四国あるき遍路 ☜ 🚶 39日目 平成25年4月7日(日)
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平成25年4月7日(日)
88箇所四国あるき遍路39日目
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20
平成25年4月7日はかんぽの宿坂出〜81番白峰寺前〜82番根香寺〜別格19番香西寺〜83番一宮寺〜屋島下の広瀬旅館まで32.4km
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かんぽの宿坂出5:30〜白峯寺門前 5:43〜82番根香寺7:10/7:30〜別格19番香西寺9:26/9:46〜83番一宮寺13:11/13:37〜ひろせ旅館16:48 歩行距離32.4km 歩数54,496歩
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朝食用炊き込みご飯を食べ、清算済みかんぽの宿坂出の部屋のキーをボックスに帰し宿を発つ
前日夕方、冷凍の炊き込みご飯を祈祷して朝食用にしてくれた白峰パークセンター 05:42
一度白峰寺まで歩く 05:43
白峰寺の門前を右に上がり82番根香寺へ 05:47
白峰寺から82番根香寺へのへんろ道 05:54
白峰寺から82番根香寺へのへんろ道石仏(丁石) 05:54
白峰寺から82番根香寺へのへんろ道 06:05
へんろ道を歩いて坂出市と高松市の境目で県道180号に合流
オレンジパーク入り口の少し先を右に入る遍路道から82番根香寺へ
白峰寺から82番根香寺へのへんろ道にて 06:26
へんろ道、詳しくはこちらからどうぞ http://d.hatena.ne.jp/boianuf/20140104
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平成25年4月7日(日)
82番根香寺 ( Aominezan Negoroji, 82nd of Shikoku 88 )
H357m
第82番札所 青峰山 根香寺 (あおみねざん ねごろじ)
本尊 千手観世音菩薩(せんじゅかんぜおんぼさつ 智証大師作)
真言 「おん ばざらたらま きりく そわか」
開基 弘法大師
宗派 天台宗(単立)
御詠歌 よひのまの たへふるしもの きへぬれば あとこそかねの ごんぎゃうのこゑ
所在地 香川県高松市中山町1506番地
☆ 弘法大師は入唐前にこの山へ登って草庵を結び、霊場とした。天長九年(八三二)智証大師が青峰の麓へ巡錫したとき、白髪の老翁(市之瀬明神)があらわれ「ここは観世音の霊地で三谷ある。毘沙門谷に行場を、法華渓に本堂、後夜谷には法華三昧の道場をつくり、また、蓮華谷の香木で本尊の観世音を刻むように」と告げた。その後智証大師は青峰に登り、老僧と出会うが、この老僧は山の守護神の山王権現であったことから、山を開くにあたり、市之瀬明神と山王権現を鎮守としてまつり、香木で観世音の尊像を刻んで先の老翁のいうごとく安置した。この香木の根の香りがあまりにも高いので寺名となり、また、香りが川に流れて香ることから「香川」の県名がつけられたともいう。智証大師が伽藍を建立後盛んになり、後白河天皇の勅願所にもなった。現存本堂への廻郎には戦後の勧進による万体観音像が奉安されている。☆ (四国ネットより)
雨の中82番根香寺の山門に到着 07:10 山門で雨宿りをしながら明日と明後日の宿の予約を携帯からトライ予定していた竹屋敷の予約が団体客で明日も明後日も満室で取れない88番大窪寺門前の八十窪は泊まれるというので連泊出来るかを聴くと「大窪寺の前に大滝寺をお参りするのがすじでよ〜」「樺川荘本館に泊めてもらい大滝さんを先にしない」 「大滝寺へは夏子ダムからのへんろ道を上りたいんです」 「あの道はやめときない宮崎さんの地図にも上れんように書いてあるけん」とアドバイス貰い、遠回りに成るが明日は樺川荘本館、明後日は八十窪に予約をした。
82番根香寺の山門右側 07:11
82番根香寺の山門 07:11
82番根香寺山門左側の大わらじ 07:11
82番根香寺山門右側の大わらじ 07:11
82番根香寺山門からの参道と石段 07:11
82番根香寺、白猴欅(はっこうけやき)の株 07:17
"樹齢1600年とも言われるケヤキの老木であり、香川県の天然記念物に指定されていたが枯死した。名の由来は智証大師が寺院創建の折にこの樹を伝って下りてきた白い猿が大師を手助けしたと言われる伝説に由来する。"= Wikipediaより引用
82番根香寺の鐘楼 07:17
82番根香寺の大師堂 07:18
82番根香寺07:18
82番根香寺手水舎の手水 07:18
82番根香寺境内に咲くコブシ 07:18
82番根香寺の本堂 07:28
82番根香寺本堂の香炉と灯明台 07:29
82番根香寺本堂から石段を下る 07:29
82番根香寺の大師堂 07:30
82番根香寺から五色台へんろ道を別格19番香西寺へと下る 08:28
へんろ道、詳しくはこちらからどうぞ http://d.hatena.ne.jp/boianuf/20140105
斜面の果樹園を通って香西へ 08:28
別格19番香西寺 門前に到着 09:26
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平成25年4月7日(日)
番外別格19番香西寺 ( Hotouzan Kouzaiji, Ex. 19th of Shikoku 88 )
H10m
番外別格第19番札所 宝幢山 香西寺 (ほうとうざん こうざいじ)
本尊 延命地蔵菩薩 (えんめいじぞうぼさつ)
真言 「おん かかか びさんまえ そわか」
開基 行基菩薩
宗派 真言宗大覚寺派
御詠歌 なむだいひ えんめいじぞう だいぼさつ みちびきたまへ このよのちのよ
所在地 香川県高松市香西西町211
☆ 略縁起、奈良時代に僧行基により開創され、初め勝賀山のふもとにあり勝賀寺といった。平安初期に僧空海(弘法大師)が再建し現地に移した。嵯峨天皇の勅願寺に選ばれて、寺禄貫を賜り、朱雀天皇のとき、談議所(僧徒学問所)に選定された。鎌倉時代、この地の豪族香西左近将監資村(香西氏の祖)が、幕命をうけ堂塔を再建し香西寺と改称す。その後細川頼之が当寺を本津(香西東町)に移し、十一代香西元資は寺号を地福寺と改称す。天正年間戦火にあい、生駒親正が国主となり、再建ののち高福寺と名を変えた。満治元年、またも失火のため旧寺域(現在の地)へかえることになった。寛文九年、藩主松平頼重公が新伽藍を建立落慶し、別格本山・香西寺となる。その後当時の七堂伽藍はほとんど失火で焼失し、現在の建造物はその一部である。寺宝の毘沙門天立像(木造・檜一本造り、平安時代初期101センチ)は昭和十六年十一月、重要文化財に指定され、藤原時代弘仁佛としては、全国的にも逸品である。
案内・地図、高松駅より香西車庫行き、弓弦羽行または玉越行バスにて「中塚」下車、徒歩2〜3分。車の場合、瀬戸大橋よえい瀬戸大橋通り(讃岐浜街道)を高松方面に向かい、香西芝山の信号を右折し、次の信号を越えて30メートル進み、タバコ屋の角を右へ上る。普通車50台駐車可。バスは寺院入り口付近の市道に駐車可。 ☆ (四国ネットより)
別格19番香西寺の山門 09:26
別格19番香西寺山門前の毘沙門天像と蘇鉄 09:26
別格19番香西寺の山門 09:26
別格19番香西寺山門の仁王像 09:26
別格19番香西寺山門の仁王像 09:26
別格19番香西寺山門から境内への参道 09:27
別格19番香西寺参道と石段、正面が本堂 09:27
別格19番香西寺の本堂と毘沙門天堂 09:28
別格19番香西寺の本堂、毘沙門堂と大師堂 09:28
別格19番香西寺の鐘楼 09:28
別格19番香西寺の大師堂(不動堂、鎮守堂) 09:43
別格19番香西寺の毘沙門天堂 09:44
別格19番香西寺の本堂 09:44
別格19番香西寺の本堂とブロンズの観音像 09:44
別格19番香西寺のブロンズ観音像、毘沙門天堂と大師堂 09:44
別格19番香西寺の境内 09:44
別格19番香西寺の境内 09:44
別格19番香西寺の納経所は石段下の閻魔堂内です 09:44
別格19番香西寺本堂と香炉 09:45
別格19番香西寺の手水 09:46
別格19番香西寺の本堂、毘沙門天堂と大師堂 09:46
本津川を渡る 10:20 MAC香西店(郷東町136-1)でトイレを借りビッグマック、サラダ、コーラを注文670円支払う。外の杖はお遍路さんので? 長いつえですね〜どちらからこられたんで〜」と食事に来て隣のテーブルに座った同年輩のおやじさん。 10:33
このあと高松市鶴市町のローソンで一口羊羹などとスポーツドリンクを買った 11:32
光明寺付近 11:52
香東川を渡る 隣に立派な橋も有るがへんろ道の潜水橋を渡った 12:01
香東川を渡る 12:02
へんろ道の潜水橋を渡った 12:02
潜水橋を渡ったところの河川敷ではスポーツイベントをしていた 12:04
高松一宮のへんろ小屋の飾り棚の中に地蔵の焼き物が一つ置いて有ったので、ガラス戸をあけて道隆寺付近で貰った同じタイプの地蔵を隣に並べ入れておいた 13:04
高松一宮のへんろ小屋 13:05
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平成25年4月7日(日)
83番一宮寺 ( Shingouzan Ichinomiyaji, 83rd of Shikoku 88 )
H37m
第83番札所 神豪山 一宮寺 (しんごうさん いちのみやじ)
本尊 聖観世音菩薩 (せいかんぜおんぼさつ 伝、弘法大師作)
真言 「おん あろりきゃ そわか」
開基 義渕僧正
宗派 真言宗御室派
御詠歌 さぬきいち みやのみまへに あふぎきて かみのこころを たれかしらゆう
所在地 香川県高松市一宮町字宮西607番地
☆ 高松郊外にあり周囲が住宅化してゆく中で一宮寺は古い姿をとどめている。縁起によれば、大宝年間(七〇一〜三)に義渕僧正が開き、はじめは大宝院と称し、法相宗に所属していたが、諸国に一宮が建てられたとき、行基菩薩が堂塔を修築し、田村神社の第一別当職となり、寺号も一宮寺に改められた。大同年間(八〇六〜一〇)に弘法大師が留まり、聖観音像を刻んで安置し、本尊とした。後に兵火にかかり、第二別当職にあった弥勒寺と末寺は没収されたが、一宮寺は残った。しかし長曽我部元親の兵火で堂塔は灰燼に帰し、憎宥勢によって再興された。延宝七年(一六七九)には、高松城主松平頼重により田村神社の別当職を解かれ、神仏は分離するのである。現在もこの名残りをとどめ、仁王門の前は神社の境内地。本堂右に大師堂と庫裡・納経所があり、左に宝治元年(一二四七)建立の三基の石の宝塔がある。一宮御陵とよばれ、孝霊天皇百襲姫・五十狭芹彦命のものという。☆ (四国ネットより)
83番一宮寺の西門 13:11
83番一宮寺西門横の駐車場 13:11
83番一宮寺の鐘楼、境内を突き切り山門へ 13:11
83番一宮寺の仁王門 13:12
83番一宮寺の仁王門から境内へ 13:13
83番一宮寺仁王門からの参道、鐘楼、手水舎と本堂 13:13
83番一宮寺の本堂 13:13
83番一宮寺の手水舎と本堂 13:35
83番一宮寺の大師堂 13:35
83番一宮寺の鐘楼 13:35
83番一宮寺の仁王門と鐘楼 13:35
83番一宮寺の本堂 13:36
83番一宮寺の納経所は右 13:36
83番一宮寺の本堂前にて 13:36
83番一宮寺の大師堂 13:37
一宮寺からへんろ道を屋島へ歩く時、うどん黒田屋付近からの遍路マークに注意が必要ですまたまた赤い矢印に黒文字でへんろみちと書いたマークに誘導され172号線(車へんろ用)を歩いて高速道路まで来て軌道修正し琴平線のところからへんろ道に戻れた。高松市木太町のローソンでまたまた一口羊羹とレーズンロール、生鮮品を購入しトイレを借用 (街中ではコンビ二でトイレが借りられます) 15:58
高松市木太町のローソン15:58
高松市木太町のトイレを借りたローソンの長尾街道から屋島寺へのへんろ道へ入る 15:59
長尾街道から屋島寺へ神社の集合所の横のへんろ道を通る 15:59
春日川を渡る屋島が向こうのほうに見えている 16:18
春日川を渡る 16:18
春日川を渡る 16:18
ことでん屋島からのびる登山道の左手に広瀬旅館が見えてきた 16:47
広瀬旅館 16:48
(500年も続いている遍路宿である事があとから頂いた結願礼状への返信ハガキでわかる)
下の食堂でこの時間出来るものを注文して夕食にした 18:05 おばさんとおじさんが遍路宿と食堂をしておられました。自炊しようと思えば2階に備わったキッチンコーナーで出来る遍路宿でした。朝食は無しで早発ちの為おにぎり弁当を作ってもらい清算を済ませた。