ミステリー2日目、3月28日、壱岐神社の次、6か所目のスポットへ
壱岐神社から7.8km(25分)バスで走り、左京鼻へ
左京鼻
八幡半島のなだらかなスロープ状の草原を進むと、玄界灘に面して切り立った総延長約1kmにも及ぶダイナミックな海蝕崖に行きつく。ここの海蝕岩は玄武岩 特有の柱状節理で、左京鼻の海中からは細い柱を束ねたような奇岩が突き出ている。壱岐島誕生神話の八本の柱の一つ「折柱(おればしら)」である。海鵜のお びただしいフンに覆われているが、遠目には武骨な玄武岩が化粧を施したように美しい (壱岐市観光連盟HPより http://www.ikikankou.com/wp/?p=192 )
壱岐島誕生神話の八本の柱の一つ 「折柱(おればしら)」
左京鼻の由来
江戸時代の初頃大旱魃(かんばつ)に襲われ田畑の作物は枯死に瀕し人々は生活に苦しんだ。陰陽師の後藤左京と龍蔵寺五世日峰和尚の二人は農民の要望にこたえて、雨乞いの祈祷を受託し身命を賭して人々の救済を誓った。雲一つない毎日であるが一心不乱に天に祈り地に伏した。だが雨は降らず満願の日がきた。座禅をしている和尚の周りに積まれた干把の麦わらに火が点じられた紅蓮の炎の姿を包み又左京は岬の断崖から身を投じようと席を立って構えるや否や車軸を流すような豪雨となって山野を潤した。左京鼻のいわれは切り立った石があるので「石橋」から出た言葉ともされるが雨乞いをした後藤左京の名であるとも伝えられている。 (壱岐市教育委員会の説明板)
玄武岩のそそり立つ左京鼻の断崖
左京鼻からの壱岐島誕生神話の八本の柱の一つ「折柱(おればしら)」
岩の上部が白いのは写真中央の岩の上にいるウミウの仕業(糞害)です
左京鼻
陰陽師の後藤左京と龍蔵寺五世日峰和尚の二人が雨乞いの祈祷した場所には
左京鼻龍神がまつられています
左京鼻
3月28日ミステリーツアー、左京鼻の次は
[:W600]
7か所目のスポットへバスで1.7km(7分)「はらほげ地蔵へ」
はらほげ地蔵
胸のところにまるい穴があるので、はらほげ地蔵と呼ばれている。干潮時には浜に降りて拝むが満潮になると、頭上までかくれるので胸に穴をあけて、供物をあげたものであろう。此の地蔵は何時だれが、何のために祀ったか、明らかでないが、遭難した海女の冥福のため、捕獲した鯨の慰霊のため、あるいは疫病退散祈願のためとも伝えられている。春秋彼岸明けと旧盆の十五日には各戸参拝し、また旧十月二十四日には浦中行事として供養が行われ浦中安奏海上安全大漁満足の祈願がされる。海中を好まれると言うので、八幡漁港整備に当たって現在地まで移動が行われた。 (壱岐市教育委員会の説明板)
胸のところにまるい穴がある 「はらほげ地蔵」
六地蔵は六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)において衆生の苦患を救うという六種の地蔵である。海女で有名な八幡浦の海中に祀られている。自然石の頭部で、腹が丸くえぐられているので、はらほげ地蔵と呼ばれている。何時、誰が、何のために祀ったかはっきりしたことはわからないが、遭難した海女の冥福のため、鯨の供養慰霊のためなどと伝えられる。胸の穴は、満潮になって地蔵が水没しても供え物が流れないように、船から供え物ができるように、あるいは流行の疫痢の疫病退散祈願のためなどと言われる。
(壱岐市観光連盟HPより http://www.ikikankou.com/wp/?p=192 )
胸のところにまるい穴がある 「はらほげ地蔵」
胸のところにまるい穴がある 「はらほげ地蔵」が肩にかけているのは
賽銭袋で御参りする人が潮で御賽銭が流されない様にと賽銭を入れるペットボトル袋
胸のところにまるい穴がある 「はらほげ地蔵」
胸のところにまるい穴がある 「はらほげ地蔵」
胸のところにまるい穴がある 「はらほげ地蔵」
3月28日ミステリーツアー、「はらほげ地蔵」の次8カ所目は
「はらほげ地蔵」から6.6km(12分)移動して島に7カ所ある麦焼酎酒造蔵
のうちの一つ 「壱岐の蔵酒造」へ移動し係から壱岐が麦焼酎発祥の地等の
説明を受け専用のサンダルに履き替え麦焼酎の工場見学
ブクブク泡を立て一次発酵中の米麹もろみ
一次発酵中の米麹もろみタンクでは1週間発酵させる
二次発酵は、一次発酵した米麹もろみにに麦麹を加え2週間発酵させる
合わせて3週間発酵したもろみを蒸留器で蒸留する
米麹もろみに麦麹を加え2週間発酵中のタンクと蒸留器
蒸留しタンクに保管中の麦焼酎はこのあと土甕で熟成させたり
スペイン産の樫木の樽で熟成されたりして瓶詰される。
売店で麦焼酎の試飲するツアー客
「壱岐の蔵酒造」の商品群
「壱岐の蔵酒造」試飲ではスペイン産の樫木の樽で熟成された 「二千年の夢」 の口当たりが
ウイスキーに似て好み 43度の「二千年の夢」 を買い求めてきました。