四国88箇所車遍路 🚙 39 浄土寺 繁多寺
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松山市内中心部を避けて通るルートは2016.12.04の松山通過のマップが便利です
そのルートとはこちらから
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Shikoku pilgrimage 88
2014-10-30
49番浄土寺 ( Sairinzan Jodoji, 49th of Shikoku pilgrimage 88 )
Above sea level 50m
第49番札所 西林山 浄土寺 (さいりんざん じょうどじ)
本尊 釈迦如来 (しゃかにょらい 伝、行基菩薩作)
真言 「のうまく さんまんだ ぼだなん ばく」
開基 恵明上人
宗派 真言宗豊山派
御詠歌 じうあくの わがみをすてず そのままに じゃうどのてらへ まいりこそすれ
所在地 愛媛県松山市鷹子町1198
☆ 西林寺から約三.三㌔ほど歩くと空也谷というところがある。山裾の静かなところだがこれは村人が空也上人を慕ってつけた地名でここに浄土寺がある。空也上人はやせて腰のまがった身に鹿の皮を裘にしてまとい、ツエをつき鉦をたたきながら行脚し、念仏の一言一言が小さな仏になって口から出ている姿をされている。天徳(九五七〜六○)のころ、上人が四国へ渡って浄土寺に三年間とどまり民衆の教化に励まれた。浄土寺にある上人像は、上人がこの地を去るにあたって、村人がお姿だけでも留められるようにと懇願したので、自像を刻んで残したといわれる。大正十一年建立の仁王門を入れば正面に寄棟造りの本堂がある。本尊は行基菩薩作の釈迦如来。寺は天平年間に開創され、孝謙天皇の勅願所であった。後に弘法大師が巡錫し、伽藍を再興している。現存の本堂は文明十四年(一四八二)領主河野通宣の再建で国の重文。本尊厨子と空也上人像も重文に指定されている。☆ (四国ネットより)
40号北進線路越え左折、40号JAの次、コンテナを右折標識に従い突き当たり49番門前にP駐車場(有料)
49番浄土寺の門前
駐車場はこの山門前
49番浄土寺の山門
49番浄土寺の山門
49番浄土寺の山門
49番浄土寺山門の扁額
49番浄土寺山門の仁王
49番浄土寺山門の仁王
49番浄土寺の山門から境内へ、手水場は右にあります
本堂と大師堂
右は49番浄土寺の本堂、本堂の左は阿弥陀堂、その左は観音堂
49番浄土寺の大師堂
納経所へはこの四脚門から入ります
49番浄土寺の納経、墨書き御朱印と開創1200年記念スタンプ Osamekei of Jodoji with the retractor 1200 Memorial special stamp.
49番浄土寺の本尊御影 Principal image card of Jodoji temple is usually black and white. The red card is the retractor 1200 Memorial special.
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2013 あるき遍路ブログ記事はこちらから
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2016 逆打ちくるま遍路記事はこちらから
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あたりに食事をするところもなさそう、寺の駐車場に車を停めておき40号線まで歩きコンビニ「ファミリーマート」に入った。野菜ちゃんぽん498+鴨葱そば430をレンジで温めて貰った、昼食代は健美茶129と合わせて 計1,057円店の中には食べる場所が無く、座れるところをと店員に聞くと皆さん前のベンチで食べられます。店のベンチの前には客が車のエンジンをかけたままだったので排気ガスが臭い、木製ベンチを店の横の方へ移動して食事をしました。ちゃんぽん+そばの味はそこそこでした。食事が終わった後ベンチを元の場所に戻し。ゴミはごみ箱へ入れてこの日のランチは終了。
コンビニでの食事を終え車で40号を50番繁多寺へと向かいます。この久米八幡神社前の信号から鳥居の左の讃岐街道へと入ります。
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Shikoku pilgrimage 88
2014-10-30
50番繁多寺 (Higashiyama Hantaji, 50th of Shikoku pilgrimage 88 )
Above sea level 64m
第50番札所 東山 繁多寺 (ひがしやま はんたじ)
本尊 薬師如来 (やくしにょらい 伝、行基菩薩作)
真言 「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基 行基菩薩
宗派 真言宗豊山派
御詠歌 よろずこそ はんたなりとも おこたらず しょびょうなかれと のぞみいのれよ
所在地 愛媛県松山市畑寺町32
☆ この付近は松山市の郊外で、人家も多く道ゆく人との出会も多い。空也谷から八幡神社を経て、なだらかな坂を登ると、右手淡路山の中腹に山門がみえてくる。門を入れば正面に本堂、右に大師堂、左に聖天堂、庫裡がある。ご本尊は薬師如来。寺の開基である行基菩薩の作で孝謙天皇の勅願所であった。その後、伊予入道頼義や尭運によって再興され、光明寺と号したが、弘法大師が長く留まって東山繁多寺に改称した。時宗の開祖である一遍上人もこの寺にとどまって学問修行したと伝えられる。上人はその後「捨聖」として遊行し、正応元年(一二八八)亡父如仏の追善のために三部経を繁多寺へ奉納している。応永元年(一三九四)には京都泉涌寺二十六世快翁師が後小松天皇の命で繁多寺第七世の住職となり、それより高僧が相継いで住職となったが、天和のころ龍湖という名僧が出て徳川家の帰依を得ることとなり、四代将軍家綱の念持仏三体の一つである歓喜天を安じた。☆ (四国ネットより)
40号久米八幡右折し次の信号(標識)から美容室を右へ突き当たり土手を幼稚園へ行かず左へ行くと50番駐車場(無料)は山門前
50番繁多寺駐車場前の山門
50番繁多寺山門からの境内
50番繁多寺の手水舎、鐘楼と本堂
50番繁多寺の鐘楼と本堂
50番繁多寺の本堂(左)と大師堂
50番繁多寺の鐘楼と本堂で奥は歓喜天堂
50番繁多寺の本堂
50番繁多寺の鐘楼と歓喜天堂
50番繁多寺本堂と大師堂の間の境内に立つ修行大師像
50番繁多寺歓喜天堂からの本堂
50番繁多寺歓喜天堂の右側に毘沙門天堂
50番繁多寺の歓喜天堂内には4代将軍家綱の念持仏三体の一つである歓喜天が祀られ、厄除けや商売繁盛、合格祈願などの参拝者が多いようです
50番繁多寺の大師堂
50番繁多寺納経所前からの境内
50番繁多寺の納経、墨書き御朱印と開創1200年記念スタンプ Osamekei of Hantajii with the retractor 1200 Memorial special stamp.
50番繁多寺の本尊御影 Principal image card of Hantaji temple is usually black and white. The red card is the retractor 1200 Memorial special.
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