沖縄旅行 2017 5

4月11日ツアー出発は10時、朝食後シェラトンホテル周辺を散策

スパとシェラトンホテル

恩納村名護のシェラトンホテル

点検中のリフト

散策道からのシェラトンホテル

散策道

散策道からのシェラトンホテル

散策道

シーサー

ビーチとセラトンホテル

散策道


4月11日のツアーの予定は世界遺産・勝連城址、海中道路・海の駅あやはし館、北谷・アメリカンビレッジ、沖縄の駅ちゃんぷる・琉球

勝連城(かつれんぐすく)は勝連半島の南の付け根部にある丘陵に位置する

南城(ヘーグシク)、中間の内、北城(ニシグシク)で構成され、
北城は石垣で仕切られた一から三の郭が階段状に連なり、
一の郭が最も高く標高約100mの丘陵上にある。
13世紀-14世紀に茂知附按司により築城されこの城の最後の城主が阿麻和利(あまわり)阿麻和利はクーデターを起こしてこの地方の按司となり、琉球の統一を目論んだが1458年に琉球王府によって滅ぼされた。
城内からは中国、元代の陶磁器(染付)が出土しており、『おもろさうし』からも当時の繁栄をみることができる。浦添首里那覇を中心とした浦添文化に対して、系統上異なる勝連文化と言うべきものがあったのではないかと城壁の石は道路工事の石材などとして持ち去られてきたが、現在は復元工事中

勝連城跡マップ、左側の部分は発掘中

勝連城跡の石柱

駐車場から道路を渡り城跡へと歩きます

勝連城(かつれんぐすく)の城壁

勝連城(かつれんぐすく)の城壁

勝連城(かつれんぐすく)の城壁

勝連城(かつれんぐすく)の城壁

一番上が一の曲輪、その下が二の曲輪、ここが三の曲輪との事

一の曲輪から下の曲輪を見下ろす、柱列のある曲輪が二の曲輪、
その向こう側が三の曲輪になります

一の曲輪の城壁

一の曲輪

勝連を守護する大きな霊石を御神体とする御嶽(うたぎ)霊石の脇の穴は二の曲輪のウシヌジガマと繋がっており有事の際の避難路らしい

勝連を守護する大きな霊石

一の曲輪から駐車場をのぞむ

一の曲輪からみる三の曲輪

一の曲輪からみる二の曲輪、三の曲輪

二の曲輪のウシヌジガマ

二の曲輪のウシヌジガマ

二の曲輪のウシヌジガマ

二の曲輪のウシヌジガマ脇に咲くハイビスカス

二の曲輪

曲輪の城壁

三の曲輪

三の曲輪

三の曲輪からの下り道、石段は下向きで滑りやすい

曲輪の城壁

勝連城(かつれんぐすく)城跡

勝連城(かつれんぐすく)城跡

ミートゥガー(縁結びの泉)

ウタミシガー(占い井戸)水が多いと不作、少ないと豊作になるという

ウタミシガー脇に咲く白百合

仲間ヌーカー(カンジャガー)鍛冶屋があった井戸と説明にあった


勝連城跡は、最後まで首里城に対抗した按司(あじ)、阿麻和利(あまわり)の居城
阿麻和利(あまわり)
阿麻和利についての言い伝えはいくつかあるが、一説では北谷間切(ちゃたんまぎり)の屋良村(現嘉手納町)の百姓の子といわれている。幼名を加那(カナー)といい、10才まで歩くことも出来ないほど身体が弱く山に捨てられた。加那は山でクモが巣を張るのを見て、漁に使う打ち網の作り方を発明したと言われている。 勝連にたどり着いた阿麻和利は茂知附按司に召し抱えられる。茂知附按司は圧政を敷き酒に溺れたため、人々の信頼の厚い阿麻和利によって倒される。若くして阿麻和利は勝連の10代目の按司となった。阿麻和利は人々から慕われ、海外貿易により力をつけた。時の琉球国王尚泰久は阿麻和利に自分の娘百十踏揚を嫁がせる。
 

護佐丸(ごさまる)
1416年尚巴志の北山討伐に加わり、北山監守となって座喜味城に移る。その後、阿麻和利や他の中山の按司を見張るため中城城に移ることになる。しかし、1458年阿麻和利に攻められ自害する。 護佐丸は名築城家として知られ、座喜味城跡や中城城跡を現在のかたちにした。両城跡とも世界遺産として登録される。
 

百十踏揚(ももとふみあがり)
百十踏揚は6代国王尚泰久の娘として生まれ、政略結婚で阿麻和利に嫁ぐことになる。百十踏揚は阿麻和利の計略を知り、付き人の大城賢勇と共に首里に逃げ帰る。阿麻和利は大城率いる首里軍に敗れる。その後百十踏揚は大城賢勇に嫁ぐが、大城も王府の内乱で亡くなる。百十踏揚は玉城(現南城市)に逃れ、ひっそりと余生を送ったと言われている。
 

察度(さっと)
察度は、奥間大親(おくまうふや)と天女の間に生まれたと伝えられている。察度は、勝連按司の娘が誰とも結婚しようとしないという話を聞き、勝連城を訪ね娘に求婚する。他の者たちは貧しい察度との結婚をあざ笑ったが、娘は察度が他の男と違うことを感じ取り、察度と一緒になった。察度は貧乏人だったが、畑には金塊がたくさんころがっていた。娘はこの金塊の価値を察度に教え、日本の商人から鉄を買い入れ、農民達に分け与えた。民衆達の為につくした察度は、その後中山王となる。  (以上は勝連城の歴史より引用)


海中道路・海の駅あやはし館は勝連半島平安座島(へんざじま)を結ぶ海中道路の途中にある道の駅

平安座島(へんざじま)

勝連半島

海の駅の土産物屋

海の駅あやはし館で買ったお土産は小銭入れ

紅屋のタッグが付いていた日本製の小銭入れです

海の駅あやはし館、次は北谷・アメリカンビレッジへと移動しました