一宿寺から太龍寺 かも道

Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20
「かも道」を紹介する為に阿南市の広報(2012年11月1日)あなん11月号(652)
より抜粋し載せました。(○市広報とWebで検索し閲覧が出来ます)
記事に有る一宿寺の住所は 徳島県阿南市加茂町宿居谷5
(連絡先0884-25-0107) 一宿寺は阿南七薬師霊場の第一番です。
Webで遍路地図を検索していると周辺地図が見つかりました。

http://arukihenro.shikisokuzekuu.net/99_blank003.html

鶴林寺太龍寺付近の遍路道地図が見付かりましたそれを紹介します。

直接アクセスすると鮮明な地図を見ることが出来ますご利用ください。


 


 弘法大師空海ゆかりの道として無数の人々が踏みしめてきた遍路道
なかでも、第20番札所「太龍寺」へ通じる「かも道」は、最も古い遍路道として
知られています。
手付かずの自然が残る古道には、数々の歴史的文化的遺産が現存し、
太龍寺山系で採掘された大理石は、国家的近代建築物に使用されていました。
国史跡の追加指定、さらには世界遺産登録に向けた動きが高まるなか、
こうした遺産をどう守り、未来へ受け継いでいけばいいのか。
「かも道」の魅力に触れながら考えてみたいと思います。
四国最古の遍路道
 太龍寺山のふもと、加茂町の一宿寺から太龍寺仁王門に至る約4・4kmの古道を
「かも道」といいます。
その呼称は、本道と若杉集落から太龍寺へ向かう太龍寺道(遍路道)との交差地点に立つ
道しるべの刻銘や、太龍寺所蔵の絵図等に残された記述からそう呼ばれています。

 寛永18年(1641年)頃の阿波国大絵図には、加茂村から太龍寺まで尾根伝いに
延びる道筋として赤道で描かれています。また、四国遍路の元祖といわれている江戸時代の
僧侶、宥弁真念の「四国遍路道みちしるべ指南(1687年)」には、「これより太龍寺まで
一里半、道ハちかミチなり。大師御行脚のすぢハ加茂村、其ほどニ里、旧跡も有。」とあり、
加茂村から太龍寺へ通じる「かも道」が参道であったことがわかります。
その道沿いには南北朝時代(1336〜1392年)に立てられた丁(町)石と呼ばれる
標石があり、四国遍路が定着する以前からの古道であることを裏付けています。
こうした丁(町)石が遺存しているのは、1400kmに及ぶ四国遍路道のうち「鶴林寺道」と
「かも道」の2カ所だけで、最も古い遍路道といえるでしょう。
かも道を歩く 「かも道」は、急峻な坂道となだらかな道が交互に続く山道。かつて、
空海太龍寺に修行に訪れた際に通ったとされ、多くのお遍路さんが大師の足跡をたどりまた。
手付かずの自然が残る古道には原生林が生い茂り、四季折々で表情を変えます。
自然の営みを肌で感じながら散策できるのも魅力の一つといえます。

 「かも道」を歩いていると、実にさまざまな史跡に出会います。
一宿寺から太龍寺仁王門までの距離を示した丁(町)石、西国三十三観音菩薩像を祭った
石いし室むろ、遍路途中で病気や行き倒れで亡くなった人を祭った遍路墓や弘法大師坐像など
の石造物が点在し、道の歴史をたどることができます。
 平成22年度に阿南市が行った測量調査では、丁(町)石19基(内11基が県指定史跡、
7基が市指定史跡)、石室22基が確認されています。

なかでも、丁(町)石はその石材からも特に貴重とされ、徳島大学大学院の石田啓祐教授の調査
では、現在の神戸市東灘区御影町の北に位置する六甲山地で産出された本家本元の「御影石
が使われていることがわかりました。風雨に強い良質の御影石は、数百年にわたりお遍路さん
の道しるべになってきたのです。

 一宿寺から1・5kmほど登った所に弘法大師坐像が据えられています。
その側面には「文化乙きのと丑うし(1805年)十一月廾一日 小延村 智海」とあり、
寛永通宝(江戸時代のお金)が置かれています。江戸時代の人々も大師の足跡を追体験して
いたのでしょう。そんな歴史ロマンに思いを馳せながら、一路、太龍寺をめざします。
 途中、一行は石灰岩の採掘場跡で腰を下ろしました。
岩山に立つと、そこからは、幾重にも
重なる稜線の東方に、青く輝く紀伊水道が見えました。夜には満天の星空が頭上に降りそそぐ
見晴らしのいい場所です。
これこそが若き日の空海が見たのと同じ景色。空海は、太龍寺室戸岬で修行を積んだ後、
22歳の時に幼名「真ま魚な」を「空海」と改名しています。
一説に、空海の「空」という字は太龍寺での修行の際に思いついたとされ、この雄大な景色と
名前の由来が重なります。「空」と「海」、何て大きな名前なのでしょうか
旅路に興を添える 「地域伝説」
 若き日の空海が山河を巡って修行を積んだ四国遍路の道々には、今も色あせない大師ゆかり
のさまざまな伝説が語り継がれています。「加茂谷村史」には、杖をひと突きして鶴林寺まで
飛んでいった伝説が、また、「阿州奇事雑話」には、土地の人々の作物を荒らす竜を法力で
窟いわや(石灰岩の鍾乳洞)に閉じ込めた〝竜の窟伝説〟が記されています。崩れ落ちてきた
岩を拳一つで受け止めたという伝説は、地元で語り継がれてきました。いずれも空海にまつわる
話ですが、現実離れしていて逆に興味を掻き立てられます。
「加茂谷村史」には、太龍寺山山頂に向かって岩が少しずつ動いて、山頂に到達すると地球が
泥海に沈んでしまうという〝にじり石伝説〟も残されています。こうした逸話の起源は定かでは
ありませんが、地域伝説が古道の旅に興を添えてくれます