六甲山 みよし観音

21日はホテルから六甲山上へ歩き高山植物園からオルゴール舘を廻ることにした

ホテルの案内で見つけた散策地図をデジカメで念のため記録
郵便局で聞いておいた道順情報と併せて使うことにした。

朝食はバイキングスタイル

食後の散歩はホテル敷地内を散策、教会もあったが時間が早く扉が閉まっていた

最初の信号の所から見えるお地蔵さんの所を右折して六甲山小学校の通学路へ入ります
この小学校では冬が来ると薪ストーブに火入れするニュースで知られる学校です
郵便局で山上に学校がありますが学生そんなに居るのかと聞いた所、閉校に成りかけたが
あちこちから生徒を受け入れ存続しているとの事でした。

オルゴール舘へ700mの所から右折してゴルフ場方面から山上を目指します

ゴルフ場の中の道(両脇フェンス)の道脇に野草が花をつけています

更に進むと道路に出たしばらく行くと左側に谷口酒店
(閉まっていたが誰が買いに来るのだろう?)

その右手に 「みよし観音」 の像がありました。

石原慎太郎の碑文や森繁久弥の詩碑もあり

みよし観音の由来には
昭和39年2月18日雪の朝 スチュワーデス麻畠美代子(京都市出身)の搭乗機が徳島に
向かって大阪空港を飛び立って間もなく遭難した。
美代子は沈着冷静よく7人の乗客を救出し、最後の1人を助けようとして爆発にあい 
猛炎の中に「お母さん・・・」 の一語を残して殉職した。21歳であった。
生前、ミス京都・準ミスワールドに選ばれた。又、宝田寮(徳島県)の孤児たちから
「ホタルの天使」と慕われていた。姿美しく、心優しく、しかもその悲壮な捨身行を
観音さまの化身とうけとめた純情少年、交通遺児の坂井誠・進兄弟(三重県)は
美代子観音像を建立して交通安全、大空の守りをお祈りしようと発願し、
これに共鳴した5千余人の善意と台湾・中国・韓国・朝鮮・印度・フランスなど
外国出身留日者の合力がここに結晶し、六甲山上聖浄の地にみよし(美代子)観音の
建立が成った。善男善女諸子、仰いで共に交通安全の祈りを込められんことを
1970年8月1日 みよし観音奉賛会


ネットで調べてみると:
昭和39年2月18日午前8時21分、大阪国際空港を発った日東航空グラマン・マラード
水陸両用「おやしお号」、徳島行き101便は、10人を乗せて午後8時22分、
伊丹市岩屋上空で失速、1キロ南の尼崎市田能二ノ坪に墜落した。
(空港排水路の堤防に機体下部が当たり、電柱に翼が当たって墜落)スチュワーデス(21)
が最後に残った男性(58)を助けようと機内に入ったところ爆発し、2人とも死去。
現場は雪だった。
キャブレターが凍結するほどの寒さの中、自身も決して無傷ではなかったはずの彼女の行動を
思うと、胸が詰まります。
きっと、この事故の教訓は生かされていると信じます。 
(元 航空事故調査官 佐久間光夫さん)


 当時徳島には現在の松茂飛行場(阿波踊り空港)ではなく、吉野川の古川橋の下が
小型飛行艇の発着場でした。 吉野川が離着陸に使われていたことを思い出しました。
当時は古川橋が吉野川に架かる一番川下の橋でした。