四国88箇所 🚙 43 国分寺 横峯寺 

四国88箇所車遍路 🚙 43 国分寺 横峯寺

Shikoku pilgrimage 88
2014-10-31
59番国分寺  ( Kinkouzan Kokubunji, 59th of Shikoku pilgrimage 88 ) 
Above sea level 17m
第59番札所 金光山 国分寺 (きんこうざん こくぶんじ)
本尊  薬師瑠璃光如来 (やくしるりこうにょらい 伝、行基菩薩)
真言  「おん ころころ せんだりまとうぎ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言律宗
御詠歌 しゅごのため たててあがむる こくぶんじ いよいよめぐむ やくしなりけり
所在地 愛媛県今治市国分4-1-33
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☆ 創建当初の規模からすれば現在の寺域は縮少されているが、本堂を中心に大師堂、金毘羅堂など整備されて建ち並んでいる。ご本尊は薬師如来(重文)天平十三年(七四一)聖武天皇の勅願によって行基菩薩が開創し、七堂伽藍は整備されて諸国の国分寺にくらべ豪壮なかまえであった。第三世智法律師のときに弘法大師が長く留まって五大尊の絵像一幅を残し、真如も二ヵ年滞留し、法華経の一部を染筆して残した。その後三度の戦火にあいながら、いずれも国主などの力によってまもなく復興された。しかし天正十二年(一五八四)の戦火で四たび堂塔を焼失してからは、経済的な支援者がなく、その後は復旧せず茅華の小堂が建っているのみだったが、寛政元年(一七八九)恵光上人が金堂(本堂)を建立し、その後、諸堂が再建された。書院の展示室には、奈良時代から平安時代初期にかけての鐙瓦や字瓦が保管されている。近くに七重塔の礎石がある。☆ (四国ネットより)

58番仙遊寺から打戻り右折直進気味で155号エネオスGSを左へ(手打ちうどん屋、うどんの里やまびこ本店は196号までにある、うどん屋から59番国分寺へは車で9分ほどです )196号と線路を越え喫茶なかば右折156で59番駐車場は門前

59番国分寺の参道石段、駐車場は手前左側に有ります

59番国分寺の石段上

石段を上がって右側に鐘楼

境内右手の神社

59番国分寺の本堂、大師堂と握手修行大師石像

59番国分寺の握手修行大師がお出迎え

59番国分寺の大師堂と握手修行大師

59番国分寺の握手修行大師と握手

59番国分寺の本堂と大師堂

59番国分寺の境内

59番国分寺の境内

59番国分寺の本堂、大師堂

59番国分寺の大師堂

59番国分寺の境内

59番国分寺の納経、墨書き御朱印と開創1200年記念スタンプ Osamekei of Kokubunji with the retractor 1200 Memorial special stamp.

59番国分寺の本尊御影 Principal image card of Kokubunji temple is usually black and white. The red card is the retractor 1200 Memorial special.

☆☆
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2016 逆打ちくるま遍路記事はこちらから 
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☆☆

Shikoku pilgrimage 88
2014-10-31
60番横峰寺  ( Ishizuchisan Yokomineji, 60th of Shikoku pilgrimage 88 ) 
Above sea level 750m
第60番札所 石鉄山 横峰寺 (いしづちさん よこみねじ)
本尊  大日如来 (だしにちにょらい 伝、行基菩薩作)
真言  「おん あびらうんけん ばざら だどばん」
開基  役の行者小角
宗派  真言宗御室派
御詠歌 たてよこに みねややまべに てらたてて あまねくひとを すくふものかな
所在地 愛媛県西条市小松町石鎚甲2253
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☆ 昔から難所のひとつに数えられ、近年林道が開通し、境内近くまで自動車が入れるようになったけれど、今もここだけは歩くという遍路も多い。五十九番からは湯浪より登る。谷川沿いの山路だが、やがて勾配の急な狭い道になる。一方、石鎚農協前からは道巾も広く歩きやすいが、急勾配の坂道で二.五㌔登ったところに小堂があり、さらに五百㍍登れば頂上の星ガ森(海抜八百メートル)。石鎚山(一九八二㍍)の西の遥拝所になっており、石鎚山のながめはすばらしい。横峰寺へはここから五百㍍下る。仁王門を入ると右に権現造りの本堂がある。白雉二年(六五一)役行者小角が星ガ森で練行中に石鎚山項に蔵王権現が元現した。そこで小角はその尊像を刻み小堂を建立して安置した。弘法大師はこの地で星供を修され、石鎚山へ二十一日間日参された。結願の日再度蔵王権現が示現したので大師は当山を霊山と思われ、大日如来を刻み本尊とし、霊場に定めた。☆ (四国ネットより)

156号桜井小/中横から196号今治バイパス小松の伊予小松北で11号T左折、氷見から60番へとこの地図のように走行予定であったが、伊予小松JCTまで行ってしまい降り口が無く結果として伊予西条まで行って折り返し伊予小松JCTで降りた、このジャンクションは不便なジャンクションである、国分寺方面からだと伊予小松北ICで高速から下りないと小松JCTから11号にはでられないのです。後からGoogleマップを拡大してみると今治小松自動車道から松山自動車道に入ってしまった場合は松山自動車道の小松JCTからすぐの石鎚SAで小松オートキャンプ場経由でユーターンでき小松JCTから11号に下りれることを見つけました。

60番横峰寺の山門、横峯寺の駐車場は山上にあり境内まではだいぶ下ります。本来入山する山門は境内の下にあり一度境内を抜けて山門から入山しました。空海ゆかりの石鎚山遙拝所のある星が森へは山門を出たところから行けますが今回は時間の関係上行きませんでした。

60番横峰寺山門梁と欄間の彫物

60番横峰寺山門の仁王像

60番横峰寺山門の仁王像

60番横峰寺の手水舎と石段

60番横峰寺の手水舎に咲くピンクのユキノシタ

60番横峰寺本堂への石段

60番横峰寺の鐘楼

60番横峰寺の本堂

60番横峰寺の大師堂で左は歓喜天

地蔵尊

星供大師像

60番横峰寺歓喜天堂からの境内

60番横峰寺の左から歓喜天堂、お遍路さんがお参りしている大師堂と右端には地蔵尊

60番横峰寺の納経、墨書き御朱印と開創1200年記念スタンプ Osamekei of Yokomineji with the retractor 1200 Memorial special stamp.

60番横峰寺の本尊御影 Principal image card of Yokomineji temple is usually black and white. The red card is the retractor 1200 Memorial special.

☆☆
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湯之谷温泉  〒793-0053 愛媛県西条市洲之内甲1193 TEL(0897)55-2135

横峯時から有料道路を下って黒瀬湖から左折して上ってきた142号を下り11号を右折予定であったが、行き過ぎて12号を下って11号を左折し湯之谷温泉まで車で走行した。

湯之谷温泉
湯之谷温泉の歴史は相当古く、西暦600年代半ば斉明天皇が入湯されたという伝説が残っています。 斉明天皇の在位は642年〜661年。天保13年に西条藩が編述した 『西条誌』 によると、安永年間(1772〜1781)、西条藩奉行 竹内立左衛門(たけのうち りゅうざえもん)が、「湯之谷と称する処に自噴する泉水を霊泉水として加温し、湯治に利用した。」また、文化年間(1804〜1818)『西泉村の医師 徳永禎助が屋舎を建て病客を引き治療に用いた』と書かれています。 (湯之谷温泉HPより)

湯之谷温泉
敷地内で自然湧出している源泉なので、鮮度は抜群。この新鮮な源泉を100%使用したかけ流しの温泉です。浴室内は、湯・水・あがり湯・水風呂等全て源泉です。また、薪で沸かしているため、よりいっそう肌触りも柔らかくさらに湯冷めもしにくくなっており温泉は薪で沸かしているためかすごく温まりました。源泉の冷泉風呂もあります湯上りに浸かると湯あたりはふせげるでしょう。

湯之谷温泉の部屋

夕食の膳スタート

オードブル

刺身

天ぷら

焼物

酢の物

御飯、香の物、つみれすまし汁

デザート

湯之谷温泉の食堂内部

湯之谷温泉の食堂座敷

11月1日の朝食。
湯之谷温泉の宿泊、6帖和室二人お遍路価格19700円はお遍路にとってはちょっとしたぜいたくでした。