2013.04.11
88箇所 写ログ
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20
東京あきる野市のお遍路Mさんは塩江温泉の赤松旅館を発ち7号線を内場川に沿い内場池へ六甲天満ケ原林道を六角堂まで上り、106号線から別格20番大滝寺へお参りされました。私の場合は樺川荘本館から106号線を上り別格20番大滝寺へお参りし道を打ち戻り88番大窪寺をお参りして結願しました。Mさんは大滝寺のあと7号線を下り塩江温泉からバスで高松へ移動され、高松さきかユースゲストハウスに着かれ、華下天満宮を訪れておられます。
193号線から橋を渡って7号線へと入ります 2013.04.11 05:18
7号線を内場川に沿って内場ダムへと向かいます 2013.04.11 05:28
7号線脇の休憩所 2013.04.11 05:30
7号線から見える内場ダム 2013.04.11 05:31
少し上の休憩所 2013.04.11 05:32
ウバヒガン桜 2013.04.11 05:32
この子桜は、東地のウバヒガンの子桜です。今はウバヒガンは、ばっさいされ、ここにある三か所の休憩所と、塩江小学校に植えられています.春には、きれいな花をさかせるので、見に来てください。(案内板より)
内場ダム 2013.04.11 05:34
内場ダムの説明板 2013.04.11 05:34
内場ダム 2013.04.11 05:38
7号線レイクサイドホテル横の公園 2013.04.11 05:50
レイクサイドホテル横の7号線 2013.04.11 05:50
六甲天満ケ原周辺案内図 2013.04.11 05:51
7号線から六甲天満ケ原林道へと入りました 2013.04.11 05:59
六甲天満ケ原林道脇の墓地と歌碑 2013.04.11 06:10
六甲天満ケ原林道脇の観音像 2013.04.11 06:11
六甲天満ケ原林道 2013.04.11 06:21
六甲天満ケ原林道 2013.04.11 06:37
六甲天満ケ原林道 2013.04.11 06:38
六甲天満ケ原林道 2013.04.11 06:46
六甲天満ケ原林道からの内場ダム 2013.04.11 06:48
六甲天満ケ原林道 2013.04.11 06:52
六甲天満ケ原林道からの景色 2013.04.11 06:52
六甲天満ケ原林道 2013.04.11 06:52
六甲天満ケ原林道からの景色 2013.04.11 06:53
六甲天満ケ原林道脇に咲くレンギョウ 2013.04.11 06:54
六甲天満ケ原林道からの景色 2013.04.11 07:01
六甲天満ケ原林道 2013.04.11 07:18
六甲天満ケ原林道からの景色 2013.04.11 07:22
六甲天満ケ原林道にある雨量基地 2013.04.11 07:31
林道にある雨量基地アンテナ 2013.04.11 07:31
六甲天満ケ原林道 2013.04.11 07:31
六甲天満ケ原林道開通記念碑 2013.04.11 07:34
遊歩道の案内板 2013.04.11 07:34
山中の鳥居 2013.04.11 07:34
休憩所 2013.04.11 07:34
子の葉には霜が降りています 2013.04.11 07:35
六甲天満ケ原林道開通記念碑の裏側 2013.04.11 07:38
大滝寺道標 2013.04.11 07:52 四国88番奥の院大滝寺と見えます
カーブミラーと道路標識 2013.04.11 07:52
六甲天満ケ原林道終点 2013.04.11 07:52
六甲天満ケ原林道終点 2013.04.11 07:53
88番奥の院大滝寺への道 2013.04.11 07:53
88番奥の院大滝寺道標の側面 2013.04.11 07:54
大正九年に建てられています。
106号線との合流点の6角堂(若者つどいの家) 2013.04.11 07:59
周辺案内図 2013.04.11 07:59
106号線との合流点の若者つどいの家 2013.04.11 08:00
106号線 2013.04.11 08:00
キャンプ場道しるべ 2013.04.11 08:01
106号線との合流点の6角堂内部 2013.04.11 08:02
106号線の道路標識 2013.04.11 08:08
106号線 2013.04.11 08:09
106号線 2013.04.11 08:19
106号線 2013.04.11 08:19
106号線からの景色 2013.04.11 08:25
道路地図 2013.04.11 08:29
大滝山周辺案内図 2013.04.11 08:29
ブナ林入り口 2013.04.11 08:30
106号線 2013.04.11 08:31
106号線からの景色 2013.04.11 08:34
香川県と徳島県の県境 2013.04.11 08:34
106号線にある西照神社の案内板 2013.04.11 08:34
106号線にある大滝寺の案内板 2013.04.11 08:35
193号線と377号線の合流する長谷からのへんろ道 2013.04.11 08:35
別格20番大滝寺横からの西照神社の鳥居と石段 2013.04.11 08:37
西照神社
徳島県美馬市と香川県高松市の境に位置する大滝山山頂(946m)にある。延喜式神名帳に記された田寸神社(たきじんじゃ)の論社となっている。社伝によれば、夜の食国(よるのおすくに)を統治する月読尊が、大和国方面の監視役として田寸津姫命を大滝山に遣わし、ここから瀬戸内海の監視をさせたことが当神社の起源であるとする。平安時代前期に空海がこの山に籠もって修行を行い、西照大権現を安置したことにより神仏混淆の山岳道場となったと言われる。以降、明治時代に至るまで「西照権現」と称した。江戸時代には徳島藩家老稲田氏の崇敬を受け社領として9石8斗を寄進され、また高松藩主の祈願所として50石が営繕費として寄進された。明治初期の神仏分離令により神社と寺院(大瀧寺)に分離された。明治6年(1873年)西照神社と改称され郷社に列した。
(Webより転載、明治に神社と大滝寺は分離されたとあります)
☆☆
番外別格20番大瀧寺 ( Fudaisan Otakiji, Ex. 20th of Shikoku 88 )
H913m
番外別格20番札所大瀧寺
四国88箇所総奥の院 福大山 大瀧寺 (ふくだいさん おおたきじ)
本尊 西照大権現
真言 「なむ にしてる だいごんげん」
開基 行基菩薩
宗派 真言宗御室派 準別格本山
御詠歌 霊峰の 岩間にひらく 法の道 厄をながして 衆生ぞすくわる
別格20番大滝寺 2013.04.11 08:38
別格20番大滝寺縁起 2013.04.11 08:39
当山は、奈良時代(神亀三年)行基菩薩が塩江より御登山になり、阿讃山脈秀峰に一宇を建立し阿弥陀三尊を安置されました。平安時代の初期、延暦十年(788)弘法大師青年の真魚様が求聞持修法され、弘仁六年(806)弘法大師四十二歳、二度目の登山の時に、現世の男女厄難消除、万民安楽の為に、西照大権現の御尊像を安置し、法華経従地涌出品を一石毎に書き男女厄流しの秘法を修されました。又、天安二年(858)聖宝尊師(理源大師)が登山され、高野槇をお手植えになり、男女厄除厄流の大護摩を修法されました。その高野槇は千余年の今日もまだ残っております。徳川時代には、高松藩と稲田氏の祈願所と成っておりました。当寺は度々と炎上して現存寺宝としては別にありませんが江戸時代、後西院天皇寛文六年(1666)南崇院(蜂須賀五代光隆)当時の記録として
町教六百二十九丁七段五畝十五歩 岩倉山
百七十五石 稲田左馬之丞様
成米百八十四石五斗九升三合四勺 稲田九郎兵衛様
境内より東へ八丁、西へ八丁夫より麓に至るまで寺の地領也 稲田左馬之丞様
西照大権現堂の裏手は讃州にて往古より高松藩権現林として、
御寄附にて林守等も格別の御召しあり、外に御供米として五十石 高松藩様
阿波讃岐登山道に鳥居の数十八基あり
一 西照大権現(一宇) 一 奥ノ院熊野十二社大権現
一 龍王堂 一 護摩堂
一 観音堂 一 弘法大師御自突ノ杖
一 不動堂 一 古山縁起一軸
一 弘法大師御影堂 一 四圭記
一 鐘楼堂 一 勧進帳 飯尾六左衛門筆
一 仁王門 右三墨は寛文六年
南崇院上賢其時三軸の
表装御寄附あり 以上
四国八十八ヶ所総奥ノ院 真言宗御室派 準別格本山 大滝寺 (碑文より)
別格20番大滝寺の鐘楼 2013.04.11 08:40
別格20番大滝寺の鐘楼 2013.04.11 08:41
灯明立ての防火水も凍結しています 2013.04.11 08:55
別格20番大滝寺の大師堂 2013.04.11 08:55
別格20番大滝寺の本堂 2013.04.11 08:56
別格20番大滝寺の本堂 2013.04.11 08:56
別格20番大滝寺の本堂 2013.04.11 08:56
ご本尊は西照大権現、五真言は「南無西照大権現」
境内の木 2013.04.11 08:57
別格20番大滝寺の門石 2013.04.11 08:57
立派で広い敷地の西照神社の案内板 2013.04.11 08:58
野草が咲いています 2013.04.11 08:59
野草が咲いています 2013.04.11 09:00
野草が咲いています 2013.04.11 09:00
道脇の腐葉土が集められています、畑の肥料に使うのでしょう 2013.04.11 09:07
106号線と林道の合流点の6角堂(若者つどいの家) 2013.04.11 09:24
六甲天満ケ原林道 2013.04.11 09:39
六甲天満ケ原林道 2013.04.11 09:46
六甲天満ケ原林道 2013.04.11 10:15
六甲天満ケ原林道 2013.04.11 10:16
六甲天満ケ原林道 2013.04.11 10:29
六甲天満ケ原林道脇 2013.04.11 10:30
六甲天満ケ原林道脇 2013.04.11 10:42
塩江温泉 いろりの宿 魚虎 2013.04.11 12:46
塩江温泉から高松行きのバス車内 2013.04.11 13:34
塩江温泉から高松行きのバス車内から 2013.04.11 13:34
バスは高松へ塩江を出発 2013.04.11 13:35
高松さきかユースゲストハウス 香川県高松市百間町6-9 2013.04.11 15:20
高松さきかユースゲストハウス 2013.04.11 15:20
高松市片原町の華下天満宮(はなした) 2013.04.11 15:43
当社は片原町の天神さん、古天神さんあるいは北向天神として長く広く高松市民に親しまれた名高い神社である。昭和二十年七月四日の高松空襲で社殿などを全焼したが且ては三百四十五坪余(一,一三八平方米)の境内に正殿、中殿、拝殿などが建ちならび、稲荷神社・琴平神社・石の大牛などもあって毎年九月二十五日の例大祭はもとより四季を問はず参拝者が訪れ境内にしる屋、ぜんざい屋があって市民のよい憩いの場でもあった。祭神の菅原道真公は仁和二年(八八六)四月四日讃岐の国主として着任、其時この近くに上陸、まず長命院(戦前天神さんのあった土地)の住僧僧圭を訪れて休息、それから任地の国府庁(現坂出市府中町)に赴かれた。四年後寛平二年(八九〇)正月任満ちて京都に帰られる時も。ここを訪れ、僧圭に別れを惜しまれて、ここから船出された。僧圭は其後道真公を慕うあまり、公の行き先の安泰を祈って院内に小祠を建てた。これが当社の始まりである。その後延喜三年(九〇三)二月道真公は配所で亡くなられた。これを聞い高松市民の住民はこの地から少し東に一社を建立したが生駒藩の時代になり初代親正候は高松城の守り神として入口を北にむけて社殿を改築した。北向天神の名はここから出ている。古天神と云うのは中野天満宮より建造が古いのでこの名がある。尚当社の大規模な社殿の造営ができたのは松平藩第三代頼豊候の時代であった。爾来学問の神様として一般から尊崇され今日に及んだ。。(神社説明板より)
高松市内アーケード 2013.04.11 15:46
高松市内の電車 2013.04.11 15:48
高松市内の電車 2013.04.11 15:48
この日のMさんの夕食 2013.04.11 18:30