12月14日 仇討

毎年この時期、12月14日前後になると、赤穂浪士47名の吉良邸討ち入りドラマがテレビによく出てきます、元禄15年12月14日(1703年1月30日)の討ち入り事件の事であります。総大将は元赤穂藩城代家老大石良雄(よしかね)百官名:内蔵助、仮妙:竹太郎、喜内;渾名(あだな)昼行燈(ひるあんどん);号:可笑 大石内蔵助の名で時代劇ドラマに出てくる実在の人物です。

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翻字松阪町・吉良邸址

日本三大仇討の一つが、この「赤穂浪士」吉良邸討ち入り、あと二つが「伊賀越仇討」寛永11年(1634年)渡辺数馬が義兄・荒木又右衛門の助太刀を得て、弟・源太夫を殺した河合又五郎に仇討ちを成し遂げたというもの。 さらに遡って建久4年(1193年5月28日の仇討、曽我兄弟の仇討ちは、一族の所領争いがもとで、父親を工藤祐経の家来に殺された兄弟が、18年もの間様々な苦難に耐えて仇討ちを果たした「曽我物語」です。

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鍵やの辻(伊賀上野

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白糸の滝

源頼朝が行った富士の巻狩りの際に、曾我祐成曾我時致の兄弟が父親の仇である工藤祐経を討った事件、神奈川県小田原市、白糸の滝、音止めの滝 付近で曽我兄弟の仇討があったのか?