四国あるき遍路 ☜ 🚶 36日目 平成25年4月4日(木)
70番本山寺 71番弥谷寺 72番曼荼羅寺 73番出釈迦寺 74番甲山寺 75番善通寺
平成25年4月4日(木)
88箇所四国あるき遍路36日目
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20
平成25年4月4日は香川県観音寺の藤川旅館〜70番本山寺〜71番弥谷寺〜72番曼荼羅寺〜73番出釈迦寺〜74番甲山寺〜75番善通寺〜山本屋本館まで 24.5km
☆☆
藤川旅館5:50〜70番本山寺6:39/7:29〜サークルK8:15〜高瀬橋9:00〜八丁目大師堂10:05〜71番弥谷寺10:20/11:22〜俳句茶屋(昼食)〜72番曼荼羅寺12:57/13/22〜73番出釈迦寺13:31/14:02〜74番甲山寺14:34/15:02〜75番善通寺15:21/15:54〜山本屋本館16:08 歩行距離24.5km 歩数33,518歩
☆☆
昨夕バナナ、スナックパン、ミルク、野菜ジュース、よもぎ餅、チーズ、オレンジ、スポーツ飲料、ペットボトル水、一口ようかんを昨夕スーパーでで買っておいたその一部で軽い朝食を済ませて藤川旅館を発つ線香、ローソクもスーパーで買っておいた、スーパーの線香は折れにくいのでお勧めです。
香川県観音寺の藤川旅館を発ち財田川の上流を目指し歩きます 05:51
藤川旅館を発ち渡ってきた三袈橋が川面に写っておりました 05:51
東の空が朝焼けになり明るく成って来ました 05:53
財田川添いの道を70番本山寺へと歩きます 05:54
朝の財田川 05:54
財田川添いの道を70番本山寺へと歩きます 05:58
財田川添いの道を70番本山寺へと歩きます 05:59
財田川添いの道を70番本山寺へと歩きます
稲積橋の信号から道は県道49号になる 06:00
県道49号線、観音寺市流岡町の「本場かなくま餅福田」の次の橋を渡る 06:17
財田川堤防の道を70番本山寺へ 06:27
70番本山寺門前に到着 06:39
70番本山寺門前 06:39
☆☆
平成25年4月4日(木)
70番本山寺 Shippouzan Motoyamaji, 70th of Shikoku 88 )
H11m
第70番札所 七宝山 本山寺 (しっぽうざん もとやまじ)
本尊 馬頭観世音菩薩 (ばとうかんぜおんぼさつ 伝、弘法大師作)
真言 「おん あみりとうどはんば うんぱった そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗高野派
御詠歌 もとやまに たれかうへける はななれや はるこそたをれ たむけにぞなる
所在地 香川県三豊市豊中町本山甲1445番地
☆ 琴弾山をあとに東北へ向うと前方に五重塔の塔身がくつきりと浮かぶ。大正二年の再建だが、古くは大同四年に弘法大師が建立し、天暦二年(九四八)に修理したが、その後上の四層が破損したため下の一重のみを修理し塔堂として残っている。本堂は大同二年(八〇七)平城天皇の勅願により弘法大師が一夜のうちに建立したと伝えられる。この用材は徳島県井ノ内村の山中より伐採し、香川県財田村で組立ててこの地へ運んだという。ご本尊の馬頭観世音、脇士の阿弥陀と薬師如来はこの時に彫刻して安置された。本堂は鎌倉時代に大修復され、昭和三十年にも解体修理し国宝になっている。美しい仁王門(八脚門)は久安三年(一一四七)の建立で重文。伝説によれば、天正のころ、長曽我部元親は寺へ進駐しようとしたが住職が拒んだため切り殺してしまう。やがて内陣厨子が開き、脇士の阿弥陀如来のおからだから血が出ており、驚いた武士は境内から退き寺は戦禍から免れたという。☆ (四国ネットより)
70番本山寺の山門 06:39
70番本山寺の山門と境内 06:39
70番本山寺の鐘楼 06:40
山門からの70番本山寺の境内、正面が本堂、右が大師堂 06:40
70番本山寺の境内 06:40
満州開拓慰霊堂と左端は鎮守堂 06:40
70番本山寺の五重塔と右は本堂 06:58
70番本山寺の大師堂前から弘法大師像、五重塔と本堂 06:58
70番本山寺の大門と鐘楼 06:59
70番本山寺の手水舎と十王堂 06:59
70番本山寺の五重塔、赤堂(大日堂)と本堂 06:59
70番本山寺の十王堂 07:17
70番本山寺の大師堂 07:17
70番本山寺の山門前にて 07:25
70番本山寺の大門 07:28
70番本山寺の冠木門 07:29
国道11号線と県道35/226分岐 07:58
国道11号線笠田小学校北の歩道橋 08:02
サークルK豊中町店 08:15
国道11号線、豊中町笠田笠岡の藤田美容室と墓地の先からへんろ道は左の旧道へ (Google)
旧道を71番弥谷寺へ 08:28
旧道を71番弥谷寺へ 08:36
加茂下自治会場で休憩させて貰いました 08:52
へんろ道しるべ 08:54
へんろ道しるべ 08:54
国道11号の高瀬橋を渡らずにたもとを左へ 09:00
県道221号の高瀬川橋を渡り歩いてゆくと道しるべがある 09:16
光明真言石柱と大師像 09:17
旧道を71番弥谷寺へ 09:21
71番弥谷寺への道しるべ 09:28
旧道の常夜灯 09:34
沿道の石仏 09:41
民家のこいのぼり 09:45
石柱門少し手前大門寺地集会所前の常夜灯 09:50
71番弥谷寺の石柱門 09:51
八丁目大師堂おばあちゃんたちが経本無しで般若心経をあげており
「いつも同じところでまちがうわ〜」 10:05
隣に足湯が有り入ったが冷たかった 10:05
八丁目大師堂の隣の足湯 10:08
71番弥谷寺手前のへんろ道 10:11
71番弥谷寺手前のへんろ道脇に石仏がたくさん 10:12
弥谷寺案内板 10:14
71番弥谷寺へは石段を上り左へ、右は72番曼荼羅寺 10:18
71番弥谷寺は左へ、右は72番曼荼羅寺 10:18
71番弥谷寺山門下の俳句茶屋 10:19
71番弥谷寺の茶屋、俳句茶屋から山門への石段 10:19
☆☆
平成25年4月4日(木)
71番弥谷寺 ( Kengozan Iyadaniji, 71st of shikoku 88 )
H222m
第71番札所 剣五山 弥谷寺 (けんござん いやだにじ)
本尊 千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ 伝、弘法大師作)
真言 「おん ばざらたらま きりく そわか」
開基 行基菩薩
宗派 真言宗善通寺派
御詠歌 あくにんと ゆきつれなんも いやだにじ ただかりそめも よきともぞよき
所在地 香川県三豊市三野町大見乙70
☆ 寺は標高三百八十二㍍の弥谷山の中腹にある。三つの峰からなっているので三朶の峰といわれ、昔から死霊のゆく山と信じられている。山麓までの坂道を登ってゆくと、仁王門の手前に名物のあめ湯とトコロテンを売る俳句茶屋がある。門を入ってからは二百六十二段の石段。元禄年間に住僧覚林が造顕した金剛挙菩薩が奉安されており、さらに段を登れば、大師堂、鐘楼堂、岩窟の護摩堂、岩壁に刻まれた弥陀三尊などがあり、本堂には千手観世音がご本尊として奉安されている。寺は行基菩薩の開創。聖武天皇が堂塔を建立し、後に、弘法大師が七歳のときこの山で苦行し、大同二年(八〇七)再び登山して真言密教の秘法を修されている時、五柄の剣を得るとともに蔵王権現のおつげがあり、これにもとずき大師は千手観世音を刻み本尊とした。大師堂につづく奥ノ院は「獅子の岩窟」大師が求聞持の法を修されたところ。☆ (四国ネットより)
71番弥谷寺の山門 10:20
71番弥谷寺山門からの俳句茶屋 10:20
71番弥谷寺山門の仁王像 10:20
71番弥谷寺山門の仁王像 10:20
71番弥谷寺山門からの参道石段 10:21
参道脇に転がりそうな大岩 10:23
写真は少し飛んで、71番弥谷寺の本堂前にて 10:43
71番弥谷寺本堂前からの景色10:44
71番弥谷寺の本堂 10:44
71番弥谷寺本堂の屋根と岩山 10:46
71番弥谷寺本堂石段途中の阿弥陀三尊磨崖仏 10:46
71番弥谷寺阿弥陀三尊磨崖仏前の石段を下る 10:46
71番弥谷寺阿の弥陀三尊磨崖仏 10:46
71番弥谷寺水場周辺の石仏 10:47
71番弥谷寺岩屋の護摩堂前の参道 10:48
71番弥谷寺求聞持窟前の水場と天霧城道しるべ 10:48
71番弥谷寺山門岩屋の護摩堂から石段を観音堂、十王堂の間を下る 10:48
71番弥谷寺十王堂前の修行大師像 10:50
71番弥谷寺の鐘楼堂 10:50
71番弥谷寺鐘楼堂からの石段右上に観音堂、左に十王堂 10:50
71番弥谷寺の修行大師像左の境内 10:50
71番弥谷寺の多宝塔 10:51
71番弥谷寺境内の大岩 10:51
71番弥谷寺の多宝塔 10:51
71番弥谷寺の大師堂、奥の院獅子の岩屋への石段 10:51
71番弥谷寺の大師堂と納経所は履物を脱ぎ脱帽して上りました 10:51
71番弥谷寺の大師堂この岩の中に洞窟の奥の院があり興味深いです 11:18 大師堂から洞窟の奥の院への廊下の窓からしゃがみ込んで山崖を見ると石仏を拝めます
71番弥谷寺の大師堂、奥の院獅子の岩屋への石段下 11:19
71番弥谷寺の大師堂、奥の院獅子の岩屋への石段 11:21
71番弥谷寺の百八階段 11:22
帰り道の俳句茶屋で400円のうどんを食べました 11:36 ここ俳句茶屋でのTBS徳さんのお遍路旅の撮影は4月11日に予約が入っているとの事でした茶店内には俳句の書かれたおびただしい枚数の短冊が下がっていた。徳光さんが来られたら障子に書いてもらうつもり」とおばちゃんが言っておられました。
「ところで俳句はできましたか?」とタバコをふかしながら板場の兄さんがテーブルに来て聞くので 「うぐいすの こえにさそわれ へんろみち」 かなというと
「最初はそんなところでしょう」 とのこと 11:54 お接待のミカンを頂いて茶屋をあとにしました。
71番弥谷寺山門下の俳句茶屋 11:54
茶店を出て72番曼荼羅寺、73番出釈迦寺の方へへんろ道を歩きます 11:54
72番曼荼羅寺、73番出釈迦寺へんろ道 11:55
72番曼荼羅寺、73番出釈迦寺へんろ道 11:55
72番曼荼羅寺、73番出釈迦寺へんろ道 11:56
72番曼荼羅寺、73番出釈迦寺へんろ道この竹薮を出て池の手前で大きな蛇がへんろ道をびっくりした様にあわてて横切ったそれまで気がついていなかったこちらもびっくり 11:58 法然上人蛇身石の道標石柱が近くにあり蛇の多い所なのでしょうか? この時期にしては大きな蛇でした
道路に合流したところで農作業のおじさんと話、甲山寺は向こうの小山のした、 善通寺は更にそのむこう曼荼羅寺と出釈迦寺へは前の池と池の中道を行くと良いと教わりました 12:13
高松自動車道の下をくぐり 12:15
大池の中道を72番曼荼羅寺、73番出釈迦寺へ 12:19
大池の中道の所で休憩しよもぎ餅をほうばる 12:20
大池の中道を過ぎて民家の脇のへんろ道を歩く 12:30
国道11号線に出る 12:37
国道11号線から県道48号へ 12:37
国道11号線、県道48号交差点のへんろ石 12:37
県道48号から池の横を通る曼荼羅寺への道へ 12:51
☆☆
平成25年4月4日(木)
72番曼荼羅寺 ( Gahaishizan Mandaraji, 72nd of Shikoku 88 )
H44m
第72番札所 我拝師山 曼荼羅寺 (がはいしざん まんだらじ)
本尊 大日如来 (だいにちにょらい 伝、弘法大師作)
真言 「おん あびらうんけん ばざら だとばん」
開基 行基菩薩
宗派 真言宗善通寺派
御詠歌 わづかにも まんだらおがむ ひとはただ ふたたびみたび かへらざらまし
所在地 香川県善通寺市吉原町1380番地1
寺は弘法大師の先祖である佐伯家の氏寺として推古四年(五九六)創建され、世坂寺と称していたが、弘法大師が留学後、ご本尊の大日如来を勧請し、大同二年、金胎曼荼羅を安置し、唐の青龍寺に模して堂塔を建立し、寺号も我拝師山曼荼羅寺と改めた。本堂から廻郎づたいの観音堂には聖観世音が安置されている。桧材一木造りの豊満端厳な尊容で、藤原時代の造顕という。境内には西行法師の「笠掛桜」と「昼寝石」の遺跡がある。西行法師は諸国を行脚中、この近くに滞在し、寺の境内でしばしば休息し、あるとき同行した旅人が桜の枝に笠をかけ忘れ、それを見て「笠はありその身はいかになりぬらん あはれはかなきあめが下かな」とよんだという。自然の中に人間性を見出して表現したところにその特徴があるといわれる。☆ (四国ネットより)
72番曼荼羅寺の山門 山門前の畑の畦道には入るなと立て札があった 12:57
(門両側の建屋は、2014年10月に訪れた時は無くなっていました、左側の門先屋旅館跡は広い駐車場に変わっており境内図も修正加筆しておきました)
72番曼荼羅寺山門からの参道 12:58
72番曼荼羅寺の参道脇にある軒瓦 12:58
72番曼荼羅寺の手水舎と鐘楼 13:19
再建中の72番曼荼羅寺の大師堂 13:19
72番曼荼羅寺の本堂と観音堂 13:19
72番曼荼羅寺の観音堂と納経所 13:19
72番曼荼羅寺の大日如来像と笠松大師 13:19
72番曼荼羅寺の笠松大師 13:20
72番曼荼羅寺の大日如来像と本堂 13:20
72番曼荼羅寺の境内 13:20
この時は故の護摩堂が72番曼荼羅寺の仮大師堂でした 13:22
再建中の72番曼荼羅寺大師堂 13:22
曼荼羅寺から73番出釈迦寺は600mほど上ったところ 13:29
平成25年4月4日(木)
73番出釈迦寺 ( Gahaishizan Shusshakaji, 73rd of Shikoku 88 )
H94m
第73番札所 我拝師山 出釈迦寺 (がはいしざん しゅっしゃかじ)
本尊 釈迦如来 (しゃかにょらい 伝、弘法大師作)
真言 「のうまく さんまんだ ぼだなん ばく」
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
御詠歌 まよいぬる ろくどうしゅじょう すくわんと とうときやまに いづるしゃかでら
所在地 香川県善通寺市吉原町1091番地
☆ 前方に我拝師山(標高四八一・二㍍)がある。昔は倭斯濃山といったという。伝説によれば、弘法大師が七歳のときこの山に登り、「仏門に入って多くの人々を救いたい。この願いがかなうなら釈迦如来あらわれたまえ、もし願いがかなわぬなら一命を捨ててこの身を諸仏に供養する」といって、断崖絶壁から谷底へ身を投げるのである。この時釈迦如来と天女があらわれて雲上に抱きとめ「一生成仏」の旨をいわれた。一命を救われ、その願いが成就することを示された大師は、感激して釈迦如来の像を刻み、堂宇を建てて出釈迦寺とし、倭斯濃山を我拝師山に改めたという。曼荼羅寺からだらだら坂を五百㍍あまり登ったところに出釈迦寺がある。寺の境内には我拝師山々頂の捨身ヶ嶽の遥拝所があり、ここからは捨身ヶ嶽禅定の建物が仰がれる。山路一・八㌔約四十分の登り。山上の奥ノ院には釈迦如来と不動明王、弘法大師像が安置され身を捨てた行場は五百㍍先にある。☆ (四国ネットより)
73番出釈迦寺の山門 13:31
73番出釈迦寺の本堂 13:49
73番出釈迦寺の本堂前にて 13:49
73番出釈迦寺の山門と手水舎 13:57
73番出釈迦寺の本堂 13:57
73番出釈迦寺の大師堂 13:57
73番出釈迦寺の大師堂 13:57
73番出釈迦寺の境内 13:57
73番出釈迦寺の大師堂と本堂(左) 13:58
石段上は73番出釈迦寺の地蔵堂 13:58
地蔵堂前の73番出釈迦寺捨身ヶ嶽遙拝所 14:00
73番出釈迦寺山門下の干支仏 14:02
73番出釈迦寺の山門から参道を下る 14:02
73番出釈迦寺参道の枝垂れ桜 14:03
72番曼荼羅寺近くの讃岐うどん丸正 14:07
歩き遍路にお接待があるようです
74番甲山寺への沿道景色 14:11
吉原団地付近で山を 14:11 弘階池をから出る48号線に出た道は工事中、横切るべきところを右折してしまい48号線をいたこのため市営野球場のほうから回り込みダンプの出入りする建設会社のジャリ工場を通過しすぐ隣の甲山寺へ
☆☆
平成25年4月4日(木)
74番甲山寺 ( Iouzan Kouyamaji, 74th of shikoku 88 )
H21m
第74番札所 医王山 甲山寺 (いおうざん こうやまじ)
本尊 薬師如来 (やくしにょらい 伝、弘法大師作)
真言 「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗善通寺派
御詠歌 じうにしん みかたにもてる いくさには おのれとこころ かぶとやまかな
所在地 香川県善通寺市弘田町1765番地1
☆ 弘法大師は幼いころこの附近で遊ばれた。土の仏像や草木の小堂をつくったり、石を重ねて塔にしたり、愛犬をつれて歩かれたりした。近くの仙遊ヶ原地蔵堂は大師のそうした遊び場であったという。善通寺へ向かう道沿いに小高い山がある。山の名を甲山という。寺は山の裏側にあり、山門を入ると正面が本堂、左に大師堂、鐘楼毘沙門天の岩窟、右に護摩堂、庫裡がある。 大師が善通寺と曼荼羅寺の間に伽藍を建立しようと、その霊地を探していたら、甲山の麓の岩窟から老翁があらわれ、暗示を受けた。大師は歓喜のあまり、石を割いて毘沙門天の尊像を刻んで岩窟に安置し、供養された。その後大師は京都におられたが、弘仁十二年(八二一)満濃池築造の別当に任ぜられて当地へ赴任し、薬師如来を刻んで工事の成功を祈願した。その徳を慕う数万の農民によって工事は完了した。そこで堂塔を建立し、薬師如来を本尊として安置したという。☆ (四国ネットより)
74番甲山寺山門前駐車場 14:34
74番甲山寺の山門 14:34
74番甲山寺の手水舎 14:35
74番甲山寺の毘沙門堂 14:50
74番甲山寺の大師堂 14:50
74番甲山寺の本堂 14:50
74番甲山寺大師堂からの境内 14:51
74番甲山寺1の中門 5:01
74番甲山寺の石柱門 15:02
74番甲山寺門前の橋を渡り寺を振り返る 15:03
74番甲山寺駐車場の横はお寺には不似合いな辻村建設の工場 15:03 75番善通寺へは甲山寺前の橋を渡り川沿いに右へ辻村建設対岸付近から左の水路沿いの
道をへんろ道しるべに従い歩く
☆☆
平成25年4月4日(木)
75番善通寺 ( Gogakuzan Zentsuji, 75th of Shikoku 88 ) H28m
第75番札所 五岳山 善通寺 (ごがくざん ぜんつうじ)
本尊 薬師如来 (やくしにょらい)
真言 「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗善通寺派総本山
御詠歌 われすまば よもきえはてじ ぜんつうじ ふかきちかひの のりのともしび
所在地 香川県善通寺市善通寺町3丁目3番1号
☆ 大師生誕の地・善通寺のシンボル五重塔を前方に見ながら市街へ入ると、左に伽藍といわれる東院があり、約三㌶の境内にご本尊の薬師如来を奉安した金堂、五重塔、釈迦堂など。そして東に赤門、西に中門、南に大門がある。一方、右には誕生院といわれる西院があり、四㌶の境内に仁王門、勅使門、御影堂、産湯井、その他諸堂がある。善通寺派の総本山であるだけに、四国一の規模を誇り、大師ご誕生の地にふさわしい。大師は唐より帰朝後、大同二年(八〇七)真言宗弘通の勅許を得て、先祖の氏寺の建立を発願した。父の善通卿は自身の荘田を提供され、六年の歳月をかけて七堂伽藍を完成させた。堂塔は唐の青龍寺を摸してつくられ、寺名は父の名をとって善通寺と名づけられた。そして寺の背後に五峰がそびえていることから、山号を五岳山と称した。御影堂は四棟からなり、礼堂と中殿は大師の父善通卿、奥殿は母玉依御前の館の跡で、現在の奥殿がお大師さまの御誕生地と言われている。☆ (四国ネットより)
75番善通寺東院の五重塔 15:21
75番善通寺東院の金堂と釈迦堂 15:21
75番善通寺東院の南大門 15:30
75番善通寺東院の中門 15:30
75番善通寺東院の金堂 15:30
75番善通寺誕生院の仁王門 15:33
75番善通寺誕の仁王門から誕生院御影堂への回廊 15:33
75番善通寺の鐘楼と親鸞堂 15:33
75番善通寺の聖霊殿 15:33
75番善通寺境内にある別格17番満濃池の位置地図 15:48
75番善通寺の鐘楼と御影堂 15:53
75番善通寺の護摩殿(右) 15:53
75番善通寺の鐘楼 15:54
75番善通寺東門前の旅館山本屋本館 16:08
75番善通寺東門前の旅館山本屋本館 16:08
75番善通寺の五重塔、釈迦堂と東門 16:08
75番善通寺と東門(赤門) 16:09
75番善通寺東門前の参道 16:09
75番善通寺東門前の旅館山本屋本館 16:09
山本屋本館の夕食 18:24 明日はこの宿に荷物を預け神野寺満濃池まで往復の道を歩きます宿の奥さんに「自転車もあるので良かったら使って」「いままで歩いてきたので歩いてきます」「神野寺へ迷わず3回曲がるだけで行ける道を教えてあげるとメモを書いて頂いた」
山本屋本館のおかみんさんが書いてくれた別格17番神野寺(かんのじ)満濃池への地図神野寺(かんのじ)満濃池へは山本屋本館から往復25kmhttp://boianuf.hatenadiary.com/entry/20161129/1480374956