あるき遍路 ☜ 🚶 <追加> 53 生木地蔵~延命寺

88箇所四国歩き遍路 ☜ 🚶 <追加> 53  88箇所 写ログ

88箇所四国歩き遍路1〜43で紹介してない写真を逆順に載せてゆきます
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20, BACK TO THE ICHIBAN

☆☆
番外別格11番生木地蔵 ⇒ 番外別格10番興隆寺 ⇒ 番外霊場臼井御来迎 ⇒ 59番国分寺 ⇒ 58番仙遊寺 ⇒ 57番栄福寺 ⇒ 56番泰山寺 ⇒ 55番南光坊 ⇒ 54番延命寺
☆☆


3月29日
番外別格11番生木地蔵 ( Ikikijizan Shozenji, Ex. 11th of Shikoku 88 )
H27m
番外別格11番札所 生木地蔵 (いききじぞう)(生木山正善寺 いききざんしょうぜんじ)
本尊  生木地蔵尊 (いききじぞうそん)
真言  「おん かかか びさんまえい そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 一夜にて 願いを立つる みこころは 幾代かはらぬ 楠のみどりば
☆ 略縁起、生木地蔵(生木山生善寺)はその昔より生木のお地蔵さまと呼び古さてていまして、その名も高く青葉しげる楠の木にそのままおきざみおかれたるお地蔵さまであります。それゆえ生木のお地蔵さまと申すのであります。その御縁起を窺い見まするに、わが高祖弘法大師が一切衆生済度のために、この四国八十八カ所の御霊場を開かれんと山々谷々までも経巡られましてはしなくも当地四尾山の麓に一夜の偕寝されました。その夜の御事、この山に輝光を観得せられ暁に至っては紫雲たなびくと共に世にも目出度き楠の大木を御覧ぜられました。また殊勝の童子示現せられ、御霊告あり、御仏、「童子の化身を以て我に示し給う。」とお大師様は、三拝せられて、その夜この楠の大木に一刀三禮しの御霊刀をふるわれ、延命地蔵大菩薩の御尊像をお彫刻なされましたが、早や暁、雲水を以て閼水となし開眼の秘事も済むまされそのままこの所をお立ち遊ばれました。これがわがお大師様が一夜の中にお彫刻なされました海内随一の生木のお地蔵さまであります。昭和二十九年九月二十六日洞爺丸台風の烈風にて楠の御霊木は根元より倒れましたが、お大師様御自作のお地蔵さまは倒れず、昔日のお姿のまま御安泰で御座りいます。案内・地図、JR予讃線壬生川駅より湯谷口行バスにて「生木前」下車すぐ。または壬生川駅よりタクシーで10分。車の場合は、国道11号線小松町大頭の信号より約5分。普通車10台、バス2台駐車可。☆ (四国ネットより)

番外別格11番生木地蔵の境内 15:04 29.03.2013 Precincts of the bekkaku Ikiki-Zizo temple

番外別格11番生木地蔵はこの中に彫られていた 15:03 29.03.2013 Jizo had been carved in this tree

番外別格11番生木地蔵は現在本堂内 15:03 29.03.2013 Now Zizo sit inside of Main hall of the Ikiki-Zizo temple

番外別格11番生木地蔵の本堂は右 14:45 29.03.2013 Precincts of the bekkaku Ikiki-Zizo temple

番外別格11番生木地蔵の本堂は正面で大師堂は右隣 14:45 29.03.2013 Precincts of the bekkaku Ikiki-Zizo temple
☆☆


3月29日
番外別格10番興隆寺 ( Nishiyama Koryuji, Ex. 10th of Shikoku 88 )
H263m
番外別格10番札所 西山 興隆寺 (にしやま こうりゅうじ) 
本尊  千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)
真言  「おん ばさら たまら きりく」
開基  空鉢上人
宗派  真言宗醍醐派
御詠歌 みほとけの のりのみやまの のりのみず ながれもきよく みゆるぎのはし
☆ 略縁起、当寺は人皇第三十五代皇極帝の御代(642年)空鉢上人によって開創以来、行基菩薩、報恩大師、弘法大師の御入山があり、歴代の皇室、武将、藩主並に地方信仰者の崇敬厚かった。数多くの国指定、県指定の文化財があり、当寺の伝統ある歴史を物語っている。広い境内には西山四国八十八カ所・三重塔の展望、みゆるぎの渓流、紅葉参道、不動の滝、お冠の展望等あり、名勝に指定されている。山菜精進料理(予約)と湯豆腐(予約)が名物である。
●国指定重要有形文化財 本堂・銅鐘・石造宝篋印塔・棟札二枚
●県指定有形文化財 銅像如来立像・興隆寺文書・名勝西山
●町指定有形文化財 三重塔・宝篋印塔・コウヨウザン(広葉杉)・熊谷椿
案内・地図、JR壬生川駅下車、タクシーにて約十五分、山門前に至る。車の場合は、松山自動車道・いよ小松インターより国道11号線、大頭の信号を北上、または国道196号線より壬生川駅付近で産業道路に入り西に入る(いずれも標識あり)。普通車200台、バス20台駐車可。☆ (四国ネットより)

番外別格10番興隆寺の墓地入り口の六角堂  14:10 29.03.2013 Hexagonal hall

番外別格10番興隆寺の境内 13:49 29.03.2013 Precincts of the bekkaku Nishiyama Koryuji temple

番外別格10番興隆寺の境内 13:47 29.03.2013 Precincts of the bekkaku Nishiyama Koryuji temple

番外別格10番興隆寺の境内 13:46 29.03.2013 Precincts of the bekkaku Nishiyama Koryuji temple

番外別格10番興隆寺の三重塔 13:46 29.03.2013 Three-story pagoda

番外別格10番興隆寺の境内 13:46 29.03.2013 Precincts of the bekkaku Nishiyama Koryuji temple

番外別格10番興隆寺納経所の門 13:27 29.03.2013 Gate way to the Nokyosho

番外別格10番興隆寺の参道下り道 13:26 29.03.2013 Down approach road Koryuji

番外別格10番興隆寺の参道 13:23 29.03.2013 Approach road Koryuji
☆☆


3月29日
番外霊場臼井御来迎 ( Usuigoraigou )
H9m
本尊  弘法大師

番外霊場臼井御来迎 11:23 29.03.2013 Bangai Usui-Goraigo

番外霊場臼井御来迎 11:23 29.03.2013 弘法大師が老婆の願いにより臼の中から水を湧かせたと言うところ Bangai of the spring water from the mortar by Kobo
☆☆


3月29日
59番国分寺 ( Kinkouzan Kokubunji, 59th of Shikoku 88 )
H17m
第59番札所 金光山 国分寺 (きんこうざん こくぶんじ)
本尊  薬師瑠璃光如来 (やくしるりこうにょらい 伝、行基菩薩)
真言  「おん ころころ せんだりまとうぎ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言律宗
御詠歌 しゅごのため たててあがむる こくぶんじ いよいよめぐむ やくしなりけり
↖  59番国分寺(コクブンジ)境内図

☆ 創建当初の規模からすれば現在の寺域は縮少されているが、本堂を中心に大師堂、金毘羅堂など整備されて建ち並んでいる。ご本尊は薬師如来(重文)天平十三年(七四一)聖武天皇の勅願によって行基菩薩が開創し、七堂伽藍は整備されて諸国の国分寺にくらべ豪壮なかまえであった。第三世智法律師のときに弘法大師が長く留まって五大尊の絵像一幅を残し、真如も二ヵ年滞留し、法華経の一部を染筆して残した。その後三度の戦火にあいながら、いずれも国主などの力によってまもなく復興された。しかし天正十二年(一五八四)の戦火で四たび堂塔を焼失してからは、経済的な支援者がなく、その後は復旧せず茅華の小堂が建っているのみだったが、寛政元年(一七八九)恵光上人が金堂(本堂)を建立し、その後、諸堂が再建された。書院の展示室には、奈良時代から平安時代初期にかけての鐙瓦や字瓦が保管されている。近くに七重塔の礎石がある。☆ (四国ネットより)

59番国分寺の本堂(左)と大師堂 09:07 29.03.2013 Main hall and Daishi hall of the Kokubunji temple

59番国分寺地蔵尊 08:52 29.03.2013 Zizo of the Kokubunji temple

59番国分寺の手水 08:52 29.03.2013 Chozu of the Kokubunji temple

59番国分寺の桜 08:38 29.03.2013 Cherry tree of the Kokubunji temple

59番国分寺の桜の下で  08:37 29.03.2013 Cherry tree of the Kokubunji temple

59番国分寺の石段で  08:36 29.03.2013 Stone steps of Kokubunji

59番国分寺の石段下  08:35 29.03.2013 Entrance of Kokubunji
☆☆


3月28日
58番仙遊寺 ( Sareizan Senyuji, 58th of Shikoku 88 )
H252m
第58番札所 作礼山 仙遊寺 (されいざん せんゆうじ)
本尊  千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)
真言  「おん ばざら たらまきりく そわか」
開基  越智守興
宗派  真言宗高野派
御詠歌 たちよりて されいのどうに やすみつつ ろくじをとなへ きゃうをよむべし
↖ 58番仙遊寺(センユウジ)境内図

☆ 仙遊寺は、天智天皇(662〜672)の勅願より創建された。本尊は千手観音。海から上がった竜女が一刀三礼して彫り上げたといわれ、作礼山の名の由来にもなっています。その後、養老2年までの40年間阿坊仙人という僧がここで修行、諸堂の整えたが雲と遊ぶかのように、ある日こつ然と姿がかき消えた。仙人の話は人々の口から口へと伝えられ、いつの間にか寺の名となった。明治時代、宥蓮上人という高僧がこの寺の山主となり、その法力で人々の信仰を進めたが衆生済度の思いをこの世に残すべく、生きながら土中に埋まって入定した。境内にはこの僧の入定塚がある。仙遊寺の参道途中に、弘法大師の御加持水があり、この井戸から湧き出た霊水は、多くの村人を諸病から救ったと伝えられ、いまだに人々の足がたえない。仙遊寺文庫には天皇、諸大名の御文、諸状が多数残されています。☆ (四国ネットより)

58番仙遊寺の本堂  16:11 28.03.2013 Main hall of the Senyuji temple

58番仙遊寺の鐘楼と本堂 15:49 28.03.2013 Bell tower and Main hall of the Senyuji temple

58番仙遊寺「お加持の井戸」井戸は旧参道の脇に中央の小屋根の下にあります 15:41 28.03.2013 The spring water by Kobo

58番仙遊寺「お加持の井戸」井戸は旧参道の脇に残り、多くの諸病を救ったと伝えられ信仰されている。 15:41 28.03.2013 The spring water by Kobo

58番仙遊寺の山門 15:35 28.03.2013 Sanmon of the Senyuji temple
☆☆


3月28日
57番栄福寺 ( Futouzan Eifukuji, 57th of Shikoku 88 )
H41m
第57番札所 府頭山 栄福寺 (ふとうざん えいふくじ)
本尊  阿弥陀如来 (あみだにょらい)
真言  「おん あみりた ていせい からうん」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 このよには ゆみやをまもる やはたなり らいせはひとを すくふみだぶつ
↖  57番栄福寺(エイフクジ)境内図

☆ 府頭山(八幡山)を目指して田圃道を歩み山麓からの急な参道を登る。正面は八幡宮、途中から右へ折れて栄福寺の境内へ入る。明治の神仏分離まで栄福寺は勝岡八幡と称し、神仏が同居していた。縁起によれば、嵯峨大皇の勅願により弘法大師の開創。大師が瀬戸内海を巡錫し、内海の風波海難の平穏を祈って大護摩を修されていると、海上はたちまち穏やかになり、海中より阿弥陀如来を感得し、ご本尊として奉安した。本堂は八幡宮への参道を背にし、他の堂より一段高い所にある。本堂向かって右手に回廊があり、大師堂、薬師堂など諸堂がコの字型に結んでいる。本堂回廊には昭和八年に奉納されたイザリ車と松葉杖がある。奉納者の宮本武正さんは当時十五歳で、巡拝中にこの地で歩けるようになり、感謝のあまりイザリ車を奉納したのである。☆ (四国ネットより)

57番栄福寺の境内 14:58 28.03.2013 Precincts of the Eifukuji temple

57番栄福寺境内の大師像 14:58 28.03.2013 Precincts of the Eifukuji temple
☆☆


3月28日
56番泰山寺 ( Kinrinzan Taisanji, 56th of Shikoku 88 )
17m
第56番札所 金輪山 泰山寺 (きんりんざん たいさんじ)
本尊  地蔵菩薩 (じぞうぼさつ 伝、弘法大師作)
真言  「おん かかかび さんまえい そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗醍醐派
御詠歌 みなひとの まいりてやがて たいさんじ らいせのいんどう たのみおきつつ
↖  56番泰山寺(タイサンジ)境内図

☆ 弘仁六年、弘法大師がこの地を巡錫した時梅雨のため蒼社川の水が氾濫していた。伊之子山(八七二㍍)附近に源を発する蒼社川は、玉川村から今治市の東南を抜けて燧灘へ流れ込んでいる。そのころこの地に伊予の国府があったが、国の力では防ぎようがなく、毎年梅雨期になると川が氾濫して田地や家屋を流し、人命を奪った。農民は恐れ苦しみ、この川を人取川といって悪霊のしわざと信じていた。そこで大師は川原に壇を築き「土砂加持」の秘法を七座厳修された。満願の日にご本尊地蔵菩薩を感得し、祈願成就したので一寺を建立してご本尊を安置し、延命地蔵十大願の第一「女人泰産」から寺名をとられ「泰山寺」とした。後の天長元年(八二四)淳和天皇の勅願所となり、七堂伽藍も完備、塔中十坊を有する大寺となった。しかしたびかさなる兵火で縮少し、山麓の現在地へ移建されるのである。近くに遍路へのサービス機関の同行新聞社がある。 ☆ (四国ネットより)

56番泰山寺の境内 13:53 28.03.2013 Precincts of the Taisanji temple

56番泰山寺の境内 13:53 28.03.2013  Precincts of the Taisanji temple 

56番泰山寺の本堂 13:53 28.03.2013 Main hall of the Taisanji temple
仁王像は本堂右手のカラスの中に鎮座しています

56番泰山寺の納経所 13:48 28.03.2013 Nokyosho
☆☆


3月28日
55番南光坊 ( Betsukuzan Nankoubou, 55th of Shikoku 88 )
H3m
第55番札所 別宮山 南光坊 (べつくざん なんこうぼう) 
本尊  大通知勝如来 (だいつうちしょうにょらい)
真言  「おんまか びじゃな じゃなのう びいぶう そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗醍醐派
御詠歌 このところ みしまにゆめの さめぬれば べつぐうとても おなじすいじやく
↖  55番南光坊(ナンコウボウ)境内図

☆ 今治から船で一時間のところに大三島があり、大山祗神社がある。大宝三年(七〇三)この神社の別宮を越智郡日吉郷に移し、二十四坊あった別当のうち八坊を和銅五年(七一二)との二回にわたって同地へ移した。弘法大師は四国巡錫のとき、別宮に参拝し、坊で法楽をあげて霊地とした。後に天正年間の良曽我部元親の兵火で八坊は焼失し、その中で禄の少ない南光坊のみが再興され、明治の神仏分離まで別宮の法楽所として存続した。この間藤堂高虎今治城修築中に薬師堂を建立し、次の城主久松氏も祈祷所に定めて祭祀料を奉納したという。明治以降は本社本尊である大通智勝仏を移したが、昭和二十年八月の戦災で本堂、薬師堂などを失い、大師堂と護摩堂が残された。近年本堂が再建されている。ご本尊の大通智勝仏は法華経第七化城諭品に説かれており、釈迦如来大通智勝如来の第十六番目の弟子である、と法華経に説かれる。寺には書家、川村驥山の菅笠や筆塚がある。☆ (四国ネットより)

55番南光坊の本堂 11:56 28.03.2013  Main hall of the Nankobo temple

55番南光坊の薬師堂と金毘羅堂 11:46 28.03.2013 Yakushi and Konpira hall of the Nankobo

55番南光坊の大師堂(右)と本堂(正面) 11:39 28.03.2013  Daishi and Main hall of the Nankobo temple

55番南光坊の山門 11:39 28.03.2013 Sanmon of the Nankobo temple

55番南光坊の山門口 11:39 28.03.2013 Entrance ofthe Nankobo temple

55番南光坊の裏 11:37 28.03.2013 The back of the Nankobo temple
☆☆


3月28日
54番延命寺 ( Chikamizan Enmeiji, 54th of Shikoku 88 )
H22m
第54番札所 近見山 延命寺 (ちかみざん えんめいじ) 
本尊  不動明王 (ふどうみょうおう 伝、行基菩薩作)
真言  「のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そはたや
うん たらた かんまん」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 くもりなき かがみのゑんと ながむれば のこさずかげを うつすものかな
↖  54番延命寺(エンメイジ)境内図

☆ 松山から瀬戸内海沿いにたどると、今治の手前六㌔ほどのところに近見山(海抜二四四㍍)がある。いまでは斎灘、燧灘にかこまれた芸予諸島の南半と、来島海峡の全景を展望する絶好の地となっているが、昔この山頂に延命寺があった。寺の創建は行基菩薩が不動明王を刻んで本尊として安置したのにはじまり、後に嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が再興し、近見山円明寺と号した。そのころ七堂伽藍が整い、荘厳をきわめていたが、たびたびの兵火にかかり、そのたびに寺は移転し、天正年間の兵火にあってから山の麓に移建された、明治以降寺名が円明寺から延命寺に改められた、宝永元年(一七〇四)の梵鐘は住職の私財で鋳造したもの。それ以前の梵鐘は戦乱の合図の鐘に使われ夜になると叩かないのに「いぬるいぬる」と鳴くので恐れられた。また、松山城へ持出されそうになって「イヤーン、イヤーン」と鳴くので置き去りにされたという。☆ (四国ネットより)

54番延命寺の茶店 10:50 28.03.2013 Teahouse of Enmeiji Temple

54番延命寺の茶店と納経所(右端) 10:50 28.03.2013 Teahouse and Nokyosho of Enmeiji Temple

54番延命寺の本堂  10:40 28.03.2013 Main hallof the Enmyoji temple

54番延命寺の大師堂 10:40 28.03.2013 Daishi hall of the Enmyoji temple