四国霊場逆打ち車遍路 🚘 24 吉祥寺 宝寿寺 香園寺
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2016.10.30(日)
四国88ヶ所、63番札所 吉祥寺
63番吉祥寺 ( Mikkyouzan Kisshouji, 63rd of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+16m
第63番札所 密教山 吉祥寺 (みっきょうざん きっしょうじ)
本尊 毘沙門天 (びしゃもんてん 伝、弘法大師作)
真言 「おん べい しらまんだや そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗東寺派
御詠歌 みのうちの あしきひほうを うちすてて みなきちじょうを のぞみいのれよ
所在地 愛媛県西条市氷見乙1048
宝寿寺から国道十一号線を一・三㌔ゆくと道沿いに吉祥寺がある。ご本尊は毘沙聞天で脇士は吉祥天と善膩師童子。弘法大師が人々の貧苦を救わんものと一刀三礼して刻まれた。そのころ寺は坂元山にあり、寺域も広く塔中二十一坊を有する大伽藍であったが、天正の兵火で全山焼失し、万治二年(一六五九)末寺の檜木寺と合伴して現在地に建立された。ご本尊と大師堂の参拝がすんだ遍路は、本堂前の成就石に向かって歩き出す。目をつぶり、願いごとを念じながら、金剛杖を下段にかまえる。そして石の穴に金剛杖が通れば願いごとが成就するという。寺宝にマリア観音像がある。高麗焼の純白な像(高さ三十㌢)は長曽我部元親がイスパニア船サン・クェリッペ号の船長バードレから託されたもので、その後家臣の秦備前守が秘蔵し、家族に不幸が続いたので吉祥寺へ預けたという。慈愛あふれる美しい尊容。 (四国ネットより)
納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました
吉祥寺の山門
吉祥寺の本堂
お迎え大師とくぐり吉祥天像
お迎え大師と手水舎の間にある穴の開いた石が成就石
本堂前より眼を閉じ杖を前に出し、この石にむかって歩き、杖が穴に通れば成就する
大師堂
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2016.10.30(日)
四国88ヶ所、62番札所 宝寿寺
62番宝珠寺 ( Tenyozan Hojuji, 62nd of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+16m
第62番札所 天養山 宝寿寺 (てんようざん ほうじゅじ)
本尊 十一面観世音菩薩 (じゅういちめんかんぜおんぼさつ 伝、弘法大師作)
真言 「おん まか きゃろにきゃ そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗高野派
御詠歌 さみだれの あとにいでたる たまのいは しらつぼなるや いちのみやかな
所在地 愛媛県西条市小松町新屋敷甲428
伊予小松町の中心、国道沿いに寺はある。当初は聖武天皇の勅願により伊予一宮の法楽所として中山川下流の白坪に建立された。そして金光明最勝王経を奉納し、僧道慈を任じて講読させた。その後弘法大師は寺に長く留まり、光明皇后にかたどって十一面観世音を彫刻して本尊とし、寺号を宝寿寺とされた。そのころ国司越智公の夫人は難産で大師に祈祷を乞われた。大師は境内の玉ノ井の水を加持して夫人に与えた。その結果夫人は若君を安産し、玉澄と命名し「さみだれのあとに出でたる玉ノ井は、白坪なるや一ノ宮かな」と詠じられ、この歌を献納した。それ以来安産の観世音として信仰をあつめた。白坪にあった寺は洪水のため堂宇が破損したので天養年間に修復され、山号は天養山となったが、その後荒廃し、寛永年間に一柳氏が現在地近くに移建し、四国遍路の行者宥信上人が再興した。明治に入って廃寺となるが、同十年に大石龍遍上人が再建している。。 (四国ネットより)
納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました
宝寿寺境内
手水舎
大師堂
旧本堂をふさぐように新しい納経所が出来ていました
旧納経所
門前のへんろ道しるべ
門前のへんろ道しるべ
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2016.10.30(日)
四国88ヶ所、61番札所 香園寺
61番香園寺 ( Sendanzan Kouonji, 61st of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+20m
第61番札所 栴檀山 香園寺 (せんだんざん こうおんじ)
本尊 大日如来 (だいいちにょらい)
真言 「おん あびらうんけん ばざら だどばん」
開基 聖徳太子
宗派 真言宗単立
御詠歌 のちのよを おもえばまいれ こうおんじ とめてとまらぬ しらたきのみず
所在地 愛媛県西条市小松町南川甲19
寺伝によれば、用明天皇の病気平癒を祈って聖徳太子が創建し、このとき金衣白髪の老翁が飛来してご本尊を安置したという。天平年間には行基菩薩も留錫し、大同年間になると弘法大師が巡錫された。あるときこの地で身重な女が苦しんでいたが、大帥のお加持で安産した。この勝緑によって大師は唐から奉持した大日如来の金像をご本尊の胸に納め、栴檀の香をたいて護摩修法された。これにちなんで栴檀山香園寺と号した。大正のはじめ、住職の山岡瑞圓師は子安講を創始し、難産で苦しむ女性の祈祷をされた。子安講は発展し、「子安の大師」で知られる。寺は小松町のはずれにあり、山麓の一万坪の境内には、昭和五十一年建立の大聖堂(本堂、大師堂)二百五十名収容の宿坊、庫裡などが建ち並んでいる。それだけに大きな団体や、巡拝日程の変更などで宿泊に因っている遍路など、受入れ体制が整っているだけに安心して参籠を願うことができる。 (四国ネットより)
納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました
香園寺の鐘楼
大聖殿
納経所(定員250名の子安会館は、閉館中)
大聖殿2階の本堂、大師堂
大聖殿2階の本堂、大師堂
慈悲の扁額
遍照の扁額
大聖殿2階の階段からの境内
納経所
子安大師堂の扁額
子安大師堂の子安大師像
桜の木の下の地蔵尊像
戦争慰霊観音像 観音さまの右手に飛行兵士の像がのっています。大平洋戦争の逓信省愛媛航空機乗員養成所出身者の慰霊塔だそうです
根元で枝分かれした杉の巨木
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昼食は国道11号線、愛媛県西条市小松町新屋敷
名物うどんかめや
かめやの玄関 (Web Photo)
かめやの店内 (Web Photo)
ざるうどん定食700円
61番香園寺から別格霊場11番生木地蔵へ(かめや食堂経由)のルート7.8km/15分
国道11号から右折して県道147号へ、県道147号から左折して県道48号で生木地蔵