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88箇所四国歩き遍路1〜43で紹介してない写真を逆順に載せてゆきます
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20, BACK TO THE ICHIBAN

☆☆
17番井戸寺 ⇒ 16番観音寺 ⇒ 15番国分寺 ⇒ 14番常楽寺 ⇒ 13番大日寺 ⇒ 番外別格2番童学寺 
☆☆

 
3月3日
17番井戸寺 ( Rurizan Idoji, 17th of Shikoku 88 ) 
H6m
第17番札所 瑠璃山 井戸寺 (るりざん いどじ)
本尊  七佛薬師如来 (ひちぶつやくしにょらい)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  天武天皇勅願
宗派  真言宗善通寺派
御詠歌 おもかげを うつしてみれば いどのみず むすべばむねの あかやおちなむ
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☆ かつて古代阿波の中心地であったこの附近は、いま、農村地帯となり、はなやかりしころの面影はない。大谷の藩主の別館の長屋門を移築したという山門を入ると、正面に本堂がある。昭和四十三年の焼失以後に再建されたコンクリート造りの建物。縁起によれば、天武天皇の勅願道場として白鳳二年(六七四)に開創され、そのころは妙照寺とよばれ、八町四方の広大な寺域と十二坊を有する大寺であった。本尊の七仏薬師は聖徳太子の作。脇仏の日光・月光菩薩行基菩薩の作。弘仁五年弘法大師はこの地にとどまり、ご本尊を拝して修行され、十一面観音立像を刻まれて安置した。そして、この地方の水が悪いのを憂いて、錫杖で井戸を堀られたら、清水がこんこんと湧き出て大師のお姿を写された。そこでご自身の姿を石に刻まれた。面影の井戸や井戸寺の名もこれに由来する。大師の石像に日を限って祈願すると願いがかなうので日限大師として多くの信仰をあつめている。 ☆ (四国ネットより)  

17番井戸寺の境内 15:31 03.03.2013 Precincts of the Idoji temple

17番井戸寺の山門からの境内 15:31 03.03.2013 Precincts of the Idoji temple

17番井戸寺の大師堂 15:28 03.03.2013 Daishi hall of the Idoji temple

17番井戸寺の本堂 15:28 03.03.2013 Main hall of the Idoji temple

17番井戸寺の光明殿 15:27 03.03.2013

17番井戸寺の山門 15:04 03.03.2013 Sanmon of the Idoji temple
☆ 仁王門を入ると左に手水場があり正面奥に本堂が建つ。手前右側に大師堂があり、左には日限大師堂とその中に面影の井戸がある。横に鐘楼があって、納経所は日限大師堂の左奥にある。☆ (Wikipediaより)
☆☆


3月3日
16番観音寺 ( kouyozan Kanonji, 16th of Shikoku 88 ) 
H9m
第16番札所 光耀山 観音寺 (こうようざん かんおんじ)
本尊  千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ 伝、弘法大師作)
真言  「おん ばざらたらま きりく そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 わすれずも みちびきたまへ かんのんじ さいほうせかい みだのじゃうどへ
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☆ 「右へんろ道」と刻まれた古い地蔵尊の道標がへんろ道の曲り角にある。道の両側は商店が並び、その中に観音寺の山門がある。のんびりとした田舎の町中に、ひっそりとたたずむ札所、そんな感じがする。山門を入れば本堂が目の前にあり、左右に納経所と大師堂。天平十三年に寺は創建されたと伝えられ、聖武天皇勅願の道場であった。弘仁七年に弘法大師が留錫し、ご本尊の千手観世音と脇士の不動明王毘沙門天を刻まれ、それぞれ安置された。中世のころは荒廃し、万治二年に僧宥応が再興して旧観に復した。また、領主の蜂須賀氏は信仰が厚く、現在の堂宇はそのころ再建されたものという。ご本尊の霊験により、高松伊之助という盲目の遍路が、目が見えるようになったことや大師のいましをうけた宮崎シヨさんという遍路のことなどいまも実話として語りつがれている ☆ (四国ネットより) 

16番観音寺の境内 14:08 03.03.2013 Precincts of the Kannonji temple

16番観音寺の本堂前にて 14:08 03.03.2013 in front of the Main hall

16番観音寺の本堂と山門 13:43 03.03.2013 Main hall and Sanmon of the Kannonji temple
☆ 八幡大神宮(国府八幡)・惣社大御神(阿波総社宮):八幡宮阿波国総社宮を合祀した神社。本堂右脇にある。道路に面した山門を入ると左手に手水場が、左に夜鳴き地蔵尊があり、正面奥に本堂が建つ。本堂前に水子地蔵尊、仏足石、修行大師像がある。本堂手前右手に大師堂がある。納経所は境内左奥にある。☆  (Wikipediaより)
☆☆


3月3日
15番国分寺 ( Yakuozan Kokubunji, 15th of Shikoku 88 ) 
H14m
第15番札所 薬王山 国分寺 (やくおうざん こくぶんじ) 
本尊  薬師如来 (じぞうぼさつ 伝、行基菩薩作)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  曹洞宗
御詠歌 うすくこく わけわけいろを そめぬれば るてんしゃうしの あきのもみじは
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☆ 常楽寺をあとに山沿いの道を八百㍍ほど歩くと、国分寺の山門の前に出る。境内に入ると創建当時の塔の心礎がある。正面に重厚な感じの二層の本堂。ありし日の大寺としての面影さえうかがえる。天平十三年(七四一)二月、聖武天皇は国ごとに最適の地を選んで金光明四天王護国之寺という僧寺と、法華滅罪之尼寺という寺を建立するよう命じた。いわゆる国分二寺の造営である。阿波は粟の国と長の国が合して阿波の国となり、国府はいまのJR国府駅附近におかれ、国分寺は政治の中心から南へ一㌔ほどの矢野に建てられた。いまの本堂のあるところは、もと講堂であったという。ご本尊は行基菩薩作の薬師如来。当初は法相宗であったが、弘法大師が留錫して真言宗になった。その後、寛保元年に吼山養師和尚が堂宇を再建し、曹洞宗に改宗してる。弘法大師が参籠して刻んだ烏瑟沙摩明王は一切のけがれを清浄にすることから寺で授けるお札はお手洗にまつる。 ☆ (四国ネットより) 

15番国分寺の山門 13:07 03.03.2013 Sanmon of the Kokubunji temple

15番国分寺の鐘楼 13:07 03.03.2013 Bell tower of the Kokubunji temple

15番国分寺の鐘楼と本堂 13:07 03.03.2013 Bell tower and Main hall of the Kokubunji temple

15番国分寺の大師堂 13:07 03.03.2013 Daishi hall of the Kokubunji temple

15番国分寺の山門 12:51 03.03.2013 Sanmon of the Kokubunji temple
☆ 庭園(国の名勝)一般非公開(見学には事前に申し込みが必要)七重塔礎石、奈良時代に建てられた七重塔の巨大な礎石が残されている。単層の山門を入ると右手に手水場が、左手には地蔵堂、七重塔礎石、鐘楼堂と並び、正面奥に本堂がある。本堂右手が大師堂であるが、本来は烏瑟沙摩明王堂なので入口上には烏瑟沙摩明王の額が掲げられている。納経所は境内の右手奥にあり、この裏手に庭園がある。☆ (Wikipediaより)
☆☆


3月3日
14番常楽寺 ( Seijuzan Jorakuji, 14th of Shikoku 88 )
H32m
第14番札所 盛寿山 常楽寺 (せいじゅざん じょうらくじ)
本尊  弥勒菩薩 (みろくぼさつ 伝、弘法大師作)
真言  「おん まい たれいや そわか」
開基  弘法大師
宗派  高野山真言宗
御詠歌 じゃうらくの きしにはいつか いたらまし くぜいのふねに のりおくれずば
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☆ 弥勒菩薩は五十六億七千万年後、兜率天という所からこの世に下られ、釈迦の救いが得られなかった人々を救済するといわれているが、弘仁六年、弘法大師がこの地で修行されているとき、弥勒菩薩を感得され、ただちに尊像を刻み、堂宇を建立して安置した。そして「私が目をとじたならば必ず弥勒菩薩のおられる理想の世界に往生して、五十六億余年後に、弥勒菩薩に従ってこの世にまいり、私の歩いた跡をたどりたい」といわれたという。大師が弥勒菩薩を信仰されていたことは、高野山麓にある九度山慈尊院に本尊として安置されていることからもうかがい知れる。後に、大師の弟子真然僧正は、常楽寺に金堂を建立し、祈親法師は講堂・三重塔・仁王門など増築したが、天正の兵火で焼失し、万治二年に再建し、文化十五年に現在地へ移建された。大日寺から鮎喰川を渡り、寺の創設した養護施設の常楽園を経ると、まもなく常楽寺がある ☆ (四国ネットより) 

14番常楽寺の境内 12:25 03.03.2013 Precincts of the Jorakuji temple

14番常楽寺境内の岩庭にて 12:25 03.03.2013 Precincts of the Jorakuji temple

14番常楽寺の境内 12:14 03.03.2013 Precincts of the Jorakuji temple

14番常楽寺の本堂と大師堂 12:13 03.03.2013 Main hall and Daishi hall of the Jorakuji temple
☆ あららぎ大師、あららぎ(イチイ)の巨木の枝の間に弘法大師像が祀られている。
流水岩の庭園、境内は断層が剥き出しとなった自然の岩盤の上にあり、その形状から流水岩といわれている。山門はなく石柱門を通って50段の石段を上ると起伏のある流水岩の境内に入る。左手に手水場があり、その奥に鐘楼がある。一番奥に本堂が建ち、その手前右側に大師堂がある。本堂と大師堂の間にアララギの巨木があって、その木の俣にはちいさな大師像が安置されている。納経所は石段を背にして右手にある。☆ (Wikipediaより)
☆☆


3月3日
13番大日寺 ( Ookurizan Dainichiji, 13th of Shikoku 88 ) 
H25m
第13番札所 大栗山 大日寺 (おおくりざん だいにちじ) 
本尊  十一面観世音菩薩 (じゅういちめんかんぜおんぼさつ 伝、行基菩薩作)
真言  「おん まか きゃろにきゃ そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗大覚寺派
御詠歌 あわのくに いちのみやとは ゆうだすき かけてたのめや このよのちのよ
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☆ 焼山寺をあとに、鮎喰川沿いに下る。変化に富んだ美しい渓谷がつづき疲れをいゃしてくれる。徳島の街の近くまでくると人家も多くなり、右手にうっそうとした森があり、道を隔てて阿波一ノ宮神社がある。弘仁六年(八一五)弘法大師がこの地に巡錫され「大師の森」という所で護摩修法されているとき、現在、寺のある附近から大日如来が示現し「この地は霊地なれば一宇を建立すべし」と告げられた。そこで大師は大日如来を刻み、堂宇を建立し、この尊像を本尊として安置し、大日寺とした。その後、兵火で焼失するがまもなく再建され、諸国に国の総鎮守である一ノ宮が建てられたとき、その別当寺として門前の一ノ宮を管理した。一ノ宮の本地仏行基菩薩作の十一面観世音だが、明治の神地分離にあたり、十一面観世音を大日寺へ移遷し、本尊として安置した。このため、現在は大日如来が脇仏となっている。 ☆ (四国ネットより) 

13番大日寺の山門 11:21 03.03.2013 Sanmon of the Dainichiji temple

13番大日寺の大師堂 11:16 03.03.2013 Daishi hall of the Dainichiji temple

13番大日寺の境内 11:16 03.03.2013 Precincts of the Dainichiji temple

13番大日寺の大師堂 11:14 03.03.2013 Daishi hall of the Dainichiji temple

13番大日寺の境内 11:13 03.03.2013 Precincts of the Dainichiji temple
☆ しあわせ観音:合掌している手を模した中に小形の観音像が入っている。
県道に面した山門を入ると向かいにしあわせ観音が見える。しあわせ観音を背にして右手に手水場があり、左に大師堂が建つ。右奥に入っていくと大師堂と向き合う形で本堂があり、その左手に地蔵堂がある。納経所はしあわせ観音の後にある。☆ (Wikipediaより)
☆☆


3月3日
番外別格2番童学寺 ( Tomaizan Dogakuji, Ex. 2nd of Shikoku 88 ) 
H38m
番外別格2番札所 東明山 童学寺 (とうめいざん どうがくじ) 
本尊  薬師如来 (やくしにょらい 伝、行基菩薩作)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗善通寺派
御詠歌 まいるなら 三世の悪行 消へはてる 南無や薬師の 瑠璃の光に
☆ 略縁起、高祖弘法大師学問所童学寺は、日本の大偉人弘法大師さま、ご幼名を神童と称されし頃に、当山に久しく留滯なされて、学問御修行遊ばされました由緒深き所由をもって寺号す。お大師様は当山において、「いろは歌」四十七文字を創作せられて、児童等にひろく教えられました。これは日本の民衆教育の最初であり、この「いろは歌」により日本文化の発展の基礎を創られたことは、お大師様御一代の御事業中特筆すべき千古に輝く御功績である。境内裏庭逍逢園入口には、台詞が硯の水を求めたというお筆の加持水という泉があり、以来一滴の水の絶えることを知らない。この水を飲めば緒病はことごとく治癒し、硯にたくわえ書道の修練に用いたならば誰でも筆達者になれる等々、この霊水は大師を静かにたゆまなく今に語り伝えるのである。後、弘法大師はこの地に於いて 厄除薬師如来(国宝)、阿弥陀如来観音菩薩持国天毘沙門天歓喜天、(いずれも準国宝)を彫刻し、一小堂を建立し薬師如来を本尊としてこれを安置し、日を重ねて祈り夜を重ねて誓われたのである。この薬師如来こそ当寺に現存する御本尊である。案内・地図、JR石井駅よりタクシーで十五分。バスの場合は、徳島駅より徳島バス鴨島行、池田行など)にて「石井警察署前」下車、徒歩35分。または同じく徳島バス・石井まわり神山線にて「ソガ団地」下車、徒歩25分。車の場合、国道192号線、石井警察署前バス停、麻野病院の角を南へ入り、農業試験場の前(寺の標識あり)を右折し、突き当たりを左へ、寺に至る。普通車10台、マイクロバス5台駐車可 ☆ (四国ネットより)

別格2番童学寺の境内 09:18 03.03.2013 Precincts of the bekkaku Dogakuji temple

別格2番童学寺の境内 09:18 03.03.2013 Precincts of the bekkaku Dogakuji temple

別格2番童学寺の本堂前にて 09:14 03.03.2013 in front of Mail hall of the Dogakuji temple

別格2番童学寺、大師が硯の水を求めたというお筆の加持水という泉 09:10 03.03.2013

別格2番童学寺、大師が硯の水を求めたというお筆の加持水という泉 09:10 03.03.2013

別格2番童学寺の境内 09:05 03.03.2013 Precincts of the bekkaku Dogakuji temple

別格2番童学寺の境内 09:04 03.03.2013 Precincts of the bekkaku Dogakuji temple

別格2番童学寺の境内、写真左下の胴がくびれた灯篭はキリシタン灯篭 09:04 03.03.2013 Precincts of the bekkaku Dogakuji temple

別格2番童学寺の境内 09:04 03.03.2013 Precincts of the bekkaku Dogakuji temple

別格2番童学寺の境内 08:41 03.03.2013 Precincts of the bekkaku Dogakuji temple

別格2番童学寺の山門前にて 08:40 03.03.2013 at the Sanmon of the bekkaku Dogakuji temple