BULOVA 3

BULOVA 向けクロックラジオ 1250 1252 です
この機種は1966年頃に猪飼野で製造しました

それまで今里工場(中川町)ではベルトコンベアに向かい椅子に座っての作業だったのが猪飼野では移動可能な作業台を背の高いベルトコンベアに対して90度の角度で取り付け行っていた。今里工場で1965年生産性を向上する意味から日本能率教会が出入りしていたその結論として製造部に対してはコンベアに不良が出て空きが出たら代替を乗せる事、技術部には脳を活性させるため卵入り味噌汁を飲ませることで有った。実施すべくF社長が直接乗り出し指導しようとしていた矢先に若江に有った軽機が火災になり直接指導は立ち切れになった軽機のメンバーも野球をしていたが当時は森之宮に寮(現保険代理店の場所)があって早朝野球部のために大阪城のグランド場所取りも行われた、火災後軽機のメンバーも今里工場に合流して一緒にTRラジオを生産しだした。今里工場毎朝一番出社組みが小生、竹野さん(元軽機でビートルズファン)とFさん(元軽機で社長の長兄)この人は顔も性格もまったくF社長と違うしおとなしい方なのでそれと気が付かなかった。出社は横の勝手口から入り表のシャッターを開け工場の一日が始まった。


 (写真はオークションサイト、セカイモンより引用しました)