四国霊場逆打ち車遍路 🚘 32 金剛福寺 岩本寺 大善寺 青龍寺 清滝寺
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2016.11.03(木)
四国88ヶ所、38番札所 金剛福寺
38番金剛福寺 ( Sadasan Kongoufukuji, 38th of Shikoku pilgrimage 88)
EL+60m
第38番札所 蹉蛇山 金剛福寺 (さださん こんごうふくじ)
本尊 三面千手観世音菩薩 (さんめんせんじゅかんぜおんぼさつ)
真言 「おん ばざら たらま きりく そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗豊山派
御詠歌 ふだらくや ここはみさきの ふねのさを とるもすつるも のりのさだやま
所在地 高知県土佐清水市足摺岬214-1
山門を入ると左手に弁財天、不増不減の手水鉢、鐘楼がある。右手の納経所を過ぎ、正面奥に本堂が建てられている。本堂より右のほうに不動堂、多宝塔があり、その先に和泉式部の逆修塔がある。本堂左手の池の畔を行くと愛染堂、権現堂、行者堂があって大師堂に至る。本堂前の池の前には奉納された所願成就の亀の像が安置されている。 (Wikipediaより)
岩本寺から足摺岬へはへんろ道の中でもっとも長く、約百十㌔、歩いて三泊四日ほどかかる。土佐の京都といわれる中村より四万十川を渡り、伊豆田峠を越え下ノ加江より以布利へ、ここから土佐清水を経て海沿いに窪津、稲荷崎、足摺岬へ。岬の突端に近づくと急激に海へ迫る。アコウや天然のツバキ林を抜ければ、十二万平方㍍の広大な境内に本堂をはじめ諸堂が点在する。弘仁年間に弘法大師はこの地を巡錫して千手観世音を感得し、日本の最南端に位置することから観世音の理想の世界(補陀洛法界)の地として朝廷へ奏聞し、嵯峨天皇より「補陀洛東門」の勅額を賜り、弘仁十三年、伽藍を建立し、千手観世音を安置した。(山号を蹉跎山に改めたのは金峰上人が住職のとき天魔を蹉跎して退かせたからという)岬の突端に立つと、紺青の海原が無限にひろがる。ここには弘法大師の七不思議の伝説がいまなお生きつづけている。 (四国ネットより)
金剛福寺の石柱
金剛福寺の仁王門
金剛福寺の仁王門
金剛福寺仁王門の仁王像
金剛福寺仁王門の仁王像
金剛福寺仁王門からの参道
金剛福寺仁王門からの参道
大師亀の石像、足摺岬の突端に「亀呼岩」があります。お大師さんが亀を呼び眼前に浮かぶ不動岩に渡り修行したと伝えられています。(足摺7不思議の一つ)いろんな願いを叶えてくれるそうです
本堂と境内
本堂と境内
権現堂
大師堂
大師堂
大師堂の大師像
大師堂
大師堂
権現堂
鐘楼と弁財天堂
金剛福寺の境内
金剛福寺の境内
大師堂と権現堂
権現堂
池に映る多宝塔
多宝塔
護摩堂
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金剛福寺から足摺岬展望台への道脇で猫の親子
遊歩道の椿のトンネル
遊歩道の椿のトンネル
足摺岬の灯台
天狗鼻
天狗鼻
展望台から金剛福寺
ジョン万次郎の銅像
ジョン万次郎の銅像前からの金剛福寺
2016.11.03(木)
四国88ヶ所、37番札所 岩本寺
37番岩本寺 ( Fujiisan Iwamotoji, 37th of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+211m
第37番札所 藤井山 岩本寺 (ふじいさん いわもとじ)
本尊 不動明王
観世音菩薩
阿弥陀如来
薬師如来
地蔵菩薩
真言「のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん」
「おん あろりきゃ そわか」
「おん あみりた ていせい から うん」
「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
「おん かかかび さんまえい そわか」
開基 行基菩薩
宗派 真言宗智山派
御詠歌 むつのちり いつつのやしろ あらはして ふかきにいたの かみのたのしみ
所在地 高知県高岡郡四万十町茂串町3-13
山門(仁王門)を入ると左に手水場、右手に聖天堂、鐘楼があり、正面右手に本堂が建つ。本堂の左には水天宮、鐘楼の奥に大師堂がある。山門を背に左手に庫裏と納経所がある。境内の裏手には土佐くろしお鉄道の線路が通り、参拝中に列車の姿を見ることができる。 (Wikipediaより)
かつては福円満寺といい、行基菩薩の開基で、聖武天皇の勅を奉じ、仁井田明神のかたわらに建立された。仁王経の七福即生の文にもとづいて、天の七星をかたどつてさらに六ヵ寺を建てて、仁井田七福寺とも称した。弘仁のころ、弘法大師が巡錫し、五社、五ヵ寺を増築し、本地仏のご本尊である不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩の五体を安置し、自ら星供秘法を修し、藤井寺五徳智院と号された。中世のころ兵火で焼失し、ときの釈長僧都が再興し、寺名を岩本坊(寺)に改めた。明治に入り廃寺となるが、同二十二年に再興されている。本堂には五体の本尊が安置され、なかでも観世音菩薩は、昔貧しい狩人の願いをきき入れて長者にさせたことから「福観音」とよばれ、その時狩人の身代りになった地蔵菩薩を「矢負の地蔵」とよんで信仰されている。七不思議の伝説もある。窪川は三つの峠を越えた高原(海抜三百二十㍍)の町。寺は町の奥まった所にある。 (四国ネットより)
岩本寺の歓喜堂
岩本寺の大師堂と歓喜堂
仁王門の仁王像
仁王門の仁王像
1978年新築された本堂の天井画
本堂内陣
本堂内陣
岩本寺本堂の御本尊は五尊、不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩
実は、岩本寺は元々37番札所ではなく、福円満寺が37番札所だったのです。この福円満寺は岩本寺の近くにある高岡神社(仁井田明神)の境内にあった別当寺であり、高岡神社には5体の仏が祀られていたのです。高岡神社には5つの社殿があり、それぞれに仏像が祀られていました。それを岩本寺に移動させた時に、5体全てを本尊としたため現在のスタイルになりました。
山門、手水舎と納経所
大師堂
歓喜堂
大師堂
手水舎
山門
山門
本堂
本堂と鐘楼
鐘楼
本堂
本堂
本堂と境内
手水舎
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2016.11.03(木)
四国別格20霊場 5番札所 大善寺
番外別格5番大善寺 ( Kouyasan Daijenji, Ex. 5th of Shikoku 88 )
EL+26m
番外別格5番札所 高野山 大善寺 (こうやさん だいじぇんじ)
本尊 弘法大師 (こうぼうだいし)
真言 「なむだいしへんじょうこんごう」
開基 弘法大師
宗派 真言宗高野派
御詠歌 みな人の 善を須崎の高野寺 波の音さえ 法の声かな
所在地 高知県須崎市西町1-2-1
略縁起、弘法大師四国八十八カ所御開創の砌、須崎の入海はきわめて広く、今の大師堂の地点は海に突き出た岬とっていた。当時は山越しに行くのを常としたが干潮の時はこの二つ石岬の端を廻って行くことができた。ところが同地は波浪いつも岩をかみ「土佐の親しらず」といわれ、波にさらわれて海の藻屑となるものも多く海難が多発し、そのうえ同地点は伊予石鎚山の末端に当たるので身に不浄あるものは時々怪異に出会うといっておそれられていた。大師は、そのことを聞いて海岸にたつ大岩の上で海難横死者の菩提のため、海上・陸上の往来安全を祈願して祈祷を行い、一寺を建立したのが今の大師堂の起源である。それ以来難儀も軽減したので、誰言うともなく「二つ石のお大師さん」と呼ばれるようになったという。二つの大岩は長年波荒く打ち寄せる波の力で磯になり丘になり、遂に昭和の初め防潮堤ができ、今はその姿を留めていない。寺伝によれば宝永四年(1707年)の大変までは古市町にあり八幡山明星院大善寺といい、法印職の住する中本寺格として八幡神社の別当職として末寺十七カ所寺を擁していたが(寺地境内は六反十二畝三歩・寺は三間に二十四間だったという記録がある)津波で流失し古城山のふもとに移ったものらしい。後に明治の廃仏毀釈により廃寺となり、明治二十九年(1896年)大師の霊跡を惜しむ里人の手で再興され現在地に移転し寺の再建を計って今日に至っている。尚、本堂前境内よりのながめは太平洋を眼下に一望でき「二つ石の上でお大師様」が今もみなさま方の幸せをとこしえに御祈願されております。案内・地図、JR土讃本線土佐新荘駅より徒歩三分。急行利用の場合は須崎駅下車、徒歩30分。
大善寺の弘法大師像の頭に休むカマキリ
大善寺の鐘楼、手水、香炉
大善寺の鐘楼、手水
本堂
鐘楼からの眺望
大善寺の境内
大善寺のボケ封じ観音像
大善寺の修行大師像
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須崎の喜楽で鍋焼きラーメンを昼食に食べました
本来は定休日なのに気まぐれで開店したところに運よく入れました
煮えたぎる鍋焼きラーメン
喜楽の鍋焼きラーメン
2016.11.03(木)
四国88ヶ所、36番札所 青龍寺
36番青龍寺 ( Dokkozan Shouryuji, 36th of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+41m
本尊 波切不動明王 (なみきりふどうみょうおう 伝弘法大師作)
真言 「のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた
かんまん」
開基 弘法大師
宗派 真言宗豊山派
御詠歌 わづかなる いづみにすめる しょうりうは ぶっぽうしゅごの ちかひとぞきく
所在地 高知県土佐市宇佐町龍旧寺山601
石段下の右に手水場、左に納経所、恵果堂がある。石段途中左奥に三重塔があり、仁王門の先にも170段の石段が続く。石段を上りきったところに本堂が建ち、左に大師堂、右に薬師堂があるが、この配置は唐の青龍寺と同様であるといわれている。 (Wikipediaより)
宇佐の渡し(龍ノ渡シ)は、弘法大師が八人の供を残し、その子孫がこの渡しを近年まで守りつづけてきた。しかし宇佐大橋が開通してこの渡しはなくなった。昔の遍路はいくつもの川や海を越えたが、その多くは渡し舟を利用した。ところが橋がかかり、海岸線に道路が開通するにおよんで渡し舟は姿を消してゆくのである。弘法大師は中国留学中、青龍寺の恵果阿闍梨について学ばれたが、帰国にあたって師の恩に報いるために有縁の勝地を選ばれるようにと、明州から東に向かって独鈷杵を投げられた。独鈷杵は東方に飛び、やがてこの地の山上にある松に止まった。帰国した大師はこの地へ巡錫して独鈷杵を感得し、弘仁六年(八一五)嵯峨天皇に奏聞して一宇を建て、自刻の浪切不動を安置し、恩師を慕って寺名を青龍寺とした。仁王門を入ると滝があり、行場になっている。百二十段余りの石段を登りつめたところが本堂。海上安全を祈る漁民の多くの絵馬が納められている。 (四国ネットより)
青龍寺の仁王像
青龍寺の仁王像
青龍寺の参道石段
青龍寺の本堂
祠
大師堂
本堂
本堂前の不動明王立像
薬師堂
白山大権現社
行場の滝
行場と三重塔
水子地蔵尊と三重塔
仁王門からの参道石段
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2016.11.03(木)
四国88ヶ所、35番札所 清滝寺
35番清滝寺 ( Iouzan Kiyotakiji, 35th of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+132m
第35番札所 医王山 清滝寺 (いおうざん きよたきじ)
本尊 薬師如来 (やくしにょらい)
真言 「おん ころころ せんだり まとうぎ そわか」
開基 行基菩薩
宗派 真言宗豊山派
御詠歌 すむみづを くめばこころの きよたきじ なみのはなちる いわのはごろも
所在地 高知県土佐市高岡町丁568-1
土佐の町から西へ向うと前方に山々が立ちはだかる。山麓の農家には土佐の手漉和紙の原料楮がみられ、急坂を約八百㍍ほど登った山(海抜四百㍍)の中腹に清滝寺がある。この境内の一角に「いらずの山」と称し、誰人も近づかない所がある。そこに弘法大師の十大弟子に数えられる真如の建てた逆修の塔がある。真如は入唐後さらにインドへの求道の旅をつづけ、途中不慮の死を遂げた。おい茂った樹木の中に、真如の熱烈な魂は今なお生きつづけている。縁起によれば、養老七年(七二三)行基菩薩がご本尊薬師如来を刻み、寺を開別し、景山密院繹木寺とした。弘仁年間に弘法大師が巡錫し、山中で一七日の間修法され、満願の日に金剛杖で前の壇を突くと清水が湧き出て鏡のような池になった。そこで医王山鏡池院清滝寺に改め、霊場としたという。おかげをうけた人の感謝の奉納額、松葉杖、ギプスなどが本堂に奉納されている。 (四国ネットより)
清滝寺の山門からの石段
清滝所の大きな厄除薬師如来立像の右奥が本堂、左は大師堂
本堂右手の水子地蔵尊と流れ落ちる滝
底抜け柄杓の奉納された子安地蔵堂
観音堂
地蔵堂
大師堂
大師堂
本堂
大きな厄除薬師如来立像
清滝寺の大師堂と本堂
境内からの眺望
境内からの眺望
厄除薬師如来立像
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