四国あるき遍路 ☜ 🚶 29日目 平成25年3月28日(木)
遍照院 54番延命寺 55番南光坊 56番泰山寺 57番栄福寺 58番仙遊寺
☆☆
平成25年3月28日(木)
88箇所四国あるき遍路29日目
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20
平成25年3月28日は伊予北条の太田屋ビジネス旅館〜鎌大師〜196号線を北上〜遍照院〜青木地蔵〜54番延命寺〜55番南光坊〜56番泰山寺〜57番栄福寺〜58番仙遊寺まで 35.4km
☆☆
北条/太田屋5:00〜砥鹿山トンネル8:20〜遍照院7:00〜青木地蔵7:55〜五郎兵衛大師8:59〜大井八幡9:24〜54番延命寺10:18/10:50〜55番南光坊11:37/11:56〜56番泰山寺13:23/13:55〜57番栄福寺14:32/14:58〜仙遊寺山門15:35〜58番仙遊寺15:48/16:16〜宿坊17:00 歩行距離35.4km 歩数55,207歩
☆☆
太田屋ビジネス旅館を朝食無しでまだ暗い5時に発ち県道179号線から下難波交差点を右折し国道196号へ入り次の角を左、鎌大師の峠越えの道を北条浅海へ下り海沿いの国道196号線(今治街道)を北上 06:10
海沿いの国道196号線(今治街道)を北上 06:10
今治市に入る、正面左が海賊うどんの店ですが早朝の為まだクローズ 06:13
四国の道案内板 06:14
今治まで21km 06:17
砥鹿山トンネル 06:20
菊間町田之尻の漁港 06:21
菊間町田之尻の漁港 06:22
196号線今治まで19km 06:40
菊間町浜の遍照院の山門 07:00
遍照院の本堂、厄除祈願の寺 07:00
遍照院は、愛媛県今治市菊間町に所在する寺院である。山号は法佛山。宗派は真言宗豊山派。詳しくは、法佛山 日輪寺 遍照院と号する。本尊は聖観音、開基本尊厄除弘法大師。四国八十八箇所番外札所、新四国曼荼羅霊場第四十二番札所。別名・厄除大師。
菊間町浜の遍照院 07:00
菊間町浜の遍照院 07:02
遍照院の山門には仁王の替りに特産の鬼瓦 07:03
遍照院の山門には仁王の替りに特産の鬼瓦 07:03
遍照院の隣のコンビニで休憩 07:14
へんろマーク 07:17
へんろマーク 07:18
遍照院からは県道197号線、菊間駅標識あるが直進し県道164号へ 07:18
県道164号は菊間川に架かる橋へ 07:23
菊間川を渡る 07:23
国道196号に合流 07:30
道路わきのブロック塀にあるへんろ道しるべ 07:33
国道196号から葉山で海岸の道へ入り正面に見える石油精製工場方面へと歩きます 07:39
瓦工場脇の防波堤の道を太陽石油の所まで歩く 07:41
道は川で行きどまり道成に出ると国道196号に合流 07:50
合流点にある菊間瓦の灯篭 07:50
今治まで15km 07:52
太陽石油の先を左に入ると青木地蔵堂があります 07:55
へんろ道しるべ 07:58
菊間の峠 08:02
国道196号(今治街道)を北上 08:02
菊間町岩谷付近でみた石灯籠 08:07
菊間町蛭子宮近くで海沿いに出た。 見えている島は怪島 08:17
今治14km 08:25
菊間町佐方、第三分団消防車庫のところから旧道へと入ります 08:32
高城集会所前の地蔵 08:33
沿道のへんろマーク 08:38
大西町別府付近の旧道 08:51
大西町の国道196号脇、碇掛天満宮参道の五郎兵衛大師 08:59
県道15号線、大西町脇の石塔とへんろ石 09:12
県道15号線からの大井八幡神社参道 09:24
県道15号線を歩く 09:28
県道15号線大西町新町甲のへんろ石 09:31
国道196号今治まで8km 09:39
沿道に咲く桜 09:49
沿道に咲く桜 09:49
国道196号線からの県道38号線、54番延命寺への分岐標識 09:55
県道38号線、54番延命寺の道路標識 10:13
県道38号線、54番延命寺口の標識 10:14
54番延命寺の参道 10:17
☆☆
平成25年3月28日(木)
54番延命寺 ( Chikamizan Enmeiji, 54th of Shikoku 88 )
H22m
第54番札所 近見山 延命寺 (ちかみざん えんめいじ)
本尊 不動明王 (ふどうみょうおう 伝、行基菩薩作)
真言 「のうまくさんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そはたや うん たらた かんまん」
開基 行基菩薩
宗派 真言宗豊山派
御詠歌 くもりなき かがみのゑんと ながむれば のこさずかげを うつすものかな
所在地 愛媛県今治市阿方甲636
☆ 松山から瀬戸内海沿いにたどると、今治の手前六㌔ほどのところに近見山(海抜二四四㍍)がある。いまでは斎灘、燧灘にかこまれた芸予諸島の南半と、来島海峡の全景を展望する絶好の地となっているが、昔この山頂に延命寺があった。寺の創建は行基菩薩が不動明王を刻んで本尊として安置したのにはじまり、後に嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が再興し、近見山円明寺と号した。そのころ七堂伽藍が整い、荘厳をきわめていたが、たびたびの兵火にかかり、そのたびに寺は移転し、天正年間の兵火にあってから山の麓に移建された、明治以降寺名が円明寺から延命寺に改められた、宝永元年(一七〇四)の梵鐘は住職の私財で鋳造したもの。それ以前の梵鐘は戦乱の合図の鐘に使われ夜になると叩かないのに「いぬるいぬる」と鳴くので恐れられた。また、松山城へ持出されそうになって「イヤーン、イヤーン」と鳴くので置き去りにされたという。☆ (四国ネットより)
54番延命寺の仁王門、その向こうに見えているのが山門 10:18
54番延命寺の納経所と売店 10:31
54番延命寺の本堂前と大師堂への石段 10:31
54番延命寺の本堂 10:31
54番延命寺本堂前の石段、その向こうは不動明王像と池 10:31
54番延命寺の大師堂 10:39
54番延命寺の大師堂 10:39
54番延命寺の本堂 10:40
54番延命寺の本堂 10:50
54番延命寺の納経所と売店 10:50
54番延命寺の薬師堂(正面) 10:50
延命寺からへんろ道で大谷墓園を抜ける、途中55番南光坊への道しるべ 11:01
☆☆
平成25年3月28日(木)
55番南光坊 ( Betsukuzan Nankoubou, 55th of Shikoku 88 )
H3m
第55番札所 別宮山 南光坊 (べつくざん なんこうぼう)
本尊 大通知勝如来 (だいつうちしょうにょらい)
真言 「おんまか びじゃな じゃなのう びいぶう そわか」
開基 行基菩薩
宗派 真言宗醍醐派
御詠歌 このところ みしまにゆめの さめぬれば べつぐうとても おなじすいじやく
所在地 愛媛県今治市別宮町3-1
☆ 今治から船で一時間のところに大三島があり、大山祗神社がある。大宝三年(七〇三)この神社の別宮を越智郡日吉郷に移し、二十四坊あった別当のうち八坊を和銅五年(七一二)との二回にわたって同地へ移した。弘法大師は四国巡錫のとき、別宮に参拝し、坊で法楽をあげて霊地とした。後に天正年間の良曽我部元親の兵火で八坊は焼失し、その中で禄の少ない南光坊のみが再興され、明治の神仏分離まで別宮の法楽所として存続した。この間藤堂高虎は今治城修築中に薬師堂を建立し、次の城主久松氏も祈祷所に定めて祭祀料を奉納したという。明治以降は本社本尊である大通智勝仏を移したが、昭和二十年八月の戦災で本堂、薬師堂などを失い、大師堂と護摩堂が残された。近年本堂が再建されている。ご本尊の大通智勝仏は法華経第七化城諭品に説かれており、釈迦如来は大通智勝如来の第十六番目の弟子である、と法華経に説かれる。寺には書家、川村驥山の菅笠や筆塚がある。☆ (四国ネットより)
55番南光坊の西角、見えているのは本堂 11:37
55番南光坊の薬師堂横を仁王門へ 11:37
55番南光坊の仁王門(鐘楼門) 11:39
55番南光坊仁王門横の弁財天祠 11:39
55番南光坊仁王門には四天王の持国天像と多聞天像 11:39
55番南光坊の仁王門を境内へ入る 11:39
55番南光坊の本堂 11:40
55番南光坊の薬師堂と金毘羅堂 11:41
55番南光坊の大師堂と仁王門内側には広目天像と増長天像が立っています 11:56
55番南光坊の本堂、薬師堂と金毘羅堂 11:56
55番南光坊の本堂、納経所は左端 11:56
56番大山寺への道しるべ 12:12
南光坊の納経所で近くで食事のできるところと尋ねると泰山寺への道筋で今治駅近くに三国屋という蕎麦屋があると教わったがその店を探し当てられず、北日吉町1丁目のお好み焼店味三でお好み焼(650円)を食べました。 12:40
北日吉町1丁目の味三 12:56
☆☆
平成25年3月28日(木)
56番泰山寺 Kinrinzan Taisanji, 56th of Shikoku 88 )
H17m
第56番札所 金輪山 泰山寺 (きんりんざん たいさんじ)
本尊 地蔵菩薩 (じぞうぼさつ 伝、弘法大師作)
真言 「おん かかかび さんまえい そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗醍醐派
御詠歌 みなひとの まいりてやがて たいさんじ らいせのいんどう たのみおきつつ
所在地 愛媛県今治市小泉1丁目9-18
☆ 弘仁六年、弘法大師がこの地を巡錫した時梅雨のため蒼社川の水が氾濫していた。伊之子山(八七二㍍)附近に源を発する蒼社川は、玉川村から今治市の東南を抜けて燧灘へ流れ込んでいる。そのころこの地に伊予の国府があったが、国の力では防ぎようがなく、毎年梅雨期になると川が氾濫して田地や家屋を流し、人命を奪った。農民は恐れ苦しみ、この川を人取川といって悪霊のしわざと信じていた。そこで大師は川原に壇を築き「土砂加持」の秘法を七座厳修された。満願の日にご本尊地蔵菩薩を感得し、祈願成就したので一寺を建立してご本尊を安置し、延命地蔵十大願の第一「女人泰産」から寺名をとられ「泰山寺」とした。後の天長元年(八二四)淳和天皇の勅願所となり、七堂伽藍も完備、塔中十坊を有する大寺となった。しかしたびかさなる兵火で縮少し、山麓の現在地へ移建されるのである。近くに遍路へのサービス機関の同行新聞社がある。 ☆ (四国ネットより)
56番泰山寺の石柱門前 13:23
56番泰山寺の鐘楼 13:48
56番泰山寺の大師堂 13:48
56番泰山寺の納経所 13:48
56番泰山寺の本堂 13:53
仁王像は本堂右手のガラスの中に鎮座しています
56番泰山寺の本堂 13:53
56番泰山寺の境内 13:53
56番泰山寺の修行大師と大師堂 13:53
へんろ道しるべと小さなお堂が家の角地に有りました 14:01
へんろ道しるべと小さなお堂 14:02
老人ホーム日高荘の所には四国遍路無縁墓地があります 14:07
蒼社川の川を渡る旧へんろ道、今は通行止め 14:08
県道155号線の山手橋を渡る 14:14
山手橋を渡り見えている車道は通らずに手前から堤防の歩き道を右へ 14:17
蒼社川堤防の道 14:17
蒼社川堤防の道 14:18
堤防の道から車道に合流して民家の脇に栄福治へのへんろ道しるべ 14:25
水路脇のへんろ道を57番栄福寺へ 14:26
☆☆
平成25年3月28日(木)
57番栄福寺 ( Futouzan Eifukuji, 57th of Shikoku 88 )
H41m
第57番札所 府頭山 栄福寺 (ふとうざん えいふくじ)
本尊 阿弥陀如来 (あみだにょらい)
真言 「おん あみりた ていせい からうん」
開基 弘法大師
宗派 真言宗高野派
御詠歌 このよには ゆみやをまもる やはたなり らいせはひとを すくふみだぶつ
所在地:愛媛県今治市玉川町八幡甲200
☆ 府頭山(八幡山)を目指して田圃道を歩み山麓からの急な参道を登る。正面は八幡宮、途中から右へ折れて栄福寺の境内へ入る。明治の神仏分離まで栄福寺は勝岡八幡と称し、神仏が同居していた。縁起によれば、嵯峨大皇の勅願により弘法大師の開創。大師が瀬戸内海を巡錫し、内海の風波海難の平穏を祈って大護摩を修されていると、海上はたちまち穏やかになり、海中より阿弥陀如来を感得し、ご本尊として奉安した。本堂は八幡宮への参道を背にし、他の堂より一段高い所にある。本堂向かって右手に回廊があり、大師堂、薬師堂など諸堂がコの字型に結んでいる。本堂回廊には昭和八年に奉納されたイザリ車と松葉杖がある。奉納者の宮本武正さんは当時十五歳で、巡拝中にこの地で歩けるようになり、感謝のあまりイザリ車を奉納したのである。☆ (四国ネットより)
57番栄福寺口 14:32
57番栄福寺の本堂と大師堂 14:54
57番栄福寺の本堂 14:55
57番栄福寺の大師堂 14:55
57番栄福寺の修行大師像と本堂 14:55
57番栄福寺の境内 14:58
57番栄福寺から58番仙遊寺へのへんろ道は犬塚池 15:12
58番仙遊寺へのへんろ道は犬塚池から山へ 15:12
58番仙遊寺へんろ道の石仏 15:21
58番仙遊寺へんろ道の石仏 15:22
58番仙遊寺へんろ道からの今治方面 15:25
58番仙遊寺へんろ道からの今治方面 15:25
58番仙遊寺へんろ道から参道車道を上る 15:25
58番仙遊寺への参道沿道 15:28
58番仙遊寺への参道沿道 15:28
上り道が緩やかになり前方に石灯篭が見えます 15:28
58番仙遊寺参道の石仏 15:29
58番仙遊寺の参道に咲く三つ葉つつじ 15:30
58番仙遊寺の参道 15:33
池と休憩所 15:33
池の横には中国風な狛犬が対でありました 15:34
☆☆
平成25年3月28日(木)
58番仙遊寺 ( Sareizan Senyuji, 58th of Shikoku 88 )
H252m
第58番札所 作礼山 仙遊寺 (されいざん せんゆうじ)
本尊 千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)
真言 「おん ばざら たらまきりく そわか」
開基 越智守興
宗派 真言宗高野派
御詠歌 たちよりて されいのどうに やすみつつ ろくじをとなへ きゃうをよむべし
所在地:愛媛県今治市玉川町別所甲483
☆ 仙遊寺は、天智天皇(662〜672)の勅願より創建された。本尊は千手観音。海から上がった竜女が一刀三礼して彫り上げたといわれ、作礼山の名の由来にもなっています。その後、養老2年までの40年間阿坊仙人という僧がここで修行、諸堂の整えたが雲と遊ぶかのように、ある日こつ然と姿がかき消えた。仙人の話は人々の口から口へと伝えられ、いつの間にか寺の名となった。明治時代、宥蓮上人という高僧がこの寺の山主となり、その法力で人々の信仰を進めたが衆生済度の思いをこの世に残すべく、生きながら土中に埋まって入定した。境内にはこの僧の入定塚がある。仙遊寺の参道途中に、弘法大師の御加持水があり、この井戸から湧き出た霊水は、多くの村人を諸病から救ったと伝えられ、いまだに人々の足がたえない。仙遊寺文庫には天皇、諸大名の御文、諸状が多数残されています。☆ (四国ネットより)
58番仙遊寺の山門 15:34
58番仙遊寺の山門 15:35
58番仙遊寺山門の仁王像 15:36
58番仙遊寺山門の仁王像 15:36
58番仙遊寺山門から歩き参道を上る 15:36
58番仙遊寺歩き参道の中ほどに弘法大師の御加持水は澄んで綺麗でした 15:41
58番仙遊寺の参道にある弘法大師の御加持水石柱 15:41
御加持水から少し歩き参道を上り振り返る 15:41
58番仙遊寺の歩き参道 15:42
58番仙遊寺の歩き参道の横には電線やケーブル線があります 15:44
58番仙遊寺への歩き参道最後の石段 15:46
その石段を上ると58番仙遊寺の境内で修行大師がお出迎え 15:48
58番仙遊寺の鐘楼 15:49
58番仙遊寺の本堂と鐘楼 15:49
58番仙遊寺の修行大師像に日が差して輝いて見えました 16:04
58番仙遊寺の手水舎と本堂 16:04
58番仙遊寺の大師堂と手水舎 16:15
58番仙遊寺の本堂 16:16
この日は仙遊寺の宿坊に宿泊しました
カメラの調子が悪くピンボケですが、夕食は精進料理の膳でした 18:07
精進料理は肉類が無く山菜が主な膳でした 18:07
吸い物 18:13
豆腐 18:19
野草のてんぷら 18:22
民宿の夕食と比べると精進料理は満腹感が有りませんでした