四国霊場逆打ち車遍路 🚘 26 伊予国分寺 仙遊寺 栄福寺 泰山寺
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今治小松自動車道の東予丹原ICから伊予国分寺までのルート 15.3km/19分
東予丹原ICから今治小松自動車道を今治方面へ、次の今治湯ノ浦ICを出て
県道38号線から県道156号線で桜井の国分寺門前の駐車場へ
2016.10.31(月)
四国88ヶ所、59番札所 国分寺
59番国分寺 ( Kinkouzan Kokubunji, 59th of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+17m
第59番札所 金光山 国分寺 (きんこうざん こくぶんじ)
本尊 薬師瑠璃光如来 (やくしるりこうにょらい 伝、行基菩薩)
真言 「おん ころころ せんだりまとうぎ そわか」
開基 行基菩薩
宗派 真言律宗
御詠歌 しゅごのため たててあがむる こくぶんじ いよいよめぐむ やくしなりけり
所在地 愛媛県今治市国分4-1-33
創建当初の規模からすれば現在の寺域は縮少されているが、本堂を中心に大師堂、金毘羅堂など整備されて建ち並んでいる。ご本尊は薬師如来(重文)天平十三年(七四一)聖武天皇の勅願によって行基菩薩が開創し、七堂伽藍は整備されて諸国の国分寺にくらべ豪壮なかまえであった。第三世智法律師のときに弘法大師が長く留まって五大尊の絵像一幅を残し、真如も二ヵ年滞留し、法華経の一部を染筆して残した。その後三度の戦火にあいながら、いずれも国主などの力によってまもなく復興された。しかし天正十二年(一五八四)の戦火で四たび堂塔を焼失してからは、経済的な支援者がなく、その後は復旧せず茅華の小堂が建っているのみだったが、寛政元年(一七八九)恵光上人が金堂(本堂)を建立し、その後、諸堂が再建された。書院の展示室には、奈良時代から平安時代初期にかけての鐙瓦や字瓦が保管されている。近くに七重塔の礎石がある。 (四国ネットより)
納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました
桜井の国分寺と親しまれている伊予国分寺の門前
伊予国分寺の灯篭門と参道石段
国分寺の石柱
国分寺の鐘楼
国分寺の鐘楼
国分寺の石柱門と握手大師、大師堂
手水舎
節水対策でしょう手水の水は押すと出します
国分寺の握手大師と大師堂
本堂
大師堂
納経所
伊予国分寺の境内
大師堂
本堂
国分寺の石柱門と境内
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桜井の国分寺と前後の四国88ヶ所札所への距離と道順地図
2016.10.31(月)
四国88ヶ所、58番札所 仙遊寺
58番仙遊寺 Sareizan Senyuji, 58th of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+252m
第58番札所 作礼山 仙遊寺 (されいざん せんゆうじ)
本尊 千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)
真言 「おん ばざら たらまきりく そわか」
開基 越智守興
宗派 真言宗高野派
御詠歌 たちよりて されいのどうに やすみつつ ろくじをとなへ きゃうをよむべし
所在地:愛媛県今治市玉川町別所甲483
仙遊寺は、天智天皇(662〜672)の勅願より創建された。本尊は千手観音。海から上がった竜女が一刀三礼して彫り上げたといわれ、作礼山の名の由来にもなっています。その後、養老2年までの40年間阿坊仙人という僧がここで修行、諸堂の整えたが雲と遊ぶかのように、ある日こつ然と姿がかき消えた。仙人の話は人々の口から口へと伝えられ、いつの間にか寺の名となった。明治時代、宥蓮上人という高僧がこの寺の山主となり、その法力で人々の信仰を進めたが衆生済度の思いをこの世に残すべく、生きながら土中に埋まって入定した。境内にはこの僧の入定塚がある。仙遊寺の参道途中に、弘法大師の御加持水があり、この井戸から湧き出た霊水は、多くの村人を諸病から救ったと伝えられ、いまだに人々の足がたえない。仙遊寺文庫には天皇、諸大名の御文、諸状が多数残されています。 (四国ネットより)
納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました
仙遊寺への参道道路
仙遊寺の仁王門
仙遊寺仁王門の仁王像
仙遊寺仁王門の仁王像
仁王門からの歩き参道をのぼると鐘楼、修行大師の所に出ます
仁王門の傍らにある山号寺号の入った石
境内、本堂横の子安観音像
境内、本堂横の子安観音像
手水舎と大師堂
手水舎
鐘楼
修行大師と鐘楼
修行大師像、仁王門から徒歩で登るとここへ出ます
境内と本堂
本堂、納経所
納経所に住職がおられ話をしました 「温泉の匂いが境内に漂っていますが、新たに採掘されたのですか?}「10年前から温泉はあります」「3年前、歩き遍路で宿坊に泊った時、温泉に気が付きませんでした」「今回は匂いが境内に漂い温泉とすぐわかります」「県の泉質検査では道後の湯より良いとビックリされています」との事でした
本堂、納経所
大師堂
大師堂と手水舎
本堂濡れ縁の不動祠
本堂濡れ縁の不動明王像
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2016.10.31(月)
四国88ヶ所、57番札所 栄福寺
57番栄福寺 ( Futouzan Eifukuji, 57th of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+41m
第57番札所 府頭山 栄福寺 (ふとうざん えいふくじ)
本尊 阿弥陀如来 (あみだにょらい)
真言 「おん あみりた ていせい からうん」
開基 弘法大師
宗派 真言宗高野派
御詠歌 このよには ゆみやをまもる やはたなり らいせはひとを すくふみだぶつ
所在地:愛媛県今治市玉川町八幡甲200
府頭山(八幡山)を目指して田圃道を歩み山麓からの急な参道を登る。正面は八幡宮、途中から右へ折れて栄福寺の境内へ入る。明治の神仏分離まで栄福寺は勝岡八幡と称し、神仏が同居していた。縁起によれば、嵯峨大皇の勅願により弘法大師の開創。大師が瀬戸内海を巡錫し、内海の風波海難の平穏を祈って大護摩を修されていると、海上はたちまち穏やかになり、海中より阿弥陀如来を感得し、ご本尊として奉安した。本堂は八幡宮への参道を背にし、他の堂より一段高い所にある。本堂向かって右手に回廊があり、大師堂、薬師堂など諸堂がコの字型に結んでいる。本堂回廊には昭和八年に奉納されたイザリ車と松葉杖がある。奉納者の宮本武正さんは当時十五歳で、巡拝中にこの地で歩けるようになり、感謝のあまりイザリ車を奉納したのである。 (四国ネットより)
納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました
栄福寺の石柱
栄福寺境内参道
手水舎
お願い地蔵尊像
本堂
大師堂と薬師堂、金毘羅堂
本堂と大師堂
薬師堂、金毘羅堂と納経所
大師堂
境内の修行大師像
本堂と大師堂
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2016.10.31(月)
四国88ヶ所、56番札所 泰山寺
56番泰山寺 ( Kinrinzan Taisanji, 56th of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+17m
第56番札所 金輪山 泰山寺 (きんりんざん たいさんじ)
本尊 地蔵菩薩 (じぞうぼさつ 伝、弘法大師作)
真言 「おん かかかび さんまえい そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗醍醐派
御詠歌 みなひとの まいりてやがて たいさんじ らいせのいんどう たのみおきつつ
所在地 愛媛県今治市小泉1丁目9-18
弘仁六年、弘法大師がこの地を巡錫した時梅雨のため蒼社川の水が氾濫していた。伊之子山(八七二㍍)附近に源を発する蒼社川は、玉川村から今治市の東南を抜けて燧灘へ流れ込んでいる。そのころこの地に伊予の国府があったが、国の力では防ぎようがなく、毎年梅雨期になると川が氾濫して田地や家屋を流し、人命を奪った。農民は恐れ苦しみ、この川を人取川といって悪霊のしわざと信じていた。そこで大師は川原に壇を築き「土砂加持」の秘法を七座厳修された。満願の日にご本尊地蔵菩薩を感得し、祈願成就したので一寺を建立してご本尊を安置し、延命地蔵十大願の第一「女人泰産」から寺名をとられ「泰山寺」とした。後の天長元年(八二四)淳和天皇の勅願所となり、七堂伽藍も完備、塔中十坊を有する大寺となった。しかしたびかさなる兵火で縮少し、山麓の現在地へ移建されるのである。近くに遍路へのサービス機関の同行新聞社がある。 (四国ネットより)
納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました
泰山寺駐車場からの参道
参道口の地蔵
門前の石段
鐘楼と納経所
鐘楼
大師堂
本堂
手水舎は石段を上がって左側にあります
不老松
大師堂
本堂
不動明王立像
聖宝源大師、不動明王、神変大菩薩
本堂
本堂、仁王像は本堂と客殿の間の廊下に立っています
大師堂
大師堂横の池
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56番泰山寺から55番南光坊へのルート (3.3km)/10分
駐車場から右折して次の信号、国道196へ左折で入る、次を右折し南光坊の表示右折