阿千田越え 

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2月16日の徳島新聞に「大師ゆかりの遍路道整備」として掲載された記事を紹介します


写真の人はTYDさんとANYさん

記事内容:
四国霊場開創1200年に合わせ、阿南市羽ノ浦町小松島市立江町の住民団体が、両町境にある峠越えの旧遍路道の整備を進めている。弘法大師ゆかりの山道で、源義経屋島進攻の際に通ったとも伝わる歴史ロマンあふれる道。散策道として復活させて住民に昔日をしのんでもらい、交流促進や活性化につなげたい考えだ。整備しているのは羽ノ浦町岩脇と立江町青木を結ぶ標高80mの峠道・阿千田越え(1キロ)を含む約2キロの遍路道。土佐古道の一部でもあり、昭和初期まで徳島と高知をつなぐ主要道として利用された。いくつかの史実も残る。立江側の麓には弘法大師野天風呂を建てたとされる「据風呂谷遺跡」があり、平安時代末期には源義経率いる軍勢が屋島に向かうルートとして使ったとされる。こうした古道も太平洋戦争後は雑木や草が生い茂って歩けない状態に。住民からも忘れられつつあったため、2年前に両町の60、70代の男女約60人が「あせんだ峠の会」を結成し、美化に乗り出した。峠名を記した石碑、歴史を紹介する看板、休憩所のほか、健康増進につなげようと竹の歩道を設置し、ガイドマップも作った。こうした整備に加え、春には梅や桜が咲き、秋にはクリ拾いが楽しめるという豊かな自然にもひかれ、散策する住民が少しずつ増加。11月には峠一帯をコースに、四国霊場開創1200年記念ウオーキング大会を計画している。穴山貴雄代表(73)=羽ノ浦町春日野=は「こどもとお年寄りの触れ合いの場となり、少しでもまちづくりに貢献できれば」と話している。

旧遍路道を整備されているSWIさんから送られてきた写真を紹介します
新聞記事の写真、竹の階段道は左側にあった本来の道が長年雨水が流れV字型になって
歩きぬくかったので右側斜面の土地の持ち主(兵庫県在住)の許可を得て整備された

しかし勾配のきつい竹の階段の登り下りが老人にはきつく、雨水が流れV字型になってた
本来の道(左側)を整備し直し二人が並んで歩ける道幅に拡張が行われたのです

道幅を広げてV字の谷を土で埋めて地ならしをして、土留めの竹を両側に
その仕切り竹外側には雨水が流れる排水溝を付けられています

この写真は峠の頂上付近から見下ろした道で、左側が竹の階段から続いてきた道
右は雨水でV字の谷になっていた道へと続く道(本来の道)

本来の道幅を拡張して出た土を運んでV字谷を埋め、仕切り竹を両側に敷き

地ならしをして幅広い道へと整備されています

実質整備をされているのはSWIさん、HYDさん、ANYさん、TYDさんの4名でそれぞれ
個々に活動をされておられます
この拡張道はSWIさんの発案で自ら整備されておられます。

遍路道拡張整備中

遍路道拡張整備中

遍路道拡張整備中

遊歩道拡張整備中

遊歩道拡張整備中

遍路道拡張整備中

拡張された遍路道の峠頂上付近


阿千田越え縁起
阿千田越えは、小松島市立江町向山から阿南市羽ノ浦町岩脇に通じる標高80メートルの山道です。古来、奈良時代より南海道の一つ土佐街道として、阿波の国府から土佐の国府に至る街道としての役割を担ってきました。立江側から登ると、山麓にお水大師といって岩の裂け目から清水が滾々と湧きだし、傍らに弘法大師の足形があります。昔の旅人はこの霊水でのどを潤し、山道を登ったと伝えられております。また。千二百年ほど前、お大師様が巡錫の折、民家で一夜を過ごされた際、この水で野天風呂をたてたことから、据風呂谷の地名が残っております。峠は切り通しで、尾根より3メートル位低く、西側の斜面にはお地蔵さんが祀られ、旅人は道中の無事を祈願して峠を下っていったとのことです。「吾妻鑑」文治元年(1185)の条に、三月八日、辛卯、源廷尉義経の飛脚、西国より参着す。申して言う、去月十七日、百五十騎を率い、暴風を凌ぎて渡辺より出港、翌日卯刻、阿波国(橘浦と傍書あり)に着き、則ち合戦を遂ぐ、平家の従兵は誅せられ、或は逃亡す、仍て十九日、廷尉屋島に向かわれ訖んぬ。とあります。 義経は椿浦に上陸。廿枝(阿南市新野町)で平家の伏兵と戦い、信里郷に身を寄せ、義経の愛馬を洗ったという地名「馬洗い場」を経て、往時の官道阿千田峠を駆け抜け屋島に向かったと伝えられています。 「羽ノ浦町誌地域編」(羽ノ浦町誌編さん委員会編)には、藩政時代以後の人口増加と産業の発達によって、物資の輸送が牛馬や荷車による運搬が盛んになると、急な山道は敬遠され、土佐街道は平坦な宮倉を通過するようになったと記述されております。


旧遍路道を整備の様子を写真で紹介しましょう

遍路道拡張整備中の峠頂上付近

遍路道拡張整備中の峠頂上付近

遍路道拡張整備中

遍路道拡張整備中

遍路道拡張整備中

遍路道拡張整備中

遍路道拡張整備中

夏場は暑く、背中に汗しての修復作業、藪蚊対策の蚊取り線香も欠かせません
峠道は二人が並んで歩ける道幅にライフワークでSWIさん、HDIさんが悪天候以外は
毎日取り組んでおられます。写真はANYさん。

四国遍路で19番札所立江寺から番外霊場の取星寺へお参りをされるお遍路さん達も
お大師様所縁の阿千田へんろ道をぜひ歩いてみてください。
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峠を下り分岐にある道しるべを 「右 志ん志こく 二丁}へ行くと新四国巡拝道を経て木立の中を取星寺へ行けます
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今から約200年前の文化11年(1816)、当時の取星寺住職快典上人(京都仁和寺より赴任)が40歳の厄除け祈願と弘法大師1,000年大法事の記念事業として発願、智道上人から弟子の尊甚上人まで師弟三代に亘り、25年後に完成する。最初に四国霊場を巡拝して実地踏査し、坂の上り下り、札所の里程を縮尺して配置、各霊場の砂を持ち帰って本尊の下に埋め、巨大な岩石を組んで岩屋を造り石仏を安置、岩石を動かして道路をつけるなど難工事でありました。また200体にも及ぶ本尊及び大師像の寄進を募りに東奔西走したことも偲ばれます。奇岩を取り入れての構造、絶妙なる配置、各札所に本尊と大師像の二体を安置するなど他に類例なく霊蹟で霊験著しく全国新四国の濫觴として名高い。