あるき遍路 ☜ 🚶<追加> 円明寺~浄瑠璃寺

88箇所四国歩き遍路 ☜ 🚶 <追加> 88箇所 写ログ

88箇所四国歩き遍路1〜43で紹介してない写真を逆順に載せてゆきます
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20, BACK TO THE ICHIBAN

☆☆
53番円明寺 ⇒ 52番太山寺 ⇒ 51番石手寺 ⇒ 50番繁多寺 ⇒ 49番浄土寺 ⇒ 48番西林寺 ⇒ 番外札始大師堂 ⇒ 番外別格9番文殊院 ⇒ 47番八坂寺 ⇒ 46番浄瑠璃寺
☆☆


3月27日
53番円明寺 ( Sugasan Enmyoji, 53rd of Shikoku 88 )
H3m
第53番札所 須賀山 円明寺 (すがさん えんみょうじ)
本尊  阿弥陀如来 (あみだにょらい 伝、行基菩薩作)
真言  「おん あみりた ていせい からうん」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗智山派
御詠歌 らいごうの みだのひかりの ゑんみょうじ てりそうかげは よなよなのつき
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☆ 四国遍路に関心の深かったアメリカのスタール博士は大正十三年に八十八ヵ所を巡拝するが、円明寺の本尊厨子に打ちつけてあった鋼板の納札を高く評価した。以来円明寺納札のある寺として知れわたり、スタール博士は「お札博士」といわれた。この納札は慶安三年(一六五〇)京都の住人家次が巡拝中打ちつけたもので、遍路の歴史を知る上で貴重な資料といえる。厨子内に安置されているご本尊は、行基菩薩作の阿弥陀如来天平勝宝元年(七四九)聖武天皇の勅願により、和気西山の海岸に創建され、寛永十年(一六三三)現在地に再興された。松山の郊外とはいえ、民家に囲まれた町なかの寺。山門、楼(中)門、本堂、大師堂、観音堂が狭い境内に建ち並ぶ。河野家の遺臣たちの追善供養のために建立された観音堂には十一面観音像が奉安されている。境内の片隅にマリアの像を浮き彫りにした石塔があり、キリシタン禁制の名残をとどめている。☆ (四国ネットより)

53番円明寺の鐘楼と境内 12:27 27.03.2013 Bell tower and Precincts of the Enmyoji temple

53番円明寺の手水と境内 12:27 27.03.2013 Chozu and Precincts of the Enmyoji temple

53番円明寺寺本堂前の四国遍路銅版製納め札(88箇所中で一番古いもの) 12:26 27.03.2013

53番円明寺の本堂 12:26 27.03.2013 Main hall of the Enmyoji temple

53番円明寺の中門 12:26 27.03.2013 Inner gate of the Enmyoji temple

53番円明寺の手水と中門 12:01 27.03.2013 Inner gate and Chozu of the Enmyoji temple

53番円明寺観音堂 12:01 27.03.2013 Kannon hall of the Enmyoji temple
☆☆


3月27日
52番太山寺 ( Ryuunzan Taisanji, 52nd of Shikoku 88 )
H70m
第52番札所 龍雲山 太山寺 (りゅううんざん たいさんじ)  
本尊  十一面観世音菩薩 (じゅういちめんかんぜおんぼさつ 伝、行基菩薩作)
真言  「おん まか きゃろにきゃ そわか」
開基  真野長者
宗派  真言宗智山派
御詠歌 たいさんへ のぼればあせの いでけれど のちのよおもへば なんのくもなし
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☆ 太山寺への途中に道後温泉がある。万葉集に「伊予湯」とあるように古くから霊泉として知られ遍路もこの霊泉で旅の疲れをいやす。松山は四国一の人口を有する県都。人々で賑わう市街を抜けて西へ向かう。寺は瀧雲山の中腹にあり、高浜港と背中合わせになっている。仁王門からは杉の大樹が並び、登り坂の参道に本坊や、遍路宿の面影をとどめる民家があり、急な石段を登り山門を入ると、正面に嘉元三年(一三〇五)再建の本堂(国宝)がある。用命天皇の二年、豊後の国の真野という長者が、大阪へ向かう途中、高浜沖で難破しようとした。ところが信仰していた十一面観世音に救われたので、報恩のため一寺を創建し、その尊像を安置した。後に聖武天皇をはじめとする歴代天皇の勅願で十一面観音像を奉安している七躰が重要文化財。境内には開基の真野長者をまつる長者堂があり、毎年四月第三日曜日に長者の供養が営まれる。☆ (四国ネットより)

52番太山寺の境内 11:12 27.03.2013 Precincts of the Taisanji temple

52番太山寺の境内 11:11 27.03.2013 Precincts of the Taisanji temple

52番太山寺の境内 11:06 27.03.2013 Precincts of the Taisanji temple

52番太山寺の境内 11:06 27.03.2013 Precincts of the Taisanji temple

52番太山寺の境内 11:05 27.03.2013 Precincts of the Taisanji temple

52番太山寺の大雨の中の三の門 11:01 27.03.2013 Precincts of the Taisanji temple

52番太山寺の三の門 10:50 27.03.2013 Third Gate and Precincts of the Taisanji temple

52番太山寺の二の門からの景色 10:37 27.03.2013 Views from second gate of the Taisanji temple

52番太山寺の二の門からの境内 10:37 27.03.2013 Precincts of the Taisanji temple
☆☆


3月27日
51番石手寺 ( Kumanozan Ishiteji, 51st of Shikoku 88 )
H49m
第51番札所 熊野山 石手寺 (くまのざん いしでじ)  
本尊  薬師如来 (やくしにょらい)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 さいほうを よそとはみまじ あんやうの てらにまいりて うくるじうらく
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☆ 四国観光のメッカだけに道後の湯治客もまじって賑わい、門前には名物の草餅を売る店が並び繁昌している。仁王門までの回郎は絵馬堂にもなって句や連歌、能役者などの名前を書いた額が納められている。縁起によれば、道後湯築城主河野息利の妻が男児を生んどがその子は生後三年たっても左の手がひらかず、安養寺の住職が祈祷したら手をひらき、「衛門三郎再来」の小石がころげ落ちた。その子は息方と名づけられ十五歳で家督をついだが、この子こそ天長八年十月、十二番焼山寺の山中で亡くなった衛門三郎の生まれかわりなのである。やがて安養寺を石手寺に改め、この石は寺に納められた。寺の草創は聖武天皇神亀五年(七二八)伊予大守越智玉純が勅を奉して鎮護国家の道場として伽藍を建立し、安養寺と名づけたことにはじまる。ご本尊の薬師如来天平元年(七二九)行基菩薩の開眼。現存の本堂、三重塔、仁王門、鐘楼堂などは鎌倉末期の再建。☆ (四国ネットより)

51番石手寺ノ本坊口(雨の線が) 07:51 27.03.2013

51番石手寺の山門脇の像 07:51 27.03.2013 The image of the temple Sanmon side

51番石手寺の山門のわらじ 07:50 27.03.2013 Big Straw sandals

51番石手寺の納経所 07:46 27.03.2013 Nokyojo

51番石手寺の境内 07:46 27.03.2013 Precincts of the Ishiteji temple

51番石手寺の境内 07:45 27.03.2013 Precincts of the Ishiteji temple

51番石手寺の境内(雨が沢山降っております)07:45 27.03.2013 Precincts of the Ishiteji temple

51番石手寺の境内 07:16 27.03.2013 Precincts of the Ishiteji temple

51番石手寺の境内 07:15 27.03.2013 Precincts of the Ishiteji temple

51番石手寺の境内 07:15 27.03.2013 Precincts of the Ishiteji temple

51番石手寺の都卒天堂 07:14 27.03.2013

51番石手寺の三重塔 06:58 27.03.2013 Three-story pagoda

51番石手寺の二の門 06:57 27.03.2013 Second gate

51番石手寺の参道 06:57 27.03.2013 Approach way of the temple

51番石手寺の境内 06:55 27.03.2013 Precincts of the Ishiteji temple

51番石手寺の一の門 06:54 27.03.2013 First gate
☆☆


3月26日
50番繁多寺 ( Higashiyama Hantaji, 50th of Shikoku 88 )
H64m
第50番札所 東山 繁多寺 (ひがしやま はんたじ) 
本尊  薬師如来 (やくしにょらい 伝、行基菩薩作)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 よろずこそ はんたなりとも おこたらず しょびょうなかれと のぞみいのれよ
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☆ この付近は松山市の郊外で、人家も多く道ゆく人との出会も多い。空也谷から八幡神社を経て、なだらかな坂を登ると、右手淡路山の中腹に山門がみえてくる。門を入れば正面に本堂、右に大師堂、左に聖天堂、庫裡がある。ご本尊は薬師如来。寺の開基である行基菩薩の作で孝謙天皇の勅願所であった。その後、伊予入道頼義や尭運によって再興され、光明寺と号したが、弘法大師が長く留まって東山繁多寺に改称した。時宗の開祖である一遍上人もこの寺にとどまって学問修行したと伝えられる。上人はその後「捨聖」として遊行し、正応元年(一二八八)亡父如仏の追善のために三部経を繁多寺へ奉納している。応永元年(一三九四)には京都泉涌寺二十六世快翁師が後小松天皇の命で繁多寺第七世の住職となり、それより高僧が相継いで住職となったが、天和のころ龍湖という名僧が出て徳川家の帰依を得ることとなり、四代将軍家綱の念持仏三体の一つである歓喜天を安じた。☆ (四国ネットより)

50番繁多寺の境内 16:40 26.03.2013 Precincts of the Hantaji temple

50番繁多寺の本堂と歓喜天堂 16:26 26.03.2013

50番繁多寺歓喜天堂 16:17 26.03.2013

50番繁多寺の境内 16:06 26.03.2013 Precincts of the Hantaji temple

50番繁多寺の境内 16:06 26.03.2013 Precincts of the Hantaji temple

50番繁多寺の境内 16:06 26.03.2013 Precincts of the Hantaji temple
 
50番繁多寺の山門前にて 16:05 26.03.2013

50番繁多寺の山門 16:04 26.03.2013 Sanmon of the Hantaji temple
☆☆


3月26日
49番浄土寺 ( Sairinzan Jodoji, 49th of Shikoku 88 ) H50m
第49番札所 西林山 浄土寺 (さいりんざん じょうどじ) 
本尊  釈迦如来 (しゃかにょらい 伝、行基菩薩作)
真言  「のうまく さんまんだ ぼだなん ばく」
開基  恵明上人
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 じうあくの わがみをすてず そのままに じゃうどのてらへ まいりこそすれ
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☆ 西林寺から約三.三㌔ほど歩くと空也谷というところがある。山裾の静かなところだがこれは村人が空也上人を慕ってつけた地名でここに浄土寺がある。空也上人はやせて腰のまがった身に鹿の皮を裘にしてまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、念仏の一言一言が小さな仏になって口から出ている姿をされている。天徳(九五七〜六○)のころ、上人が四国へ渡って浄土寺に三年間とどまり民衆の教化に励まれた。浄土寺にある上人像は、上人がこの地を去るにあたって、村人がお姿だけでも留められるようにと懇願したので、自像を刻んで残したといわれる。大正十一年建立の仁王門を入れば正面に寄棟造りの本堂がある。本尊は行基菩薩作の釈迦如来。寺は天平年間に開創され、孝謙天皇の勅願所であった。後に弘法大師が巡錫し、伽藍を再興している。現存の本堂は文明十四年(一四八二)領主河野通宣の再建で国の重文。本尊厨子空也上人像も重文に指定されている。☆ (四国ネットより)

49番浄土寺の鐘楼 15:29 26.03.2013 Bell tower of the Jodoji temple

49番浄土寺の境内 15:29 26.03.2013 Precincts of the Jodoji temple

49番浄土寺の大師堂 15:29 26.03.2013 Daishi hall

49番浄土寺の境内 15:29 26.03.2013 Precincts of the Jodoji temple

49番浄土寺の本堂 15:28 26.03.2013 Main hall

49番浄土寺の大師堂 15:28 26.03.2013 Daishi hall of the Jodoji temple
☆☆


3月26日
48番西林寺 ( Seiryuzan Sairinji, 48th of shikoku 88 )
H43m
第48番札所 清滝山 西林寺 (せいりゅうざん さいりんじ)  
本尊  十一面観世音菩薩 (じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
真言  「おん まか きゃろにきゃ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 みだぶつの せかいをたづね ゆきたくば にしのはやしの てらにまいれよ
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☆ 松山方面に向かって約五㌔ほど行くと田園の中に西林寺がある。川の土手より低い所に寺があることから、罪ある者が門を入ると無間地獄に落ちると遍路はよび、関所寺といっている。前を流れる内川の附近には「ていれぎ」という草が自生し、市の天然記念物に指定されている。本堂は、元禄十四年(一七〇一)の再建。縁起によれば聖武天皇の勅願によって天平十三年(七四一)行基菩薩が徳威の里に堂宇を建立し、一宮別当寺として開創した。大同二年(八〇七)には弘法大師は現在地に寺を移し、十一面観世音菩薩を刻んで本尊として安置した。また、大師は大旱魃に悩む村民を救済するため、杖を所々に突いて清水の湧く水脈を発見し、村民をうるおした。寺の西南にある「杖の渕」はその遺跡だという。寺の周囲のいたるところに小川が流れている。「お大師さまのおかげで水だけは不自由しない」と地元の人々は杖の渕に修行大師像を奉安し感謝している。☆ (四国ネットより)

48番西林寺の山門 14:32 26.03.2013 Sanmon of the Sairinji temple

48番西林寺の手水と境内 14:30 26.03.2013 Chozu and Precincts of the Sairinji temple

48番西林寺の本堂と大師堂 14:18 26.03.2013 Main hall and Daishi hall

48番西林寺の山門と鐘楼 14:18 26.03.2013 Sanmon and bell tower

48番西林寺の鐘楼 14:18 26.03.2013 Bell tower

48番西林寺の本堂(左)と大師堂 14:17 26.03.2013 Main hall and Daishi hall

48番西林寺の大師堂 14:17 26.03.2013 Daishi hall of the Sairinji temple

48番西林寺の境内 14:01 26.03.2013 Precincts of the Sairinji temple

48番西林寺の鐘楼 14:01 26.03.2013 Bell tower of the Sairinji temple

48番西林寺の山門 14:01 26.03.2013  Sanmon of the Sairinji temple
☆☆


3月26日
番外札始大師堂 ( Seiganzan Fudahajime Daishido )
H46m
番外霊場 青岸山 札始大師堂  

番外札始大師堂   13:39 26.03.2013
Bangai Fudahajime Daishi hall
☆☆


3月26日
番外別格9番文殊院 ( Monjiun Tokuseiji, Ex. 9th of Shikoku 88 )
H61m
番外別格9番札所 文殊院 徳盛寺 (もんじゅいん とくせいじ)  
本尊  地蔵菩薩 文殊菩薩 (じぞうぼさつ もんじゅぼさつ)
真言  「おん かかか びさんまえい そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗醍醐派
御詠歌 われ人を すくわんための 先だつに みちびきたまう 衛門三郎
☆ 略縁起、天長元年、大師は当院の文殊菩薩に導かれて当寺に留錫し、人々を教化される。河野衛門三郎も、その一人で、八名の愛児を失い、自分の罪の深さに目覚めた衛門三郎は、大師に懺悔、謝罪のため遍路に出る。これが遍路の始まりで四国の霊場を八カ年、二十一回巡拝して、遂に大師と再会できる。のちに、大師により衛門三郎は伊予の国主に生まれ変わることができ善政を行う。後年、衛門三郎旧宅へ寺を移し、河野家の菩提所とする。
境外地
●八塚 衛門三郎の子供の墓(松山市文化財
●八窪 大師鉄鉢が八つに割れて飛んでいった八つの窪み。大師御加持水湧き出る
石鎚お山開き(毎年七月一日〜十日)ロープウェイ乗り場下にあり石鎚山開祖役行者堂は現在文殊院が昔木戸の鍵を管理し、人々はこの行場で滝に身を清め、山頂へ登っていきます。御本尊は毘沙門天で、石鎚三体神変大菩薩、石鎚蔵王大権現、不動明王を、普段は文殊院にお祈りし、お山開きの間ご開帳しています。案内・地図JR松山駅から市内電車またはバスにて伊予鉄市駅に至り、伊予鉄バス久谷線または丹波線に乗り換え「恵原公民館前」下車、徒歩二分。車の場合、松山方面からは国道33号線を南下し、重信川にかかる重信大橋を渡り、最初の交差点を左測道を通行し、サラヤの角を右折して2.2キロ。高松方面からは国道11号線を利用し、県立砥部動物園または運動公園の標識を目印に進む。普通自動車50台、バス10台駐車可。☆ (四国ネットより)

別格9番文殊院レリーフ 13:10 26.03.2013 Relief of bekkaku Monjuin

別格9番文殊院の境内 13:10 26.03.2013 Precincts of the bekkaku Monjuin temple
☆☆


3月26日
47番八坂寺 ( Kumanozan Yasakaji, 47th of Shikoku 88 )
H91m
第47番札所 熊野山 八坂寺 (くまのざん やさかじ) 
本尊  阿弥陀如来 (あみだにょらい 伝、恵心僧都作)
真言  「おん あみりた ていせい からうん」
開基  役行者小角
宗派  真言宗醍醐派
御詠歌 はなをみて うたよむひとは やさかでら さんぶつじょうの えんとこそきけ
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☆ 当山の歴史は古く、大和時代から約千三百年余りも続く古刹であり、お大師さまがお生まれになられる、百数十年ほど前に修験道の開祖、役の行者小角(神変大菩薩)によって開かれました。八坂寺の寺号はますます栄えるを意味する「いやさか(八坂)」に由来し、大宝元年に第四十二代文武天皇勅願寺として小千伊予守玉興公が、七堂伽藍を建立するにあたり、大堂山(現在は大友山)に八ヶ所の坂道を切り開いて寺を創建したからとも言われている。又、都の朝廷とも関係深く、勅使の出入りの盛んな寺でもあり、弘仁六年お大師さまが八十八ヶ所の霊場に定められた。その後は、修験道の根本道場として栄え、紀州から熊野権現の分霊を移して十二社権現と共にお祀りして、山号を熊野山とし「熊野山八坂寺」と呼ばれるようになった。当山は修験道場のため開基以来、住職は代々八坂家の世襲であり、今に至っております。☆ (四国ネットより)

47番八坂寺極楽橋 12:15 26.03.2013 Gokurakubashi

47番八坂寺の鐘楼 12:04 26.03.2013 Bell tower of the Yasakaji temple

47番八坂寺の境内 12:04 26.03.2013 Precincts of the Yasakaji temple

47番八坂寺の境内 12:03 26.03.2013 Precincts of the Yasakaji temple

47番八坂寺の境内 11:48 26.03.2013 Precincts of the Yasakaji temple

47番八坂寺極楽橋 11:46 26.03.2013 Gokurakubashi
☆☆


3月26日
46番浄瑠璃寺 ( Iouzan Joruriji, 46th of Shikoku 88 )
H98m
第46番札所 医王山 浄瑠璃寺 (いおうざん じょうるりじ)  
本尊  薬師如来 (やくしにょらい)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 ごくらくの じゃうるりせかい たくらえば うくるくらくは むくいならまし
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☆ 三坂峠(海抜七一〇㍍)は「三坂越えれば吹雪がかかり、戻りやつま子が泣きかかる」とうたわれたほど、馬子泣かせの峠で、土佐街道最大の難所であった。久万の町から国道を登り坂で、三坂峠を越え途中の塩ガ森より旧へんろ道を下ると浄瑠璃寺の門前へ出る。道中松山城や瀬戸内海が遠望できる。歩きお遍路様は峠から旧道を下り丹波を経て浄瑠璃寺に至る。寺の境内は天然記念物の伊吹柏槙が生い茂り、本堂前には仏足石がまつられている。本堂は天明五年(一七八五)の再建。ご本尊は行基菩薩が刻まれた薬師如来、寺の創建は和銅元年(七〇八)。薬師如来の別名瑠璃光如来から寺号を浄瑠璃寺と名付けた。後にこの寺を再興した尭音は、社会事業家としても知られ、寺の復興後は托鉢の日々をすごしその浄財で岩屋寺から松山へいたる土佐街道の八力所に橋をかけ、松山寄りの立花橋は大水のたびに流出していたのを、岩国の錦帯橋の構造を研究し、架橋に成功している。いまも立花橋の近くに尭音の供養塔が立っている。石段の登り口に正岡子規の句碑があります。☆ (四国ネットより)

46番浄瑠璃寺の境内 11:34 26.03.2013 Precincts of the Joruriji temple

46番浄瑠璃寺の境内 11:21 26.03.2013 Precincts of the Joruriji temple

46番浄瑠璃寺の境内 11:20 26.03.2013 Precincts of the Joruriji temple 

46番浄瑠璃寺の境内 11:20 26.03.2013 Precincts of the Joruriji temple

46番浄瑠璃寺の手水 11:19 26.03.2013 Chzu of the Joruriji temple

46番浄瑠璃寺の境内 11:02 26.03.2013 Precincts of the Joruriji temple