四国あるき遍路 ☜ 🚶 35日目 平成25年4月3日(水)
66番雲辺寺 別格16番萩原寺 67番大興寺 68番神恵院 69番観音寺
☆☆
平成25年4月3日(水)
88箇所四国あるき遍路35日目
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20
平成25年4月3日は徳島県三好市の民宿白地〜雲辺口〜66番雲辺寺〜別格16番萩原寺〜67番大興寺〜68番神恵院/69番観音寺〜観音寺の藤川旅館まで約 34.1km 歩きました。
☆☆
民宿白地荘6:30〜雲辺寺口(打戻車)6:45〜雲辺寺へんろ道6:45/8:15〜66番雲辺寺8:21/9:01〜頂上線分岐9:18〜別格16番萩原寺10:57/11:21〜67番太興寺13:00/13:34〜銭形くん13:53〜(マルナカ方面へ迷った)〜ヘンロ小屋銭形15:29〜68番神恵院/69番観音寺16:04/16:49〜藤川旅館17:05 歩行距離34.1km 歩数48,731歩
☆☆
民宿白地荘の朝食 05:34
民宿白地荘
同宿のあるき遍路は4名で車で雲辺寺登山口まで軽自動車での送迎は一度に2名、6時と6時半出発の2回出発で私は6時半にお願いした 06:17
民宿岡田近くの登山口まで送って貰い高速の下をくぐりへんろ道を雲辺寺へ上る 06:49
この階段の上からが地道のへんろ道 06:49
66番雲辺寺へんろ道 06:50
66番雲辺寺へんろ道 06:54
66番雲辺寺へんろ道 06:54
66番雲辺寺へんろ道 06:56
66番雲辺寺へんろ道 06:59
66番雲辺寺へんろ道に突然ガスがでて暗くなった 07:17
66番雲辺寺へんろ道脇の蘭の一種、子供の頃みつけると「じいさんばーさん」呼んでいた 07:17
66番雲辺寺へんろ道 07:18 この辺りへ来ると不気味な長いうなり音が聞こえる、最初はロープウエーケーブルの音かと思ったが位置的にも場所が違う、風に送電線に唸っているのか? 何とも不気味な音でした(あとからGoogle Earthで確認すると送電線が通っていました)
66番雲辺寺へんろ道 07:28
66番雲辺寺へんろ道 07:35
66番雲辺寺へんろ道に突然ガスが出た 07:38
66番雲辺寺へんろ道、ガスは一瞬 07:39
66番雲辺寺へんろ道、すぐにガスは消えた 07:39
66番雲辺寺へんろ道、民宿岡田から2.8kmの所 07:43
66番雲辺寺へんろ道、道しるべ 07:43
66番雲辺寺へんろ道、雲辺寺手前2.1km 07:48
66番雲辺寺へんろ道、雲辺寺手前1.3km 07:59
66番雲辺寺へんろ道、雲辺寺手前1km 08:04
66番雲辺寺へんろ道 08:05
66番雲辺寺へんろ道、雲辺寺手前600mガスが出て 08:12
66番雲辺寺へんろ道、雲辺寺手前600mガスは消えた 08:12
66番雲辺寺へんろ道、雲辺寺手前500m 08:14
66番雲辺寺舗装された管理道 08:15
66番雲辺寺舗装された参道 08:19
66番雲辺寺の下へ続くへんろ道 08:20
☆☆
平成25年4月3日(水)
66番雲辺寺 ( Kyougouzan Unpenji, 66th of Shikoku 88 )
H900m
第66番札所 巨鼇山 雲辺寺 (きょごうざん うんぺんじ)
本尊 千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ 伝、弘法大師作)
真言 「おん ばざらたらま きりく そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
御詠歌 はるばると くものほとりの てらにきて つきひをいまは ふもとにぞみる
所在地 徳島県三好市池田町白地ノロウチ763- 2
☆ 山麓の雲辺寺口から寺への五・五㌔の登りは「へんろころがし」といわれる急勾配の坂道で横峰寺を上廻る難所。しかし、自動車道が開通し、中型車までは海抜千㍍の寺までゆける。大師が十六歳のとき、寺の建築材を求めて登山したところ、深遠な霊山のおもむきに心うたれて堂宇を建立したのがこの寺のはじまりで、大同二年(八〇七)嵯峨天皇の勅を奉じてふたたび登山し、ご本尊を彫刻して仏舎利と毘盧遮那法印(仏法石)を山中に納め、霊場に定めた。その後四国高野といわれ、阿波、土佐、伊予、讃岐の各坊があって学僧が集まり、学問道場として盛んであった。鎌倉時代には七堂伽藍が整備され、阿波、伊予、讃岐の関所でもあった。また、江戸時代になってからは蜂須賀家の祈願所にもなり、手厚い庇護をうけたが、現在は往時面影はみられない。寺域はまさに雲上の世界。周囲の山々に霧がかかり雲の中の霊場。☆ (四国ネットより)
真新しい66番雲辺寺の山門 08:21
真新しい66番雲辺寺の山門 08:22
66番雲辺寺の山門脇に手水舎があります 08:22
66番雲辺寺の石表柱 08:26
66番雲辺寺の鐘楼 08:44
66番雲辺寺の大師堂 08:44
66番雲辺寺の境内 08:45
66番雲辺寺の大師堂 08:45
66番雲辺寺大師堂前 08:45
66番雲辺寺大師堂の香炉 08:45
66番雲辺寺本堂前の売店と本坊 08:46
66番雲辺寺の本坊とおたのみなす 08:47
66番雲辺寺の護摩堂 08:47
66番雲辺寺の本堂 08:47
H910mの山上は非常に寒く途中雨で濡れた手指は寒さにかじかんで震え灯明や線香もやっとの思いで取り出し点ける事が出来た
66番雲辺寺本堂前の香炉 08:47
66番雲辺寺の本堂 08:47
66番雲辺寺の大師堂 09:01
66番雲辺寺の一言観音 09:01
66番雲辺寺から山門へ下る 09:01
66番雲辺寺の五百羅漢像 09:09
66番雲辺寺の五百羅漢像 09:09
66番雲辺寺の五百羅漢像 09:09
66番雲辺寺の五百羅漢像 09:11
66番雲辺寺の五百羅漢像 09:11
66番雲辺寺の五百羅漢像 09:12
66番雲辺寺の五百羅漢像 09:12
尾根に出てしばらくで徳島と香川の県境に出て別格16番萩原寺/67番大興寺へんろ道の起点 09:14
別格16番萩原寺/67番大興寺へんろ道 09:14
香川に入って別格16番萩原寺/67番大興寺へんろ道にて 09:18
別格16番萩原寺/67番大興寺へんろ道の分岐 09:18
別格16番萩原寺/ロープウエー駅は左へ
別格16番萩原寺/67番大興寺へんろ道の分岐 09:18
別格16番萩原寺/67番大興寺へんろ道の分岐 09:18
67番大興寺は右へ
別格16番萩原寺へんろ道 09:57
雲辺寺ロープウエー登山口駅へ近く成ってきました 10:12
雲辺寺ロープウエー登山口駅 10:15
雲辺寺ロープウエー駅登山口まで下ってきました 10:16
奥野農道標識、下りは左へ 10:17
奥野農道沿道 10:27
奥野農道沿道 10:35
内野々付近でみた桜は見事でした 10:44
内野々付近でみた桜は見事でした 10:44
内野々付近でみた桜は絨毯のように見事でした 10:47
奥野農道一方通行合流点 10:54
大谷池のほとりに立つ別格16番萩原寺標識 10:54
☆☆
平成25年4月3日(水)
番外別格16番萩原寺 ( Kyougouzan Hagiwaraji, Ex. 16th of Shikoku 88 )
H80m
番外別格第16番札所 巨鼇山 萩原寺 (きょごうざん はぎわらじ)
本尊 伽羅陀山火伏地蔵菩薩(からださんひぶせじぞうぼさつ 弘法大師作)
真言 「おん かかか びさんまえ そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗大覚寺派
御詠歌 尊くも 火伏をちかふ 地蔵尊 はぎの御山に 世を求ふらむ
所在地 香川県観音寺市大野原町萩原2742
☆ 略縁起、地蔵院と号し平城帝の大同二年弘法大師の開創であり、朱雀天皇勅願談議所であった。不動明王は大師ご自身で霊験古今に顕著である。のちには細川勝元公の祈願所にもなる。往古には伊予、阿波、讃岐に多数の末寺を有した。六法憲深方一流の本山としての法灯が伝わり温座護摩は有名である。また、急就章、法華曼陀羅図、銅水瓶、金銅塔鈴、金銅割五鈷杵など寺宝も多く保存されている。県指定自然記念物の萩があり「萩」の名所として広く知られている。なお、当寺の弁財天は女菩薩・女神にして仏説如意陀羅尼経に無量却より以来大慈大悲を修習して一切衆生のために大良福田となると、慈悲福徳学芸才能の女仏女神として広く思慕敬愛せられております。案内・地図、観音寺駅よりタクシーで10〜15分。車の場合、高松自動車道・大野原ICより標識に従って五分。普通車100台、バス50台駐車可。☆ (四国ネットより)
別格16番萩原寺境内図 10:57
別格16番萩原寺の参道で小僧さん人形がお出迎え 10:57
別格16番萩原寺の山門 10:58
別格16番萩原寺の本堂 11:10
別格16番萩原寺の本堂 11:11
別格16番萩原寺本堂前の境内 11:11
別格16番萩原寺の手水舎と鐘楼 11:11
別格16番萩原寺本堂前の萩の株から新芽が出ていた 11:11
別格16番萩原寺の境内 11:12
別格16番萩原寺の本堂前 11:12
本堂から山門へ下る 11:12
別格16番萩原寺の大師堂は山門を出て右 11:13
別格16番萩原寺の大師堂 11:13
別格16番萩原寺の山門 11:21
別格16番萩原寺の大師堂 11:21
別格16番萩原寺の本坊客殿 11:21
別格16番萩原寺前に67番大興寺への道路標識 11:34
別格16番萩原寺を後に県道241号/240号から左へン道を入り67番太興寺へ 11:34
大原自治会館前 12:48
小松尾寺(67番太興寺)道しるべ 12:49
民家よこの坂道を上る 12:49
大原自治会館から上ってきました 12:50
67番太興寺道しるべ 12:53
民宿おおひらに出たら右へ67番大興寺は山門から入るようにと民宿岡田で聞いていたが間違えて、おおひらを左へ歩き客殿と方丈の間を金仏地蔵から境内へ入った(間違いです)12:55
☆☆
平成25年4月3日
67番大興寺 ( Komatsuozan Daikouji, 67th of Shikoku 88 )
H76m
第67番 小松尾山 大興寺 (こまつおざん だいこうじ)
本尊 薬師如来 (やくしにょらい 伝、弘法大師作)
真言 「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗善通寺派
御詠歌 うゑおきし こまつをでら ながむれば のりのおしへの かぜぞふきぬる
所在地 香川県三豊市山本町辻字小松尾4209番地
☆ 縁起によれば、弘仁十三年(八二二)嵯峨天皇の勅命で弘法大師が熊野三所権現鏡護の霊場として開創し、ご本尊の薬師如来を彫刻して安置された。後に真言、天台の二宗によって管理され、真言が二十四坊、天台は十二坊あって本堂の左右に真言、天台の大師堂があった。その後天正の兵火で本堂を残して他の堂塔を焼失し、現存の建物は慶長年間に再建されたもの。雲辺寺から約十二㌔下って、仁王門より、大師お手植えの楠と榧の老樹を見ながら石段を登ると正面の本堂へ達する。かつて東大寺の末寺に属し台密二教の道場として栄えたがその面影はない。しかし現存の諸堂はいずれも修築し整備されている。仁王門は八百屋お七の父か恋人の吉三のいずれかが、お七の菩提を弔うために遍路となり、その途中に寄進したとも伝えられる。寺の名は大興寺だが、地元の人や遍路は山号にちなんで小松尾寺と親しみよんでいる。☆ (四国ネットより)
67番大興寺池中島に立つ金仏地蔵 13:00
67番大興寺池中島に立つ金仏地蔵 13:00
67番大興寺の本堂 13:00
67番大興寺の本堂右手に天台大師堂 13:00
67番大興寺の鐘楼 13:01
67番大興寺の本堂 13:01
67番大興寺の手水舎 13:01
67番大興寺の本堂 13:02
67番大興寺本堂前に三鈷の松 13:02
67番大興寺の手水舎と三鈷の松 13:02
67番大興寺の境内 13:31
67番大興寺の本堂 13:31
67番大興寺本堂前の三鈷の松 13:31
67番大興寺の山門へ下る 13:32
67番大興寺山門からの石段 13:33
67番大興寺の山門 13:33
67番大興寺山門からの参道石段 13:33
67番大興寺の山門 13:34
67番大興寺前 13:34
67番大興寺前の地蔵 13:35
歩き遍路は左へ行くと間違いない
車遍路用の道路標識 13:36
車遍路用の道路標識の所から67番大興寺の山門 13:36
県道377号線手前の車遍路用の道路標識(右)歩きは小さなマークがある(左) 13:51 この時見落として車遍路用標識へと歩いてしまった。この道標につられて歩いたが377号線(銭形くんの石像)で歩き遍路は左へ歩くこと377号線を車用道路標識に従うと大きく迂回して遠回りとなります
民宿岡田で見間違わないようにと指摘されていた銭型くんのへんろ石の指す方向が変?結局間違って三豊市山本の県道6号線にある山本郵便局、スーパーマルナカへ遠回りした。スーパーマルナカまで来て逆方向へ歩いている事に気が付きとりあえず腹ごしらえの買物はランチパック、ぶどうパン、野菜サラダパック、ミルクの420円レジを済ませベンチでお昼としました。昼食後地元の人に観音寺市内方向へ歩く道を聞き西へと歩いたがなかなか遍路マークが見当たらない。県道6号線を一ノ谷池、池之尻、高速道路をくぐり、西へと歩く 13:53
マルナカからは県道6号線を観音寺へ JR予讃線を越えしばらくしてやっと遍路小屋銭形を見つけ 68番神恵院/69番観音寺3.7km とありほっとして一息 15:29
遍路小屋銭形 15:29
遍路小屋銭形 15:29
☆☆
平成25年4月3日(水)
68番神恵院 ( Shippouzan Jinenji, 68th of shikoku 88 )
H18m
第68番札所 七宝山 神恵院 (しっぽうざん じんねじ)
本尊 阿弥陀如来 (あみだにょらい 伝、弘法大師作)
真言 「おん ありみた ていぜい から うん」
開基 日証上人
宗派 真言宗大覚寺派
御詠歌 ふゑのねも まつふくかぜも ことひくも うたぶもまふも のりのこえごえ
所在地 香川県観音寺市八幡町1丁目2番7号
☆ 観音寺市へ入り、財田川を渡ると琴弾山(五八・六㍍)の麓。それから中腹へと石段がつづいている。神恵院と次の六十九番観音寺は同一境内にある。文武天皇のころ、法相宗の日証上人が山頂に草庵を結んで修行していたとき、海のかなたに神船が浮んで琴の音が聞こえ、宇佐八幡のおつげがあり、その神船と琴をひきあげて山頂にまつった。この神船は神功皇后ゆかりのある船なので皇后の像も合祀し、大宝三年(七〇三)八幡の本地仏である阿弥陀如来の尊像を安置した。養老六年(七二二)には行基菩薩が巡錫し、後に弘法大師もこの地に巡錫して阿弥陀如来の尊像を描いて本尊とし六十八番の霊場に定め、寺号を琴弾山神恵院と名づけた。明治の神仏分離で八幡宮に安置の阿弥陀如来は観音寺の境内に移遷され、琴弾八幡宮と神恵院に分離し、それぞれ独立して神恵院は観音寺と同居のかたちをとり、本堂、大師堂は一段高いところに移建した。☆ (四国ネットより)
☆☆
平成25年4月3日(水)
69番観音寺 ( Shippouzan Kannonji, 69th of Shikoku 88 )
H17m
第69番札所 七宝山 観音寺 (しっぽうざん かんのんじ)m
本尊 聖観世音菩薩 (せいかんぜおんぼさつ)
真言 「おん あろりきゃ そわか」
開基 日証上人
宗派 真言宗大覚寺派
御詠歌 かんのんの だいひのちから つよければ おもきつみをも ひきあげてたべ
所在地 香川県観音寺市八幡町1丁目2番7号
☆ 寺伝によれば、大師は神恵院を霊場に定めた時、神功皇后は観世音の生まれかわりとして聖観世音菩薩の尊像を刻まれ、山の中腹に七宝山観音寺を創建して尊像を安置し、八幡宮の別当寺として六十九番の霊場に定めた。仁王門を入った右に本堂(金堂)がある。文明四年から大永五年(一四七二〜一五二五)の間に大修復し、昭和三十四年にも解体修理して、重要文化財に指定されている。観音寺の伽藍配置は奈良興福寺の東西金堂、中本堂の制にならっており、中本堂には聖観世音、西金堂には薬師如来と十二神像、東金堂には弥勒菩薩を安置していた。現在は西金堂に神恵院があり、薬師如来は本堂に奉安されている。大師堂は神恵院への石段の登り口にある愛染堂に隣接し、庫裡では一山二ヵ寺分の納経朱印を扱っている。ところで本尊厨子の裏板には、貞和三年(一三四七)常州下妻の僧の落書があり、このころ下妻(茨城)から四国遍路に訪れていることが知られる。☆ (四国ネットより)
稲積橋を渡り68番神恵院、69番観音寺の山門に到着 16:04
68番神恵院の大師堂 16:38
69番観音寺の大師堂 16:39
68番神恵院の本堂 16:39
68番神恵院の大師堂 16:39
68番神恵院/69番観音寺の鐘楼 16:39
69番観音寺の本堂 16:39
69番観音寺の本堂 16:39
石段上は69番観音寺の薬師堂 16:40
69番観音寺の大師堂と境内 16:40
69番観音寺の大師堂 16:40
68番神恵院/69番観音寺山門からの石段を上がった処 16:41
68番神恵院/69番観音寺の境内 16:41
68番神恵院/69番観音寺の納経所 16:44 閉門ぎりぎりセーフで納経できました。納経所で「雲辺寺から歩いて来たんですが遍路中一番寒かったです」と話すと「毎年大興寺本堂で法事があり今日昼に読経し行ってきました、いつもは暑い位に感じるが今日は寒かったので山の上の雲辺寺はもっと寒かったでしょう」 と納得してもらえた
68番神恵院の大師堂前に咲く白い花 16:44
68番神恵院の大師堂前の花は枝垂れ桃かな? 16:44
大師堂前の花は枝垂れ桃かな? 16:45
69番観音寺の大師堂前の大楠 16:47
68番神恵院/69番観音寺の山門から観音寺市内へ 16:48
68番神恵院/69番観音寺の山門下から 16:49
財田川の県道21号線にある70番本山路寺の標識を確認 16:54
財田川と観音寺市街 17:00
財田川を三袈橋で渡って藤川旅館へ歩く 17:00
財田川の三袈橋からの県道21号線 17:01
藤川旅館に到着 17:05
藤川旅館 17:05
藤川旅館 17:05 藤川旅館ではカウンターのザルに 「寛永通宝」 あの銭形平次の投げ銭があり御自由にどうぞと書いてあった。旅館のおかみさんに 「これ本物ですか?」と聞くと「ええみな本物ですよそこのは状態が良くないのでこれをどうぞ」と袋炒りを頂きよい記念となりました。
これがその寛永通宝
藤川旅館で頂いた本物の寛永通宝
部屋に入り荷物を置いてから川向こう寺よりのスーパーマルナカへ履物を借りて買物に行った 18:06
買い物を終えて藤川旅館へ帰る三袈橋の手前 18:07
財田川の三袈橋 18:08
財田川 18:08
70番本山寺の方向 18:08
明朝はこの県道21号線を70番本山寺へ歩く 18:08
琴弾八幡宮の鳥居 18:08
琴弾公園口、砂浜に銭形のある琴弾公園を訪れるには時間的に問題で諦めた 18:08
観音寺の藤川旅館の夕食 18:20 大きなサザエが3個もついており満足しました。翌朝は早発ちしたいので朝食抜きで宿泊代金の支払を済ませておいた。