四国霊場逆打ち車遍路 🚘 28

四国霊場逆打ち車遍路 🚘 28 石手寺 繁多寺 浄土寺 西林寺 文殊院

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松山市内中心部を避けて通るルートは2016.12.04の松山通過のマップで移動
そのルートとはこちらから 
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2016.11.01(火) 
四国88ヶ所、51番札所 石手寺
51番石手寺  ( Kumanozan Ishiteji, 51st of Shikoku pilgrimage 88 ) 
EL+49m
第51番札所 熊野山 石手寺 (くまのざん いしでじ)  
本尊  薬師如来 (やくしにょらい)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 さいほうを よそとはみまじ あんやうの てらにまいりて うくるじうらく
所在地 愛媛県松山市石手2丁目9-21

↖  51番石手寺(いしてじ)境内図

四国観光のメッカだけに道後の湯治客もまじって賑わい、門前には名物の草餅を売る店が並び繁昌している。仁王門までの回郎は絵馬堂にもなって句や連歌、能役者などの名前を書いた額が納められている。縁起によれば、道後湯築城主河野息利の妻が男児を生んどがその子は生後三年たっても左の手がひらかず、安養寺の住職が祈祷したら手をひらき、「衛門三郎再来」の小石がころげ落ちた。その子は息方と名づけられ十五歳で家督をついだが、この子こそ天長八年十月、十二番焼山寺の山中で亡くなった衛門三郎の生まれかわりなのである。やがて安養寺を石手寺に改め、この石は寺に納められた。寺の草創は聖武天皇神亀五年(七二八)伊予大守越智玉純が勅を奉して鎮護国家の道場として伽藍を建立し、安養寺と名づけたことにはじまる。ご本尊の薬師如来天平元年(七二九)行基菩薩の開眼。現存の本堂、三重塔、仁王門、鐘楼堂などは鎌倉末期の再建。 (四国ネットより)

納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました

石手寺の石柱

石手寺参道

騎龍観音菩薩

石手寺の衛門三郎石像

石手寺の石畳参道と仁王門

石手寺の二王門

石手寺二王門の仁王像

石手寺二王門の仁王像

石手寺の山門を入って左の鐘は自由に撞ける

阿弥陀堂

石手寺の三重塔

石手寺の三重塔

石手寺の本堂

石手寺本堂からの仁王門

石手寺本堂からの仁王門

大師堂の右隣り
鬼子母神が祀られているため、ここの石を持ち帰ると子宝と安産に恵まれると言われている

大師堂の内陣

大師堂の弘法大師手形

大師堂の右隣りに鬼子母神が祀られている、ここの石を持ち帰ると子宝と安産に恵まれると言われている

護摩

弥勒堂

水天堂

鐘楼よこの穴地獄

鎮守

石手寺の境内

宝物館内、左のケースの中に衛門三郎の玉の石があります

衛門三郎の玉の石

宝物館内

お茶堂からの三重塔

お茶堂の香炉

お茶堂

お茶堂、この堂の大師像は絶対秘仏

石手寺境内と本堂

日が昇り照らされた三重塔

仁王門から出る

石手寺参道のやきもち

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51番石出寺から50番繁多寺へのルート


2016.11.01(火) 
四国88ヶ所、50番札所 繁多寺
50番繁多寺  (Higashiyama Hantaji, 50th of Shikoku pilgrimage 88 ) 
EL+64m
第50番札所 東山 繁多寺 (ひがしやま はんたじ) 
本尊  薬師如来 (やくしにょらい 伝、行基菩薩作)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 よろずこそ はんたなりとも おこたらず しょびょうなかれと のぞみいのれよ
所在地 愛媛県松山市畑寺町32

↖  50番繁多寺(はんたじ)境内図

この付近は松山市の郊外で、人家も多く道ゆく人との出会も多い。空也谷から八幡神社を経て、なだらかな坂を登ると、右手淡路山の中腹に山門がみえてくる。門を入れば正面に本堂、右に大師堂、左に聖天堂、庫裡がある。ご本尊は薬師如来。寺の開基である行基菩薩の作で孝謙天皇の勅願所であった。その後、伊予入道頼義や尭運によって再興され、光明寺と号したが、弘法大師が長く留まって東山繁多寺に改称した。時宗の開祖である一遍上人もこの寺にとどまって学問修行したと伝えられる。上人はその後「捨聖」として遊行し、正応元年(一二八八)亡父如仏の追善のために三部経を繁多寺へ奉納している。応永元年(一三九四)には京都泉涌寺二十六世快翁師が後小松天皇の命で繁多寺第七世の住職となり、それより高僧が相継いで住職となったが、天和のころ龍湖という名僧が出て徳川家の帰依を得ることとなり、四代将軍家綱の念持仏三体の一つである歓喜天を安じた。 (四国ネットより)

納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました

繁多寺の山門

山門から繁多寺境内へ

繁多寺境内、正面は本堂

繁多寺の本堂

鐘楼

大師堂内陣の弘法大師座像

大師堂

繁多寺の境内、大師堂、本堂、歓喜

鐘楼、歓喜堂、本堂

納経所前の弁財天

手水舎

繁多寺の境内

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50番繁多寺から49番浄土寺へのルート


2016.11.01(火) 
四国88ヶ所、49番札所 浄土寺
49番浄土寺 ( Sairinzan Jodoji, 49th of Shikoku pilgrimage 88 ) 
EL+50m
第49番札所 西林山 浄土寺 (さいりんざん じょうどじ) 
本尊  釈迦如来 (しゃかにょらい 伝、行基菩薩作)
真言  「のうまく さんまんだ ぼだなん ばく」
開基  恵明上人
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 じうあくの わがみをすてず そのままに じゃうどのてらへ まいりこそすれ
所在地 愛媛県松山市鷹子町1198

↖  49番浄土寺(じょうどじ)境内図

西林寺から約三.三㌔ほど歩くと空也谷というところがある。山裾の静かなところだがこれは村人が空也上人を慕ってつけた地名でここに浄土寺がある。空也上人はやせて腰のまがった身に鹿の皮を裘にしてまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、念仏の一言一言が小さな仏になって口から出ている姿をされている。天徳(九五七〜六○)のころ、上人が四国へ渡って浄土寺に三年間とどまり民衆の教化に励まれた。浄土寺にある上人像は、上人がこの地を去るにあたって、村人がお姿だけでも留められるようにと懇願したので、自像を刻んで残したといわれる。大正十一年建立の仁王門を入れば正面に寄棟造りの本堂がある。本尊は行基菩薩作の釈迦如来。寺は天平年間に開創され、孝謙天皇の勅願所であった。後に弘法大師が巡錫し、伽藍を再興している。現存の本堂は文明十四年(一四八二)領主河野通宣の再建で国の重文。本尊厨子空也上人像も重文に指定されている。 (四国ネットより)

納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました

浄土寺の仁王門

浄土寺の仁王門

浄土寺仁王門の仁王像

浄土寺仁王門の仁王像

浄土寺仁王門の仁王像

浄土寺仁王門の仁王像

手水舎と弁財天

手水舎からの石段

鐘楼

浄土寺阿弥陀堂と本堂

浄土寺の境内、観音堂、阿弥陀堂、本堂

本堂と大師堂

大師堂

本堂

鐘楼

納経所

納経所の門

本堂

大師堂

ねじれ松

ねじれ松

阿弥陀堂

本堂

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49番浄土寺から48番西林寺へのルート


2016.11.01(火) 
四国88ヶ所、48番札所 西林寺
48番西林寺 ( Seiryuzan Sairinji, 48th of shikoku pilgrimage 88 ) 
EL+43m 
第48番札所 清滝山 西林寺 (せいりゅうざん さいりんじ)  
本尊  十一面観世音菩薩 (じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
真言  「おん まか きゃろにきゃ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 みだぶつの せかいをたづね ゆきたくば にしのはやしの てらにまいれよ
所在地 愛媛県松山市高井町1007

↖  48番西林寺(さいりんじ)境内図

松山方面に向かって約五㌔ほど行くと田園の中に西林寺がある。川の土手より低い所に寺があることから、罪ある者が門を入ると無間地獄に落ちると遍路はよび、関所寺といっている。前を流れる内川の附近には「ていれぎ」という草が自生し、市の天然記念物に指定されている。本堂は、元禄十四年(一七〇一)の再建。縁起によれば聖武天皇の勅願によって天平十三年(七四一)行基菩薩が徳威の里に堂宇を建立し、一宮別当寺として開創した。大同二年(八〇七)には弘法大師は現在地に寺を移し、十一面観世音菩薩を刻んで本尊として安置した。また、大師は大旱魃に悩む村民を救済するため、杖を所々に突いて清水の湧く水脈を発見し、村民をうるおした。寺の西南にある「杖の渕」はその遺跡だという。寺の周囲のいたるところに小川が流れている。「お大師さまのおかげで水だけは不自由しない」と地元の人々は杖の渕に修行大師像を奉安し感謝している。 (四国ネットより)

納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました

西林寺の石柱

西林寺の仁王門

西林寺仁王門の仁王像

西林寺仁王門の仁王像

手水舎

水子地蔵

本堂と大師堂

大師堂

閻魔堂

池の福授け地蔵

鐘楼

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48番西林寺から、別格9番文殊院へのルート


2016.11.01(火) 
四国別格20霊場、9番札所 文殊院
番外別格9番文殊院 ( Monjiun Tokuseiji, Ex. 9th of Shikoku 88 ) 
EL+61m
番外別格9番札所 文殊院 徳盛寺 (もんじゅいん とくせいじ)  
本尊  地蔵菩薩 文殊菩薩 (じぞうぼさつ もんじゅぼさつ)
真言  「おん かかか びさんまえい そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗醍醐派
御詠歌 われ人を すくわんための 先だつに みちびきたまう 衛門三郎
所在地 愛媛県松山市恵原町308
略縁起、天長元年、大師は当院の文殊菩薩に導かれて当寺に留錫し、人々を教化される。河野衛門三郎も、その一人で、八名の愛児を失い、自分の罪の深さに目覚めた衛門三郎は、大師に懺悔、謝罪のため遍路に出る。これが遍路の始まりで四国の霊場を八カ年、二十一回巡拝して、遂に大師と再会できる。のちに、大師により衛門三郎は伊予の国主に生まれ変わることができ善政を行う。後年、衛門三郎旧宅へ寺を移し、河野家の菩提所とする。境外地
八塚 衛門三郎の子供の墓(松山市文化財
八窪 大師鉄鉢が八つに割れて飛んでいった八つの窪み。大師御加持水湧き出る
石鎚お山開き(毎年七月一日〜十日)ロープウェイ乗り場下にあり石鎚山開祖役行者堂は現在文殊院が昔木戸の鍵を管理し、人々はこの行場で滝に身を清め、山頂へ登っていきます。御本尊は毘沙門天で、石鎚三体神変大菩薩、石鎚蔵王大権現、不動明王を、普段は文殊院にお祈りし、お山開きの間ご開帳しています。案内・地図JR松山駅から市内電車またはバスにて伊予鉄市駅に至り、伊予鉄バス久谷線または丹波線に乗り換え「恵原公民館前」下車、徒歩二分。車の場合、松山方面からは国道33号線を南下し、重信川にかかる重信大橋を渡り、最初の交差点を左測道を通行し、サラヤの角を右折して2.2キロ。高松方面からは国道11号線を利用し、県立砥部動物園または運動公園の標識を目印に進む。普通自動車50台、バス10台駐車可。 (四国ネットより)

番外別格20霊場、第9番札所 文殊院の宝号印、墨書きお納経

文殊院の本尊御影(おすがた)と本尊梵字(2016年)、散華は2013年歩き遍路の時に

文殊院の鐘楼と本堂

本堂と毘沙門堂、右は納経所

修行大師像

大師堂

本堂と大師堂

鐘楼と本堂

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