四国霊場逆打ち車遍路 🚘 29

四国霊場逆打ち車遍路 🚘 29 八坂寺 浄瑠璃寺 岩屋寺 大寶寺

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別格9番文殊院〜47番八坂寺〜46番浄瑠璃寺へのルートは近距離、道路案内に従い走行

2016.11.01(火) 
四国88ヶ所、47番札所 八坂寺
47番八坂寺 ( Kumanozan Yasakaji, 47th of Shikoku pilgrimage 88 ) 
EL+91m
第47番札所 熊野山 八坂寺 (くまのざん やさかじ) 
本尊  阿弥陀如来 (あみだにょらい 伝、恵心僧都作)
真言  「おん あみりた ていせい からうん」
開基  役行者小角
宗派  真言宗醍醐派
御詠歌 はなをみて うたよむひとは やさかでら さんぶつじょうの えんとこそきけ
所在地 愛媛県松山市浄瑠璃町八坂773

↖  47番八坂寺(やさかじ)境内図

当山の歴史は古く、大和時代から約千三百年余りも続く古刹であり、お大師さまがお生まれになられる、百数十年ほど前に修験道の開祖、役の行者小角(神変大菩薩)によって開かれました。八坂寺の寺号はますます栄えるを意味する「いやさか(八坂)」に由来し、大宝元年に第四十二代文武天皇勅願寺として小千伊予守玉興公が、七堂伽藍を建立するにあたり、大堂山(現在は大友山)に八ヶ所の坂道を切り開いて寺を創建したからとも言われている。又、都の朝廷とも関係深く、勅使の出入りの盛んな寺でもあり、弘仁六年お大師さまが八十八ヶ所の霊場に定められた。その後は、修験道の根本道場として栄え、紀州から熊野権現の分霊を移して十二社権現と共にお祀りして、山号を熊野山とし「熊野山八坂寺」と呼ばれるようになった。当山は修験道場のため開基以来、住職は代々八坂家の世襲であり、今に至っております。 (四国ネットより)

納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました

駐車場のいやさか不動尊

極楽橋

本堂

本堂内陣

大師堂

閻魔堂

権現堂

地蔵

納経所

納経所

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2016.11.01(火) 
四国88ヶ所、46番札所 浄瑠璃寺
46番浄瑠璃寺 ( Iouzan Joruriji, 46th of Shikoku pilgrimage 88) 
EL+98m
第46番札所 医王山 浄瑠璃寺 (いおうざん じょうるりじ)  
本尊  薬師如来 (やくしにょらい)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 ごくらくの じゃうるりせかい たくらえば うくるくらくは むくいならまし
所在地 愛媛県松山市浄瑠璃町282

↖  46番浄瑠璃寺(じょうるりじ)境内図

三坂峠(海抜七一〇㍍)は「三坂越えれば吹雪がかかり、戻りやつま子が泣きかかる」とうたわれたほど、馬子泣かせの峠で、土佐街道最大の難所であった。久万の町から国道を登り坂で、三坂峠を越え途中の塩ガ森より旧へんろ道を下ると浄瑠璃寺の門前へ出る。道中松山城や瀬戸内海が遠望できる。歩きお遍路様は峠から旧道を下り丹波を経て浄瑠璃寺に至る。寺の境内は天然記念物の伊吹柏槙が生い茂り、本堂前には仏足石がまつられている。本堂は天明五年(一七八五)の再建。ご本尊は行基菩薩が刻まれた薬師如来、寺の創建は和銅元年(七〇八)。薬師如来の別名瑠璃光如来から寺号を浄瑠璃寺と名付けた。後にこの寺を再興した尭音は、社会事業家としても知られ、寺の復興後は托鉢の日々をすごしその浄財で岩屋寺から松山へいたる土佐街道の八力所に橋をかけ、松山寄りの立花橋は大水のたびに流出していたのを、岩国の錦帯橋の構造を研究し、架橋に成功している。いまも立花橋の近くに尭音の供養塔が立っている。石段の登り口に正岡子規の句碑があります。 (四国ネットより)

納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました

浄瑠璃寺門前

浄瑠璃寺門前

もみ大師

手水舎

手水よこの親子亀と蛙

鎮守

大師堂

大師堂

本堂

本堂
納経所で「近くで食事ができるところはありますか?」と尋ねたら「この辺にはありません、西林寺まで戻るとうどん屋がありますが、上の国道筋には大きな食堂があります」

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曼荼羅寺から国道33号線の「ちとせ食堂」へのルート

国道33号線、愛媛県伊予郡砥部町千足の「ちとせ食堂」で昼食

ちとせ食堂の、のれん

豚網焼き定食800円

豚肉の網焼きと千切りキャベツ

葉大根の漬物

ほうれん草のお浸し

親子どんぶり570円


国道33号線の「ちとせ食堂」から大寶寺、いやしの八丁坂、岩屋寺へのルート

大寶寺、いやしの八丁坂を通り越し45番岩屋寺へ、帰り道に大寶寺を打ち、
県道12ごy線脇の、いやしの八丁坂に宿泊


2016.11.01(火) 
四国88ヶ所、45番札所 岩屋寺
45番岩屋寺  ( Kaiganzan Iwayaji, 45th of Shikoku pilgrimage 88 ) 
EL+670m
第45番札所 海岸山 岩屋寺 (かいがんざん いわやじ)
本尊  不動明王 (ふどうみょうおう 伝、弘法大師作)
真言  「のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そはたや うんたらた かんまん」
開基  弘法大師
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 だいしょうの いのるちからの げにいわや いしのなかにも ごくらくぞある
所在地 愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥1468

↖  45番岩屋寺(いわやじ)境内図

弘仁六年、弘法大師がこの地を訪れた時、怪岩奇峰の深山に、不思議な神通力をもった法華仙人と称する女がいた。この女は大師に帰依し、一山を献じて大往生をとげた。そこで大師は不動明王の木像と石像の二体を刻まれ、木像は本堂へ、石像は山に封じこめ、山そのものをご本尊不動明王として護摩修法された。そして寺号を海岸山岩屋寺と名づけた。それ以来修行の霊地として法灯は継承され、現存の本堂は昭和二年の再建。 この山には七種の霊鳥が住んでいたことから古くより七鳥という地名でよばれている。山麓から六百㍍急勾配の参道を登る。道中行倒れの遍路の墓もある。本堂は巨大な岩石におおわれている。岩そのものは凝灰岩だがこれが五十あまりそれぞれ空にそびえ、山容は奇怪そのもの。いずれも名称があり本堂左右の岩山は胎蔵界峰、金剛界峰とよばれ、大師の行場は「迫割禅定」と称する岩山。山頂には白山権現がまつられている。平成十九年、一九二〇年再建の大師堂が国の重要文化財に指定された。 (四国ネットより)

納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました

岩屋寺の参道さか道

45番岩屋寺参道の石注の上にミニチュアの仁王像が乗っている

45番岩屋寺参道の石注の上にミニチュアの仁王像が乗っている

山門

山門からの参道石段

山門からの参道石段

石灯籠

修行大師像

参道脇の墓石

観音像

参道途中にある「道開き不動尊」のお堂、お堂の奥横には酒水大師という石柱もある、
参道はこれより左折れする

「道開き不動尊」のお堂

石仏群

みちびき不動尊の後ろに弁財天

さらに奥にも弁財天像

地蔵尊

鐘楼からの境内

鐘楼からの境内

大師堂から

仁王門

大師堂前

大師堂からの岩屋寺境内

仁王門

大師堂

大師堂と岩屋

岩屋寺の本堂

岩屋寺の本堂

穴禅定洞窟の不動明王立像

穴禅定の岩肌はさざれ石

穴禅定洞窟の大師像

穴禅定岩屋の洞窟

鐘楼と客殿

鐘楼からの窟屋

手水場

休憩所と鐘楼

小さめの庭の灯篭はキリシタン灯篭?

休憩所と鐘楼

休憩所と鐘楼

客殿

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20161101(火) 
四国88ヶ所、44番札所 大寶寺
44番大宝寺  ( Sugozan Daihouji, 44th of Shikoku pilgrimage 88 ) 
EL+560m
第44番札所 菅生山 大宝寺 (すごうざん だいほうじ) 
本尊  十一面観世音菩薩 (じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
真言  「おん まか きゃろにきゃ そわか」
開基  明神右京・隼人
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 いまのよは だいひのめぐみ すがうさん ついにはみだの ちかひをぞまつ
所在地 愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生2番耕地1173番地

↖  44番大宝寺(たいほうじ)境内図

昔から足摺岬金剛福寺に次ぐ約八十㌔の長い旅路で、札掛、下板場、鴇田の三つの大きな峠を越えるもっとも苦しい道中。札所もちょうど半分。遍路にとってまさに峠の寺でもある。久万という老女が大師と出会い、その名が地名となった久万町は、海抜四百九十㍍の高地にあり、大宝寺の境内は樹齢数百年の杉や桧の老樹が林立し、幽寂な空気がただよう。寺は大宝元年(七〇一)に、百済の僧がこの地に草庵を結び十一面観世音を安置したのがはじまりで、後に開削当時の年号にちなみ、大宝寺として創建され、やがて弘法大師霊場に定めた。保元年間に後白河法皇が、元禄年間に住持の雲秀法師がそれぞれ再興し、現存の本堂は大正十四年の再建。寛保や天明の農民一揆の時など、藩主や農民からの信頼はあつく、また寺の権威も高く、そのころ十二坊を有し、隆盛をきわめた。昭和五十九年に大師堂が新築建立された。宿坊で出る心のこもつた精進料理は評判がよい。 (四国ネットより)

納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました

納経所前からの石段

納経所前からの石段

本堂の鐘楼

本堂

本堂

厄除観音

大師堂

大師堂の鐘楼

大師堂の鐘楼

境内の石像

護摩

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いやしの八丁坂 愛媛県上浮穴郡久万高原町下畑野川 久万高原町下畑野川甲1609−7
ワンオブベストへんろ宿、布団は羽根布団でした。

いやしの八丁坂の夕食

席に着くとアツアツ揚げたてのトンカツが出ました

うどん

刺身こんにゃく


茄子の揚げ煮びたし
揚げた茄子を一度湯通しがしてあり大変おいしかった一品でした

あさ漬け物



いやしの八丁坂の朝食

いやしの八丁坂の朝食の膳

野菜サラダ、地鶏の卵、自家製の梅干

野菜は岩屋寺の下の自家菜園のもの

御飯にもこだわりがあり美味しいお米でした