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88箇所四国歩き遍路1〜43で紹介してない写真を逆順に載せてゆきます
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20, BACK TO THE ICHIBAN

☆☆
39番延光寺 ⇒ 38番金剛福寺 ⇒ 37番岩本寺 ⇒ 番外別格5番大善寺 ⇒ 36番青龍寺 ⇒ 35番清滝寺 ⇒ 34番種間寺 ⇒ 33番雪渓寺 
☆☆


3月19日
39番延光寺 ( Shakkizan Enkouji, 39th of Shikoku 88 )
H37m
第39番札所 赤亀山 延光寺 (しゃっきざん えんこうじ) 
本尊  薬師如来 (やくしにょらい 伝剛毅菩薩作)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗智山派
御詠歌 なむやくし しょびょうしつじょの ぐわんこめて まいるわがみを たすけましませ
↖  39番延光寺(エンコウジ)境内図

☆ 時代の流れで昔風の遍路宿がなくなってゆくが、いまなを旧来の姿をとどめているのが若松屋。洗濯したてのきれいなカバーをつけた夜具を廊下に積み、遍路とみれば声をかける。若松屋は三代もつづく遍路宿で、主人の小林等さんが気持よく接待してくれる。寺の山門を入れば、本堂、大師堂がある。 神亀元年(七二四)聖武天皇の勅命で行基菩薩が薬師如来を刻み本尊として安置し、堂塔を建立したのがはじまりという。延暦十四年(七九五)には弘法大師がしばらく留まり、桓武天皇の勅願所として再興し、脇仏を安置して堂塔を整備し、霊水を湧かせて宝医水と名づけられた。一方、境内の池に棲んでいた赤亀が竜宮から鐘を背負ってきたと伝える鐘には延喜十一年(九一一)の年号が刻まれ、国の重要文化財になっている。納経朱印も亀。十六ヵ所の修行の霊場を打ち終え、これから裏関所の観自荘寺へとたどることになる。☆ (四国ネットより)

39番延光寺の赤亀像 14:42 19.03.2013 Red turtle image of Enkoji temple

39番延光寺の山門、赤亀像、手水 14:41 19.03.2013 Sanmon, Red turtle, Chozu

39番延光寺の大師堂(左奥)と本堂 14:40 19.03.2013 Daishi hall and Main hall of the Enkoji temple

39番延光寺の境内、山門、手水、鐘楼 14:40 19.03.2013 Precincts of the Enkoji temple

39番延光寺の本堂前にて 14:39 19.03.2013 Main hall of the Enkoji temple

39番延光寺の境内 14:38 19.03.2013 Precincts of the Enkoji temple

39番延光寺の大師堂(左)と本堂  14:38 19.03.2013 Daishi hall and Main hall of the Enkoji temple

39番延光寺の目洗い井戸 14:29 19.03.2013 Eye wash spring water

39番延光寺の本堂前にて 14:12 19.03.2013 Main hall

39番延光寺の山門にて 14:11 19.03.2013 Sanmon

39番延光寺の赤亀と境内 14:09 19.03.2013 Precincts of the Enkoji temple

39番延光寺の手水と大師像 14:08 19.03.2013 Chozu and Daishi image
☆ 山門の左側に手水場があり、その先に鐘楼がある。参道の両側に庭園があり、伝説に関わる、梵鐘を背負った赤亀の像が置かれている。参道が右に曲ると左側に大師堂が、その先に本堂が建っている。本堂と大師堂の間の道を行くと護摩堂があり、本堂前を右手に行くと眼洗いの井戸、庫裏・納経所がある。 ☆ (Wikipediaより)
☆☆


3月17日
38番金剛福寺 ( Sadasan Kongoufukuji, 38th of Shikoku 88)
H61m
第38番札所 蹉蛇山 金剛福寺 (さださん こんごうふくじ) 
本尊  三面千手観世音菩薩 (さんめんせんじゅかんぜおんぼさつ)
真言  「おん ばざら たらま きりく そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 ふだらくや ここはみさきの ふねのさを とるもすつるも のりのさだやま
↖  38番金剛福寺(コンゴウフクジ)境内図

☆ 岩本寺から足摺岬へはへんろ道の中でもっとも長く、約百十㌔、歩いて三泊四日ほどかかる。土佐の京都といわれる中村より四万十川を渡り、伊豆田峠を越え下ノ加江より以布利へ、ここから土佐清水を経て海沿いに窪津、稲荷崎、足摺岬へ。岬の突端に近づくと急激に海へ迫る。アコウや天然のツバキ林を抜ければ、十二万平方㍍の広大な境内に本堂をはじめ諸堂が点在する。弘仁年間に弘法大師はこの地を巡錫して千手観世音を感得し、日本の最南端に位置することから観世音の理想の世界(補陀洛法界)の地として朝廷へ奏聞し、嵯峨天皇より「補陀洛東門」の勅額を賜り、弘仁十三年、伽藍を建立し、千手観世音を安置した。(山号を蹉跎山に改めたのは金峰上人が住職のとき天魔を蹉跎して退かせたからという)岬の突端に立つと、紺青の海原が無限にひろがる。ここには弘法大師の七不思議の伝説がいまなお生きつづけている。☆ (四国ネットより)

38番金剛福寺口 12:57 17.03.2013

38番金剛福寺の山門 12:54 17.03.2013 Sanmon of the Kongofukuji temple

38番金剛福寺の本堂前にて 12:48 17.03.2013

38番金剛福寺の境内 12:41 17.03.2013 Precincts of the Kongofukuji temple

38番金剛福寺の境内 12:40 17.03.2013 Precincts of the Kongofukuji temple

38番金剛福寺弁才天堂  12:40 17.03.2013 Benzaiten hall

38番金剛福寺の境内 12:39 17.03.2013 Precincts of the Kongofukuji temple

38番金剛福寺の鐘楼(右) 12:39 17.03.2013

38番金剛福寺の境内 12:39 17.03.2013 Precincts of the Kongofukuji temple

38番金剛福寺の境内 12:39 17.03.2013 Precincts of the Kongofukuji temple

38番金剛福寺の境内 12:39 17.03.2013 Precincts of the Kongofukuji temple

38番金剛福寺の大師堂  12:39 17.03.2013 Daishi hall
 
38番金剛福寺弁才天と手水 12:20 17.03.2013 Zenzaiten and Chozu

38番金剛福寺の手水 12:20 17.03.2013 Chozu
☆ 山門を入ると左手に弁財天、不増不減の手水鉢、鐘楼がある。右手の納経所を過ぎ、正面奥に本堂が建てられている。本堂より右のほうに不動堂、多宝塔があり、その先に和泉式部の逆修塔がある。本堂左手の池の畔を行くと愛染堂、権現堂、行者堂があって大師堂に至る。本堂前の池の前には奉納された所願成就の亀の像が安置されている。☆ (Wikipediaより)
☆☆


3月14日
37番岩本寺 ( Fujiisan Iwamotoji, 37th of Shikoku 88 )
H211m
第37番札所 藤井山 岩本寺 (ふじいさん いわもとじ)
本尊  不動明王
    観世音菩薩 
    阿弥陀如来 
    薬師如来
    地蔵菩薩
真言 「のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた
 かんまん」
    「おん あろりきゃ そわか」
    「おん あみりた ていせい から うん」
    「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
    「おん かかかび さんまえい そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗智山派
御詠歌 むつのちり いつつのやしろ あらはして ふかきにいたの かみのたのしみ
↖  37番岩本寺(イワモトジ)境内図

☆ かつては福円満寺といい、行基菩薩の開基で、聖武天皇の勅を奉じ、仁井田明神のかたわらに建立された。仁王経の七福即生の文にもとづいて、天の七星をかたどつてさらに六ヵ寺を建てて、仁井田七福寺とも称した。弘仁のころ、弘法大師が巡錫し、五社、五ヵ寺を増築し、本地仏のご本尊である不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来薬師如来地蔵菩薩の五体を安置し、自ら星供秘法を修し、藤井寺五徳智院と号された。中世のころ兵火で焼失し、ときの釈長僧都が再興し、寺名を岩本坊(寺)に改めた。明治に入り廃寺となるが、同二十二年に再興されている。本堂には五体の本尊が安置され、なかでも観世音菩薩は、昔貧しい狩人の願いをきき入れて長者にさせたことから「福観音」とよばれ、その時狩人の身代りになった地蔵菩薩を「矢負の地蔵」とよんで信仰されている。七不思議の伝説もある。窪川は三つの峠を越えた高原(海抜三百二十㍍)の町。寺は町の奥まった所にある。☆ (四国ネットより)

37番岩本寺の境内にて 14:51 14.03.2013 Precincts of the Iwamotoji temple

37番岩本寺の大師像と聖天堂 14:50 14.03.2013 Daishi image and Shoten hall

37番岩本寺の境内 14:49 14.03.2013 Precincts of the Iwamotoji temple

37番岩本寺の境内 14:49 14.03.2013 Precincts of the Iwamotoji temple

37番岩本寺の参道 14:25 14.03.2013 Approach of the temple
☆ 山門(仁王門)を入ると左に手水場、右手に聖天堂、鐘楼があり、正面右手に本堂が建つ。本堂の左には水天宮、鐘楼の奥に大師堂がある。山門を背に左手に庫裏と納経所がある。境内の裏手には土佐くろしお鉄道の線路が通り、参拝中に列車の姿を見ることができる。☆ (Wikipediaより)
☆☆


3月13日
番外別格5番大善寺 ( Kouyasan Daijenji, Ex. 5th of Shikoku 88 )
H26m
番外別格5番札所 高野山 大善寺 (こうやさん だいじぇんじ)
本尊  弘法大師 (こうぼうだいし)
真言  「なむだいしへんじょうこんごう」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 みな人の 善を須崎の高野寺 波の音さえ 法の声かな
☆ 略縁起、弘法大師四国八十八カ所御開創の砌、須崎の入海はきわめて広く、今の大師堂の地点は海に突き出た岬とっていた。当時は山越しに行くのを常としたが干潮の時はこの二つ石岬の端を廻って行くことができた。ところが同地は波浪いつも岩をかみ「土佐の親しらず」といわれ、波にさらわれて海の藻屑となるものも多く海難が多発し、そのうえ同地点は伊予石鎚山の末端に当たるので身に不浄あるものは時々怪異に出会うといっておそれられていた。大師は、そのことを聞いて海岸にたつ大岩の上で海難横死者の菩提のため、海上・陸上の往来安全を祈願して祈祷を行い、一寺を建立したのが今の大師堂の起源である。それ以来難儀も軽減したので、誰言うともなく「二つ石のお大師さん」と呼ばれるようになったという。二つの大岩は長年波荒く打ち寄せる波の力で磯になり丘になり、遂に昭和の初め防潮堤ができ、今はその姿を留めていない。寺伝によれば宝永四年(1707年)の大変までは古市町にあり八幡山明星院大善寺といい、法印職の住する中本寺格として八幡神社別当職として末寺十七カ所寺を擁していたが(寺地境内は六反十二畝三歩・寺は三間に二十四間だったという記録がある)津波で流失し古城山のふもとに移ったものらしい。後に明治の廃仏毀釈により廃寺となり、明治二十九年(1896年)大師の霊跡を惜しむ里人の手で再興され現在地に移転し寺の再建を計って今日に至っている。尚、本堂前境内よりのながめは太平洋を眼下に一望でき「二つ石の上でお大師様」が今もみなさま方の幸せをとこしえに御祈願されております。案内・地図、JR土讃本線土佐新荘駅より徒歩三分。急行利用の場合は須崎駅下車、徒歩30分。車の場合、国道56号線南下し、須崎トンネルをくぐり、突き当たりの三叉路を左折し300メートル。普通車五台、バス一台駐車可。☆ (四国ネットより)

別格5番大善寺の境内 13:05 13.03.2013 Precincts of the bekkaku Daijenji temple

別格5番大善寺の手水 12:55 13.03.2013 Chozu

別格5番大善寺の大師堂 12:51 13.03.2013 Daishi hall of the bekkaku Daijenji temple
☆☆


3月12日
36番青龍寺 ( Dokkozan Shouryuji, 36th of Shikoku 88 )
H41m
第36番札所 独鈷山 青龍寺 (どっこさん しょうりゅうじ)
本尊  波切不動明王 (なみきりふどうみょうおう 伝弘法大師作)
真言  「のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた
 かんまん」
開基  弘法大師
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 わづかなる いづみにすめる しょうりうは ぶっぽうしゅごの ちかひとぞきく
↖  36番青龍寺(ショウリュウジ)境内図

☆ 宇佐の渡し(龍ノ渡シ)は、弘法大師が八人の供を残し、その子孫がこの渡しを近年まで守りつづけてきた。しかし宇佐大橋が開通してこの渡しはなくなった。昔の遍路はいくつもの川や海を越えたが、その多くは渡し舟を利用した。ところが橋がかかり、海岸線に道路が開通するにおよんで渡し舟は姿を消してゆくのである。弘法大師は中国留学中、青龍寺の恵果阿闍梨について学ばれたが、帰国にあたって師の恩に報いるために有縁の勝地を選ばれるようにと、明州から東に向かって独鈷杵を投げられた。独鈷杵は東方に飛び、やがてこの地の山上にある松に止まった。帰国した大師はこの地へ巡錫して独鈷杵を感得し、弘仁六年(八一五)嵯峨天皇に奏聞して一宇を建て、自刻の浪切不動を安置し、恩師を慕って寺名を青龍寺とした。仁王門を入ると滝があり、行場になっている。百二十段余りの石段を登りつめたところが本堂。海上安全を祈る漁民の多くの絵馬が納められている。☆ (四国ネットより)

36番青龍寺の山門 16:34 12.03.2013 Sanmon of the Shoryuji temple

36番青龍寺の三重塔 16:33 12.03.2013 Three-story pagoda

36番青龍寺の薬師堂と本堂(左)16:31 12.03.2013 Main hall and Yakushi hall

36番青龍寺の山門からの石段 16:31 12.03.2013 Stone steps from the temple Sanmon

36番青龍寺の境内 16:30 12.03.2013 Precincts of the Shoryuji temple

36番青龍寺の境内 16:30 12.03.2013 Precincts of the Shoryuji temple

36番青龍寺の本堂 16:30 12.03.2013 Main hall of the Shoryuji temple

36番青龍寺の大師堂 16:30 12.03.2013 Daishi hall

36番青龍寺の手水 16:16 12.03.2013 Chozu
☆ 石段下の右に手水場、左に納経所、恵果堂がある。石段途中左奥に三重塔があり、仁王門の先にも170段の石段が続く。石段を上りきったところに本堂が建ち、左に大師堂、右に薬師堂があるが、この配置は唐の青龍寺と同様であるといわれている。 ☆ (Wikipediaより)
☆☆


3月12日
35番清滝寺 ( Iouzan Kiyotakiji, 35th of Shikoku 88 )
H132m
第35番札所 医王山 清滝寺 (いおうざん きよたきじ)
本尊  薬師如来 (やくしにょらい)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 すむみづを くめばこころの きよたきじ なみのはなちる いわのはごろも
↖  35番清滝寺(キヨタキジ)境内図

☆ 土佐の町から西へ向うと前方に山々が立ちはだかる。山麓の農家には土佐の手漉和紙の原料楮がみられ、急坂を約八百㍍ほど登った山(海抜四百㍍)の中腹に清滝寺がある。この境内の一角に「いらずの山」と称し、誰人も近づかない所がある。そこに弘法大師十大弟子に数えられる真如の建てた逆修の塔がある。真如は入唐後さらにインドへの求道の旅をつづけ、途中不慮の死を遂げた。おい茂った樹木の中に、真如の熱烈な魂は今なお生きつづけている。縁起によれば、養老七年(七二三)行基菩薩がご本尊薬師如来を刻み、寺を開別し、景山密院繹木寺とした。弘仁年間に弘法大師が巡錫し、山中で一七日の間修法され、満願の日に金剛杖で前の壇を突くと清水が湧き出て鏡のような池になった。そこで医王山鏡池院清滝寺に改め、霊場としたという。おかげをうけた人の感謝の奉納額、松葉杖、ギプスなどが本堂に奉納されている。☆ (四国ネットより)

35番清滝寺の境内 12:35 12.03.2013 Precincts of the Kiyotakiji temple

35番清滝寺の納経所 12:34 12.03.2013 Nokyosho

35番清滝寺の境内 12:34 12.03.2013 Precincts of the Kiyotakiji temple

35番清滝寺からの眺望 12:34 12.03.2013 Views from Kiyotakiji temple

35番清滝寺の眺望 12:20 12.03.2013 Views from Kiyotakiji temple

35番清滝寺の本堂 12:20 12.03.2013 Main hall of the Kiyotakiji temple

35番清滝寺の境内 12:20 12.03.2013 Precincts of the Kiyotakiji temple

35番清滝寺の大師堂 12:19 12.03.2013 Daishi hall

35番清滝寺の地蔵堂 12:04 12.03.2013 Jizo hall

35番清滝寺の境内 12:04 12.03.2013 Precincts of the Kiyotakiji temple

35番清滝寺の境内 12:04 12.03.2013 Precincts of the Kiyotakiji temple

35番清滝寺の本堂 12:04 12.03.2013 Main hall

35番清滝寺の境内 12:04 12.03.2013 Precincts of the Kiyotakiji temple

35番清滝寺の本堂 12:04 12.03.2013 Main hall

35番清滝寺の山門からの石段 12:03 12.03.2013 Stone steps from the temple Sanmon
☆☆


3月12日
34番種間寺  (Motoozan Tanemaji, 34th of Shikoku 88 )
H7m
第34番札所 本尾山 種間寺 (もとおざん たねまじ)
本尊  薬師如来 (やくしにょらい)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 よのなかに まけるごこくの たねまでら ふかきにょらいの だいひなりけり
↖  34番種間寺(タネマジ)境内図

☆ 吾南平野の米とそ莱どころで知られるだけに、田園の用水に沿ってへんろ通がつけられている。田園の中に地蔵堂、本坊、持仏堂、大師堂、観音堂、本堂があり、それに相対して石仏が並ぶ。観光客とは無縁なだけに静かな札所。敏達天皇の六年(五七七)四天王寺造営のために来日した百済の仏師寺匠が、帰国の途中、暴風雨におそわれて避難しようと秋山の郷に寄港した。そして海上安全を祈って刻んだのが薬師如来で、本尾山の頂きに安置された。やがて弘法大師がこの地へ巡錫し、薬師如来をご本尊として寺を開創され、中国から持ち帰った五穀の種子をまかれた。種間寺の寺名はこれに由来する。ご本尊は安産の薬師として信仰され、妊婦は柄杓を持参して祈願する。寺ではその柄杓の底を抜き、三日の間ご本尊に祈祷してお札とともにかえし、それを妊婦は床の間にまつり、安産すれば柄杓を寺へ納めるという☆ (四国ネットより)

34番種間寺口と鐘楼 09:27 12.03.2013 Bell tower

34番種間寺の大師堂と本堂(左奥)09:21 12.03.2013 Daishi hall and Main hall

34番種間寺の方丈(納経所)と鐘楼、本堂や大師堂は左奥手 08:59 12.03.2013
☆ 石柱門を入ると鐘楼があり光明殿前から右に入ると、左に水子地蔵尊、右に庫裏・納経所があり、その先に大師堂が並ぶ。左手に地蔵堂、子安観音があり最も奥にコンクリート作りの本堂が建つ。☆ (Wikipediaより)
☆☆


3月12日
33番雪渓寺 ( Koufukuzan Sekkeiji, 33rd of Shikoku 88 )
H3m
第33番札所 高福山 雪渓寺 (こうふくざん せっけいじ)
本尊  薬師如来 (やくしにょらい)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  弘法大師
宗派  臨済宗妙心寺派
御詠歌 たびのみち うえしもいまは こうふくじ のちのたのしみ ありあけのつき
↖  33番雪蹊寺(セッケイジ)境内図

☆ 昔の遍路は種崎から長浜へ船で渡ったが、今は浦戸大橋ができて便利になった。長浜は長曽我部元親の城下町としてひらけたところで、町を抜けると秦神社があり、祭神に元親の像がまつられている。この神社の隣りに雪蹊寺がある。延暦年間に弘法大師によって開創され、当初少林山高福寺と称し、その後運慶、湛慶のゆかりで慶運寺に改めた。石柱の門を入れば観音堂、鐘楼、大師堂、本堂がある。ご本尊は薬師如来。脇他は日光・月光菩薩、いずれも運慶晩年の作。毘沙門天と脇仏の吉祥天女、善賦師童子は運慶の子湛慶の作。寺歴をたどると後に寺は荒廃し、月峰和尚が元親に依頼されて寺を再興し、元親の死後その菩提寺となり、元親の法号にちなみ、雪蹊寺となった。明治以後は大玄和尚が再興された。三島龍沢寺の今はなき山本玄峰師は、若い頃失明に近い眼病にかかり、その回復を祈願し素足で七回目の遍路中、大玄和尚と出会い「心眼をひらけ」の一言で出家したという。☆ (四国ネットより)

33番雪渓寺の境内 07:26 12.03.2013 Precincts of the Sekkeiji temple

33番雪渓寺の境内 07:25 12.03.2013 Precincts of the Sekkeiji temple

33番雪渓寺の本堂 07:25 12.03.2013 Main hall of the Sekkeiji temple

33番雪渓寺の境内 07:02 12.03.2013 Precincts of the Sekkeiji temple

33番雪渓寺の大師堂と鐘楼 07:02 12.03.2013 Daishi hall and Bell tower

33番雪渓寺口 07:01 12.03.2013
☆ 石柱門から境内に入ると右に鐘楼、左に手水場がある。正面に本堂が建ち、その右横に大師堂がある。本堂左手に客殿・納経所があり、その左に観音堂がある。 ☆ (Wikipediaより)