10月10日、京都嵯峨嵐山へ行ってきた。
京都駅32番ホームから亀山行き電車で、5駅目の嵯峨嵐山駅から歩いて大覚寺へ
JR嵯峨嵐山駅から大覚寺まで自動車の少ない道を選び、徒歩1.1km/15分くらい
大覚寺(旧嵯峨御所)の玄関門
大覚寺(旧嵯峨御所)の玄関門からの玄関式台
大覚寺(旧嵯峨御所)玄関式台からの玄関門
丁度、ワンピースとコラボしている時期のため、あちらこちらに作品の展示があった
宸殿(しんでん)広縁(ひろえん)からの勅使門(ちょくしもん)とコラボの砂庭絵
宸殿(しんでん)の廊下、濡れ縁はうぐいす張り
右手の神殿は南北朝媾和会議が、ここで行われたと伝わる正神殿(せいしんでん)
御影堂から宸殿(しんでん)広縁(ひろえん)と砂庭
御影堂からの勅使門(ちょくしもん)ワンピースとコラボの砂絵庭
勅使門(ちょくしもん)は天皇または天皇の使いが入出する専用の門で一般人は通れない
御影堂は心経殿の前殿であり、内陣正面は心経殿を拝するため開けてある。
内陣左右に嵯峨天皇、秘鍵大師(弘法大師)、後宇多法皇、恒寂入道親王などの尊像を安置
安井堂と五大堂(右)、五大堂は大覚寺の本堂。不動明王を中心とする五大明王を安置
五大堂の東側濡れ縁(観月台)からみた大沢の池
五大堂の東側濡れ縁(観月台)からみた大沢の池
御影堂裏手の心経殿(殿内には嵯峨天皇をはじめ、後光厳、後花園、後奈良、正親町、
光格天皇の勅封心経が収められているという
むらさめの廊下を渡り正神殿(せいしんでん)を見ながら出口へ
出口は明智殿沓脱から
金堂性の宝塔
大覚寺の掘割を廻り大沢池へ
嵯峨天皇から高野山に帰山する弘法大師に贈られた詩「道俗相分かれ数年を経たり、
今秋晤語するも亦良縁なり、香茶酌みやみて日ここに暮れる、 稽首して離れを傷み雲煙を望む」
より望雲の2字をとって命名された「望雲亭」の前から大沢の池
「望雲亭」の前から大沢の池
大覚寺大沢の池
五大堂の観月台から見えていた浮橋
時代劇に出てくる五大明神
五大明神からの大沢の池
大覚寺の放生池と中道を挟んで大沢の池、中道は大川橋蔵の銭形平次によく出てきます
この中道もまた時代劇の撮影によく使われています
中道からの大沢の池
護摩堂、このお堂も楠の大樹と共に時代劇によく出てきます
中道を進んで護摩堂の先には天神島があり大きなツブラジイと天神社がありました
天神島の大きなツブラジイと天神社
心経宝塔は、嵯峨天皇心経写経1150年を記念して建立された
大日堂
閼伽井(あか井)、閼伽は閼伽井から汲まれた水を仏前などに供養される水のことで
サンスクリット語のargha(アルガ)の音写という
放生池と中道の向こう側に大沢の池
五社明神の鳥居からの五大堂の濡れ縁(観月台)
大覚寺の掘割