神社参拝の作法

手水の作法:
神社にお参りする際は必ず「手水舎(てみずしゃ)」で手と口をすすぎ、清めましょう。
まず柄杓を右手に持ち水を汲み左手に水をかけて清め、次に柄杓を左手に持ちかえて
右手を清めます。
ふたたび柄杓を右手に持ちかえて左手のひらに水を受け、それを口にいれてすすぎます。
このとき直接柄杓(ひしゃく)に口をつけないようにしましょう。
もう一度水を左手かけ清めた後、柄杓(ひしゃく)を立てて、残った水で柄を洗い流します
柄杓を元の位置に戻します。


参拝の作法:
拝殿に進み鈴が有ればこれを鳴らします
お賽銭は投げ入れるのではなくそっと静かに賽銭箱へいれましょう
ご神前に向かい、姿勢を正して深く2度頭を下げ礼をします。(二拝)
両手を合わせ、胸の高さまで上げます。右手を少し手前に引き(指の関節ひとふし位)
その状態から手を肩幅に開き拍手をします。
神社では2回手を打つ二拍手が一般となっておりますが神社によっては異なり
出雲大社宇佐神宮、等では4回手を打つ四拍手となっています。
(神社の拝殿前に作法が書いてあると思います)
もう一度深く頭を下げます。 (一拝)

☆☆

手水の起源 (Webより引用)
神社参拝の長い歴史の中で決まってきた作法がありますが、その基本は
「心身を清め、神様に対面し、日頃の感謝を捧げ、願いを伝え、神意を聞くこと」にあります。
一礼して鳥居をくぐり神社の境内、「神域」に入ると、参道わきに手水舎があります。
ほとんどは四本の柱と屋根だけの建物の中に、「洗心(心を洗う)」あるいは
浄心(心を浄化する)」といった文字が刻まれた鉢があり、水がたたえられています。
ここで手と口をすすぎますが、これは「禊(みそぎ)」を簡略化したものになります。
(禊とは心身の穢れなどをお浄めする儀式)
古事記」には伊邪那岐命イザナギノミコト)が死者の国である黄泉の国(よみのくに)
から帰って来られた時に、身に着けているものをすべて脱ぎ、水に浸かって禊祓(みそぎはらえ)
をしたことが書かれています。
この行為で穢れ(けがれ)を落としたといわれ、禊(みそぎ)の起源にもなります。
手水の起源は、神道に由来し、聖域を訪れる際に周辺に流れる河川の水や湧き水で
身を清めていたことにはじまる。その名残は、伊勢神宮の御手洗場などで見られる。
時代が変化するにつれ、河川の水質が汚染され、清流や湧き水の確保が困難になった
ことから、それに代わる施設として手水舎が併設されるようになっていったようです。
のちに仏教が日本に入ってきてから寺でも手水作法が受け継がれてきたようです。
韓国や中国のお寺に手水の作法はあるのだろうか?


拍手由来:
魏志倭人伝には、邪馬台国などの倭人(日本人)の風習として「見大人所敬 但搏手以當脆拝」
と記され、貴人に対し、跪いての拝礼に代えて手を打っていたとされており、当時人にも拍手を
行ったとわかる。古代では神・人を問わず貴いものに拍手をしたのが、人には行われなくなり、
神に対するものが残ったことになる。なお古代人は挨拶をする際に拍手を打つことで、
手の中に武器を持っていないこと、すなわき敵意のないことを示し、相手への敬意を
あらわしたという説もある。
「かしわで」という呼称は、「拍」の字を「柏」と見誤った、あるいは混同したためというのが
通説である。他に、宮中の料理人である「膳夫(かしわで)」と関連があるとする説や、
手を合わせた時の形を柏の葉に見立てたとする説もある。
この場合、葬祭などで音を出さないのは黄泉戸喫(よもつへぐい)を避けるためとされる。
持統紀に、即位した新天皇に群臣が拝礼と拍手をした記載があり、初めて天皇を神に見立てる
儀礼として即位式に柏手が取り入れられ、定例化したとされる。と有りました。