今日は日本最古の安産祈願・求子祈願霊場の子安山・帯解寺(おびとけでら)にお参りし、頼まれていた安産の御札とお守りを頂いてきました。
近鉄奈良駅西口からやすらぎの道を南下し、三条通りを西へ歩いてJR奈良駅に向かいます
現在は観光案内所になっているJR奈良駅旧駅舎、電車には左奥2階の改札口から乗車
奈良駅の西側、百年開館側はツアーバスの乗降にっ利用したことはありますが、東口を利用するのは今日が初めてでした。
1番線に停車中のJR桜井線2両編成電車に乗車、帯解は2駅目でした
無人の帯解駅前に出ると帯解寺への案内板があり、250mほど歩いたところにお寺がありました
帯解寺のHPより
今から約1100年前、人皇55代文徳天皇の御妃染殿皇后(藤原明子)が永い間お子様が生まれず、大変お悩みの折、祖神春日明神のお告げによって、早速勅使をたてられて帯解子安地蔵菩薩にお祈り遊ばされたところ、まもなく御懐妊、月満ちて惟仁親王(のちの清和天皇)を御安産になられました。
文徳天皇はお喜びのあまり、天安二年(858年)春、更に伽藍を建立になり寺号を改められ、無事帯が解けた寺、帯解寺(おびとけでら)と勅命せられました。
帯解の名称はここから始まりました。
帯解寺HPより
徳川二代将軍秀忠公の正室お江の方にお世継ぎがなく、当地蔵尊に御祈願され、めでたく竹千代丸(三代将軍家光公)を御安産されました。
次いで、三代将軍家光公もお世継ぎがなく、側室の御楽の方が同様、御祈願になり、めでたく四代将軍家綱公を御安産されました。
その折種々の瑞祥(めでたいしるし)がありましたので家光公は瑞祥記を当寺に下賜になり、誕生釋迦佛等を寄進されております。
寛文三年(1663年)には家綱公より手水鉢の寄進がありました。
帯解寺の鐘楼、山門、手水舎
帯解寺HPより
本尊地蔵菩薩(国指定重要文化財)
帯解寺の本尊子安地蔵菩薩は弘法大師一刀三礼の作とも伝えられる、日本最古の求子安産の霊像であり、国の重要文化財に指定されています。
左手に宝珠、右手に錫杖を執り、左足を踏み下げて岩座上に坐しています。
また、腹前に裳の上端の布や結び紐が表されているところから「腹帯地蔵」といわれ、安産祈願の対象として広く信仰をあつめています。
帯解寺HPより
昭和34年7月美智子妃殿下御懐妊に際して安産祈願法要を厳修し奉り、同年9月30日安産岩田帯、御守、御祈祷札を献納致しました。
昭和40年8月、昭和43年10月にも御安産祈願法要を修し、岩田帯、御守を献納致しまして、時の東宮御所より御礼状を賜っております。
そして平成3年5月、及び平成6年8月には、秋篠宮妃紀子殿下に安産岩田帯、御守、御祈祷札を献納、また平成13年6月には皇太子妃雅子殿下にも安産岩田帯、御守、御祈祷札を献納いたしており、東宮御所より御礼状を賜っております。