古いパスポートの記録みてみると、初の渡航先は1967年(昭和42)1月15日、会社の山根常務に同行、アメリカのシカゴ。新大阪駅で見送られ新幹線で東京へ移動「羽田のフライト時間にはまだだいぶある、日本の垢を落として行こうと」、東京駅八重洲地下の東京温泉で初サウナ、「入浴代は払っておくからチップは自分で払うように」と常務のおごりであった、ひと風呂浴び羽田で出国手続きを済ませ乗り込んだノースウエストのDC-8機内はベトナム戦争からの帰還兵でほぼ満員であった。シアトルで乗り継ぎイリノイ州シカゴ向かうのであるが、窓から見えるアメリカ大陸、こんな大国と戦争して勝てるわけがないと感じたのである。シカゴのオヘア空港に無事到着した。常務の渡航目的はシカゴのマコーミックプレイスで開催されるCESと客先回り、私は取引先のELGINでメンテナンス駐在。しかし到着日にシカゴのマコーミックプレイスは火災で焼失したのです、現在はラスベガスで開催されているCES、シカゴのマコーミックプレイス焼失後、しばらくの間、シカゴやニューヨークのホテルを会場に開かれておりました。
3004 West Logan Bouleverdの事務所2階は家主で老女医者のおばあちゃんの住居、1階は会社の事務所兼住居、地下はTRラジオの修理場で、不具合があり返品された製品を裏のガレージから地下へ運び込み修理をした、ELGINの勤めを終えた夜に他の駐在員と修理を行ってきたのである。
シカゴ駐在の次はロスアンジェルスのLLOYD’S駐在であったが、アメリカのあちこちの客先で問題が発生するとそこへ移動し対処してきたのです。あの頃アメリカで一緒に仕事をした人は今どうしているでしょうか?