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88箇所四国歩き遍路1〜43で紹介してない写真を逆順に載せてゆきます
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20, BACK TO THE ICHIBAN


☆☆
12番焼山寺 ⇒ 11番藤井寺 ⇒ 10番切幡寺 ⇒ 9番法輪寺 ⇒ 8番熊谷寺 ⇒ 7番十楽寺 ⇒ 6番安楽寺 ⇒ 番外別格1番大山寺 ⇒ 5番地蔵寺 ⇒ 4番大日寺 ⇒ 3番金泉寺 ⇒ 2番極楽寺 ⇒ 1番霊山寺 
☆☆


3月2日
12番焼山寺 ( Marozan Shozanji, 12th of Shikoku 88 ) 
H708m
第12番札所 摩盧山 焼山寺 (まろざん しょうさんじ)
本尊  虚空蔵菩薩 (こくうぞうぼさつ 弘法大師作)
真言  「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか」
開基  役の行者小角
宗派  真言宗高野派
御詠歌 のちのよを おもへばくぎゃう しょうさんじ しでやさんづの なんじょありとも
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☆ 昔から「遍路ころがし」といわれるほどけわしい山の寺が、四国には六カ所あり、焼山寺もこの難所に数えられていたが、現在自動車通が山上まで開通し、苦行せずして参拝できるようになった。歩く遍路にとつて、とくに垢取川にかかる一つ瀬橋を渡ってから急な坂道になる。山門までおよそ二・五㌔(海抜八百㍍)杉本立の中をあえぎながら登る。寺伝によると、この山中の魔の毒蛇が火を吐いて危害を加え、大師が登山しようとしたときも全山火の海であった。大師が垢取川で身を浄め、真言を誦して登ると火は消え、九合目の岩窟から毒蛇が飛びかかった。この時虚空蔵菩薩があらわれ、毒蛇を岩窟に封じこめた。大師は虚空蔵菩薩を刻んで本尊とし、寺号を火の山にちなみ「焼ケ山ノ寺」山号を火の恐れがあるので「摩盧(水輪の意)山」とした。参道途中に四国遍路の元祖といわれる衛門三郎最期の遺跡上、杖杉庵がある。遍路二十一回目に逆打ちして大師と出会った所である。(四国ネットより) ☆

12番焼山寺の納経所前にてまだ雪がありました 13:17 02.03.2013 Shozanji temple

12番焼山寺山門への道 13:16 02.03.2013 Shozanji temple

12番焼山寺の境内 12:36 02.03.2013 Shozanji temple

12番焼山寺の境内 12:35 02.03.2013 Shozanji temple

12番焼山寺の境内 12:35 02.03.2013 Shozanji temple
☆ 参道より石段を上ると山門があり、入っていく左手に手水場、右手に鐘楼があり正面に本堂がある。本堂右手に2008年に落慶した大師堂がある。本堂左手に三面大黒堂が、大師堂の右手に十二社神社がある。納経所は山門を背にして左側、その奥には茶堂がある。(Wikipediaより)☆
☆☆


3月2日
11番藤井寺  ( Kongozan Fujiidera, 11th of Shikoku 88 ) 
H38m
第11番札所 金剛山 藤井寺 (こんごうざん ふじいでら)
本尊  薬師如来 (やくしにょらい 伝、弘法大師作)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  弘法大師
宗派  臨済宗妙心寺派
御詠歌 いろもかも むひちゅうどうの ふじいでら しんにょのなみの たたぬひもなし
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☆ 四国第一の川・吉野川を渡る。四国三郎とよばれ、二百三十六㌔の長さを持つ。この川を壊れば鴨島の町。そして、山麓藤井寺までは三㌔あまり。門前に遍路宿があり、境内にも古い遍路宿がある。右手の一段高い所にある本堂には、弘法大師が刻まれたと伝えるご本尊の薬師如来が奉安されている。大師は三方を山に囲まれた幽すいな霊地に心ひかれ、堂宇を建立し、自刻の尊像を奉安し、十七日間護摩修法され、堂塔の前に五色の藤を植えられ、藤井寺と名づけられた。その後、天正の兵火で焼失し、寛永年間に再建されるが、天保二年に再び焼失し、現在の本堂はその後の建立という。この間、真言宗から臨済宗に改宗している。歩く遍路は近くの宿で泊り、翌朝出発して焼山寺へ向う。長戸庵、柳ノ水奥ノ院、柳水庵、一本杉庵など大師の遺跡があり、男八時間、女九時間の難行。十六㌔の貴重な遍路みち。車なら石井、寄井を経る迂回路をゆく。(四国ネットより) ☆

Fujiidera temple 11番藤井寺の本堂 02.03.2013
☆ 山門を入ると右側に弘法大師お手植えと伝えられている藤の藤棚があり、その後に鐘楼がある。参道は先で右に折れ左側に手水場、水掛け地蔵、不動堂、白龍弁財天堂が並び、最奥に本堂が建つ。本堂手前右側に大師堂がある。納経所は手水場の向かいにある。(Wikipediaより)☆
☆☆


3月1日
10番切幡寺 ( Tokudozan Kirihataji, 10th of Shikoku 88 ) 
H157m
第10番札所 得度山 切幡寺 (とくどざん きりはたじ) 
本尊  千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ 伝、弘法大師作)
真言  「おん ばざらたらま きりく そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 よくしんを ただひとすじに きりはたじ のちのよまでの さわりとぞなる
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☆ 最初におとずれた急な参道。山麓から中腹の本堂まで約八百㍍。麓には遍路用具店があってささやかながらも門前町になっている。仁王門からは三百三十三段の石段になり、登りつめたところが本堂。ご本尊は女人済度で名高く、女性の信者が多い。弘仁のころ、山麓の貧しい小部落にハタを織る若い女がいた。たまたま弘法大師が立寄って喜捨を乞うたところ、女はこころよく接待した。七日後も女はいま織っていた白布を惜しげもなく切り裂いてさしだした。大師は感激してその理由をたずね、女の願いを聞いて哀れに思い、その家に留まり、千手観世音を刻み、女を得度させて潅頂を授けた。すると女はたちまち即身成仏して観世音菩薩に化身した。そこで大師はこの地に堂宇を建立し得度山切幡寺とした。潅頂院の院号も、またご本尊が二体あるのもこの縁起に由来する。(四国ネットより) ☆

10番切幡寺の境内 14:46 01.03.2013 Kirihataji temple

10番切幡寺の大師堂と鐘楼 14:46 01.03.2013 Daishi hall and Bell tower of Kirihataji temple

10番切幡寺の大師堂と境内 14:46 01.03.2013 Precincts of the Kirihataji temple

10番切幡寺の本堂と境内 14:30 01.03.2013 Precincts of the Kirihataji temple

10番切幡寺の加持霊水と三界満霊 14:26 01.03.2013 Sangai Man Ray and Kaji Reisui
☆ 山門を抜けて参道を進むと経木場があって、その横から333段の石段が始まる。沿道には石仏が祀られており、上部の女厄坂、男厄坂を上りきると右手に手水場、その後ろに鐘楼がある。正面奥に本堂があり、その右にはたきり観音像が建てられている。本堂手前の右側には大師堂が、左側には不動堂がありその先の石段を上ると大塔がある。その高台からは吉野川が流れる平地や第十二番焼山寺のある山々を望むことができる。納経所は手水場の向かい側にある。(Wikipediaより)☆
☆☆


3月1日
9番法輪寺 ( Shogakuzan Hourinji, 9th of Shikoku 88 ) 
H31m
第9番札所 正覚山 法輪寺 (しょうがくざん ほうりんじ)
本尊  涅槃釈迦如来 (ねはんしゃきゃにょらい 伝、弘法大師作)
真言  「のうまく さんまんだ ぼだなんばく」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 だいじょうの ひほうもとがも ひるがへし てんぼうりんの えんとこそきけ
f:id:boianuf:20190617123927j:plain
☆ 田園の中にぽつんと建つ法輪寺。どこからも入れそうなお札所。歴史をたどってみると永禄十二年(一五六九)長曽我部元親は土佐一国を平定し、やがて四国を平定して京に上る意志をもち、まず攻めたのが阿波であった。天正三年(一五七五)に大西城が落ち、そして拠点であった勝瑞が落城したのは七年後である。この戦乱で寺々は兵火にあい、そのほとんどが焼失した。法輪寺もこの時党宇を焼失したが、そのころは山麓の法池ケ溪にあって、白蛇山法林寺と称し、広壮な寺域を有していたが、後の正保年間に山号を正覚山法輪寺に改め現在地に再建したのである。その後、安政六年に火災にあい、現存の建物は明治以降の建立といわれる。ご本尊は弘法大師が刻まれた釈迦如来涅槃像。頭を北に、顔は西に向け、右脇を下にして涅槃に入られ、周囲には悲歎にくれる大衆の姿が刻まれている。本堂には、不治の難病が全快した山口庄太郎という遍路の感謝の奉納額がある。(四国ネットより) ☆

9番法輪寺の納経所と本堂 13:37 01.03.2013 Precincts of the Horinji temple

9番法輪寺の手水 13:37 01.03.2013 Precincts of the Horinji temple

9番法輪寺の本堂と大師堂 13:37 01.03.2013 Main hall and Daisi hall of the Horinji temple
☆ 両側に大草鞋がかけられた重層の山門を入ると左側に手水場がある。最も奥に本堂が建ち、本堂の右に大師堂が並ぶ。本堂に向かって左側に参拝者休憩所、納経所等が建てられている。その休憩所の左手に鐘楼がある。(Wikipediaより)☆
☆☆


3月1日
8番熊谷寺 ( Fumyouzan Kumataniji, 8th of Shikoku 88 ) 
H109m
第8番札所 普明山 熊谷寺 (ふみょうざん くまたにじ)
本尊  千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)
真言  「おん ばざらたらま きりく そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 たきぎとり みづくまたにの てらにきて なんぎょうするも のちのよのため
f:id:boianuf:20190617123913j:plain
☆ のどかな遍路道をゆくと、ゆるやかな山の斜面に二層の山門がみえてくる。古い農家が点在し、いかにも四国の山村の風景が展開する。やや上り坂の参道には昔の遍路宿の面影をとどめた農家もある。山門を入ると右に弁天池、左に庫裡、羅漢堂、多宝塔があり、中門から石段を登ると昭和45年再建の本堂になる。左手の大師堂へは更に石段を登る。寺伝によれば、弘法大師がこの地のやや奥に当る閼伽ケ谷という所で修行されているとき、紀州熊野権現があらわれ、観世音菩薩の尊像を感得した。そこで大師は結伽趺坐(足の表裏を結んで坐する円満安座)されて日夜精進し、一刀三礼して霊木に等身大の千手観世音を刻まれ、仏舎利百二十粒とともに金像の本尊を胸に納め、堂宇を建立して安置された。(四国ネットより) ☆

8番熊谷寺山門の仁王 12:47 01.03.2013 Nio of the Kumataniji temple Sanmon

8番熊谷寺山門の仁王 12:47 01.03.2013 Nio of the Kumataniji temple Sanmon 

8番熊谷寺の納経所をでて山門を見る 12:46 01.03.2013 Sanmon of the Kumataniji temple

8番熊谷寺の本堂 12:15 01.03.2013 Main hall of the Kumataniji temple

8番熊谷寺の手水 12:15 01.03.2013 Chozu of the Kumataniji temple

8番熊谷寺の中門への参道 12:13 01.03.2013 Approach to the inner gate

8番熊谷寺の多宝塔 12:11 01.03.2013 Two-story pagoda of the Kumataniji temple

8番熊谷寺の山門 12:09 01.03.2013 Sanmon of the Kumtaniji temple
☆ 壮大な山門をくぐって50mほど進み公道を横断すると右手に弁天池が左手には寺務所がある。駐車場の先から左手に上がっていくと参道の左側に多宝塔が建っている。石段を上がると中門に至る。さらに石段を少し上ると右側に手水場があり、正面に本堂が建つ。本堂手前の左手に鐘楼があり、その先の36段の石段を上っていくと大師堂がある。納経所は駐車場の南側である。(Wikipediaより)☆
☆☆


3月1日
7番十楽寺 ( Koumyozan Jurakuji, 7th of Shikoku 88 ) 
H42m
第7番札所 光明山 十楽寺 (こうみょうざん じゅうらくじ) 
本尊  阿弥陀如来 (あみだにょらい 伝、弘法大師作)
真言  「おん あみりた ていせいから うん」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 にんげんの はっくをはやく はなれなば いたらんかたは くぼんじゅうらく
f:id:boianuf:20190617123902j:plain
☆ この地に留錫された弘法大師は、阿弥陀如来を感得し、ご本尊とし刻まれ、安置したのが寺のはじまりで、人間のもつ八つの苦難(生・老・病・死・愛別離・怨憎会・求不得・五陰盛)を離れ、十の光明に輝く楽しみ(極楽浄土に往生する生が受ける十種の快楽)が得られるようにと、寺号を光明山十楽寺とした。そのころは現在地から離れた十楽谷の奥に広大な伽藍を擁していたが、天正年間の長曽我部元親の兵火ですべてを焼失した。このとき住職の真然は本尊を背負い、大門ケ原の小屋に仮安置し、弟子に経本を背負わせて避難させたが、その途中で矢に射られた弟子は経本を置いたまま逃がれたので経本も焼失し現在そのあとが経塚として残っている。寛永十二年に現在地に再建され、現在の本堂は明治の再建。楼門、大師堂、書院などが建立された。参籠者に出されるたらいうどんはこの寺独特の味で、評判がよい。(四国ネットより) ☆

7番十楽寺の山門 10:54 01.03.2013 Sanmon of the Jurakuji temple

7番十楽寺の山門前にて 10:53 01.03.2013 at the Sanmon
☆ 竜宮門形式の山門を入ると前に水子地蔵が並んでいる。左側の石段を数段上ると遍照殿の額がかけられた中門がありその上層は愛染堂となっている。中門の向かいに手水鉢があり左に奥へ入ると本堂が、さらに左へ行くと治眼疾目救歳地蔵の小堂があって、その先の石段を上ると大師堂がある。本堂の向かいのあたりに十三不動明王像がある。納経所は中門を背にして右にある。(Wikipediaより)☆
☆☆


3月1日
6番安楽寺 ( Onsenzan Anrakuji, 6th of Shikoku 88 ) 
H19m
第6番札所 温泉山 案楽寺 (おんせんざん あんらくじ) 
本尊  薬師如来 (やくしにょらい 伝、弘法大師作)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 かりのよに ちぎょうあらそふ むやくなり あんらくこくの しゅごをのぞめよ
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☆ 田園の中の平坦な道をゆくと、前方に本堂それに幾棟もの建物が見えてくる。四国でも一、二といわれる五百名収容の宿坊をもつ。昔この地方で温泉が湧き、諸病に特効があったので、弘法大師が留まって厄難や病苦を救うために薬師如来を刻み、堂宇を建立してそこに安置し、温泉山安楽寺と名づけられた。創建当初は、一㌔ほど離れた安楽寺谷にあり、兵火で焼失したため現在地へ再建され、その後蜂須賀氏によって設けられた駅路寺の瑞運寺を併合している。駅路寺は徳島を中心に五つの街道に設けられ、旅の便利を計るとともに軍事、治安上の取締りなどに役立てたのである。現在の本堂は鉄筋コンクリート造りで昭和三十八年の再建。難病であった名古屋の水谷しづさんが四国遍路中霊験を得て全快し、その感謝でご本尊の造顕を発願し、仏師松本明慶師が刻み、ご本堂に奉安されている。寺の宿坊は温泉山の名にふさわしい天然温泉が湧き出る。寺人は親切で家族的な温かさがある (四国ネットより) ☆

6番安楽寺の境内 10:36 01.03.2013 Precincts of the Anrakuji temple

6番安楽寺のさかまつ 10:34 01.03.2013 Sakamatsu tree of the Anrakuji temple

6番安楽寺には遍路飛び出し注意の標識が(写真右下)10:33 01.03.2013 たぬきや鹿注意の道路標識は良く見るが遍路注意の標識は初めてみた

6番安楽寺の境内 10:33 01.03.2013 Precincts of the Anrakuji temple

6番安楽寺の山門 10:33 01.03.2013 Sanmon of the Anrakuji
☆ 逆松(さかまつ) - 修行中の空海を猟師が猪と間違って矢で射たが、矢は松に刺さって事なきを得た。そこで空海は射抜かれて折れた松を逆さに植え、この松が栄えたならこの地を訪れたものは厄災を免れるだろうと予言したという。願い棒:修行大師像の前に置かれた願い棒を年齢の数だけ持ち経を唱えて像の周りを巡り願を懸ける。四国八十八箇所モデルトイレ - 霊場の雰囲気にあったつくりで1998年に設置されたもので、四国霊場の雰囲気を壊さない外観でバリアフリーにも配慮されている。竜宮門型の鐘楼門を入ると右に手水鉢が置かれ、左側には回遊式日本庭園があって、池の奥に多宝塔が建つ。正面奥に本堂が建ち、その右手に大師堂、左側に観音堂がある。本堂付近に修行大師像と願い棒が、多宝塔の近くに逆松がある。(Wikipediaより)☆
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3月1日
番外別格1番大山寺 ( Butsuouzan Taisanji, Ex. 1st of Shikoku 88 ) 
H448m
番外別格1番札所 佛王山 大山寺 (ぶつおうざん たいさんじ)
本尊  千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)
真言  「おん ばざらたらま きりく」
開基  西範僧都 弘法大師
宗派  真言宗善通寺派
御詠歌 さしもぐさ たのむちかひは 大山の 松にも法の 花やさくらむ
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☆ 略縁起、当山は西暦500年頃、武烈継体天皇の御宇西範僧都の開基にして、阿波仏法最初の道場で、弘法大師が阿波入国の砌、堂塔を整えられ仏王の山号を奉り、恵果和尚より授かりし、千手千眼観自在菩薩の尊像を奉安し、四国霊場開創の根拠地とされる。寿永四年、源義経公、屋島合戦の砌、御登山戦勝を祈願、又安貞年中土御門上皇御登嶺護摩堂を建立、不動明王像を奉納、病気平癒の祈祷会を厳修される。蜂須賀侯阿波国に入国されるや尊崇厚く、御祈願所として御供田その他を奉納される。伝統四百年の力餅は、七条の城主出羽守兼仲公にまつわる行事にして現存。開運招福の寺、男女縁結びの寺として知られる。頂上は阿長讃淡紀泉河摂播備等十州を望見される景勝地。徳島百景のひとつ。奥之院黒岩大権現には弘法大師ご湧現の波切不動尊がまつられている。
案内・地図、JR高徳本線板野駅よりタクシー20分(10キロ)。または徳島駅より鍛冶屋原徳島バスにち「神宅」下車、タクシー(電話にて呼ぶ)で15分(6キロ)神宅より徒歩の場合は、大山野外センターか四国の路の標識に従って車道を登る。旧道は季節によって草が茂っている。また、道を尋ねるとき寺の正式名称よりは、通称の「おおやまさん」の方がよくわかる。車の場合、阿讃東部広域農道より大山野外センターか四国の路の標識に従って大山寺へ。ただし、寺の手前500メートルくらいのところで野外センターへの路と寺への道とが分かれているので、そこからは寺の標識に従う。駐車場あり。(四国ネットより) ☆
 
別格1番大山寺境内の大銀杏 08:34 01.03.2013

別格1番大山寺の本堂 08:16 01.03.2013 Main hall of the bekkaku 1st Tansanji temple

別格1番大山寺の鐘楼門 08:15 01.03.2013 Bell Tower Gate of the bekkaku Tansanji temple

別格1番大山寺山門の仁王 08:09 01.03.2013 Nio of the bekkaku Taisanji temple Sanmon

別格1番大山寺山門の仁王 08:09 01.03.2013 Nio of the bekkaku Taisanji temple Sanmon
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2月28日
5番地蔵寺 ( Mujinzan Jizouji, 5th of Shikoku 88 ) 
H15m
第5番札所 無尽山 地蔵寺 (むじんざん じぞうじ) 
本尊  延命地蔵菩薩 (えんめいじぞうぼさつ 伝、弘法大師作)
真言  「おん かかかび さんまえい そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗御室派
御詠歌 ろくどうの のうげのじぞう だいぼさつ みちびきたまへ このよのちのよ
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☆ この地は「羅漢」とよばれているが、昔から「羅漢さん」の名で親しまれている寺。境内へ入ると弘法大師お手植えのイチョウの巨木があり、左に本堂、正面が本彷、右に大師堂と淡島堂がある。ご本尊は地蔵菩薩。胎内に弘法大師が刻まれた勝軍地蔵が納められている。かつては三百の末寺をもつ中本寺で、高野山の管長、大覚寺仁和寺門跡を出した名刹。本堂裏手の石段を上ると、コの字型の羅漢堂がある。正面に釈迦如来、左に弥勒菩薩、右に弘法大師を奉安し、廻廊に等身大の五百羅漢が安置されている。実名、実聞の二僧が生涯を通じて諸国を行脚し、それによって得た浄財で羅漢像をおさめて堂宇を建立した。大正四年の火災で堂宇を焼失し、その後再建したのが現在の御堂。喜怒哀楽の表情をして、薄暗い堂内で身動き一つせずに立ち並ぶ五百の羅漢さんは、どこか親しみ探く、身近に感じられる。 (四国ネットより) ☆

5番地蔵寺の大銀杏 15:07 28.02.2013 Large ginkgo of the Jizoji temple

5番地蔵寺の山門  14:39 28.02.2013 Sanmon of the Jizoji temple

500羅漢から5番地蔵寺への道 14:38 28.02.2013 way to the bekkaku Gohyakurakanji temple
☆ 山門を入って行くと右に大銀杏がありその先で石畳が交差している。左に進むと左手に手水鉢があり、正面奥に本堂が建つ。その右手には不動堂・恵比須堂があり、石畳を戻ると手水鉢の向かいに水琴窟のある水子地蔵尊がある。大師堂は本堂に向かい合わの位置にある。大師堂の右に淡島堂がある。納経所は山門の正面にある庫裏の右端である。庫裏の左前には八角堂がある。(Wikipediaより)☆
☆☆


2月28日
4番大日寺  ( Kokuganzan Dainichiji, 4th of Shikoku 88 ) 
H72m
第4番札所 黒巌山 大日寺 (こくがんざん だいにちじ)
本尊  大日如来 (だいにちにょらい 伝、弘法大師作)
真言  「おん あびらうんけん ばざらだとばん」
開基  弘法大師
宗派  真言宗東寺派
御詠歌 ながむれば つきしろたえの よはなれや ただくろたにに くろぞめのそで
f:id:boianuf:20190617123821j:plain
☆ 真言宗のご本尊は大日如来。私たちが生きてゆくためのあらゆるものを養護され、目にはみえないが、その力によって私たちは生かされており、いま遍路となって巡拝している。弘法大師は、この地にしばらく留まり、大日如来を感得し、その尊像を刻んでご本尊とし、寺号を大日寺と名づけられた。三方を山に囲まれ、山間を奥深く入った静寂な地。楼門を入ると正面に本堂があり、右手の大師堂とは、西国の三十三観音像を安置した廻廊でつながっている。古くは本堂左手に通夜堂があり、先々代の住職のころは、癩病の遍路乞食が多く、伝染の危険があったにもかかわらず、通夜堂に泊った遍路乞食に「信仰心さえあればお大師さんがお加護してくださる」といって、いろいろ接待世話をしていたという。恐れられた難病も信仰の力によって克服したのである。  (四国ネットより) ☆

4番大日寺の山門からの境内 14:04 28.02.2013  Precincts of the Dainichiji temple

4番大日寺の山門 13:38 28.02.2013 Sanmon of the Dainichiji temple
☆ 重層で上層を鐘楼とした山門を入ると左手の池の先に手水鉢があり、正面奥に本堂が建てられている。本堂右手にある回廊を、安置されている観音像を鑑賞しながら進むと大師堂の横に出る。納経所は大師堂の向かい側にある。(Wikipediaより)☆
☆☆


2月28日
3番金泉寺 ( Kikozan Konsenji, 3rd of Shikoku 88 ) 
H10m
第3番札所 亀光山 金泉寺 (きこうざん こんせんじ)
本尊  釈迦如来 (しゃかにょらい 伝、弘法大師作)
真言  「のうまく さんまんだ ぼだなんばく」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗高野派
御詠歌 ごくらくの たからのいけを おもへただ こがねのいづみ すみたたへたる
f:id:boianuf:20190617123751j:plain
☆ 古くは聖武天皇の勅願で行基菩薩がご本尊を刻み、金光明寺と称していたが、弘法大師が巡錫された時、黄金井の霊水がわき出たので、寺名を金泉寺に改めたという。この由緒ある井戸は、大師堂近くの黄金井地蔵の前にあり、ここをのぞいて顔がうつれば長寿のおかげをうけると伝えられている。また、亀山法皇も深く信仰し、堂塔の再興や三十三間堂などを建立して山号を亀光山と号し、勅願道場とした。しかし、天正十年(一五八二)には長曽我部元親の兵火によって大師堂を除く大半の建物を焼失してしまった。 現在の建物はその後再建されたもの。源平の戦いの時、源義経がこの寺で休息し弁慶の力量をみせたといわれる「弁慶の力石」や、応永五年、南朝長慶天皇がこの寺で、五十一歳にして崩御され、その御陵といわれる墓石などがある。また、黄金井地蔵の隣には朱塗で八角観音堂がある。格天井には美しい花鳥図が描かれている。 (四国ネットより) ☆

3番金泉寺の山門前にて 11:46 28.02.2013 at the Konsenji temple Sanmon

3番金泉寺の大師堂  11:14 28.02.2013 Daishi hall of the Konsenji temple
☆ 重層で朱塗りの山門を入り小さい橋を渡ると左手に手水鉢がありその後に鐘楼・慈母観音がある。向かいに観音堂がありその前に修行大師像が立つ。正面に本堂が建ちその左に護摩堂が、手前右手に大師堂がある。大師堂の右奥に黄金井の井戸と閻魔堂がある。手水鉢の場所から奥へ入ると納経所があり、その手前に弁慶の力石が置かれている。(Wikipediaより)☆
☆☆


2月28日
2番極楽寺 ( Nisshouzan Gokurakuji, 2nd of Shikoku 88 ) 
H19m
第2番札所 日照山 極楽寺 (にっしょうざん ごくらくじ)
本尊  阿弥陀如来 (あみだにょらい 伝、弘法大師作、国宝)
真言  「おん あみりた ていせいから うん」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗高野派
御詠歌 ごくらくの みだのじょうどへ いきたくば なむあみだぶつ くちぐせにせよ
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☆ 極楽寺は、行基菩薩の開基と伝えられる。弘法大師が巡錫(じゅんしゃく)の際に、寺に21日間にわたり、阿弥陀経を読誦(どくじゅ)し修法された。その結願の日に阿弥陀如来がいずこからともなく現われ、大師におことばを賜ったという。大師はそのお姿を忘れないうちにと、ただちに刃をとって、阿弥陀如来を刻みはじめ、旬日で完成させ寺の御本尊としてお納めしたという。ところが後に、御本尊の後光が鳴門の長原沖まで達し、漁業に支障を与えた。漁民たちは悩んだ末にこの光を遮ろうと本道の前に小山を築いたところ、それからは大漁であった。「日照山」の山号もそれにちなんでつけられたと云われている。  (四国ネットより) ☆

2番極楽寺の境内 10:32 28.02.2013 Precincts of the Gokurakuji temple

2番極楽寺の本堂への石段 10:32 28.02.2013 Stone steps to the main hall

2番極楽寺の大師堂 10:31 28.02.2013 Daishi hall of the Gokurakuji temple
☆ 重層の朱塗りの山門を入って右へ進むと右手に手水鉢がある。この先を左に折れると、石段手前に仏足石がありその右手に一願水掛不動尊観音堂がある。石段を上がった左に薬師堂、その後に長命杉がある。正面奥に本堂があり、その右に大師堂がある。(Wikipediaより)☆
☆☆


2月28日
1番霊山寺 ( Jikuwazan Ryozenji, 1st of Shikoku 88 ) 
H22m
第1番札所 竺和山 霊山寺 (じんわざん りょうぜんじ)
本尊  釈迦如来 (しゃかにょらい 伝、弘法大師作)
真言  「のうまく さんまんだ ぼだなん ばく」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗高野派
御詠歌 りょうぜんの しゃかのみまえに めぐりきて よろずのつみも きえうせにけり
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☆ 鳴門から西へ10㌔ほどのところに、坂東という小さな町があり、その町外れに霊山寺がある。仁王門を入ると、左に鐘楼、多宝塔、正面に本堂、右に紀州接待所、大師堂、本坊がある。天正年間の兵火と明治二十四年の災火に遇っているが、その後、建物は再建され、一番にふさわしい伽藍。縁起によれば、聖武天皇の勅願により、天平のころ行基菩薩が開基し、弘仁六年(八一五)弘法大師が二十一日ほど留まって修法され、この間霊感を得て釈迦如来を刻み、印度(天竺)の霊山を日本(和国)にうつされる意味から竺和山霊山寺と号し、第一番の霊場としたと伝える。遍路は巡拝にあたっての心がまえをお大師さまに約束(十善戒)する、いわゆる授戒をうけるのが本来だが、時間に余裕がなければ、本堂内右手の納経所でご住職から巡拝についての指示をうけるとよい。また、必要な遍路用具もすべて整っている。 (四国ネットより) ☆

1番霊山寺の本堂 09:58 28.02.2013 Main hall of the Ryozenji temple
☆ 山門を入るとすぐ左に手水鉢がありその後に鐘楼がある。先に進むと左手に多宝塔、その向かいの池の先に大師堂がある。多宝塔の並びには十三佛、不動明王が祀られ、正面の最も奥に本堂がある。本堂の左の部屋に納経所と遍路用品販売所があり、初心者には遍路の作法などを教えている。(Wikipediaより)☆
☆☆


2013年2月28日から4月11日まで四国あるき遍路した事を4月19日から6月25日までへんろ道を中心に写真でその行程を紹介しました歩き遍路を計画される人の参考に成れば幸いです。
88箇所1番札所の霊山寺へは鳴門西PAに着く高速バスが便利です。 (路線参考例)
丸亀・高松 - 名古屋線(さぬきエクスプレス名古屋)
丸亀・高松 - 大阪線(高松エクスプレス大阪号、さぬきエクスプレス大阪)
丸亀・高松 - 神戸線(高松エクスプレス神戸号、さぬきエクスプレス神戸)
高松 - 京都線(高松エクスプレス京都号)
高松 - 徳島線(高徳エクスプレス)
井川・阿波池田 - 大阪線(しこくさぶろうエディ号)
井川・阿波池田 - 神戸線(しこくさぶろうエディ号)
徳島 - 岡山線(徳島岡山エクスプレス)
徳島 - 広島線(あわひろしま号)

また6月26日から7月11日は88番から逆順に1番までお寺をメインに紹介四国遍路に行きたくても体力的に自信のない人や忙しい人にブログをご覧頂き札所お参りの安らぎを気分的に感じていただければと思っております。以上、今回の 「四国あるき遍路」 紹介を終わります。 合掌