カテゴリー 「お遍路Mさん写真集」 は 2013−10−13日
12番焼山寺から紹介を始めました、1番霊山寺から11番藤井寺の紹介が未だでしたので引き続き残りの写真を紹介します。
☆☆
2013.02.28
88箇所 写ログ
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20
東京あきる野市のお遍路Mさんはこの日の朝、徳島駅からスタートJR高徳線の坂東駅に降り歩き遍路を霊山寺 極楽寺 金泉寺 愛染院 大日寺 地蔵寺 五百羅漢 太山寺 安楽寺とされて安楽寺宿坊に宿泊されています。写真を二分割して地蔵寺 五百羅漢 太山寺 安楽寺を紹介します。
同日、私は大阪から高松行きの高速バスに乗り、1番霊山寺まで1.2kmの鳴門西PAに09:11着き同じコースを歩き始め5番地蔵寺前の宿に泊りました。
☆☆
5番地蔵寺 ( Mujinzan Jizouji, 5th of Shikoku 88 )
H15m
第5番札所 無尽山 地蔵寺 (むじんざん じぞうじ)
本尊 延命地蔵菩薩 (えんめいじぞうぼさつ 伝、弘法大師作)
真言 「おん かかかび さんまえい そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
御詠歌 ろくどうの のうげのじぞう だいぼさつ みちびきたまへ このよのちのよ
↖ 5番地蔵寺(ジゾウジ)境内図
5番地蔵寺の石柱門で向こうに見えるのが地蔵寺の山門です 2013.02.28 10:50
5番地蔵寺の山門 2013.02.28 10:51
5番地蔵寺の大銀杏 2013.02.28 10:52
5番地蔵寺の本堂 2013.02.28 10:58
5番地蔵寺の大師堂 2013.02.28 10:58
5番地蔵寺から奥の院五百羅漢への参道 2013.02.28 11:07
五百羅漢への参道の梅 2013.02.28 11:08
奥の院五百羅漢の石柱門 2013.02.28 11:09
奥の院五百羅漢の釈迦堂 2013.02.28 11:10
正面に釈迦如来を祀る釈迦堂、左手に弥勒菩薩を祀る弥勒堂、右手に弘法大師を祀る大師堂があり三つのお堂は回廊でつながっており、その回廊には五百羅漢の像があります。
奥の院五百羅漢の弥勒菩薩像 2013.02.28 11:13
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:13
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:14
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:14
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:14
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:14
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:14
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:15
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:15
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:15
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:15
5番奥の院、五百羅漢の釈迦如来像 2013.02.28 11:15
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:16
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:16
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:16
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:16
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:17
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:17
5番奥の院、五百羅漢の羅漢像 2013.02.28 11:17
5番奥の院、五百羅漢の弘法大師像 2013.02.28 11:17
5番奥の院、五百羅漢の阿弥陀三尊像でしょうか? 2013.02.28 11:17
5番奥の院、五百羅漢の大師堂 2013.02.28 11:20
五百羅漢から5番地蔵寺への参道 2013.02.28 11:29
102号線墓地の前の休憩所にある太山寺への道しるべ 2013.02.28 12:02
広域農道にある太山寺への道しるべ 2013.02.28 12:09
飛地地蔵尊道標 2013.02.28 12:46
太山寺へのへんろ道しるべ 2013.02.28 12:46
正面のへんろ道を太山寺へ上ります 2013.02.28 13:01
道路と交差しますがおおむね自然のへんろ道があります 2013.02.28 13:02
太山寺へのへんろ道からの景色 2013.02.28 13:02
太山寺へのへんろ道の休憩所 2013.02.28 13:12
太山寺へのへんろ道の休憩所では人形が休憩中でした 2013.02.28 13:12
太山寺の大杉 2013.02.28 13:40
太山寺の二王門前で車道は右、歩きは左の分岐 2013.02.28 13:41
☆☆
番外別格1番大山寺 ( Butsuouzan Taisanji, Ex. 1st of Shikoku 88 )
H448m
番外別格1番札所 佛王山 大山寺 (ぶつおうざん たいさんじ)
本尊 千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)
真言 「おん ばざらたらま きりく
開基 西範僧都 弘法大師
宗派 真言宗善通寺派
御詠歌 さしもぐさ たのむちかひは 大山の 松にも法の 花やさくらむ)
太山寺の仁王門 2013.02.28 13:41
太山寺の仁王門前のXX羅童子像 2013.02.28 13:41
太山寺の仁王門はブルーシートで屋根がおおわれていました 2013.02.28 13:41
太山寺の仁王門の仁王像 2013.02.28 13:42
太山寺の仁王門の仁王像 2013.02.28 13:42
太山寺仁王門からの石段参道 2013.02.28 13:42
さらに上へと続く石段参道 2013.02.28 13:45
石段参道脇の石仏 2013.02.28 13:46
さらに上へと続く石段参道 2013.02.28 13:46
石段の上に鐘楼門が見えてきました 2013.02.28 13:47
太山寺の鐘楼門、中央にひもがあり引くと梵鐘が鳴ります 2013.02.28 13:48
鐘楼門を抜け石段を上がると正面に別格1番太山寺の本堂 2013.02.28 13:50
その右手には別格1番太山寺の大師堂 2013.02.28 14:00
別格1番太山寺境内の西国三十三観音の像 2013.02.28 14:00
別格1番太山寺の看板犬かな? 2013.02.28 14:20
別格1番太山寺から下りのへんろ道 2013.02.28 14:34
別格1番太山寺から下りのへんろ道 2013.02.28 14:41
八丁目の休憩所 2013.02.28 14:43
別格1番太山寺から下りの道 2013.02.28 14:46
飛地地蔵まで下ってきました 2013.02.28 15:02
6番安楽寺口 2013.02.28 15:52
☆☆
6番安楽寺 ( Onsenzan Anrakuji, 6th of Shikoku 88 )
H19m
第6番札所 温泉山 案楽寺 (おんせんざん あんらくじ)
本尊 薬師如来 (やくしにょらい 伝、弘法大師作)
真言 「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗高野派
御詠歌 かりのよに ちぎょうあらそふ むやくなり あんらくこくの しゅごをのぞめよ
↖ 6番安楽寺(アンラクジ)境内図
6番安楽寺の山門 2013.02.28 15:53
6番安楽寺の山門の仁王像 2013.02.28 15:53
6番安楽寺の山門の仁王像 2013.02.28 15:53
6番安楽寺の門柱 2013.02.28 15:54
6番安楽寺の大師堂 2013.02.28 16:07
太子駒つなぎ石 2013.02.28 16:08
四国遍路の歴史は古く、縄文時代の集落の指導者の邊地修行にまでさかのぼることができる。
聖徳太子は、遣隋使を派遣するなど、先進国、中国の文明を積極的に取り入れ、仏教による新しい日本をつくろうと努力された。しかし、和魂漢才、知識や技術は積極的に学ぶけれども、一方では縄文以来の日本の信仰や文化を大切にされた。「和を以って貴しとなす」という日本古来の森の宗教、文化の精神(自然崇拝)は聖徳太子によって言葉にされ、弘法大師によって世界の宗教、文化の中で哲学的に確立された。(十往心論)この聖徳太子駒繋ぎ、石と一本木大楠不動明王の御尊像(一本木大楠の倒木で造像された)は、聖徳太子が法隆寺へ通う道すがら、民の生活を知るためにこの一本木大楠の木かげのこの駒繋ぎ石に歩を止められた、と伝えられ、太子の宮と法隆寺の間に奉安(奈良県橿原市石原田町川本一吉氏宅)されしも、御所市早川勢津子先生のもとに、この不動明王の「お四国へ行って修行の旅をする者の道しるべとならん」というお説げが三度まであり、やっと関係者思案を重ねた末、この地に移されることとなった。四国遍路には今も、人生の道に行き悩み、迷うもの多し。海を渡って、四国遍路の道に居を移さるは、それらの人々の道標とならんがためか。乃至法界平等利益
6番安楽寺の本堂と拝所 2013.02.28 16:08
6番安楽寺の多宝塔 2013.02.28 16:09
6番安楽寺の由来 2013.02.28 16:09
平安時代前期弘仁六年(815)弘法大師四国霊場御開創のみぎり、大師当地mにおいて四十二才の大厄をのがれられ(さかまつの由来)自ら薬師如来の尊像を刻み、請藍を建立、安楽寺と命名された。山号を温泉山と号し、弘法大師が我が国に温泉湯治の利益を伝えた全国でも珍しい旧跡である。「四国遍礼霊場記」元禄二年(1689寂本著)には「相逐来て医王の神化をひとみな仰ぎ、寺院繁栄に至り、十二宇門甍を接し、鈴鐘のひびき耐える時なし」と記され、安楽寺谷川の滝の行場や瓦が出土する古代寺院跡、雨宝堂とよばれている庵、神社、平安時代の線刻仏等、周辺に史跡が点在し、当時の広大な寺域が想像できる。この地は安楽寺谷川の水源と辺りの森を神とし、早くから開けた土地で「日置の荘」(引野)と呼ばれる広大な荘園であった。南北朝時代天授五年(1379)熊野新宮に寄進され、熊野の山伏(六坊)が熊野権現を祀った。近世となり、仏式の葬式等丁寧に先祖を祀る習慣が定着すると安楽寺はこの荘域に檀家を持つようになる。安土桃山時代慶長三年(1598)蜂須賀家正公の御信仰篤く、阿波の国主として入国するや、当山を駅路寺(管寺)と定め庇護された。茅葺の方丈(登録有形文化財)が当時を物語っている。神仏分離、廃仏毀釈の歴史を経ても信徒の恩願深く四国霊場六番札所、温泉のある宿坊として現在に至っている。当寺は灌頂窟という道場を有す。願わくば参籠し、くす供養を以て先祖を廻向し自らも仏道を成ぜんことを。