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88箇所四国歩き遍路1〜43で紹介してない写真を逆順に載せてゆきます
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20, BACK TO THE ICHIBAN

☆☆
64番前神寺 ⇒ 63番吉祥寺 ⇒ 62番宝珠寺 ⇒ 61番香園寺 ⇒ 60番横峰寺
☆☆


3月30日
64番前神寺 ( Ishizuchizan Maegamiji, 64th of Shikoku 88 )
H29m
第64番札所 石鉄山 前神寺 (いしづちさん まえがみじ) 
本尊  阿弥陀如来 (あみだにょらい 伝、役の行者作)
真言  「おん あみりた ていせい からうん」
開基  役の行者小角
宗派  真言宗石槌派(総本山)
御詠歌 まへはかみ うしろはほとけ ごくらくの よろづのつみを くだくいしづち
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☆ 石鎚山(一九八一㍍)は七〜八世紀のころ、役小角によって開かれたと伝えられ、古くから日本七霊山の一つに数えられている。小角は山頂で苦修練行し、蔵王権現を感得し、尊像を刻んで奉安した。その後桓武天皇が病気平癒を祈願し成就したので七堂伽藍を建立し金色院前神寺とした。弘法大師も登山して断食行求聞持法を修し、霊場に定めた。前神寺は山頂天狗岳にある石鈇権現の別当寺で、また、明治の神仏分離で寺は現在地に移り、慶長年間に建てられた山頂近くの常住(海抜一、五〇〇㍍)には前神寺の出張所があり、ここを奥前神寺といい、麓の本寺を里前神寺という。毎年七月一日から十日間が「お山開き」里前神寺より黒瀬峠を越え成就から石鎚山頂へ、白衣に身をかためた数万の信者が仏名を称えながら登る。本堂にはご本尊の阿弥陀如来が安置され、境内には大師堂、金毘羅堂、お滝不動、薬師堂、石鈇権現堂不動堂などがある。☆ (四国ネットより)

64番前神寺の大師堂 14:56 30.03.2013 Daishi hall of the Maegamiji temple

64番前神寺の鐘楼 14:42 30.03.2013 Bell tower of the Maegamiji temple

64番前神寺の薬師堂と護摩堂 14:41 30.03.2013 Yakushi and Goma hall of the Maegamiji temple

64番前神寺の石槌権現は本堂の右上の山  14:40 30.03.2013 Ishizuchi-Gongen

64番前神寺の本堂を石槌権現から 14:39 30.03.2013 Views from Ishizuchi-Gongen

64番前神寺の本堂を石槌権現から  14:39 30.03.2013 Views from Ishizuchi-Gongen

64番前神寺護摩堂  14:27 30.03.2013 Goma hall

64番前神寺参道の桜  14:22 30.03.2013 Cherry blossoms of the approach to Maegamiji temple

64番前神寺の山門 14:21 30.03.2013 Sanmon of the Maegamiji temple

64番前神寺の山門脇の狛犬 14:21 30.03.2013 Top dog of the temple gate side
☆☆


3月30日
63番吉祥寺 ( Mikkyouzan Kisshouji, 63rd of Shikoku 88 )
H16m
第63番札所 密教山 吉祥寺 (みっきょうざん きっしょうじ)
本尊  毘沙門天 (びしゃもんてん 伝、弘法大師作)
真言  「おん べい しらまんだや そわか」
開基  弘法大師 
宗派  真言宗東寺派
御詠歌 みのうちの あしきひほうを うちすてて みなきちじょうを のぞみいのれよ
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☆ 宝寿寺から国道十一号線を一・三㌔ゆくと道沿いに吉祥寺がある。ご本尊は毘沙聞天で脇士は吉祥天と善膩師童子弘法大師が人々の貧苦を救わんものと一刀三礼して刻まれた。そのころ寺は坂元山にあり、寺域も広く塔中二十一坊を有する大伽藍であったが、天正の兵火で全山焼失し、万治二年(一六五九)末寺の檜木寺と合伴して現在地に建立された。ご本尊と大師堂の参拝がすんだ遍路は、本堂前の成就石に向かって歩き出す。目をつぶり、願いごとを念じながら、金剛杖を下段にかまえる。そして石の穴に金剛杖が通れば願いごとが成就するという。寺宝にマリア観音像がある。高麗焼の純白な像(高さ三十㌢)は長曽我部元親イスパニア船サン・クェリッペ号の船長バードレから託されたもので、その後家臣の秦備前守が秘蔵し、家族に不幸が続いたので吉祥寺へ預けたという。慈愛あふれる美しい尊容。☆ (四国ネットより)

63番吉祥寺の山門 13:42 30.03.2013 Sanmon of the kisshoji temple

63番吉祥寺の境内 13:42 30.03.2013 Precincts of the Kisshoji temple

63番吉祥寺の手水 13:25 30.03.2013 Chozu of Kisshoji temple

63番吉祥寺の本堂前にて 13:24 30.03.2013 Main hall of the Kissoji temple

63番吉祥寺の境内 13:24 30.03.2013 Precincts of the Kisshoji temple

63番吉祥寺の車が出入りする門で寺への山門では無い 13:07 30.03.2013 This is not Sanmon

63番吉祥寺の山門は道路を直進して緑の植え込みの所を左へ  13:07  Sanmon located left from the straight way
☆☆


3月30日
62番宝珠寺 ( Tenyozan Hojuji, 62nd of Shikoku 88 )
H16m
第62番札所 天養山 宝寿寺 (てんようざん ほうじゅじ)
本尊  十一面観世音菩薩 (じゅういちめんかんぜおんぼさつ 伝、弘法大師作)
真言  「おん まか きゃろにきゃ そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 さみだれの あとにいでたる たまのいは しらつぼなるや いちのみやかな
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伊予小松町の中心、国道沿いに寺はある。当初は聖武天皇の勅願により伊予一宮の法楽所として中山川下流の白坪に建立された。そして金光明最勝王経を奉納し、僧道慈を任じて講読させた。その後弘法大師は寺に長く留まり、光明皇后にかたどって十一面観世音を彫刻して本尊とし、寺号を宝寿寺とされた。そのころ国司越智公の夫人は難産で大師に祈祷を乞われた。大師は境内の玉ノ井の水を加持して夫人に与えた。その結果夫人は若君を安産し、玉澄と命名し「さみだれのあとに出でたる玉ノ井は、白坪なるや一ノ宮かな」と詠じられ、この歌を献納した。それ以来安産の観世音として信仰をあつめた。白坪にあった寺は洪水のため堂宇が破損したので天養年間に修復され、山号は天養山となったが、その後荒廃し、寛永年間に一柳氏が現在地近くに移建し、四国遍路の行者宥信上人が再興した。明治に入って廃寺となるが、同十年に大石龍遍上人が再建している。。☆ (四国ネットより)

62番宝珠寺の旧本堂は正面 12:12 30.03.2013 Old main hall

62番宝珠寺の本堂は宝珠が載った大師堂、現大師堂は右のお堂 12:12 30.03.2013 Provisional main hall of the Hojuji temple

62番宝珠寺の境内と手水 12:11 30.03.2013 Chozu and precincts of the Hojuji temple
☆☆


3月30日
61番香園寺 ( Sendanzan Kouonji, 61st of Shikoku 88 )
H20m
第61番札所 栴檀山 香園寺 (せんだんざん こうおんじ)
本尊  大日如来 (だいいちにょらい)
真言  「おん あびらうんけん ばざら だどばん」
開基  聖徳太子
宗派  真言宗単立
御詠歌 のちのよを おもえばまいれ こうおんじ とめてとまらぬ しらたきのみず
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☆ 寺伝によれば、用明天皇の病気平癒を祈って聖徳太子が創建し、このとき金衣白髪の老翁が飛来してご本尊を安置したという。天平年間には行基菩薩も留錫し、大同年間になると弘法大師が巡錫された。あるときこの地で身重な女が苦しんでいたが、大帥のお加持で安産した。この勝緑によって大師は唐から奉持した大日如来の金像をご本尊の胸に納め、栴檀の香をたいて護摩修法された。これにちなんで栴檀香園寺と号した。大正のはじめ、住職の山岡瑞圓師は子安講を創始し、難産で苦しむ女性の祈祷をされた。子安講は発展し、「子安の大師」で知られる。寺は小松町のはずれにあり、山麓の一万坪の境内には、昭和五十一年建立の大聖堂(本堂、大師堂)二百五十名収容の宿坊、庫裡などが建ち並んでいる。それだけに大きな団体や、巡拝日程の変更などで宿泊に因っている遍路など、受入れ体制が整っているだけに安心して参籠を願うことができる。☆ (四国ネットより)

61番香園寺の門 11:39 30.03.2013 Gate of the Koonji temple

61番香園寺の鐘楼 11:33 30.03.2013 Bell tower of the Koonji temple

61番香園寺の桜と地蔵  11:33 30.03.2013 Jizo and cherry tree of Koonji temple

61番香園寺の本堂+大師堂 11:33 30.03.2013 Daishi and Main hall of Koonji temple
☆☆


3月30日
60番横峰寺 ( Ishizuchisan Yokomineji, 60th of Shikoku 88 )
H750m
第60番札所 石鉄山 横峰寺 (いしづちさん よこみねじ)
本尊  大日如来 (だしにちにょらい 伝、行基菩薩作)
真言  「おん あびらうんけん ばざら だどばん」
開基  役の行者小角
宗派  真言宗御室派
御詠歌 たてよこに みねややまべに てらたてて あまねくひとを すくふものかな
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☆ 昔から難所のひとつに数えられ、近年林道が開通し、境内近くまで自動車が入れるようになったけれど、今もここだけは歩くという遍路も多い。五十九番からは湯浪より登る。谷川沿いの山路だが、やがて勾配の急な狭い道になる。一方、石鎚農協前からは道巾も広く歩きやすいが、急勾配の坂道で二.五㌔登ったところに小堂があり、さらに五百㍍登れば頂上の星ガ森(海抜八百メートル)。石鎚山(一九八二㍍)の西の遥拝所になっており、石鎚山のながめはすばらしい。横峰寺へはここから五百㍍下る。仁王門を入ると右に権現造りの本堂がある。白雉二年(六五一)役行者小角が星ガ森で練行中に石鎚山項に蔵王権現が元現した。そこで小角はその尊像を刻み小堂を建立して安置した。弘法大師はこの地で星供を修され、石鎚山へ二十一日間日参された。結願の日再度蔵王権現が示現したので大師は当山を霊山と思われ、大日如来を刻み本尊とし、霊場に定めた。☆ (四国ネットより)

60番横峰寺の境内 08:42 30.03.2013 Precincts of the Yokomineji temple

60番横峰寺の境内 08:42 30.03.2013 Precincts of the Yokomineji temple

60番横峰寺の境内 08:41 30.03.2013 Precincts of the Yokomineji temple

60番横峰寺の境内 08:28 30.03.2013 Precincts of the Yokomineji temple

60番横峰寺の鐘楼 08:28 30.03.2013 Bell tower of the Yokomineji temple

60番横峰寺の境内 08:28 30.03.2013 Precincts of the Yokomineji temple

60番横峰寺の境内 08:27 30.03.2013 Precincts of the Yokomineji temple

60番横峰寺の境内 08:27 30.03.2013 Precincts of the Yokomineji temple

60番横峰寺の境内 08:27 30.03.2013 Precincts of the Yokomineji temple

60番横峰寺の山門 08:08 30.03.2013 Sanmon of the Yokomineji temole