四国霊場逆打ち車遍路 🚘 40 焼山寺 童学寺 藤井寺 切幡寺 法輪寺
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2016.11.07 (月)
四国88ヶ所、 12番札所 焼山寺
12番焼山寺 (Marozan Shozanji, 12th of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+708m
第12番札所 摩盧山 焼山寺 (まろざん しょうさんじ)
本尊 虚空蔵菩薩 (こくうぞうぼさつ 弘法大師作)
真言 「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか」
開基 役の行者小角
宗派 真言宗高野派
御詠歌 のちのよを おもへばくぎゃう しょうさんじ しでやさんづの なんじょありとも
所在地 徳島県名西郡神山町下分地中318
参道より石段を上ると山門があり、入っていく左手に手水場、右手に鐘楼があり正面に本堂がある。本堂右手に2008年に落慶した大師堂がある。本堂左手に三面大黒堂が、大師堂の右手に十二社神社がある。納経所は山門を背にして左側、その奥には茶堂がある。(Wikipediaより)
昔から「遍路ころがし」といわれるほどけわしい山の寺が、四国には六カ所あり、焼山寺もこの難所に数えられていたが、現在自動車通が山上まで開通し、苦行せずして参拝できるようになった。歩く遍路にとつて、とくに垢取川にかかる一つ瀬橋を渡ってから急な坂道になる。山門までおよそ二・五㌔(海抜八百㍍)杉本立の中をあえぎながら登る。寺伝によると、この山中の魔の毒蛇が火を吐いて危害を加え、大師が登山しようとしたときも全山火の海であった。大師が垢取川で身を浄め、真言を誦して登ると火は消え、九合目の岩窟から毒蛇が飛びかかった。この時虚空蔵菩薩があらわれ、毒蛇を岩窟に封じこめた。大師は虚空蔵菩薩を刻んで本尊とし、寺号を火の山にちなみ「焼ケ山ノ寺」山号を火の恐れがあるので「摩盧(水輪の意)山」とした。参道途中に四国遍路の元祖といわれる衛門三郎最期の遺跡上、杖杉庵がある。遍路二十一回目に逆打ちして大師と出会った所である。(四国ネットより)
焼山寺駐車場の布袋像
焼山寺参道の十三仏石像、不動明王像
焼山寺参道の十三仏石像、文殊菩薩像
焼山寺参道の十三仏石像、地蔵菩薩像
焼山寺参道の十三仏石像、釈迦如来像
焼山寺参道の十三仏石像、観音菩薩像
焼山寺の山門石段
焼山寺の山門と修行大師像
焼山寺の修行大師像
焼山寺仁王門の仁王像
焼山寺仁王門の仁王像
仁王門からの焼山寺参道
焼山寺の境内
焼山寺の大師堂
焼山寺の本堂、左は三面大黒天堂
石造りの多宝塔
焼山寺の本堂内陣
焼山寺の大師堂内陣
焼山寺の鐘楼
焼山寺の三面大黒天堂、本堂、大師堂
三面大黒天堂の内陣、三面大黒天は毘沙門天・弁才天と合体したお姿であります
三面大黒天堂の三面大黒天
三面大黒天は、正面が大黒天・右面が毘沙門天・左面が弁財天の顔一般の大黒天に比べて、ご利益が著しいと言われています。大黒天は衣食住を護り、毘沙門天は勇気と力を、弁財天は美と才能を与えてくれます。また、毘沙門天の右手の鉾は悪霊を退散させ、左手の宝塔は一切経の宝蔵を示し、無量の智慧を授けます。そして、弁財天の右手にはすべての願いを叶える宝珠を持ち、左手の鍵で宝蔵の鍵・心の鍵などを開きます。つまり、三面大黒天は三天のご利益が一身に備わっているのです。
焼山寺の境内
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2016.11.07 (月)
番外霊場 杖杉庵(じょうしんあん)
所在地 徳島県名西郡神山町下分字地中174
杖杉庵(じょうしんあん)の石柱
杖杉庵(じょうしんあん)
杖杉庵(じょうしんあん)
衛門三郎は四国巡錫中の弘法大師に行った無礼な行いを詫びるため
弘法大師を追って旅に出たという。
21回目に逆回りを行っている途中、四国八十八箇所12番札所焼山寺近くの
この地で力尽き病に倒れた
そこに弘法大師が現れ、衛門三郎は非礼を詫びた。
大師が衛門三郎に来世の望みを訊くと、生まれ変われるなら河野家に生まれたいと
望んで息を引き取った。そこで大師は「衛門三郎再来」と書いて左の手に握らせた
その衛門三郎のにぎっていた石が松山の石手寺の宝物館にあります
衛門三郎霊跡
伊予の国 浮穴群荏原の荘の長者衛門三郎は財宝倉にみち勢近国に稀な豪族であった。それでいて強欲非道な鬼畜のようなこの長者は貧しい者を虐げ召使共を牛馬の如くにこき使って栄華の夢に酔いしれていた。雪模様の寒いある日にその門前に一人の旅僧が訪れた。乞食のようなみすぼらしい旅僧は一椀の食物を乞うた。下僕の知らせに衛門三郎はうるさげに「乞食にやるものはない追い払え」と言い捨てた。そのあくる日も次の日も訪れた。衛門三郎は怒気満面いきなり旅僧の捧げる鉄鉢を引っ掴むや大地に叩きつけたと見るや鉄鉢は八つの花弁の如く四辺にとび散った。唖然と息を呑み棒立ちとなった衛門三郎がふと我に返った時には旅僧は煙の如く消え失せていた。長者には八人の子供があった。其翌日長男が風に散る木の葉の如くこときれた。其の翌日には次子が亡くなり八日の間に八人の子供がなくなった。鬼神も恐れぬ衛門三郎も恩愛の情に悲嘆にくれ初めてこれはおのが悪業の報いかと身に迫る思いを感じた。空海上人とか申されるお方が四国八十八ヶ所をお開きになる為此の島を遍歴なされているとか。我が無礼を働いたあの御坊こそその上人と思われる。過ぎし日の御無礼をお詫び申さねば相すまぬと発心しざんげの長者は財宝を金にかえ妻に別れ、住みなれた館を後に野に山に寝、四国八十八ヶ所の霊場を大師を尋ねて遍路の旅をつづけた。春風秋雨行けど廻れど大師の御すがたに会うことが出来なかった。遂に霊場を巡ること二十度会えぬ大師を慕いつづけた。二十一度逆の途を取って此の所までたどりついた。疲れた足をよろぼいつつ木陰に立ち寄り背に負うた黄金の袋を下して見ると何とした事ぞ一塊の石となっていた。いよいよ驚きが今一歩も立上がる気力もなくうち倒れている折しも大師の御姿が現れ給い、やさしく「やよ、旅の巡礼、そなたは過ぎし日わが鉄鉢を打ち砕いた長者にあらずや」との御声「われは空海いつぞやの旅僧なり」「ああ上人さまお許しなされませ、お許しなされまし」と伏し拝みざんげの涙はらはらと手を合わせ大悲にすがる長者は今こそ悪業深さ無明の闇から光明世界へ還らんとする姿であった。「そなたの悪心すでに消え善心に立ち還った。この世の果報はすでに尽きたり来世の果報は望に叶うであろう」と仰せられ、衛門三郎は大慈大悲の掌に救われ来世は一国の国司に生まれたい、と願った。大師は其心を憐み、小石を其左手に握らせ、必ず一国の主に生まれよと願い給い、衛門三郎はにっこと微笑みをのこし敢え無くなった。其の日は天長八年十月二十日と伝えられる。大師は衛門三郎のなきがらを埋め彼の形見の遍路の杉の杖を建て墓標とされた。其の杖より葉を生し大杉となった。故に此の庵を杖杉庵と呼ばれ今尚大師の遺跡として残っている。此杉は享保年間焼失した。その頃京都御室から「光明院四行八蓮大居士」の戒名が贈られ、四国遍路の元祖として今も此の地にまつられている。
焼山寺 保勝会 複刻 平成八年一月吉日
最初に四国八十八箇所を巡った伝説の人物とされる衛門三郎の終焉の地と
伝説が残る場所に建つ碑
弘法大師像と三界万靈地蔵尊像
天長8年(831年)10月20日のこととされる。大師は衛門三郎をこの地に葬り、
墓標として衛門三郎が遍路に使用した杉の杖を立てた。
これがやがて根を張り杉の大木となったという。
「光明院四行八蓮大居士」衛門三郎の戒名
2016.11.07 (月)
別格20霊場 2番札所 童学寺
番外別格2番童学寺 ( Tomaizan Dogakuji, Ex. 2nd of Shikoku 88 )
EL+38m
番外別格2番札所 東明山 童学寺 (とうめいざん どうがくじ)
本尊 薬師如来 (やくしにょらい 伝、行基菩薩作)
真言 「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基 行基菩薩
宗派 真言宗善通寺派
御詠歌 まいるなら 三世の悪行 消へはてる 南無や薬師の 瑠璃の光に
所在地 徳島県名西郡石井町石井字城ノ内605
略縁起、高祖弘法大師学問所童学寺は、日本の大偉人弘法大師さま、ご幼名を神童と称されし頃に、当山に久しく留滯なされて、学問御修行遊ばされました由緒深き所由をもって寺号す。お大師様は当山において、「いろは歌」四十七文字を創作せられて、児童等にひろく教えられました。これは日本の民衆教育の最初であり、この「いろは歌」により日本文化の発展の基礎を創られたことは、お大師様御一代の御事業中特筆すべき千古に輝く御功績である。境内裏庭逍逢園入口には、台詞が硯の水を求めたというお筆の加持水という泉があり、以来一滴の水の絶えることを知らない。この水を飲めば緒病はことごとく治癒し、硯にたくわえ書道の修練に用いたならば誰でも筆達者になれる等々、この霊水は大師を静かにたゆまなく今に語り伝えるのである。後、弘法大師はこの地に於いて 厄除薬師如来(国宝)、阿弥陀如来、観音菩薩、持国天、毘沙門天、歓喜天、(いずれも準国宝)を彫刻し、一小堂を建立し薬師如来を本尊としてこれを安置し、日を重ねて祈り夜を重ねて誓われたのである。この薬師如来こそ当寺に現存する御本尊である。案内・地図、JR石井駅よりタクシーで十五分。バスの場合は、徳島駅より徳島バス9鴨島行、池田行など)にて「石井警察署前」下車、徒歩35分。または同じく徳島バス・石井まわり神山線にて「ソガ団地」下車、徒歩25分。車の場合、国道192号線、石井警察署前バス停、麻野病院の角を南へ入り、農業試験場の前(寺の標識あり)を右折し、突き当たりを左へ、寺に至る。普通車10台、マイクロバス5台駐車可 (四国ネットより)
童学寺
童学寺の山門
池と童学寺
山門を入り童学寺の境内へ
童学寺の境内
童学寺の大師堂
童学寺の大師堂
出世聖天堂
出世聖天堂とキリシタン灯篭
キリシタン灯篭の標柱
キリシタン灯篭
キリシタン灯篭
キリシタン灯篭の説明
弘法大師お加持水、脳天不動、逍遥園
室町時代築庭園「逍遥園(しょうようえん)」
室町時代築庭園「逍遥園(しょうようえん)」
御加持水
御加持水
脳天不動
池と松
童学寺の本堂
童学寺の手水舎
地蔵尊像
童学寺の境内
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2016.11.07 (月)
四国88ヶ所、11番札所 藤井寺
11番藤井寺 ( Kongozan Fujiidera, 11th of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+38m
第11番札所 金剛山 藤井寺 (こんごうざん ふじいでら)
本尊 薬師如来 (やくしにょらい 伝、弘法大師作)
真言 「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基 弘法大師
宗派 臨済宗妙心寺派
御詠歌 いろもかも むひちゅうどうの ふじいでら しんにょのなみの たたぬひもなし
所在地 徳島県吉野川市鴨島町飯尾1525
山門を入ると右側に弘法大師お手植えと伝えられている藤の藤棚があり、その後に鐘楼がある。参道は先で右に折れ左側に手水場、水掛け地蔵、不動堂、白龍弁財天堂が並び、最奥に本堂が建つ。本堂手前右側に大師堂がある。納経所は手水場の向かいにある。(Wikipediaより)
四国第一の川・吉野川を渡る。四国三郎とよばれ、二百三十六㌔の長さを持つ。この川を壊れば鴨島の町。そして、山麓の藤井寺までは三㌔あまり。門前に遍路宿があり、境内にも古い遍路宿がある。右手の一段高い所にある本堂には、弘法大師が刻まれたと伝えるご本尊の薬師如来が奉安されている。大師は三方を山に囲まれた幽すいな霊地に心ひかれ、堂宇を建立し、自刻の尊像を奉安し、十七日間護摩修法され、堂塔の前に五色の藤を植えられ、藤井寺と名づけられた。その後、天正の兵火で焼失し、寛永年間に再建されるが、天保二年に再び焼失し、現在の本堂はその後の建立という。この間、真言宗から臨済宗に改宗している。歩く遍路は近くの宿で泊り、翌朝出発して焼山寺へ向う。長戸庵、柳ノ水奥ノ院、柳水庵、一本杉庵など大師の遺跡があり、男八時間、女九時間の難行。十六㌔の貴重な遍路みち。車なら石井、寄井を経る迂回路をゆく。(四国ネットより)
藤井寺の山門
藤井寺の本堂
藤井寺の本堂内陣
藤井寺の本堂、龍の天井画
この日は光線の加減が良くカメラに写りました
藤井寺の本堂、龍の天井画
本堂は暗くその日の天気と堂内に入る光の角度の関係で天井画は写しずらいです
この日の光線は都合がよく天井画もフラッシュなしできれいに移すことが出来ました
藤井寺の本堂、龍の天井画
藤井寺の本堂、龍の天井画
藤井寺の本堂
藤井寺の本堂
藤井寺の大師堂石柱
不動堂
藤井寺の大師堂
藤井寺の大師堂
白龍弁財天堂
白龍弁財天内陣
藤井寺の手水舎
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2016.11.07 (月)
四国88ヶ所、10番札所 切幡寺
10番切幡寺 ( Tokudozan Kirihataji, 10th of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+157m
第10番札所 得度山 切幡寺 (とくどざん きりはたじ)
本尊 千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ 伝、弘法大師作)
真言 「おん ばざらたらま きりく そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗高野派
御詠歌 よくしんを ただひとすじに きりはたじ のちのよまでの さわりとぞなる
所在地 徳島県阿波市市場町切幡129
山門を抜けて参道を進むと経木場があって、その横から333段の石段が始まる。沿道には石仏が祀られており、上部の女厄坂、男厄坂を上りきると右手に手水場、その後ろに鐘楼がある。正面奥に本堂があり、その右にはたきり観音像が建てられている。本堂手前の右側には大師堂が、左側には不動堂がありその先の石段を上ると大塔がある。その高台からは吉野川が流れる平地や第十二番焼山寺のある山々を望むことができる。納経所は手水場の向かい側にある。(Wikipediaより)
最初におとずれた急な参道。山麓から中腹の本堂まで約八百㍍。麓には遍路用具店があってささやかながらも門前町になっている。仁王門からは三百三十三段の石段になり、登りつめたところが本堂。ご本尊は女人済度で名高く、女性の信者が多い。弘仁のころ、山麓の貧しい小部落にハタを織る若い女がいた。たまたま弘法大師が立寄って喜捨を乞うたところ、女はこころよく接待した。七日後も女はいま織っていた白布を惜しげもなく切り裂いてさしだした。大師は感激してその理由をたずね、女の願いを聞いて哀れに思い、その家に留まり、千手観世音を刻み、女を得度させて潅頂を授けた。すると女はたちまち即身成仏して観世音菩薩に化身した。そこで大師はこの地に堂宇を建立し得度山切幡寺とした。潅頂院の院号も、またご本尊が二体あるのもこの縁起に由来する。(四国ネットより)
切幡寺の仁王門
切幡寺仁王門の仁王像
切幡寺仁王門の仁王像
切幡寺の経木場、弘法大師が錫杖でつかれてから湧き出した水と言われている
切幡寺経木場の諸仏
経木場からの参道石段したの八大竜王、竜王は水を司り、雨を降らす力を持つ竜の王
釈迦如来の侍者として請雨曼荼羅に描かれている
経木場からの参道石段 「是より234段」
参道石段
参道石段
参道石段
参道石段
参道石段
切幡寺の本堂
切幡寺の本堂内陣
幡切観音像
納経所から見上げる多宝塔
切幡寺の本堂
切幡寺の大師堂と鐘楼
本堂前の灯篭のうえにはシャチホコがのっております
本堂前の灯篭のうえにはシャチホコがのっております
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この日の昼食は県道12号線の 「うどん亭八幡」
徳島県阿波市市場町大野島新ノ池8−1
イカ天うどん735円
大きなイカ天
天さるうどん1058円
さるうどん
天婦羅
2016.11.07 (月)
四国88ヶ所、9番札所 法輪寺
9番法輪寺 ( Shogakuzan Hourinji, 9th of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+31m
第9番札所 正覚山 法輪寺 (しょうがくざん ほうりんじ)
本尊 涅槃釈迦如来 (ねはんしゃきゃにょらい 伝、弘法大師作)
真言 「のうまく さんまんだ ぼだなんばく」
開基 弘法大師
宗派 真言宗高野派
御詠歌 だいじょうの ひほうもとがも ひるがへし てんぼうりんの えんとこそきけ
所在地 徳島県阿波市土成町土成字田中198-2
両側に大草鞋がかけられた重層の山門を入ると左側に手水場がある。最も奥に本堂が建ち、本堂の右に大師堂が並ぶ。本堂に向かって左側に参拝者休憩所、納経所等が建てられている。その休憩所の左手に鐘楼がある。(Wikipediaより)
田園の中にぽつんと建つ法輪寺。どこからも入れそうなお札所。歴史をたどってみると永禄十二年(一五六九)長曽我部元親は土佐一国を平定し、やがて四国を平定して京に上る意志をもち、まず攻めたのが阿波であった。天正三年(一五七五)に大西城が落ち、そして拠点であった勝瑞が落城したのは七年後である。この戦乱で寺々は兵火にあい、そのほとんどが焼失した。法輪寺もこの時党宇を焼失したが、そのころは山麓の法池ケ溪にあって、白蛇山法林寺と称し、広壮な寺域を有していたが、後の正保年間に山号を正覚山法輪寺に改め現在地に再建したのである。その後、安政六年に火災にあい、現存の建物は明治以降の建立といわれる。ご本尊は弘法大師が刻まれた釈迦如来涅槃像。頭を北に、顔は西に向け、右脇を下にして涅槃に入られ、周囲には悲歎にくれる大衆の姿が刻まれている。本堂には、不治の難病が全快した山口庄太郎という遍路の感謝の奉納額がある。(四国ネットより)
法輪寺の石柱
法輪寺の仁王門
法輪寺仁王門の仁王像
法輪寺仁王門の仁王像
法輪寺の大師堂と方丈
法輪寺の手水舎
法輪寺の大師堂
法輪寺の修行大師像
法輪寺の本堂
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