船井電機TOB 1

今朝の日経新聞船井電機TOBの記事が掲載されておりました。

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以下は日経新聞記事引用

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日経新聞 船井電機TOB

以下は Wikipedia より

船井哲良(1927年–2017年)が、1951年に個人経営のミシンの卸問屋「船井ミシン」を創業。当初はミシンの卸を行い、ほどなくミシンの自社生産・海外輸出を行うようになる。1959年に船井軽機工業株式会社を設立し、トランジスタラジオの製造に乗り出す。1961年に船井軽機工業のトランジスタラジオ製造部門を分離し、船井電機を設立。これが船井電機の創業である。会社設立当初から専ら日本国外への輸出、および他メーカーへのOEM供給を行っていた。

1970年代後半から1980年代前半にかけてのビデオ戦争においては、1980年にフナイの独自規格であるコンパクトビデオカセット(CVC)規格を提唱。後の8ミリビデオ規格に近い形のコンパク卜型ビデオカセットで、ビデオカメラと組み合わせてポータブルビデオデッキとしても利用できることから、キヤノンのポータブルビデオシステム「VC-100」用ポータブルデッキ「VR-100」としてもOEM供給されていた。しかしフナイのCVC規格はVHS規格やベータ規格には歯が立たず、デッキ一体型カムコーダが登場する時代を待たずに数年で展開を終了した。

 
フナイがEsselteブランドで製造し、北欧で普及した業務用の再生専用VHSビデオデッキ、Esselte Moviebox(スウェーデン国立科学技術博物館所蔵)。レンタルビデオ業界の黎明期となる1985年頃、ビデオデッキを所有していない客に対して「VHSテープと一緒にビデオデッキをレンタルする」という商売が存在した。そのための廉価な「再生専用」のVHSビデオデッキの生産を行っていたのがフナイであり、ビデオの歴史の1つである

1980年に欧州に進出し、ドイツに拠点を構える。1983年にVHS規格に参入し、世界初となる「再生専用」のVHSビデオデッキを発売。1984年からは海外市場でも再生専用VHSビデオデッキが販売された。当時はちょうど世界的にレンタルビデオのサービスが普及し始めた時期であり、フナイのVHSデッキはレンタルビデオ(具体的に言うと、アダルトビデオ)を見るのに安くて便利であったことから、VHS規格とレンタルビデオとフナイのVHSデッキは相乗効果によって互いに急速に普及。AV業界の発展に寄与し、VHS規格がビデオ戦争に勝利する要因の一つとなった。なお、1985年より普通の録画再生機能付きのVHSビデオデッキを発売している。

1980年代にはこれまで主力だったトランジスタラジオに代わる中核事業として、ブラウン管テレビや生活家電の分野に進出。1980年代の急激な円高に伴い、日本国内市場への自社ブランドでの参入を決定。1987年に世界初のホームベーカリー『らくらくパンだ』の製造・販売を開始し、「FUNAI」のブランド名で日本市場に本格参入。松下電器(当時)とともにこの分野での草分けとなり、ブームを引き起こし、消費者の認知度を高めた。しかしホームベーカリーは一時期のブームに終わった。

1989年に発売したレーザーディスクプレーヤは、「FUNAI」ブランドとしては初めて国内大手量販店の全店舗に展開された製品となった。しかし日本国内ではブランド力が弱く、販売網も整備されなかった。そのため、1990年代においては基本的にスーパーの系列の店舗の家電売場やディスカウントストアで主に売られており、(競合他社へのOEMの場合は製造元の社名は非公開であるため)スーパーのプライベートブランドのメーカーとしても認知されていた。ジャスコ(イオン)系列の店舗の家電売場では、ジャスコ(現・イオン)のプライベートブランドである「SUEDE」ブランドや「ATHLETE」(アスリート)ブランドで小型液晶テレビ・ブラウン管テレビ・テレビデオを製造していた。ダイエープライベートブランドである「COLTINA」(コルティナ)ブランドのテレビを製造していた。どこ向けのブランドかは不明だが「FUNPAL」なるブランドも存在した。

1991年にアメリカに進出し、テレビの販売を開始。またこの頃まで、フナイのVHSデッキの中身のメカはシントムが製造していたが、フナイ独自のメカで行くことになり、1992年にシントムとの契約を解除し、新たに中国東莞に工場を設立する。最大のOEM先であったフナイに契約を切られたシントムはこの後急激に経営が悪化し、2004年に倒産した。一方、中国で生産されたフナイのVHSデッキは激安価格で販売され、アメリカで非常に売れ、同時にフナイの利益を劇的に押し上げた。

 
海上自衛隊の潜水艦あきしお内に設置されたフナイのテレビデオ。1990年代に激安テレビの覇権を制したフナイのテレビデオは、食堂や船舶、学生向け賃貸マンションなど「画質はとにかく映ればよい」というところによく設置されていた。

1990年代には船井社長の指揮でテレビの価格戦争を仕掛け、ちょうどこの頃より日本に進出して来てスーパーやディスカウントストアなどで「激安テレビ」として売られていた金星社(GoldStar、現LG)や三星SAMSUNG)などの韓国メーカーと互角に渡り合った。

1997年にフナイがアメリカでMagnavoxおよひPhilipsブランドで発売したVHSデッキは、アメリカ史上初めて100ドルを切る激安価格で販売され、爆発的に売れた。また、1997年にLexmarkブランドで発売したプリンターも99ドルを切る激安価格で販売され、こちらも売れた。

 
フナイのテレビデオは北米ではPhilipsブランドで販売され、1990年代末から2000年代にかけてウォルマートのセールで爆発的に売れた

1999年よりウォルマートとの取引を開始し、業績は急拡大。1999年には大証二部上場、2000年には大証東証一部上場を果たす。1990年代後半から2000年代前半にかけては、北米では特にテレビデオの販売で大成功し、60%を超える市場シェアを獲得していた。2001年にフナイがSylvaniaブランドで発売したDVD再生機は、アメリカ史上初めて100ドルを切る激安価格で販売され、こちらもウォルマートブラックフライデーのセールで爆発的に売れた。2002年には液晶テレビを発売し、北米でトップシェアを取るに至る。

2001年にはアンテナメーカーであるDXアンテナを子会社化し、この強力な販売網で日本国内市場での製品販売を行うこととし、新たに国内専用ブランド「DX BROADTEC」(ディーエックスブロードテック)を立ち上げた。ロゴは一見Tがrのように見えるが、BROADTECである。DX BROADTECブランドの使用により一時的に日本からFUNAIブランドは消えた。

2006年ヤマダ電機と業務提携し、7月5日ヤマダ電機での独占販売として液晶テレビを発表し、一時的にFUNAIブランドの日本再参入を果たした。しかしほどなく終了し、日本国内では再びDXアンテナ名義や他社のOEMに徹することになる。

2008年には北米の主要なOEM供給先であったフィリップスとブランドライセンス契約を結び、北米におけるPhilips・Magnavoxブランドによる液晶テレビの流通・販売をフナイが担当するようになった。また2013年にはPhilipsのオーディオ事業を買い取るという契約を結んだ。さらに、Philipsのそれ以外の家電事業全体を船井電機が買い取るという契約を結ぶ段取りとなったが、しかし2014年、Philipsは契約違反があったとして船井電機を国際仲裁裁判所に訴えた。

2016年にPhilipsと和解し、Philipsブランドの利用契約を更新することができたが、フナイがPhilipsの家電事業を買い取る話は破談となった上に、Philipsに対して175億円の違約金を払うことになった。船井電機は特別損失を計上するなどして2年続けて赤字となり、3年間に社長が3度変わるなど、経営の混乱があった。また北米市場のシェアが低下するなど、経営の立て直しが急務となった。テレビが家電の王様だった時代は既に終わり、液晶パネルを組み立てるだけの利益の薄い商売になっており、2010年代の船井電機は赤字と黒字の間を行ったり来たりしている。

2017年、経営の立て直しのためにDXアンテナをエレコムに売却し、再びヤマダ電機と業務提携し「FUNAI」ブランドで日本市場に再参入。

2018年にネイルアートプリンターを発売した。同年、有機ELテレビとしては世界初となるハードディスク内蔵型の4Kテレビをヤマダ電機で発売。