小豆島88ヶ所 -6

2015.04.02
小豆島総本院 〜0.3km〜第64番松風庵〜0.4km〜第58番西光寺・58番奥の院・誓願の塔〜2.4km〜第59番甘露庵〜2.0km〜第60番江洞崫〜2.7km〜第61番浄土庵〜4.4km〜第62番大乗殿・第63番蓮華庵〜0.8km〜土庄港まで  歩行距離 13km
☆☆

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59番甘露庵から60番江洞窟へは2.0km、 徒歩で約26分

ここは幅の広い歩道のある県道254、オリーブの森付近たくさんのオリーブの木が道路周辺に
植えられていました

県道254のトンネル付近の歩道は狭く横を車がスピード落とさずに走り抜けます

抜けてきたトンネルと斜面の桜の花

道は柳の集落へと下ります

道路わきには可愛らしい黄色い花が咲いています

やぎゅう屋の所で道路は分岐しております  (Google) 2011のPhoto

左へ折れて足の神様、足尾神社方向へ

黄色い反射板支柱の下方にへんろマークが貼られています

しばらく歩むと足尾大明神をまつる足尾神社があり、右のわらじの戸口には説明板があり「足尾神社お参りの皆さんと書かれています」

「足尾神社お参りの皆さん、足にお悩みをお持ちの方大下駄を履きお祈りを唱えてください。きっとありがたいおかげが頂けると思われます。この大下駄は足尾神社境内の御神木、楠の樹でした。土庄八幡宮神主のお祈りにて魂を入れていただき神社に御祈りして頂く大下駄に生まれ変わりました。御参り後、中にお入りください。大下駄にお祈りいたしましょう。」と有りましたので戸を開けて中に入り大下駄を履いてお祈りしました。あと戸を閉めておきました。

足尾神社からしばらく歩むと道路の分岐に案内板があり60番江洞窟は左と出ています

海辺の道を歩んでゆくと鳥居があり境内には大師像がお出迎え (Google) 

大師像の後ろの石段は途中から通行不能なようです

最近建て替えられた江洞窟の入り口 (Google) 
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第60番 江洞窟(こうどうくつ)土庄町柳 0879-62-0327 
御本尊 大弁財天
真言 オン・ソラソバ・テイ・エイ・ソワカ
御詠歌 四つの緒の 妙なる音も 聞こゆなり 松の梢を 渡る嵐も
納経所 庵主がおられるが納経は58番西光寺で、 🚻 トイレ 有り
本尊の弁財天は弘法大師の作といわれている。その昔この地を訪れた大師が悪魔を洞窟に封じて、弁財天をまつったと伝えられている。
☆☆


入り口を入ると役行者像  (Web Photo)

役行者像の左隣に洞窟入口  (Web Photo)

洞窟への入口の左隣の玉石には大日如来を現す梵字の阿  (Web Photo)

役行者と玉石の間の洞窟入口から洞窟に入り左奥には諸仏がまつられている  (Web Photo)
洞窟内の右手にはマニ車  (Web Photo)

専用の赤い灯明(100円)が備えられていました。御参り後は灯明の火を消すようにとの
注意書きがあったのは空気清浄機も起動していたが煙やすすが充満する為でしょう

護摩壇の奥、中央が御本尊の弁財天、左が不動明王、右が弘法大師像です  (Web Photo)
☆☆

お参りを終え洞窟から上がると、庵主がアメリカンコーヒーを飲んでいってくださいと玉石の前の部屋に案内してくれた。庵主は宮城 英徹(えいてつ)さんといって、大正9年5月21日生まれの御年95歳部屋の壁には額にはいった学位があり。88歳の時に取得されたと言うことに関心しました。
☆☆

学位記   本籍 東京都  宮城 徹  大正9年5月21日生
本大学大学院文学研究科密教学専攻の修士課程を修了したので
修士密教学)の学位を授与する。  平成20年3月24日
高野山大学長 藤村隆淳  修第328号
☆☆

部屋の壁には風景写真や庵主が投稿した記事や写真も貼ってありました。

朝日が弁財天を包み込んだ瞬間  弁天洞窟 庵主 宮城英徹  0879-62-5211
第一の不思議、平成24年11月15日、朝7時30分、緑の大窓からの朝日の光が3x2メートルの長方形をつくって、弁財天をすっかり包み込んだ。大日如来が弁財天をしっかりと抱きしめた瞬間である。固い抱擁は7時38分まで続いた。写真は7時38分のもの。愛し合う男女が会うことのできた瞬間、爪先立ちして抱き合い、呼吸が止まり、すべてが停止した瞬間。これぞその瞬間だ。私はそう感じて、手を合わせた。その後長方形は次第に小さくなり、右の方に下っていった。陽光は私の背後か入ってくる。だから私はこの光景を終始観察できた。と有ります。

第二の不思議、 長方形の光が次第に小さくなると今度は光のリングが床面に現れるこれを奇跡と発表するとそれは自然現象だとクレームがあったと話がありました。  (私は太陽光が窓枠格子との位置関係によって起こる光の屈折現象と考えるが、庵主の前ではそれを口にしなかった)
庵主の宮城さんはアメリカンコーヒーが特に好物とかで、飲みかたはのど越しの温度がポイントであるとの自論を説明されました。戦争中フィリピンで捕虜になり、戦後はGHQの仕事をしてマッカーサーにも会ったことがあるとの事  「私の一番上の兄も戦争に行きましたが捕虜にはならず終戦をむかえましたが4年前に亡くなりました、生きていれば94歳です」と言うと 「ところで御主人はおいくつですか?」 と聞かれ 「もうすぐ70歳、兄弟の末子で甥とは一つ違いです」と説明 「そうですか〜僕と25歳ちがいですか?  御主人は風格がありますね〜」
庵主の宮城さんはその後、丸紅の仕事で中東にも行ったりしていたが、ひとところには5年くらいで移動されたとか、英語の仕事ばかりしてきたとかで二世のように英語と日本語が混ざるしゃべりかたの人でした。とにかく話をするのが好きなようで、いろいろな話を聞かせてくれました。コーヒーとお接待のお菓子を頂いて江洞窟を後にしました。

へんろ石には西大寺と有るが?

へんろ石の示すように海岸の道から県道254に戻る

第60番 江洞窟(こうどうくつ)から第61番浄土庵への道順

県道254前方のトンネルを抜ける (Google)

オートキャンプ場の横を通過、右手の旧道へと入り千軒の集落へます (Google)

山手の道を歩いていると多さ丈築城の折の千軒の石切り場跡がありました。