宮古島 6

10月9日は終日フリー
ホテルブリーズベイマリーナ周辺海岸遊歩道からうえのドイツ文化村散策

今日は一日フリーです、ホテル周辺ウオーキングに備えて少し多めの朝食です

朝食はバイキングで野菜を多く皿に盛った

豚肉と大根の煮物

水餃子と島豆腐の湯豆腐

デザートのパイナップル、みかん、グレープフルーツですが
さすが多く家内にヘルプして貰った。

家内の朝食は野菜が主

朝食後はホテルのプールサイドの散歩

朝食後はホテルのプールサイドの散歩

ホテル敷地内に咲く花

ホテル敷地内に咲く花

ホテル敷地内に咲く花

ホテル敷地内に咲く花

ホテル敷地内に咲く花

ホテル敷地内の植え込みに木になる実
一旦部屋に戻りウオーキングの準備をして海岸遊歩道からうえのドイツ文化村へ向かう

海岸遊歩道の途中に塩だまりがあり熱帯の小魚が泳いでいた

ハリスズメダイ、ツノダシ、オヤビッチャ、ハタ、タマン、アイゴが泳いでいるのです

アップ写真

今日は曇りがちな天気で歩くにはちょうど良かった
[:W360]
建碑60年後の1936年(昭和11年)には、宮古郡教育部会や外務省、
日独親善団体の協力で遭難現場であるンナト浜に当時の近衛文麿総理大臣直筆の
「独逸(ドイツ)商船遭難の地」の碑が建てられた。
うえのドイツ文化村HPより)

全ては1873年(明治6年)7月に起きた出来事から始まります。
ドイツの商船「R.J.ロベルトソン号」は、ドイツのハンブルグ港からお茶等の貿易品を
中国福州から積み、オーストラリアのアデレードに向けて出港します。
当初、台湾の南を通過して太平洋に出る航路を予定していたが、
南風が強い為台湾と宮古島の間を通る航路に変更し、台風に遭遇。
暴風でマストは2本折れ、乗組員2名が死亡。
10名いた乗組員は8名となり、マストを失ったロベルトソン号は漂流を続け、
宮古島の南岸へ流れて宮国沖のリーフ(現在のうえのドイツ文化村の沖合)で座礁します。
早朝にこれを発見した遠見番役人が、島から小舟(サバニ)を漕いで救出を試みます。
しかし台風明けで風が強く、リーフに波が打ち寄せていて船に近づくことが出来ません。
役人は、蔵元(各村番所を統括する政府)に報告し、
船を見た蔵元の役人は救出は無理と判断した。救助は翌日に延期され、
夜は海岸でかがり火を焚き、乗組員を励まし続けます。
翌朝、風はややおさまり、救助が決行されることになりました。
地元の宮国の漁師と佐良浜伊良部島)の漁師が救助にあたり、
2隻のサバニで向かいました。風はややおさまったものの、台風の余波で波は高く、
サバニは何度も転覆しそうになりながら、船に残っていた救命ボート1隻も使い、
乗組員8名(ドイツ人6名、うち女性1名。中国人船員2名)を無事に救出します。
救出後、言葉が通じずコミュニケーションがうまく出来ない状況でしたが、
遭難者たちを手厚く看護しました。
ロベルトソン号は、救助の翌日に船長が一部の積荷や身の回り品などを取りに行った際、
修理して出港できる状態でしたが、その翌日には無残な姿に変わり、
再生不能になってしまいました。船長は、台湾か中国を経由して帰国できるように船を要望。
蔵元の役人は首里まで使いを向かわせ、ロベルトソン号遭難の報告とともに帰国の船を
出してくれるよう要請します。
しかし、その返事がいっこうに届かないため、船長は港へ船を見に行き、
停泊している帆船を見て船長自ら蔵元の高官に貸してもらえるよう頼みます。
停泊していた帆船は沖縄の船で、王府から許可が下り次第貸す予定でした。
しかし、高官は悩んだ末、王府の許可を待たずに独断で帆船を貸し、難波救出から34日後、
帆船で中国を経由してドイツへと帰国しました。
うえのドイツ文化村HPより)

ドイツに帰国後、ロベルトソン号の船長、エドゥアルド・ルドヴィヒ・ヘルンツハイムが
新聞に発表し、それを読んだドイツ皇帝ヴィルヘルム1世は、宮古島の人々の博愛精神に
感動し、3年後の1876年(明治9年)に軍艦チクローブ号を日本へ派遣します。
クローブ号は横浜に入港し、日本政府を通して来島。
そして3月22日に漲水港(平良港)を見渡せる位置に博愛精神を賞賛する記念碑が設置され、
石碑の除幕式と贈呈が行われました。
うえのドイツ文化村HPより)(この写真ではないオリジナル記念碑は平良港の近く)

うえのドイツ文化村の博愛橋と博愛パレス(ボーデン湖マイナウにある宮殿がモデル)
博愛パレスは宿泊施設だったが現在は使われてない外観のみ

海岸遊歩道を進んで行くと見えてくるハート岩

岬先端のシーサー岩

シーサー岩とハート岩

博愛パレス

遊歩道に咲く花

遊歩道に咲く花

キンダーハウスの裏手のサトウキビ畑

うえのドイツ文化村入り口ゲート

シュタ―デ市の旧市街を模した建物、2階は市営住宅、階下は使われてない

博愛記念館のマルクスブルグ城

博愛パレス

うえのドイツ文化村の蘇鉄

田畑義男の歌った 「島育ち」 の歌詞に 
「 赤い蘇鉄の 実も熟れる頃 加那も年頃 加那も年頃 大島育ち 」とあるように

蘇鉄には赤い実が熟れていました

遊歩道に咲く花

マルクスブルグ城からのビュー

遊歩道

再び海岸遊歩道を廻って潮だまり、サンゴのかけらを投げ入れると熱帯魚が
さっと集まるが2度3度繰り返すとエサでないことがわかり集まらなくなった

遊歩道に咲く花

遊歩道に咲く花を眺めながらホテルまで戻り昼食はホテルの斜め向かいの
「ひろちゃん」へ

まずはオリオンビール生ここは500円 周りの店やホテルでは800円
客層としては地元の人が多く利用している店でした。

ビールのあてにイカフライ600円を注文するとあつあつ揚げたてを出してくれた
ボリュームも味もよかった。

この日の昼食は2人とも焼きそば(650円)を注文したら味噌汁がついてきた

ボリュームたっぷりの焼きそばは美味しかった

赤だしの味噌汁

昼食後はしばし散歩してホテルで休息

この日の夕食は3チョイスレストランからビアファスを予約しておいた

スープ

サラダ

選べるツアーコースメニューから私はグリルチキンを

生タマネギの上に炭火焼のグリルチキン

家内はシーフードグリル

シーフードグリルは海老、魚のフィレ、ホタテ、ムール貝にポテト、
ブルッコリー、ニンジン

デザート

コーヒー