四国88箇所 🚙 40 石手寺 太山寺 圓明寺

四国88箇所車遍路 🚙 40 石手寺 太山寺 圓明寺

☆☆

松山市内中心部を避けて通るルートは2016.12.04の松山通過のマップが便利です
そのルートとはこちらから boianuf.hatenadiary.com


☆☆


Shikoku pilgrimage 88
2014-10-30
51番石手寺  ( Kumanozan Ishiteji, 51st of Shikoku pilgrimage 88 ) 
Above sea level 49m
第51番札所 熊野山 石手寺 (くまのざん いしでじ)  
本尊  薬師如来 (やくしにょらい)
真言  「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 さいほうを よそとはみまじ あんやうの てらにまいりて うくるじうらく
所在地 愛媛県松山市石手2丁目9-21
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☆ 四国観光のメッカだけに道後の湯治客もまじって賑わい、門前には名物の草餅を売る店が並び繁昌している。仁王門までの回郎は絵馬堂にもなって句や連歌、能役者などの名前を書いた額が納められている。縁起によれば、道後湯築城主河野息利の妻が男児を生んどがその子は生後三年たっても左の手がひらかず、安養寺の住職が祈祷したら手をひらき、「衛門三郎再来」の小石がころげ落ちた。その子は息方と名づけられ十五歳で家督をついだが、この子こそ天長八年十月、十二番焼山寺の山中で亡くなった衛門三郎の生まれかわりなのである。やがて安養寺を石手寺に改め、この石は寺に納められた。寺の草創は聖武天皇神亀五年(七二八)伊予大守越智玉純が勅を奉して鎮護国家の道場として伽藍を建立し、安養寺と名づけたことにはじまる。ご本尊の薬師如来天平元年(七二九)行基菩薩の開眼。現存の本堂、三重塔、仁王門、鐘楼堂などは鎌倉末期の再建。☆ (四国ネットより)

畑寺交差点まで下り40号北上川を渡って317号Tを右で51番、駐車場は民営有料で山門周辺多々あり

県道より短い渡らずの橋の向こうに手水がありその向こうに二ノ門、門の左に遍路の元祖である衛門三郎の石像があります

衛門三郎の石像の右手の二ノ門から51番石手寺回廊のある石畳参道
四国遍路開創衛門三郎縁起 昔伊予の国浮穴郡荏原の郷に、「衛門三郎」という非常に欲の深い長者がいました。或る日門前に一人のみそぼらしい托鉢の僧が訪れましたが衛門三郎はこの僧が弘法大師であることも知らず僧のもっていた托鉢をとりあげてなげつけてしまいました。ところがその後八人の男の子が悉く死んでしまいました。これには強欲非情な衛門三郎も恐ろしくなり邪見をひるがえし家をすて身を忘れて四国巡拝に旅立ちました。然しいくら四国をまわっても大師にお会いすることができず遂に二十一回目天長八年阿波の国焼山寺の麓で病に倒れ明日をも知れぬ身となりました。その時突然弘法大師が枕元に現れ彼の手に一寸八分の石に衛門三郎と彫み授けますと衛門三郎も安心して息を引き取りました。それより幾許の年月をへてこの地方豪族河野息利に男子が生まれましたがその子は幾日にもなるのに右の手は握ったままで開きませんので、この寺に願をかけましたところ手の中から„衛門三郎„と書かれた石がでてきました。そこでこの石を当山に納めましたのでその後寺号を安養寺といっていたのを石手寺という様になりました。現在„衛門三郎玉の石„は大講堂の正面に安置してあるそうです。(石手寺HPより)

回廊のある石畳を行くと山門前に至る

51番石手寺の山門(国宝)

51番石手寺山門右手の七福神

51番石手寺山門の大わらじ

51番石手寺山門の仁王

51番石手寺山門の仁王

51番石手寺山門

周りで四国八十八箇所のお砂踏みができる51番石手寺の三重塔

本堂からの石手寺境内、正面が茶堂大師堂と納経所

本堂からの石手寺境内、山門と茶堂大師

本堂から大師堂(左奥)へ正面は一切經堂

大師堂は左手、「堂内には弘法大師空海の手形があり触れることが出来ます」 と参拝者に教えられその手形に触れてきました。
本堂でお参りを終え大師堂に向かったが本堂で鳴らした持鈴を大師堂まで来て紛失したことに気づき大師堂から本堂周辺の境内を何度も往復して探していると大師堂の灯明台の下の砂の上に落ちているのを見つけた。落とした場所が砂地だったので落ちても音がしなかったが見つかってよかった。

大師堂の右手前には一切經堂

護摩

弥勒

三重塔を廻って納経所、茶堂大師へ

石手寺弁財天堂

納経所前の三重塔

左は茶堂大師、この堂の大師像は絶対秘仏で住職も見たことがないと言うことです、堂の前の香炉に線香を奉納した煙が絶えず名所である。

51番石手寺の境内

51番石手寺の山門

回廊のある石畳参道で手づくりのど飴を買った

回廊のある石畳参道

参道で売られている石手寺名物 「やきもち」

石手寺名物1個70円の 「やきもち」を2個買って二人で食べました。

51番石手寺の納経、墨書き御朱印と開創1200年記念スタンプ Osamekei of Ishiteji with the retractor 1200 Memorial special stamp.

51番石手寺の本尊御影 Principal image card of Ishiteji temple is usually black and white. The red card is the retractor 1200 Memorial special.

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Shikoku pilgrimage 88
2014-10-30
52番太山寺  ( Ryuunzan Taisanji, 52nd of Shikoku pilgrimage 88 ) 
Above sea level 70m
第52番札所 龍雲山 太山寺 (りゅううんざん たいさんじ)  
本尊  十一面観世音菩薩 (じゅういちめんかんぜおんぼさつ 伝、行基菩薩作)
真言  「おん まか きゃろにきゃ そわか」
開基  真野長者
宗派  真言宗智山派
御詠歌 たいさんへ のぼればあせの いでけれど のちのよおもへば なんのくもなし
所在地 愛媛県松山市太山寺町1730
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☆ 太山寺への途中に道後温泉がある。万葉集に「伊予湯」とあるように古くから霊泉として知られ遍路もこの霊泉で旅の疲れをいやす。松山は四国一の人口を有する県都。人々で賑わう市街を抜けて西へ向かう。寺は瀧雲山の中腹にあり、高浜港と背中合わせになっている。仁王門からは杉の大樹が並び、登り坂の参道に本坊や、遍路宿の面影をとどめる民家があり、急な石段を登り山門を入ると、正面に嘉元三年(一三〇五)再建の本堂(国宝)がある。用命天皇の二年、豊後の国の真野という長者が、大阪へ向かう途中、高浜沖で難破しようとした。ところが信仰していた十一面観世音に救われたので、報恩のため一寺を創建し、その尊像を安置した。後に聖武天皇をはじめとする歴代天皇の勅願で十一面観音像を奉安している七躰が重要文化財。境内には開基の真野長者をまつる長者堂があり、毎年四月第三日曜日に長者の供養が営まれる。☆ (四国ネットより)

石手寺を右折し松山城の伊予銀から斜め右へ井出野商店を右折187号に出たら左折187/19/437号松江橋を右折183号から52番へ境内に駐車場(無料)駐車場からお寺まではかなり距離があります

松山市西方の52番太山寺は敷地が広く駐車場からこの三の門下まで上りでかなり距離があります

52番太山寺山門下石段前の手水舎 「この水は飲めません」とありますが前回は飲んだ後で注意書きを読んだのです

急な石段を登って三の門へ (一ノ門は183号線の分岐に、二の門(仁王門)はこの三の門から400m下手に建っております、車は仁王門の横を通行して境内の駐車場へ入る

52番太山寺三の門と境内

52番太山寺の大師堂

52番太山寺三の門と境内

52番太山寺の本堂

52番太山寺の境内

52番太山寺の鐘楼

52番太山寺の本堂

52番太山寺の納経、墨書き御朱印と開創1200年記念スタンプ Osamekei of Taisanji with the retractor 1200 Memorial special stamp.

52番太山寺の本尊御影 Principal image card of Taisanji temple is usually black and white. The red card is the retractor 1200 Memorial special.

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Shikoku pilgrimage 88
2014-10-30
53番円明寺 ( Sugasan Enmyoji, 53rd of Shikoku pilgrimage 88 ) 
Above sea level 3m
第53番札所 須賀山 円明寺 (すがさん えんみょうじ)
本尊  阿弥陀如来 (あみだにょらい 伝、行基菩薩作)
真言  「おん あみりた ていせい からうん」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗智山派
御詠歌 らいごうの みだのひかりの ゑんみょうじ てりそうかげは よなよなのつき
所在地 愛媛県松山市和気町1丁目182番地
f:id:boianuf:20190617125113j:plain
☆ 四国遍路に関心の深かったアメリカのスタール博士は大正十三年に八十八ヵ所を巡拝するが、円明寺の本尊厨子に打ちつけてあった鋼板の納札を高く評価した。以来円明寺納札のある寺として知れわたり、スタール博士は「お札博士」といわれた。この納札は慶安三年(一六五〇)京都の住人家次が巡拝中打ちつけたもので、遍路の歴史を知る上で貴重な資料といえる。厨子内に安置されているご本尊は、行基菩薩作の阿弥陀如来天平勝宝元年(七四九)聖武天皇の勅願により、和気西山の海岸に創建され、寛永十年(一六三三)現在地に再興された。松山の郊外とはいえ、民家に囲まれた町なかの寺。山門、楼(中)門、本堂、大師堂、観音堂が狭い境内に建ち並ぶ。河野家の遺臣たちの追善供養のために建立された観音堂には十一面観音像が奉安されている。境内の片隅にマリアの像を浮き彫りにした石塔があり、キリシタン禁制の名残をとどめている。☆ (四国ネットより

183号直進P駐車場(無料)は山門横にあります

53番圓明寺の山門

53番圓明寺山門の仁王

53番圓明寺山門の仁王

53番圓明寺の手水舎

53番圓明寺の鐘楼

53番圓明寺の中門

53番圓明寺の中門(左)と正面が本堂

53番圓明寺の本堂

53番圓明寺の大師堂

53番圓明寺の大師堂

53番圓明寺の観音堂

53番圓明寺の納経、墨書き御朱印と開創1200年記念スタンプ Osamekei of Enmyoji with the retractor 1200 Memorial special stamp.

53番圓明寺の本尊御影 Principal image card of Enmyoji temple is usually black and white. The red card is the retractor 1200 Memorial special.

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2014-10-30の宿は 「かんぽの宿 道後」
住所: 〒791-0101 愛媛県松山市溝辺町3−1  電話:089-977-0460

石手寺まで戻ってかんぽの宿道後地図に従い走るがなかなか分かりずらい場所であった。チェックインカウンターで「ここまでの道順判りましたか?」と聞かれたので判り難かったと答えると宿ができた当時は周辺はミカン山で下からも見えたが、今はミカン山が住宅に変わって道順が判り難いと宿泊客は言うようです。

かんぽの宿 道後

先付 ゴマ豆腐

造り 鯛、間八、鮪の刺身

鍋 豚ロースきのこ鍋

焼物 かます利休焼

揚物 里芋揚げ出し

酢物 ふか湯ざらし

香の物三種盛り(雑魚菜っ葉と沢庵)をご飯にのせた

椀 清汁仕立て

水菓子 シャーベット

10月30日宿泊した 「かんぽの宿」 からの松山の夜景

10月30日宿泊した 「かんぽの宿」 からの松山の夜景

10月31日の朝食はバイキング

10月31日の朝食はバイキング