8月25日裏磐梯の朝は大雨でした
裏磐梯レイクリゾートホテル
裏磐梯レイクリゾートホテル
早朝に五色沼を散策予定であったが諦め朝食会場へ
バイキング朝食
サラダ
モヤシ、野菜の煮物、オカラ、ひじき
ベーコンエッグ
味噌汁
こちらは少なめの朝食
野菜ジュース
裏磐梯レイクリゾートの玄関車寄せにバスが入り乗車し8:30分出発
バスは裏磐梯ゴールドラインから会津若松市内へ入り鶴ヶ城に到着
鶴ヶ城会館の駐車場から御城へ
鶴ヶ城の堀と石垣
城内へと歩く
鶴ヶ城内
鶴ヶ城内
天守閣の入り口(場内は3階から上層は写真撮影OK)
瓦の色は以前は黒かったが震災前から瓦の葺き替えで赤みを帯びた瓦に戻したとの事
天守閣最上層からの眺めは雨でけむっていました
白虎隊自刃の飯盛山をアップ(アンテナ右の山)
天守閣の見学を終えると雨はやみました
鶴ヶ城の堀
鶴ヶ城会館駐車場からバスに乗り9:50分出発
バスは国道121号線を北上、ラーメンの町、喜多方市を通過、福島から山形県に入り
道の駅 「なごみの郷」で休憩とオプション弁当を受け取り、米沢市を通過、
米沢南陽道路から国道13号線を北上し、小さな上山城を左手に見ながら
国道121号の山形市の手前、道の駅「なごみの郷」に11:16到着
道の駅「なごみの郷」は小さい道の駅でした
米沢の三大美味は館山りんご、米沢牛、米沢鯉
館山りんご:米沢市のりんごの起源は、山形県でも最も古いものです。明治9年に県の勧業寮(今の山形県農林水産部)より桜桃苗木と共に配布を受け移植したのが今の館山りんごの発祥とされています。
米沢牛:美味で天下に名を駆ける米沢牛の歴史は、明治初期に遡ります。明治4年に藩校興譲館(現・米沢興譲館高校)の外国語教師として招かれたイギリス人チャールズ・ヘンリー・ダラス氏が明治8年任期を終えて横浜に帰る際、お土産として米沢牛1頭を持ち帰りました。これを試食した居留地の外国人は、その美味に驚嘆しました。このことが、米沢牛が世に知られるようになったきっかけです。
米沢鯉:江戸時代に米沢藩主の上杉鷹山公が、「むくみ」や「乳不足」で悩む人達がタンパク質を補うため、わざわざ遠い藩の地から鯉を求め医療に利用していたことを知り、養鯉の先進地である現在の福島県相馬市に伝授を乞うため用心を走らせ、そちて持ち帰った稚鯉を米沢城の堀で育てたのが始まりとされています。当時、魚は貴重なもので今のように手軽に食べることが出来ず、タンパク質と脂肪、カルシウムが豊富な鯉を食べれば薬にまさる利き目がありました。最上川上流の清き豊富な水で3年間飼育され、肉が良く締まり泥臭さのない良質な鯉として水揚げされ、米沢地方でのお正月や祝い事にはかかすことのできない、様々な料理になります。
道の駅「なごみの郷」で注文しておいた2日目のオプション弁当を受け取る
戦国幕の内弁当
戦国幕の内弁当
牛肉道場
ご飯の上にそぼろ牛肉と炒め煮の牛肉がのったお弁当をバスに揺られながらの昼食でした。