壱岐 7

3月28日ミステリーツアー、「壱岐の蔵酒造」の次9カ所目スポットは

3.5km(7分)移動して弥生時代一支国(いきこく)王都であった原の辻復元遺跡へ

一支国(いきこく)王都原の辻復元遺跡、集会所と長老の家
紀元前2〜3世紀から紀元3〜4世紀にかけて形成された大規模な多重環濠集落で、芦辺町石田町にまたがる台地上を中心に、東西、南北ともに約1km四方に広がっている。平成7年、原の辻遺跡は『魏志倭人伝』の中の「一支国」の王都と特定された。発掘調査途中のため、古代史を書き換えるような発見が相次いでいる。最近では人面石が話題になった。ムンクの絵のようなユニークなもので、3〜4世紀に作られたもの。また棹秤(さおばかり)に用いる錘(おもり)らしきものも出土し、事実だとすると7世紀とされていた度量衡整備が、さらに400年以上もさかのぼることになる。平成12年に弥生時代のものとしては国内3カ所目の国特別史跡に指定。原の辻一支国王都復元公園は、一支国の王都を再現したもの。以上は  壱岐市観光連盟HPより  http://www.ikikankou.com/wp/?cat=3
詳しい復元建屋の説明は原の辻一支国王都復元公園のHP
http://www.iki-harunotsuji.jp/fukugen_park/core_area/ をクリック参照してください

一支国(いきこく)王都原の辻復元遺跡、、交易司(こうえきし)の家と物見やぐら

竪穴式住居の内部

竪穴式住居の内部

竪穴式住居の内部

儀式やまつりに使用する祭器や儀器を保管しておく倉庫

一支国(いきこく)王都原の辻復元遺跡、穀倉

一支国(いきこく)王都原の辻復元遺跡 一支国の王の住居

一支国(いきこく)王都原の辻復元遺跡 鳥居と主祭殿

一支国(いきこく)王都原の辻復元遺跡、主祭殿

一支国(いきこく)王都原の辻復元遺跡、主祭殿

一支国(いきこく)王都原の辻復元遺跡、主祭殿

一支国(いきこく)王都原の辻復元遺跡

一支国(いきこく)王都原の辻復元遺跡

一支国(いきこく)王都原の辻復元遺跡

一支国(いきこく)王都原の辻復元遺跡

一支国(いきこく)王都原の辻復元遺跡

一支国(いきこく)王都原の辻復元遺跡

一支国(いきこく)王都原の辻復元遺跡
詳しい復元建屋の説明は原の辻一支国王都復元公園のHP
http://www.iki-harunotsuji.jp/fukugen_park/core_area/ を参照してください


[:W750]
7.6km(15分)宿泊先ホテル近くの塞神社(さいじんじゃ)へ
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バスガイドさんから 「これから御参りする塞神社(さいじんじゃ)については事前に説明をしませんどのような神社か皆さんの目で見てお確かめの上ご判断ください」

郷ノ浦町の歓楽街、宮の通りの一角にある賽神社は壱岐で最も有名な神社のうちの一つ。賽の神とは、昔から道路の分岐点や村境などに祭られている道租神のことで、 通る人を守ったり、災いが村に入るのを防いでくれる神様だとされています。

賽神社の拝殿

賽神社拝殿左に奉納された巨大な男性シンボルは楠の木から彫り出されたとの事、拝殿右手のガラスケースには 「ちょっとのぞいて見てごらん」 と書かれていて、下から覗くと女性のシンボル、拝殿内には男性シンボル造形物、拝殿内の壁には春画が沢山奉納され掲げられていました。

奉納さてている巨大な男性シンボル

郷ノ浦町の歓楽街、宮の通りの賽神社

賽神社由来
生まれ、生き、そして土への回帰。永劫の輪廻の中で人間はなお、生への執着から性に祈る。神代の昔、天の屋戸の裸踊りで知られる女神天宇受売命(あめのうずめのみこと)は、後に異形の男神猿田毘(さるたひ)古神と結ばれ、猿女君(さるめのきみ)として以来一体の神となった。元来猿田彦が庚神様となり、防塞(疫神の防障道路守護)の神として信仰されたが、この地の神はいついつ頃より祀られたか定かでない。はっきりしているのは現在田河深江字下ルに奉られていた塞神を、天保年間にこの地下ル町に奉遷宮して町の氏神としたことである。本殿には女石が祀られているが、これは女神猿女命をあらわし、昔から本町元居浦の八幡神社男神は毎年祇園祭典に必ず來興し神楽も奉納される。女神であることから良縁、安産、夫婦和合、性の病、子供の守護、に霊験あらたかと言われているが本来道の神であるため交通安全を祈る人も多く明治末期までは壱岐島に上陸した男達は男根を女神に見せないと怪我をするといってこの賽神社に一物の御照覧を願ったもので。近年は島以外の間でもとみに知られ、何を祈るか丑満に女性の詣りが多い。

百合若伝説おとぎばなし
今から、およそ1200年前の平安時代にあったお話しです。 百合若大臣は、やっとのことで島に上陸し、大部分の鬼どもを殺し、最後に悪毒王と戦いました。悪毒王は大きな金棒を振り回してかかってきたが、百合若大臣は見事に鬼の首を打ち落としました。首だけになった鬼は「無念無念」と狂いまわりながら、空高く舞い上がり、そのまま見えなくなってしまいました。空高く、舞い上がった、悪毒王は、首と頭をつなぐ、薬をとりに天の国に行きました。これを知った、百合若大臣は、悪毒王の胴体を、岩陰に隠しました。しばらくして、悪毒王が、口に薬をくわえて、地上に帰って来ました。しかし、胴体のほうは、百合若大臣が隠してしまったので、どこにあるのか分かりません。悪毒王は、しばらく胴体をさがしていましたが、見つけることができないので、今度は百合若大臣の兜にかみついてバリバリと音を立てて噛み破りはじめました。、百合若大臣の鬼退治の話しが残っています。 鬼凧も全国で作られています。そして、そのどれもが、百合若大臣の兜に、かみついている、図案でマンホールにも使われていました。 
壱岐の鬼伝説より一部掲載、詳しくは壱岐の自然と文化遺産研究保存会へ  http://www.ikishi.sakura.ne.jp/conte4.html )

橋の途中にある百合若大臣鬼退治の鬼ヶ島伝説モニュメント
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賽神社前の橋の途中にある百合若大臣鬼退治のモニュメント

3月28日最後のスポットはホテルを通りこして1.5km(6分)のお土産や 「あまごころ壱場」

ウニ工場 「あまごころ壱場」の看板

ウニの種類や処理方法を聞いてから売店へ

御土産が沢山です

お土産や 「あまごころ壱場」

お土産や 「あまごころ壱場」

お土産や 「あまごころ壱場」

お土産や 「あまごころ壱場」

バスに乗って宿泊先のホテルへ