四国88箇所 🚙 47 本山寺 弥谷寺

四国88箇所車遍路 🚙 47 本山寺 弥谷寺

Shikoku pilgrimage 88
2014-11-02
70番本山寺  Shippouzan Motoyamaji, 70th of Shikoku pilgrimage 88 ) 
Above sea level 11m
第70番札所 七宝山 本山寺 (しっぽうざん もとやまじ)
本尊  馬頭観世音菩薩 (ばとうかんぜおんぼさつ 伝、弘法大師作)
真言  「おん あみりとうどはんば うんぱった そわか」
開基  弘法大師
宗派  真言宗高野派
御詠歌 もとやまに たれかうへける はななれや はるこそたをれ たむけにぞなる
所在地 香川県三豊市豊中町本山甲1445番地
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☆ 琴弾山をあとに東北へ向うと前方に五重塔の塔身がくつきりと浮かぶ。大正二年の再建だが、古くは大同四年に弘法大師が建立し、天暦二年(九四八)に修理したが、その後上の四層が破損したため下の一重のみを修理し塔堂として残っている。本堂は大同二年(八〇七)平城天皇の勅願により弘法大師が一夜のうちに建立したと伝えられる。この用材は徳島県井ノ内村の山中より伐採し、香川県財田村で組立ててこの地へ運んだという。ご本尊の馬頭観世音、脇士の阿弥陀薬師如来はこの時に彫刻して安置された。本堂は鎌倉時代に大修復され、昭和三十年にも解体修理し国宝になっている。美しい仁王門(八脚門)は久安三年(一一四七)の建立で重文。伝説によれば、天正のころ、長曽我部元親は寺へ進駐しようとしたが住職が拒んだため切り殺してしまう。やがて内陣厨子が開き、脇士の阿弥陀如来のおからだから血が出ており、驚いた武士は境内から退き寺は戦禍から免れたという。☆ (四国ネットより)

ビジネスホテル観音寺の横の5号を東進し線路を越えて寺への標識に従い左折して70番本山寺の駐車場へは納経時間の30分前に到着

駐車場前の70番本山寺山門

70番本山寺の山門

山門からの70番本山寺境内

右手に鐘楼

70番本山寺の手水舎

70番本山寺の本堂と五重塔

70番本山寺の本堂

本堂からの大師堂

70番本山寺の大師堂

弘法大師像と五重塔

大師堂の西正面に十王堂

十王堂

五重塔

五重塔

五重塔と本堂の間には赤堂(大日堂)

十王堂と五重塔の間奥には池があり鯉が泳いでいます

その池の向こうには地蔵尊像と石仏

納経所は本堂の左側を通過し奥に進み本坊の門をくぐり中に入って左にある、その納経所横のトイレ前の菊(山門横のトイレは7時を過ぎないと閉まっており使えませんが、ここはきれいで利用できます)

山門からの70番本山寺の左手境内

70番本山寺の納経、墨書き御朱印と開創1200年記念スタンプ Osamekei of Motoyamaji with the retractor 1200 Memorial special stamp.

70番本山寺の本尊御影 Principal image card of Motoyamaji temple is usually black and white. The red card is the retractor 1200 Memorial special.

☆☆
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2016 逆打ちくるま遍路記事はこちらから 
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☆☆


Shikoku pilgrimage 88
2014-11-02
71番弥谷寺 ( Kengozan Iyadaniji, 71st of shikoku pilgrimage 88 ) 
Above sea level 222m
第71番札所 剣五山 弥谷寺 (けんござん いやだにじ)
本尊  千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ 伝、弘法大師作)
真言  「おん ばざらたらま きりく そわか」
開基  行基菩薩 
宗派  真言宗善通寺派
御詠歌 あくにんと ゆきつれなんも いやだにじ ただかりそめも よきともぞよき
所在地 香川県三豊市三野町大見乙70
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☆ 寺は標高三百八十二㍍の弥谷山の中腹にある。三つの峰からなっているので三朶の峰といわれ、昔から死霊のゆく山と信じられている。山麓までの坂道を登ってゆくと、仁王門の手前に名物のあめ湯とトコロテンを売る俳句茶屋がある。門を入ってからは二百六十二段の石段。元禄年間に住僧覚林が造顕した金剛挙菩薩が奉安されており、さらに段を登れば、大師堂、鐘楼堂、岩窟の護摩堂、岩壁に刻まれた弥陀三尊などがあり、本堂には千手観世音がご本尊として奉安されている。寺は行基菩薩の開創。聖武天皇が堂塔を建立し、後に、弘法大師が七歳のときこの山で苦行し、大同二年(八〇七)再び登山して真言密教の秘法を修されている時、五柄の剣を得るとともに蔵王権現のおつげがあり、これにもとずき大師は千手観世音を刻み本尊とした。大師堂につづく奥ノ院は「獅子の岩窟」大師が求聞持の法を修されたところ。☆ (四国ネットより)


駐車場から参道を上り俳句茶屋から山門への石段を上る

71番弥谷寺の山門

71番弥谷寺山門の仁王

71番弥谷寺山門の仁王

さらに長い石段の参道を登っていくと大きな金剛拳菩薩が迎えてくれる。

本堂へはその先に赤い手すりの108階段を上り詰めると目の前に大師堂がある大師堂から右に進むと修行大師像

右に進むと鐘楼があって、

その前の石段を観音堂を横目にまた上って行く

この石段を上ると

本堂への案内板があります

水場

阿弥陀三尊磨崖仏

本堂への祭儀の石段(阿弥陀三尊磨崖仏側)、本堂正面に上がる石段も別にあります。

71番弥谷寺の本堂

71番弥谷寺の本堂

71番弥谷寺の本堂

本堂の屋根上の岩山

本堂からの眺め

鐘楼前の石段を下る

大師堂・獅子之岩屋(奥之院)(納経所)への石段
空海弘法大師)は7 - 12歳の期間、当寺にある岩窟である獅子之岩屋で学問に励んだという、807年(大同2年)、唐より帰国後の空海は当地を再び訪問し蔵王権現のお告げにより千手観音を安置し伽藍を再興し、山号を剣五山千手院、寺名を弥谷寺と改めたという。空海は、現在、岩窟の護摩堂と呼ばれる洞窟や獅子之岩屋で護摩を修し、寺宝の『金銅四天王五鈷鈴』を納めた。石段右上の丸窓が岩窟の護摩堂。

大師堂・獅子之岩屋(奥之院)(納経所)岩屋の中には石仏の厄除大師像・佐伯善通卿像・玉寄御前像、それまで祀っていた木像を秘仏としたことから、2体の厄除大師像が祀られている。(その秘仏の木造弘法大師像が320年ぶりに2014年開帳された)大師堂・獅子之岩屋(奥之院)では1200年記念特別公開中の2体の厄除大師像を眼前にて拝観する事ができました。また寺宝の『金銅四天王五鈷鈴』も拝観する事ができました。

71番弥谷寺の納経、墨書き御朱印と開創1200年記念スタンプ Osamekei of Iyadaniji with the retractor 1200 Memorial special stamp.

71番弥谷寺の本尊御影 Principal image card of Iyadaniji temple is usually black and white. The red card is the retractor 1200 Memorial special.

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