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88箇所四国歩き遍路1〜43で紹介してない写真を逆順に載せてゆきます
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20, BACK TO THE ICHIBAN

☆☆
75番善通寺 ⇒ 74番甲山寺 ⇒ 73番出釈迦寺 ⇒ 72番曼荼羅寺 ⇒ 71番弥谷寺 ⇒ 70番本山寺
☆☆


4月4日
75番善通寺 ( Gogakuzan Zentsuji, 75th of Shikoku 88 )
H28m
第75番札所 五岳山 善通寺 (ごがくざん ぜんつうじ)
本尊  薬師如来 (やくしにょらい)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗善通寺派総本山
御詠歌 われすまば よもきえはてじ ぜんつうじ ふかきちかひの のりのともしび
f:id:boianuf:20190617125658j:plain
☆ 大師生誕の地・善通寺のシンボル五重塔を前方に見ながら市街へ入ると、左に伽藍といわれる東院があり、約三㌶の境内にご本尊の薬師如来を奉安した金堂、五重塔、釈迦堂など。そして東に赤門、西に中門、南に大門がある。一方、右には誕生院といわれる西院があり、四㌶の境内に仁王門、勅使門、御影堂、産湯井、その他諸堂がある。善通寺派の総本山であるだけに、四国一の規模を誇り、大師ご誕生の地にふさわしい。大師は唐より帰朝後、大同二年(八〇七)真言宗弘通の勅許を得て、先祖の氏寺の建立を発願した。父の善通卿は自身の荘田を提供され、六年の歳月をかけて七堂伽藍を完成させた。堂塔は唐の青龍寺を摸してつくられ、寺名は父の名をとって善通寺と名づけられた。そして寺の背後に五峰がそびえていることから、山号を五岳山と称した。御影堂は四棟からなり、礼堂と中殿は大師の父善通卿、奥殿は母玉依御前の館の跡で、現在の奥殿がお大師さまの御誕生地と言われている。☆ (四国ネットより)

75番善通寺の東門 16:09 04.04.2013 East Gate of the Zentsuji temple

75番善通寺の鐘楼 15:54 04.04.2013 Bell tower of the Zentsuji temple

75番善通寺の境内 15:53 04.04.2013 Precincts of the Zentsuji temple

75番善通寺の境内 15:33 04.04.2013 Precincts of the Zentsuji temple

75番善通寺の納経所(右) 15:33 04.04.2013 Nokyosho

75番善通寺金堂からの中門 15:30 04.04.2013 Inner gate from the main hall

75番善通寺の東門(境内内より)15:30 04.04.2013 East Gate of the Zentsuji temple

75番善通寺の金堂と釈迦堂(右)15:21 04.04.2013Shaka-Do and main hall of the Zentsuji temple
☆☆


4月4日
74番甲山寺 ( Iouzan Kouyamaji, 74th of shikoku 88 )
H21m
第74番札所 医王山 甲山寺 (いおうざん こうやまじ)
本尊  薬師如来 (やくしにょらい 伝、弘法大師作)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗善通寺派
御詠歌 じうにしん みかたにもてる いくさには おのれとこころ かぶとやまかな
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☆ 弘法大師は幼いころこの附近で遊ばれた。土の仏像や草木の小堂をつくったり、石を重ねて塔にしたり、愛犬をつれて歩かれたりした。近くの仙遊ヶ原地蔵堂は大師のそうした遊び場であったという。善通寺へ向かう道沿いに小高い山がある。山の名を甲山という。寺は山の裏側にあり、山門を入ると正面が本堂、左に大師堂、鐘楼毘沙門天の岩窟、右に護摩堂、庫裡がある。 大師が善通寺曼荼羅寺の間に伽藍を建立しようと、その霊地を探していたら、甲山の麓の岩窟から老翁があらわれ、暗示を受けた。大師は歓喜のあまり、石を割いて毘沙門天の尊像を刻んで岩窟に安置し、供養された。その後大師は京都におられたが、弘仁十二年(八二一)満濃池築造の別当に任ぜられて当地へ赴任し、薬師如来を刻んで工事の成功を祈願した。その徳を慕う数万の農民によって工事は完了した。そこで堂塔を建立し、薬師如来を本尊として安置したという。☆ (四国ネットより)

74番甲山寺の山門前の駐車場の隣は建設会社のジャリ工場  15:03 04.04.2013 Next to the parking lot gravel plant

74番甲山寺の境内 14:51 04.04.2013 Precincts of the Koyamaji temple

74番甲山寺毘沙門天堂 14:50 04.04.2013 Bishamonten-do

74番甲山寺の鐘楼 14:35 04.04.2013 Bell tower of the Koyamaji temple

74番甲山寺の山門 14:34 04.04.2013 Sanmon of the Koyamaji temple
☆☆


4月4日
73番出釈迦寺 ( Gahaishizan Shusshakaji, 73rd of Shikoku 88 )
H94m
第73番札所 我拝師山 出釈迦寺 (がはいしざん しゅっしゃかじ)
本尊  釈迦如来 (しゃかにょらい 伝、弘法大師作)
真言  「のうまく さんまんだ ぼだなん ばく」
開基  弘法大師
宗派  真言宗御室派
御詠歌 まよいぬる ろくどうしゅじょう すくわんと とうときやまに いづるしゃかでら
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☆ 前方に我拝師山(標高四八一・二㍍)がある。昔は倭斯濃山といったという。伝説によれば、弘法大師が七歳のときこの山に登り、「仏門に入って多くの人々を救いたい。この願いがかなうなら釈迦如来あらわれたまえ、もし願いがかなわぬなら一命を捨ててこの身を諸仏に供養する」といって、断崖絶壁から谷底へ身を投げるのである。この時釈迦如来と天女があらわれて雲上に抱きとめ「一生成仏」の旨をいわれた。一命を救われ、その願いが成就することを示された大師は、感激して釈迦如来の像を刻み、堂宇を建てて出釈迦寺とし、倭斯濃山を我拝師山に改めたという。曼荼羅寺からだらだら坂を五百㍍あまり登ったところに出釈迦寺がある。寺の境内には我拝師山々頂の捨身ヶ嶽の遥拝所があり、ここからは捨身ヶ嶽禅定の建物が仰がれる。山路一・八㌔約四十分の登り。山上の奥ノ院には釈迦如来不動明王弘法大師像が安置され身を捨てた行場は五百㍍先にある。☆ (四国ネットより)

73番出釈迦寺の参道、電柱の右横の山の上の屋根が奥の院の捨身ヶ嶽禅定  14:02 04.04.2013

73番出釈迦寺の境内 13:58 04.04.2013 Precincts of the Shusshakaji temple

73番出釈迦寺の大師堂 13:58 04.04.2013 Daishi hall of the shusshakaji temple

73番出釈迦寺の境内 13:57 04.04.2013 Precincts of the Shusshakaji temple

73番出釈迦寺の境内 13:57 04.04.2013 Precincts of the Shusshakaji temple

73番出釈迦寺の本堂 13:57 04.04.2013 Main hall of the shusshakaji temple

73番出釈迦寺の鐘楼門と手水 13:57 04.04.2013 Bell Tower Gate and Chozu

73番出釈迦寺の本堂前にて 13:49 04.04.2013 Main hall of the Shusshakaji temple
☆☆


4月4日
72番曼荼羅寺 ( Gahaishizan Mandaraji, 72nd of Shikoku 88 )
H44m
第72番札所 我拝師山 曼荼羅寺 (がはいしざん まんだらじ)
本尊  大日如来 (だいにちにょらい 伝、弘法大師作)
真言  「おん あびらうんけん ばざら だとばん」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗善通寺派
御詠歌 わづかにも まんだらおがむ ひとはただ ふたたびみたび かへらざらまし
f:id:boianuf:20190617125612j:plain
☆ 寺は弘法大師の先祖である佐伯家の氏寺として推古四年(五九六)創建され、世坂寺と称していたが、弘法大師が留学後、ご本尊の大日如来を勧請し、大同二年、金胎曼荼羅を安置し、唐の青龍寺に模して堂塔を建立し、寺号も我拝師山曼荼羅寺と改めた。本堂から廻郎づたいの観音堂には聖観世音が安置されている。桧材一木造りの豊満端厳な尊容で、藤原時代の造顕という。境内には西行法師の「笠掛桜」と「昼寝石」の遺跡がある。西行法師は諸国を行脚中、この近くに滞在し、寺の境内でしばしば休息し、あるとき同行した旅人が桜の枝に笠をかけ忘れ、それを見て「笠はありその身はいかになりぬらん あはれはかなきあめが下かな」とよんだという。自然の中に人間性を見出して表現したところにその特徴があるといわれる。☆ (四国ネットより)

72番曼荼羅寺の再建中の大師堂と境内 13:22 04.04.2013 Under reconstruction of Daishi hall

72番曼荼羅寺の境内 13:20 04.04.2013 Precincts of the Mandaraji temple

72番曼荼羅寺の境内 13:20 04.04.2013 Precincts of the Mandaraji temple

72番曼荼羅寺には見事に枝を張った笠松が有ったが枯れた。その松で造った大師像  13:20 04.04.2013 Daishi image of a pine tree

72番曼荼羅寺の境内 13:19 04.04.2013 Precincts of the Mandaraji temple

72番曼荼羅寺の境内 13:19 04.04.2013 Precincts of the Mandaraji temple

72番曼荼羅寺の鐘楼と手水 13:19 04.04.2013 Bell tower and Chozu

72番曼荼羅寺本堂の棟瓦 12:58 04.04.2013 Nokigawara of Main hal

72番曼荼羅寺の山門からの参道 12:58 04.04.2013 Approach to the temple fron Sanmon
☆☆


4月4日
71番弥谷寺 ( Kengozan Iyadaniji, 71st of shikoku 88 )
H222m
第71番札所 剣五山 弥谷寺 (けんござん いやだにじ)
本尊  千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ 伝、弘法大師作)
真言  「おん ばざらたらま きりく そわか」
開基  行基菩薩 
宗派  真言宗善通寺派
御詠歌 あくにんと ゆきつれなんも いやだにじ ただかりそめも よきともぞよき
f:id:boianuf:20190617125559j:plain
☆ 寺は標高三百八十二㍍の弥谷山の中腹にある。三つの峰からなっているので三朶の峰といわれ、昔から死霊のゆく山と信じられている。山麓までの坂道を登ってゆくと、仁王門の手前に名物のあめ湯とトコロテンを売る俳句茶屋がある。門を入ってからは二百六十二段の石段。元禄年間に住僧覚林が造顕した金剛挙菩薩が奉安されており、さらに段を登れば、大師堂、鐘楼堂、岩窟の護摩堂、岩壁に刻まれた弥陀三尊などがあり、本堂には千手観世音がご本尊として奉安されている。寺は行基菩薩の開創。聖武天皇が堂塔を建立し、後に、弘法大師が七歳のときこの山で苦行し、大同二年(八〇七)再び登山して真言密教の秘法を修されている時、五柄の剣を得るとともに蔵王権現のおつげがあり、これにもとずき大師は千手観世音を刻み本尊とした。大師堂につづく奥ノ院は「獅子の岩窟」大師が求聞持の法を修されたところ。☆ (四国ネットより)

71番弥谷寺の石段 11:22 04.04.2013 Stone steps of the Iyadaniji temple

71番弥谷寺の大師堂への石段 11:21 04.04.2013 Stone steps to Daishi hall

71番弥谷寺の大師堂石段下 11:19 04.04.2013 Stone steps to Daishi hall

71番弥谷寺の大師堂は履物を脱いで上ります、納経所もこの中  10:51 04.04.2013 To enter and take off your footwear to Daishi hall

71番弥谷寺の境内 10:51 04.04.2013 Precincts of the Iyadaniji temple

71番弥谷寺の境内 10:51 04.04.2013 Precincts of the Iyadaniji temple

71番弥谷寺の境内 10:50 04.04.2013 Precincts of the Iyadaniji temple

71番弥谷寺の鐘楼 10:50 04.04.2013 Bell tower of the Iyadaniji temple

71番弥谷寺弘法大師像 10:50 04.04.2013 Bronze statue of Kobo

71番弥谷寺の下り石段 10:48 04.04.2013 Down stone steps of the temple

71番弥谷寺境内道しるべ 10:48 04.04.2013 Signpost

71番弥谷寺の本堂への道  10:48 04.04.2013 Way to the main hall

71番弥谷寺の磨崖仏 10:46 04.04.2013 Magaibutsu of temple

71番弥谷寺本堂からの下り石段 10:46 04.04.2013 Down stone steps from the main hall

71番弥谷寺の磨崖仏 10:46 04.04.2013 Magaibutsu of temple

71番弥谷寺の本堂屋根と裏山 10:46 04.04.2013 Mountain behind the roof of the main hall

71番弥谷寺の本堂まえの石段にて 10:43 04.04.2013 In front of Mail hall

71番弥谷寺山門の仁王 10:21 04.04.2013 Nio image of the Sanmon

71番弥谷寺山門の仁王 10:20 04.04.2013 Nio image of the Sanmon

71番弥谷寺山門から俳句茶屋へのくだり石段 10:20 04.04.2013 Stone steps down to the haiku Chaya
☆☆


4月4日
70番本山寺 (Shippouzan Motoyamaji, 70th of Shikoku 88 ) 
H11m
第70番札所 七宝山 本山寺 (しっぽうざん もとやまじ)
本尊  馬頭観世音菩薩 (ばとうかんぜおんぼさつ 伝、弘法大師作)
真言  「おん あみりとうどはんば うんぱった そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 もとやまに たれかうへける はななれや はるこそたをれ たむけにぞなる
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☆ 琴弾山をあとに東北へ向うと前方に五重塔の塔身がくつきりと浮かぶ。大正二年の再建だが、古くは大同四年に弘法大師が建立し、天暦二年(九四八)に修理したが、その後上の四層が破損したため下の一重のみを修理し塔堂として残っている。本堂は大同二年(八〇七)平城天皇の勅願により弘法大師が一夜のうちに建立したと伝えられる。この用材は徳島県井ノ内村の山中より伐採し、香川県財田村で組立ててこの地へ運んだという。ご本尊の馬頭観世音、脇士の阿弥陀薬師如来はこの時に彫刻して安置された。本堂は鎌倉時代に大修復され、昭和三十年にも解体修理し国宝になっている。美しい仁王門(八脚門)は久安三年(一一四七)の建立で重文。伝説によれば、天正のころ、長曽我部元親は寺へ進駐しようとしたが住職が拒んだため切り殺してしまう。やがて内陣厨子が開き、脇士の阿弥陀如来のおからだから血が出ており、驚いた武士は境内から退き寺は戦禍から免れたという。☆ (四国ネットより)
 
70番本山寺の境内 07:17 04.04.2013 Precincts of the Motoyamaji temple

70番本山寺の十王堂 06:59 04.04.2013 Juo-Do

70番本山寺の東門と鐘楼 06:59 04.04.2013 East Gate and Bell tower

70番本山寺の五重の塔 06:58 04.04.2013 Five-storied pagoda

70番本山寺の境内 06:40 04.04.2013 Precincts of the Motoyamaji temple

70番本山寺の境内 06:40 04.04.2013 Precincts of the Motoyamaji temple

70番本山寺の鐘楼 06:40 04.04.2013 Bell tower of the Motoyamaji temple