平成25年4月10日(水)
88箇所四国あるき遍路 ☜ 🚶 42日目 月照山 真如院 実相寺
(88番大窪寺から10番切幡寺へのへんろ道途中の寺)Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20
平成25年4月10日は八十窪〜徳島県阿波市ニイヤ〜大影橋〜犬の墓〜北原の大俣中学校跡〜実相寺〜事代主神社〜大俣小学校〜墓参〜大福うどん〜氏神の天神社〜実家までの 19.7km
☆☆
88番大窪寺門前の民宿八十窪の部屋から 06:19 Views from Yasokubo Guest house
民宿八十窪の朝食 06:27 Breakfast of the day
東側から見た八十窪、今日歩く距離は短いがニイヤに立寄るため民宿八十窪をすこしはやいが発つ 06:57 Yasokubo Guest house
八十窪の少し下で新しい377号線に合流します 06:58 New road 377
2年前は工事中であったが一部(地蔵堂の所)を除いて広い道に成っていた 07:00
377号線はこの先トンネルが出来てないため山の右手を迂回 07:20
その短い間の未整備区間の道路わきにある地蔵堂 07:29 この先(手前)でまた道は広くなる Zizo hall
長野の分岐から道を右へ市場町方面へと歩きます 07:48 From Nagano to Ichiba town
長野の分岐に立つ切幡寺への道しるべ 07:49 Signpost to Kihataji
香川と徳島の県境 07:55 Border of Tokushima Prefecture Kagawa
大影と言う土地はもっと山深いと思いきや平坦です 07:58 Okage
ニイヤの方へと歩きました 07:59
ニイヤの集落 08:08 Niiya village
姉の嫁ぎ先を訪ねお茶を飲みながらしばしあれこれと話をした 08:30
カットねぎの出荷作業中だったので早々に別れて来た 08:31
大影橋で2号線に合流した 08:35
2号線は新しい道が出来ていたが日開谷川の西岸の旧道を下って歩いた 09:17
姉が 「おなかすくじゃろうもっていきない」 と渡してくれたたくさん入ったおにぎり弁当 09:42
この集会所前に腰掛けて半分は頂きました 09:53
犬の墓あたりまで下ってくると急に開けてきた 10:11
この城王山には南北朝時代に活躍した新田氏を祭る城王神社がある 10:25
もうすぐで北原の大俣中学校があったところ 10:38
以前は学校の門がこの奥にあった 10:39
昭和22年(1947)大俣中学校が上喜来字岡に創立され、同36年(1961)市場中学校に統合、跡地に南邦工場(縫製工場)パール工場ができたようだがそれもまた数年で廃業したようです。
以前の校庭は新しく建設された2号線で分断されそこには家も建っています 10:40
廃校に成り51年にもなる変わらないのは城王山だけか 10:40
学校跡らしきものは何にも残っておりません 10:40 アルバムから写真をスキャンして載せておきましょう
校歌
[:W360]
校旗
学校校舎と朝礼風景
3年間自転車で通いなれた通学路 10:40
三ツ池まで机を運んで洗った事も思い出されるが我ら14回卒業生が最後になり翌年大俣中学校は廃校に成り市場中学校に統合された 10:43
246号線の分岐を左へ行けば二又、大門方面、ここは谷島方面へと歩く 10:44
丘へ上り中学校在学時に写生でよく訪れた真言宗の実相寺(実家の菩提寺)へ 10:48 真言宗の真如院 月照山、実相寺 檀家が600軒もあると親戚の寺総代から聞きました Jissoji temple
真言宗の真如院 月照山、実相寺 こんなに綺麗だったか? 10:48
真言宗の真如院 月照山、実相寺の本堂も新しいようだ 10:57実相寺の本堂で読経し終えると法事で顔見知りの住職が 「ま〜上がって休んでいきない」 と声をかけてくれ巡礼話をあれこれ報告し 「中学校の時に写生に来たことがありますがこんなに綺麗でしたか?」 「先生はだれじゃったんで〜」 「田村毅先生でした」「あのころは学生が写生にようきてましたな〜 前のはおまはん250年も経っていたんでよ、ほんでたてかえたんでよ〜」 としばらく話し込んだ 「88箇所巡礼した事もあって先祖の供養をしたいんで過去帳を作ってお参りしたいですけどお寺にお願いできますか?」「寺のは檀家が亡くなった順に書いてあるけん明治からは名字もありわかるんじゃけんどその前はだれべえと名前しか判らんのでめんどいでよ」「それよりおまはん実家の仏壇の位牌を見せて貰って書きうつしない、かこちょうの最初には光明真言をかいてから古い順に書いていきない」 ここの住職も井内姓です
真言宗 真如院 月照山 実相寺は,貞治2年(1347)小笠原左近将監義房の弟清範の創建にかかる名刹として知られる。 寛保神社帳(続徴古雑抄1)によると、当村の神社は夷大明神、神主は八幡町の種盛大和守である。四国霊場八十八か所第10番札所の切畑村の切幡寺と同第88番札所讃岐国奥山村の大窪寺を結ぶ讃岐街道が地内を通り、別名を遍路街道と称したとの記述もネットで調べられます。
真言宗の真如院月照山、実相寺境内 11:22 Precincts of the Jossoji temple
帰りに 「おせったいじゃけんこれ持っていきない」と高級なブランデーチョコを頂いた「昼間にたべるとお酒がはいっとるけんようでよ〜晩にたべない」と注意もあったが実家に着きお茶菓子代わりにみんなで 「これおいしいでないで〜」 と頂きました。
丘の上の真言宗の真如院 月照山、実相寺から事代主神社へ 11:24
真如院 月照山、実相寺に隣接する事代主神社も真新しく建て替えられておりました 11:26
事代主神社境内 11:26
事代主神社の鳥居 11:27
坂東伊賀守の社 中学校に通っていた頃は小さな祠だったと記憶しています 11:31
坂東伊賀守の社の西隣には中世の川人城跡 11:31
坂東伊賀守の社の西隣は中学校当時も今も天理教大俣分教会 11:32
小学校の頃はこの家が文房具屋さんであった、竹垣の所にお店があって高木のお婆ちゃんが店番をしていた 11:37
わが母校を大俣小学校を裏から見た、大俣小学校に在学中時は木造校舎であったが立派な鉄筋校舎になっていた 11:39
講堂の屋根の上にサイレンがあり三浦先生と上って回転ブラシを交換した 11:41 先生から職員室でラジオの組み立て指導を受け熱中しました。
先祖の墓で88箇所参りの報告 11:59
墓参をすませ西を望むと高越山 11:59
親戚の大福うどんの店に入る前に野生の日本猿と犬(ハク)が同居している大きな
フェンス小屋を見るまだ元気に同居していた。 大福のひやしうどん大500円 12:21
徳島自動車道が出来た時に東向きに立て替えられた氏神の天神社 12:39
以前は石段の上だったが道路建設で下に再建された天神原の天神社 12:41 しばし休んで実家に帰り仏壇に88箇所参りの方向をししばらく休ませて貰った疲れがどっと出てかなりの間眠った。当主の甥が出先から帰ってきたのでお寺での話をした 「かんまんでよ〜先祖にこえかけてからしない」 と了解を得て仏壇の位牌をデジカメで撮らせてもらった。後日パソコンで整理して文化年間の二名の先祖の戒名と没年と一人の俗名が判らない事も書き込んで実家の当主に礼状に沿え送った。(お寺に確認取ってもらえることを期待しております)