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88箇所四国歩き遍路1〜43で紹介してない写真を逆順に載せてゆきます
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20, BACK TO THE ICHIBAN

☆☆
44番大宝寺 ⇒ 45番岩屋寺 ⇒ 番外別格8番十夜ヶ橋 ⇒ 番外別格7番出石寺 ⇒ 43番明石寺 ⇒ 42番佛木寺 ⇒ 41番龍光寺 ⇒ 番外別格6番龍光院 ⇒ 40番観自在寺
☆☆


3月25日
44番大宝寺 ( Sugozan Daihouji, 44th of Shikoku 88 )
H560m
第44番札所 菅生山 大宝寺 (すごうざん だいほうじ) 
本尊  十一面観世音菩薩 (じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
真言  「おん まか きゃろにきゃ そわか」
開基  明神右京・隼人
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 いまのよは だいひのめぐみ すがうさん ついにはみだの ちかひをぞまつ
↖  44番大宝寺(ダイホウジ)境内図

☆ 昔から足摺岬金剛福寺に次ぐ約八十㌔の長い旅路で、札掛、下板場、鴇田の三つの大きな峠を越えるもっとも苦しい道中。札所もちょうど半分。遍路にとってまさに峠の寺でもある。久万という老女が大師と出会い、その名が地名となった久万町は、海抜四百九十㍍の高地にあり、大宝寺の境内は樹齢数百年の杉や桧の老樹が林立し、幽寂な空気がただよう。寺は大宝元年(七〇一)に、百済の僧がこの地に草庵を結び十一面観世音を安置したのがはじまりで、後に開削当時の年号にちなみ、大宝寺として創建され、やがて弘法大師霊場に定めた。保元年間に後白河法皇が、元禄年間に住持の雲秀法師がそれぞれ再興し、現存の本堂は大正十四年の再建。寛保や天明の農民一揆の時など、藩主や農民からの信頼はあつく、また寺の権威も高く、そのころ十二坊を有し、隆盛をきわめた。昭和五十九年に大師堂が新築建立された。宿坊で出る心のこもつた精進料理は評判がよい。☆ (四国ネットより)

44番大宝寺の山門 17:14 25.03.2013 Sanmon of the Taihoji temple

44番大宝寺の山門 17:13 25.03.2013 Sanmon of the Taihoji temple

44番大宝寺の山門 17:13 25.03.2013 Sanmon of the Taihoji temple

44番大宝寺境内の観音像 17:11 25.03.2013 Precincts of the Taihoji temple and Kannon

44番大宝寺の境内 17:11 25.03.2013 Precincts of the Taihoji temple

44番大宝寺の境内 17:11 25.03.2013 Precincts of the Taihoji temple

44番大宝寺の手水 17:10 25.03.2013 Chozu
☆☆


3月25日
45番岩屋寺 ( Kaiganzan Iwayaji, 45th of Shikoku 88 )
H670m
第45番札所 海岸山 岩屋寺 (かいがんざん いわやじ)
本尊  不動明王 (ふどうみょうおう 伝、弘法大師作)
真言  「のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そはたや うんたらた かんまん」
開基  弘法大師
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 だいしょうの いのるちからの げにいわや いしのなかにも ごくらくぞある
↖  45番岩屋寺(イワヤジ)境内図

☆ 弘仁六年、弘法大師がこの地を訪れた時、怪岩奇峰の深山に、不思議な神通力をもった法華仙人と称する女がいた。この女は大師に帰依し、一山を献じて大往生をとげた。そこで大師は不動明王の木像と石像の二体を刻まれ、木像は本堂へ、石像は山に封じこめ、山そのものをご本尊不動明王として護摩修法された。そして寺号を海岸山岩屋寺と名づけた。それ以来修行の霊地として法灯は継承され、現存の本堂は昭和二年の再建。 この山には七種の霊鳥が住んでいたことから古くより七鳥という地名でよばれている。山麓から六百㍍急勾配の参道を登る。道中行倒れの遍路の墓もある。本堂は巨大な岩石におおわれている。岩そのものは凝灰岩だがこれが五十あまりそれぞれ空にそびえ、山容は奇怪そのもの。いずれも名称があり本堂左右の岩山は胎蔵界峰、金剛界峰とよばれ、大師の行場は「迫割禅定」と称する岩山。山頂には白山権現がまつられている。平成十九年、一九二〇年再建の大師堂が国の重要文化財に指定された。☆ (四国ネットより)

45番岩屋寺の境内 14:22 25.03.2013 Precincts of the Iwayaji temple 

45番岩屋寺の本堂 14:22 25.03.2013 Main hall of the Iwayaji temple

45番岩屋寺の境内 14:21 25.03.2013 Precincts of the Iwayaji temple 

45番岩屋寺の本堂 14:21 25.03.2013 Main hall of the Iwayaji temple

45番岩屋寺の境内 14:20 25.03.2013 Precincts of the Iwayaji temple 

45番岩屋寺の本堂 14:20 25.03.2013 Main hall of the Iwayaji temple
☆☆


3月24日
番外別格8番十夜ヶ橋 ( Toyogabashi Eitokuji, Ex. 8th of Shikoku 88 )
H11m
番外別格第8番札所 十夜ヶ橋 永徳寺 (とよがばし えいとくじ) 
本尊  弥勒菩薩 (みろくぼさつ)
真言  「おん まいたれいや そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗御室派
御詠歌 ゆきなやむ 浮き世の人を 渡さずば 一夜も十夜の 橋と思ほゆ
☆ 略縁起、今を去ること一千百有余年の昔、弘法大師衆生済度大願のため四国の各地を行脚し給い、当大洲地方をも御巡錫になりました。当時この地方は未開のこととて、村落人家至って少なく且つ農繁期にて、宿るに家なく、途中に日暮れて空腹のまま一夜を小川に架けたる土橋の下に野宿され、夜の明けるのを待ちかね給い、一夜も十夜の長さに感じられました。かかる艱難を受けられるにつけても衆生済度の念願は愈々切なるものとなり、御身の苦しみをば忘れ給い生死の六道に生き悩む衆生をして早く信仰の橋を渡らし、速に常楽の彼岸に至らしめんと大悲の御心をは、生きなやむ 浮き世の人を 渡さずば 一夜も十夜の 橋と思ほう と詠じられ久万菅生山に旅立たれました。それより十夜ヶ橋という名が起こったと伝えられています。又、遍路が橋の上を通る時、杖をつかないという風習はこの話から起こったものです。
案内・地図、JR伊予大洲駅よりバスにて「十夜ヶ橋」下車、またはタクシーにて約5分(伊予大洲駅より七キロ)車の場合は、国道56号線沿い。松山自動車道大洲インター出入り口交差点東20メートル。普通車20台、バス5台駐車可。☆ (四国ネットより)

別格8番十夜ヶ橋の境内 07:47 24.03.2013 Precincts of the Bekkaku Eitokuji temple

別格8番十夜ヶ橋の境内 07:45 24.03.2013 Precincts of the Bekkaku Eitokuji temple
 
別格8番十夜ヶ橋の境内 07:44 24.03.2013 Precincts of the Bekkaku Eitokuji temple
☆☆


3月23日
番外別格7番出石寺  ( Kinzan Shussekiji, Ex. 7th of Shikoku 88 )
H806m
番外別格第7番札所 金山 出石寺 (きんざん しゅっせきじ)
本尊  千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)
真言  「おん ばさら たまら きりく」
開基  道教法師
宗派  真言宗御室派
御詠歌 くもりなき 二名の島の 金山に みのりの光 かがやくを見よ
☆ 略縁起、開創は養老二年(718年)六月十七日である。宇和郷田中庄に住する猟師作右衛門が、狩りに出て一匹の鹿を見つけ、そのあとを追うて山に登り、まさに鹿を射殺そうとしたところ、突然全山振動して光明赫赫と輝き、鹿の姿はかき消え、鹿の立っていた足下の岩が真二つに割れ、千手観音菩薩地蔵菩薩の像が地中から湧き出して金色の光を放った。この奇瑞を目撃してから、作右衛門は殺生を業とする生活をやめ仏道に入り、自ら道教を名乗りこの仏像を本尊とし、出石寺と命名した。大師巡錫の砌、「三国無双の金山」なりと賛嘆され、後世この仏像が粗末に扱われ冥罰を蒙ってはならぬと、石室に密閉して秘仏とされ、護摩供を修法されたと言う。
案内・地図、JR予讃線八幡浜駅より出石寺行バスにて終点下車(ただし、朝一便のみ)。JR伊予大洲八幡浜長浜駅からタクシーにて40分。車の場合、宇和島方面からは宇和町のはずれより八幡浜駅を経由して197号線喜木より、56号線大洲西トンネルにて平野に抜け、伊予平野駅付近より、大洲駅付近より上須戒を経由して、また、松山方面からは、出石駅より豊茂を経由して、八田喜駅付近より上須戒を経由して、それぞれ登山可能。普通車100台、バス20台駐車可☆ (四国ネットより)

別格7番出石寺の境内 12:51 23.03.2013 Precincts of the Bekkaku Shussekiji temple

別格7番出石寺の境内 12:46 23.03.2013 Precincts of the Bekkaku Shussekiji temple

別格7番出石寺の境内 12:46 23.03.2013 Precincts of the Bekkaku Shussekiji temple

別格7番出石寺の本堂 12:44 23.03.2013 Main hall of the bekkaku Shussekiji temple

別格7番出石寺の境内 12:44 23.03.2013 Precincts of the Bekkaku Shussekiji temple

別格7番出石寺の境内 12:44 23.03.2013 Precincts of the Bekkaku Shussekiji temple

別格7番出石寺の大師堂 12:36 23.03.2013 Daishi hall of the bekkaku Shussekiji temple

別格7番出石寺も本堂 12:36 24.03.2013 Main hall of the bekkaku Shussekiji temple
☆☆


3月22日
43番明石寺 ( Genkozan Meisekiji, 43rd of Shikoku 88 )
H271m
第43番札所 源光山 明石寺 (げんこうざん めいせきじ)
本尊  千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)
真言  「おん ばざら たらま きりく そわか」
開基  正澄上人
宗派  天台宗寺門派
御詠歌 きくならく せんじゅふしぎの ちかいには だいばんじゃくも かろくあげいし
↖  43番明石寺(メイセキジ)境内図

☆ 歯長峠を越えて約十五㌔。宇和町よりは約五㌔ほど、静寂な山地へ入る。仁王門からは、山を背景に唐破風造りの本堂がみえる。欽明天皇の勅願により、円手行者が千手観世音を安置し、七堂伽藍を建立して開創し、後の天平六年(七三四)には寿元行者が、紀州熊野より十二社権現を勧請して十二坊を建立し、修験道場として法灯を伝承した。やがて弘仁十三年(八二二)弘法大師が巡錫し、嵯峨天皇の勅願により荒廃した伽藍を再興して霊場に定められた。また、建久五年(一一九一)には源頼朝が池の禅尼の菩提のため阿弥陀如来を造顕し、経塚をきずいて堂宇を再興し、山号を「源光山」に改めている。現存の御堂は宇和島藩主伊達氏が寛文十二年(一六七二)に建立したもの。第三十五世の尊栄が西園寺氏と縁戚関係を結んでから、寺は明石家代々の世襲による管理となった。次の大宝寺への途中、大師が橋の下で一夜をすごされた番外十夜ヶ橋がある。☆ (四国ネットより)

43番明石寺の山門 14:33 22.03.2013 Sanmon of the Meisekiji temple

43番明石寺延命地蔵堂  14:33 22.03.2013 Enmei Zizo hall

43番明石寺の境内 14:33 22.03.2013 Precincts of the Meisekiji temple

43番明石寺の山門前にて 14:21 22.03.2013 Sanmon of the Meisekiji temple

43番明石寺の境内 14:17 22.03.2013 Precincts of the Meisekiji temple

43番明石寺の大師堂 14:16 22.03.2013 Daishi hall of the Meisekiji temple

43番明石寺の夫婦杉 14:15 22.03.2013 Couple cedar tree of the Meisekiji temple

43番明石寺の境内 14:15 22.03.2013 Precincts of the Meisekiji temple

43番明石寺の境内 14:14 22.03.2013 Precincts of the Meisekiji temple

43番明石寺の山門 13:57 22.03.2013 Sanmon of the Meisekiji temple
☆☆


3月22日
42番佛木寺 ( Ikkazan Butsumokuji, 42nd of Shikoku 88 )
H190m
第42番札所 一カ山 佛木寺 (いっかざん ぶつもくじ、一カ山の「カ」は王偏に
果という漢字)
本尊  大日如来 (だいにちにょらい 伝弘法大師作)
真言  「おん あびらうんけん ばざら だどばん」
開基  弘法大師
宗派  真言宗御室派
御詠歌 くさもきも はとけになれる ぶつもくじ なをたのもしき きちくにんてん
↖  42番佛木寺(ブツモクジ)境内図

☆ 仁王門があり、石段を登ると鐘楼、左の奥まったところに本堂、大師堂がある。本堂左手にはかつての通夜堂がある。縁起によれば、大同二年、この地を巡錫していた大師は、牛をひいていた老翁に出会いすすめられるままにこの牛にのった。すると近くの楠の杖に一つの宝珠がかかっているのを発見した。この宝珠は大師が唐におられるとき、有縁の地を選ばれるようにと、三鈷とともに東へ向けて投げた宝珠であった。大師はこの地こそ霊地と直感し、楠で大日如来を刻み、その尊像のマユの間に宝珠を納めて本尊とし、堂宇を建立して一 山仏木寺とした。その後牛馬安全の守り仏むして信仰をあつめた。宗尊親王の護持仏や西園寺氏の祈祷ならびに菩提所となったこともあり、慶安以降は藩主の保護によって伽藍は再建された☆ (四国ネットより)

42番佛木寺の大師堂 10:03 22.03.2013 Daishi hall of the Butsumokuji temple

42番佛木寺の境内 09:47 22.03.2013 Precincts of the Butsumokuji temple

42番佛木寺の山門 09:44 22.03.2013 Sanmon of the Butsumokuji temple
☆☆


3月22日
41番龍光寺 ( Inarizan Ryukoji, 41st of Shikoku 88 )
H178m
第41番札所 稲荷山 龍光寺 (いなりざん りゅうこうじ)
本尊  十一面観世音菩薩 (じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
真言  「おん まか きゃろにきゃ そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗御室派
御詠歌 このかみは さんごくるふの みっきょうを まもりたまはん ちかひとぞきく
↖  41番龍光寺(リュウコウジ)境内図

☆ 南伊予路をたどる。山の傾斜は急で海へせり出し、海面はおだやかで大小の島が浮び美しい。宇和島から約十㌔ほどで三間平野に出る。寺は三間平野を見下す小高い山の上にあり、山上に諸堂が建ち並んでいる。縁起によれば、大同二年二月初午の日、弘法大師がこの地へ巡錫すると、白髪の老翁に導かれた。そこで大師はこの地が霊場であることを悟り、その尊像を刻み、堂宇を建てて安置し、稲荷山龍光寺と号し、四国霊場の総鎮守とされた。 その後人々から稲荷寺として信仰され、明治の廃仏毀釈で旧本堂は稲荷社となり、これまで稲荷の本地仏であった十一面観世音が本尊となった。いまも参道入口に鳥居があり、正面石段を登りつめたところが稲荷社で、本堂は参道途中の左手に、大師堂は右手にある。地元の人からは「三間の稲荷さん」と親しまれ、商売繁昌や開運出世を願う人が多いという。☆ (四国ネットより)

41番龍光寺の遠望  09:04 22.03.2013 view of the Ryukoji temple

41番龍光寺の境内  08:58 22.03.2013 Precincts of the Ryukoji temple

41番龍光寺の稲荷神社 08:56 22.03.2013 Inari shrine of the Ryukok\ji temple

41番龍光寺の稲荷神社 08:56 22.03.2013 Inari shrine of the Ryukok\ji temple

41番龍光寺の稲荷神社 08:55 22.03.2013 Inari shrine of the Ryukok\ji temple

41番龍光寺の稲荷神社 08:55 22.03.2013 Inari shrine of the Ryukok\ji temple

41番龍光寺の稲荷神社の鳥居 08:55 22.03.2013 Torii Gate of the Inari shrine

41番龍光寺の境内 08:20 22.03.2013 Precincts of the Ryukoji temple

41番龍光寺口 08:20 22.03.2013
☆☆


3月21日
番外別格6番龍光院 ( Rinkaizan Ryukouin, Ex. 6th of Shikoku 88 )
H23m
番外別格6番札所 臨海山 龍光院 (りんかいざん りゅうこういん) 
本尊  十一面観世音菩薩 (じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
真言  「おん まか きゃろにきゃ そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 みめぐみの 杖をたよりに 有為の山 越えてくもらぬ 月を見るかな
☆ 略縁起、当山は、大師四国の各地で御修行の砌、当地に立ち寄られ僻地故に都の文化の恩恵の影薄を憂い給い、四国八十八カ所霊場の開創を発願され、大同年間にその御願成就せられたのを記念し、此処に堂宇を建立されたお寺と伝う。京都大覚寺二品親王四国幸の砌、当山に御駐興遊ばれ、風光明媚と賞せられ臨海山福壽寺の号を賜る。元和元年初代藩主伊達秀宗公御入部の砌、当山を宇和島城(十万石)の鬼門の鎮として、藩と領民の安泰と繁栄を守護する伊達家祈願寺と定められる。これを享けて平成二年、山頂に白亜の除災招福大観音像中国より勧請し、万民の平和と利福を期し建立されている。一石彫りとしては西日本随一の大きさである。境内には芭蕉の句碑がある。「父母の志き里に恋し稚児の葦」芭蕉芭蕉忌や母は宇和島の人よし」案内・地図、JR予讃本線宇和島駅より徒歩5分。車の場合、宇和島駅を目標に進み、宇和島自動車ビルから入り10メートル。普通車10台、バス2台駐車可。☆ (四国ネットより)

別格6番龍光院の境内 15:40 21.03.2013 Precincts of the bekkaku Ryukoin temple

別格6番龍光院の境内 15:08 21.03.2013 Precincts of the bekkaku Ryukoin temple

別格6番龍光院からの宇和島城 15:08 21.03.2013 Uwajima Castle

別格6番龍光院の龍の手水 15:08 21.03.2013 Cozu

別格6番龍光院の石段 15:05 21.03.2013 Stone steps of Ryukoin
☆☆


3月20日
40番観自在寺 ( Heijozan Kanjizaiji, 40th of Shikoku 88 )
H16m
第40番札所 平城山 観自在寺 (へいじょうざん かんじざいじ) 
本尊  薬師如来 (やくしにょらい 伝、弘法大師作)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗大覚寺派
御詠歌 しんぐゎんや じざいのはるに はなさきて うきよのがれて すむやけだもの
↖  40番観自在寺(カンジザイジ)境内図

☆ 一本松、城辺から昔青蓮院の荘園だったという御荘の町へ。平城はこの町中にあり、観自在寺がある。大同二年、平城天皇の勅願所として弘法大師によって開創され、後に平城天皇は落髪し弘仁十二年には弘法大師から潅頂を授けられた。大師は一木に本尊薬師如来、脇仏阿弥陀如来、十一面観世音の三体を刻まれ、残りの霊木で舟形の南無阿弥陀仏の名号を刻まれた。この宝判は、大師が諸人の病根を除くことを祈願したものといわれ、現在もこの宝判でおかげをうけた人が多く、唖や盲目や心臓病が治ったという。昔は七堂伽藍が整い、四十八坊の末寺を有したが、その後火災で灰燼に帰し、延宝六年(一六七八)に再建されたが、昭和三十四年の失火で本堂が焼失し、現存の本堂はその後の建立。平城天皇の御陵に五輪塔があり「春の夜の籠人ゆかし堂のすみ」と記した芭蕉の句碑がある。☆ (四国ネットより)

40番観自在寺の境内 13:23 20.03.2013 Precincts of the Kanjizaijin temple

40番観自在寺の寶聚殿八角堂 13:21 20.03.2013 Precincts of the Kanjizaijin temple

40番観自在寺の鐘楼 13:21 20.03.2013 Bell tower

40番観自在寺の境内 13:21 20.03.2013 Precincts of the Kanjizaijin temple

40番観自在寺の境内 13:17 20.03.2013 Precincts of the Kanjizaijin temple

40番観自在寺の境内 13:17 20.03.2013 Precincts of the Kanjizaijin temple

40番観自在寺の本堂 13:17 20.03.2013 Main hall of the Kannonji temple

40番観自在寺の観音像と大師堂 13:16 20.03.2013 Kannon and Daishi hall

40番観自在寺の境内 13:16 20.03.2013 Precincts of the Kanjizaijin temple

40番観自在寺の山門 12:47 20.03.2013 Sanmon of the Kanjizaiji temple