3月1日、この日の予定は午前中、成田山新勝寺参り、午後は柏に移動し、夕方からM社でお世話になったお二人と私ども二人の4人での夕食会。
雨は上がったが曇り空、宿泊していたJR成田駅西口のホテルをチェックアウトした、荷物は昼過ぎまで快く預かってくれ、手ぶらでJR成田駅の西口~東口から歩いて成田山新勝寺に向かいました。
JR成田駅東口から成田山へは信号を左へ向かい花崎町界隈から上町界隈へ歩きます
仲町・幸町と上町の分岐に建つ薬師堂は1655年に建立された成田山旧本堂で水戸光圀や初代市川團十郎が参詣した成田山最古の現存御堂、1855年に前本堂(現釈迦堂)の建築に伴い薬師堂としてこの地に移築されました。(薬師堂、光明堂、釈迦堂それぞれが今の大本堂の以前の成田山歴代の本堂という事です)
薬師堂の説明板
現在の本堂は1968年(昭和43年)建立 、それまでは現釈迦堂が本堂でした
成田山新勝寺の大本堂と三重塔
三重塔軒下の彫物と彩色
左は一切経堂 右は鐘楼
三重塔の正面、玉砂利の中にある石摺り不動尊
裏側には
中興第八世照胤上人(しょういん) 文政10年5月 開 眼
中興第十世照阿上人(しょうあ) 天保12年1月 再開眼 と彫られています
石摺り不動尊、別名撫で不動(石摺り不動)日本橋 伊勢屋六右衛門 奉納 1827年(文政10年)造立の石摺り不動、石碑の中央にお不動様と両童子が彫られている。
昔はこれを拓本して信徒に配布、掛け軸にして家でお祀りする人も居たようです。
中央の不動明王の部分が黒ずんでいるのは、お参りする人がお不動様に直接触れて信仰を深めているからで、ここが別名、撫で不動と言われる由縁です。とHPにありまた。
成田山公園
成田山公園
成田山公園 竜樹の池、竜智の池の間にある飛び石
成田山公園の竜樹の池
成田山公園の竜智の池
成田山公園の竜智の池と浮御堂
成田山公園の竜樹の池
成田山公園の梅林
平和大塔下の噴水
醫王殿(いおう)と平和大塔
清滝権現堂
光明堂は元禄14年(1701)建立の旧本堂・光明堂裏には奥の院の洞窟がありました
日丸講元のブロンズ
開山堂の隣にある梅の木
文久元年(1861)建立の額堂
現釈迦堂は1855年建立の前本堂
前本堂は趣があります、本堂回廊は葛飾柴又の帝釈天の本堂回廊と同じように彫刻が彫られていて見事でした。堂周囲の彫刻は五百羅漢二十四考の彫刻です
成田山新勝寺境内と三重塔
大本堂から仁王門へ下りの石段
毀れ不動堂(1899年 明治32年) 御本尊は「倶梨伽羅不動明王」(不動明王の化身)
何度修理してもふしぎと、こわれるので 「こわれ不動堂」 と呼ばれています。 1.2メートル四方の小さい御堂であるが、周りの素晴らしい 彫刻、彫工は村田惣三郎
仁王門から太鼓橋と中央には毀れ不動堂
仁王門と総門の間の左右の石灯籠の間にあります獅子岩は [獅子の子落とし] [獅子の子落とし] とは 、獅子は、子を生むとその子を深い谷に投げ落とし、よじ登って来た強い子だけを 育てるという言い伝えから自分の子に苦難の道を歩ませ、その器量を試すことのたとえ。 同じ様な諺に「可愛い子には旅をさせよ」 があります
成田山新勝寺の総門
成田山参道
昼食は参道を戻って大黒屋でおそばをいただきました。
つけとろろそば 1300円
二八せいろそば 900円
前日ウナギを食べた川豊
以前は旅籠だったようで2階にも客が入っています
うなぎの川豊には順番待ちの客が整理券を持って並んでいました
帰り道この酒屋の甘酒200円を飲んで暖まりました
西口前のホテルに預けておいた荷物をピックアップしJR成田線・常磐線で柏に移動、ネット予約しておいた柏のビジネスホテルにホテルにチェックイン。一休みしてから夕方6時にお世話になったM社のお二人と私共夫婦の4人 「和香(なごみ)」で夕食会
和香(なごみ)でお世話になった懐かしいお二人と再会、夕食会で楽しいひと時を過ごしました。
この日の献立は
先付 とらふぐ博多押し 黄味酢オレンジの香り
前菜 海老春菊土佐和え 叢雲(むらくも)豆富 かぶら寿司 苺豆乳寄せ 長芋山葵漬け 菜の花黄味そぼろ
造理 季の盛り合わせ つま一式 土佐醤油
焜炉 寄せ鍋 ぶた肉 じゃこ天 海老 白菜 春菊 占地茸
揚物 揚げ出し仕立 胡麻豆腐 茄子 獅子唐
食事 浅利と新牛蒡炊込み御飯 酒粕味噌仕立て 香の物
水菓子
先付
前菜
会話に花が咲き後の料理の写真は写しておりません、楽しいひと時でした。