柱 16:02 05.04.2013 Sanmon and Stone columns of the Bekkaku Kaiganji temple

番外別格18番海岸寺奥の院の手水 16:01 05.04.2013 Cozu

番外別格18番海岸寺奥の院の山門と手水 16:00 05.04.2013 Sanmon and Chozu

番外別格18番海岸寺奥の院の湯手掛けの松株のお堂 16:00 05.04.2013 Precincts of the Bekkaku Kaigannin temple

番外別格18番海岸寺奥の院の湯手掛けの松株のお堂 15:59 05.04.2013 Precincts of the Bekkaku Kaigannin temple

番外別格18番海岸寺奥の院の境内 15:42 05.04.2013 Precincts of the Bekkaku Kaigannin temple

番外別格18番海岸寺奥の院の山門と塔 15:41 05.04.2013 Tower and temple Sanmon
☆☆


4月5日
77番道隆寺 (Soutazan Doryuji, 77th of Shikoku 88 )
H4m
第77番札所 桑多山 道隆寺 (そうたざん どうりゅうじ)
本尊  薬師如来 (やくしにょらい)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  和気道隆
宗派  真言宗醍醐派
御詠歌 ねがひをば ぶつどうりうに いりはてて ぼだいのつきを みまくほしさに
↖  77番道隆寺(ドウリュウジ)境内図

☆ 西暦七一二年、この辺りは大桑園であった。中で夜毎怪光を放つ最大の桑の木があり、道隆親王その桑で薬師如来の小象を刻み、草堂を建て安置し、廻向の日々を送る。これが道隆寺の始まりである。子朝祐、意思を継ぎ、折りから唐より帰国した弘法大師に師事、大師自ら薬師如来像を刻み、道隆親王の薬師像を胎内に納め(二体薬師)御本尊とし、朝祐、家財を投じて方六〇〇米の寺院を建立する。三代目法光、四代目智証、五代目理源、各大師晋住し、七堂伽藍を完備して密法を弘場し、四国随一宝崩祈願寺となる。然しながら天正の戦火の為、一山壊滅する。三十代目法印、再建を決意、一五八六年、現在の金堂を再建、更に歴代住職により、大師堂、護摩堂、観音堂、仁王門、鏡堂、客殿、茶堂、多宝塔、聖観音像等建立し、法灯連綿現在に至る。四代目智証大師、水子、嬰児の菩提を祈り、その母の身体建固を祈願する為、五大明王聖観音菩薩の大像を刻んで安置する。水子の寺、之より始まる。境内に眼病平癒の仏、潜徳院殿堂あり。御本尊は御典医極左馬造公。公幼少の頃、盲目、当寺薬師如来の御慈悲により全快する。公医学を学び典医となり、特に眼科は達人。公寿命尽くる時、「私の魂魄を道隆寺に留め世人を救わん」との誓願を残す。☆ (四国ネットより)

77番道隆寺の境内 14:26 05.04.2013 Precincts of the Doryuji temple

77番道隆寺の境内 14:26 05.04.2013 Precincts of the Doryuji temple

77番道隆寺の境内、納経所 14:26 05.04.2013 Precincts and Nokyosho of the Doryuji temple

77番道隆寺の大師堂 14:12 05.04.2013 Daishi hall of the Doryuji temple

77番道隆寺の大師堂 14:12 05.04.2013 Daishi hall of the Doryuji temple

77番道隆寺の多宝塔、妙見堂 14:12 05.04.2013 Two-story pagoda and Myoken hall

77番道隆寺の本堂 14:11 05.04.2013 Main hall of Doryuji temple

77番道隆寺の鐘楼 13:54 05.04.2013 Bell tower of the Doryuji temple

77番道隆寺の山門 13:52 05.04.2013 Sanmon of the Doryuji temple
☆☆


4月5日
76番金倉寺 ( Keisokuzan Konzouji, 76th of Shikoku 88 )
H18m
第76番札所 鶏足山 金倉寺 (けいそくざん こんぞうじ)
本尊  薬師如来 (やくしにょらい 伝、智証大師作)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  和平道善
宗派  天台宗寺門派
御詠歌 まことにも しんぶつそうを ひらくれは しんごんかじの ふしぎなりけり
↖  76番金倉寺(コンソウジ)境内図

☆ 昔から文化の程度の高かったのは、四国では讃岐の那珂郡と多度郡で、この地からすぐれた人物を生みだした。多度郡弘田郷の豪族であった佐伯一門からも、弘法大師をはじめ、知泉円珍(智証)真雅などの高僧が輩出している。なかでも智証大師は善通寺から四㌔はなれた金倉郷に弘法大師の姪を母として弘仁六年(八一五)に生まれた。幼少のころから経典を読み、十四歳で叡山に登り、後に唐へ留学し、やがて延暦寺五代座主となり、三井園城寺を賜わって伝法灌頂の道場とした。金倉寺は智証大師の祖父和気道麿によって宝亀五年(七七四)開創され、道善寺と称していた。智証大師は唐より帰国後しばらく留まり、先祖の菩提にと唐の青龍寺を模して伽藍を造営し、後に勅願寺となり、延長六年(九二八)醍醐天皇が金倉の郷にあるので金倉寺に改称した。当時の寺域は広大であったが、戦乱のために縮小した。明治三十一年から四年間、乃木将軍が滞在したことで知られる。☆ (四国ネットより)

76番金倉寺の境内 12:56 05.04.2013 Precincts of the Konsoji temple

76番金倉寺の本堂 12:56 05.04.2013 Main hall of the Konsoji temple

76番金倉寺の境内鐘楼脇に一願一杓の地蔵尊が立っておられます 12:55 05.04.2013 Jizo

76番金倉寺の鐘楼 12:55 05.04.2013 Bell tower

76番金倉寺の境内にある乃木将軍妻帰しの松 12:55 05.04.2013 Precincts of the Konsoji temple

76番金倉寺の訶梨帝母堂 12:33 05.04.2013 Precincts of the Konsoji temple

76番金倉寺の休憩所と本堂、納経所は右端 12:33 05.04.2013 Main hall and rest area

76番金倉寺の境内 12:33 05.04.2013 Precincts of the Konsoji temple

76番金倉寺の境内 12:33 05.04.2013 Precincts of the Konsoji temple

76番金倉寺の観音堂 12:32 05.04.2013 Kannon hall

76番金倉寺のの訶梨帝母堂 12:32 05.04.2013 Precincts of the Konsoji temple

76番金倉寺の訶梨帝母堂と本堂 12:32 05.04.2013 Precincts of the Konsoji temple

76番金倉寺の境内 12:06 05.04.2013 Precincts of the Konsoji temple

76番金倉寺の境内の楠 12:06 05.04.2013 Camphor precincts of the Konsoji temple

76番金倉寺の仁王門の仁王 12:05 05.04.2013 Nio image of Niomon

76番金倉寺の仁王門の仁王 12:05 05.04.2013 Nio image of Niomon

76番金倉寺の仁王門と石柱 12:05 05.04.2013 Niomon and Stone columns

76番金倉寺の仁王門 12:05 05.04.2013 Niomon of theKonsoji temple
☆☆


4月5日
番外別格17番神野寺満濃池)( Gokokuzan Kannoji, Ex. 17th of shikoku 88 )
157m
番外別格第17番札所 五穀山 神野寺 (ごこくざん かんのじ) 
本尊  薬師如来 (やくしにょらい)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗善通寺派
御詠歌 ちまちだに いまもそそぎて のりのしの 恵みあふるる 満濃の大池
☆ 略縁起、弘仁十二年弘法大師嵯峨天皇の勅命により満濃池修築の砌、その偉功を称えて恩賜りを給わり、末世憐民の勝計を廻らして当寺を建て、両部の秘法を伝え満濃池鎮護の霊刹となし給い、大治五年座堂再建二大門営築。明徳四年堂宇再建し益々隆盛していたが、天正九年九月戦火の時、伽藍一切を焼失し廃寺となる。昭和九年高祖大師一千百年御遠忌をむかえ、満濃大師会を結成し、大師会の発願により古の面影を偲ぶ神野寺として堂宇の一部を再建する。満濃池堤防では、日曜・祭日かりん市が開かれ終始賑わっている。案内・地図、JR琴平駅からタクシーで約六キロ。またはJR塩入駅から満濃池を目標に徒歩2キロ。車の場合、国道32号線から満濃池の標識に従って県道に入り、池を目標に進む。普通車20台、バス10台駐車可。☆ (四国ネットより)

番外別格17番神野寺満濃池) 08:26 05.04.2013 Large pond that Kobo supervised

番外別格17番神野寺満濃池)大師像の丘 08:16 05.04.2013 Precincts of the Bekkaku Kannoji temple

番外別格17番神野寺満濃池)大師像の丘からの満濃池 08:14 05.04.2013 Precincts of the bekkaku Kannoji temple

番外別格17番神野寺満濃池)を見下ろす大師像 08:14 05.04.2013 Bronze statue of Kobo-Daishi

番外別格17番神野寺満濃池)口 07:56 05.04.2013 Bekkaku Kannoji temple