四国あるき遍路 ☜ 🚶 23日目 平成25年3月22日(金)
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平成25年3月22日(金)
88箇所四国歩き遍路23日目
Shikoku pilgrimage 88 and bangai 20
平成25年3月22日は宇和島ターミナルホテル〜57号線〜務田〜41番龍光寺〜42番佛木寺〜歯長峠〜43番明石寺〜宇和のホテルを通り越し〜正信の酒六冷蔵倉庫横のカレー屋のガレージから宇和パークホテルへ戻った。26.5km+7km(宇和パークホテル〜正信)= 33.5km
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宇和島ターミナルホテル〜伊吹町地蔵前6:27〜光満へんろ小屋7:38〜41番龍光寺8:21/9:03〜42番佛木寺9:44/10:20〜歯長峠11:41〜道引大師12:26〜どんぶり館13:12〜43番明石寺13:57/14:34〜信里/酒六冷蔵〜宇和パークホテル(打戻り=車)17:20 歩行距離33.5km 歩数61,356歩
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前夜に宇和島駅のキオスクで買っておいたパン、牛乳とジュースで朝食 05:07 22.03.2013
宇和島駅前ホテルの前から北上、川沿い和霊東から泉町へと道を進み伊吹町北通
愛媛河合工場前の地蔵 06:27 22.03.2013
地蔵の少し先で予土線の踏切を渡り右折して県道57号線を北上 06:31 22.03.2013
鳥越で高速道路に下へ来た 06:49 22.03.2013
県道57号線を北上し鳥越の三叉路交差点にマーク(赤い⇒矢印に黒文字でへんろみち)が
上下に2枚左方向を示し貼って有った。
直進のはずなのにおかしいな〜と思いながらもそちらへ 06:49 22.03.2013
高速道路の下をくぐり踏切(予讃線)に来た 06:51 22.03.2013
踏切を通過する予讃線の列車 06:52 22.03.2013
高光駅前に来た予定していた道と違う為、光満鳥越の三叉路まで引き返す 06:59 22.03.2013(この道をそのまま進んでも国道56号線〜県道283号線〜県道31号線を経由して41番龍光寺へ行けます)
光満鳥越の三叉路から踏切方向へ向かうときは裏になりこの標識は見なかったが三叉路に戻る途中で見えた 07:03 22.03.2013
鳥越三叉路の県道57号線の向かい側電柱には正規の方向に遍路マークが貼られていました。 県道57号線を北上 07:08 22.03.2013
県道57号線、松本たいこまん店付近の山桜 07:18 22.03.2013
県道57号線、松本たいこまん店付近の山桜 07:18 22.03.2013
県道57号線道辺に咲く綺麗な椿が咲いております。(歩き遍路も40番を打ち終わり道脇に目が向けられるように成ったのか?) 07:19 22.03.2013
新屋敷の光満へんろ小屋は山桜が綺麗でした 07:38 22.03.2013
少し先の道沿いにあるお遍路さん専用トイレ 07:43 22.03.2013
県道57号線の務田交差点の務田(むでん)41番龍光寺への道しるべ 線路またぐ陸橋を左方向へ上がります 07:59 22.03.2013
県道57号線から線路と小川を越えて田んぼ道へ 08:00 22.03.2013
田んぼ道を山の所まで歩いてゆく 08:01 22.03.2013
集落に入ると41番龍光寺の石柱道しるべ 08:11 22.03.2013
マッサージ屋さんの所にアルミ缶の風車がたくさん吊られています 08:16 22.03.2013
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平成25年3月22日(金)
41番龍光寺 ( Inarizan Ryukoji, 41st of Shikoku 88 )
H178m
第41番札所 稲荷山 龍光寺 (いなりざん りゅうこうじ)
本尊 十一面観世音菩薩 (じゅういちめんかんぜおんぼさつ)
真言 「おん まか きゃろにきゃ そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
御詠歌 このかみは さんごくるふの みっきょうを まもりたまはん ちかひとぞきく
所在地 愛媛県宇和島市三間町戸雁173
☆ 南伊予路をたどる。山の傾斜は急で海へせり出し、海面はおだやかで大小の島が浮び美しい。宇和島から約十㌔ほどで三間平野に出る。寺は三間平野を見下す小高い山の上にあり、山上に諸堂が建ち並んでいる。縁起によれば、大同二年二月初午の日、弘法大師がこの地へ巡錫すると、白髪の老翁に導かれた。そこで大師はこの地が霊場であることを悟り、その尊像を刻み、堂宇を建てて安置し、稲荷山龍光寺と号し、四国霊場の総鎮守とされた。 その後人々から稲荷寺として信仰され、明治の廃仏毀釈で旧本堂は稲荷社となり、これまで稲荷の本地仏であった十一面観世音が本尊となった。いまも参道入口に鳥居があり、正面石段を登りつめたところが稲荷社で、本堂は参道途中の左手に、大師堂は右手にある。地元の人からは「三間の稲荷さん」と親しまれ、商売繁昌や開運出世を願う人が多いという。☆ (四国ネットより)
41番龍光寺の41番龍光寺口 08:18 22.03.2013
41番龍光寺の石段下 08:20 22.03.2013
41番龍光寺の石段上には左の狛犬ともう一段上に元札所の稲荷神社が有ります 08:21 22.03.2013
41番龍光寺の石段上には右の狛犬と41番龍光寺の大師堂 08:21 22.03.2013
石段をさらに上るり稲荷神社の鳥居と本堂の屋根 08:55 22.03.2013
41番龍光寺の稲荷神社社殿の左奥にも二つ祠が見えます 08:55 22.03.2013
41番龍光寺の稲荷神社 08:55 22.03.2013
41番龍光寺の稲荷神社 08:56 22.03.2013
41番龍光寺の稲荷神社は瓦葺社殿と茅葺(トタンで覆い)社殿が有りお参りしました 08:56 22.03.2013
41番龍光寺の稲荷神社は瓦葺社殿と茅葺(トタンで覆い)社殿が有りお参りしました 08:56 22.03.2013
花の中央花弁が変わった椿でした 08:56 22.03.2013
稲荷神社の石段下に明治の分離令で41番龍光寺が建てられたとの事 08:57 22.03.2013
41番龍光寺境内 08:58 22.03.2013
41番龍光寺境内の水子地蔵、石段の左右には狛犬、正面電話ボックスの後ろが鐘楼
向こうの山の墓地裏から42番佛木寺へのへんろ道があります 08:58 22.03.2013
41番龍光寺の大師堂 08:58 22.03.2013
41番龍光寺の本堂 08:59 22.03.2013
墓地から42番佛木寺へ向かうへんろ道口から41番龍光寺を望む 09:03 22.03.2013
42番佛木寺へ向かうへんろ道から41番龍光寺を望む 09:04 22.03.2013
42番佛木寺へ向かうへんろ道から41番龍光寺を望む 09:06 22.03.2013
41番龍光寺から県道31号線に出るまでのへんろ道 09:06 22.03.2013
41番龍光寺から県道31号線に出るまでのへんろ道 09:07 22.03.2013
へんろ道しるべ 09:10 22.03.2013
山のシキブの花 09:12 22.03.2013
龍光寺から県道31号線に出るまでのへんろ道、畑には猪よけがしてある 09:14 22.03.2013
山のへんろ道を県道31号線まで下ってきました 09:15 22.03.2013
県道31号線を42番佛木寺へ 09:16 22.03.2013
県道31号線を振り返る 09:31 22.03.2013
県道31号線を42番佛木寺 09:31 22.03.2013
正面の木立に42番佛木寺があります 09:37 22.03.2013
42番佛木寺の少し手前まで歩いてきました 09:43 22.03.2013
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平成25年3月22日(金)
42番佛木寺 ( Ikkazan Butsumokuji, 42nd of Shikoku 88 )
H190m
第42番札所 一カ山 佛木寺 (いっかざん ぶつもくじ、一カ山の「カ」は王偏に
果という漢字)
本尊 大日如来 (だいにちにょらい 伝弘法大師作)
真言 「おん あびらうんけん ばざら だどばん」
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
御詠歌 くさもきも はとけになれる ぶつもくじ なをたのもしき きちくにんてん
所在地 愛媛県宇和島市三間町則 1683
☆ 仁王門があり、石段を登ると鐘楼、左の奥まったところに本堂、大師堂がある。本堂左手にはかつての通夜堂がある。縁起によれば、大同二年、この地を巡錫していた大師は、牛をひいていた老翁に出会いすすめられるままにこの牛にのった。すると近くの楠の杖に一つの宝珠がかかっているのを発見した。この宝珠は大師が唐におられるとき、有縁の地を選ばれるようにと、三鈷とともに東へ向けて投げた宝珠であった。大師はこの地こそ霊地と直感し、楠で大日如来を刻み、その尊像のマユの間に宝珠を納めて本尊とし、堂宇を建立して一 山仏木寺とした。その後牛馬安全の守り仏むして信仰をあつめた。宗尊親王の護持仏や西園寺氏の祈祷ならびに菩提所となったこともあり、慶安以降は藩主の保護によって伽藍は再建された☆ (四国ネットより)
真新しい42番佛木寺の山門 09:44 22.03.2013
真新しい42番佛木寺の山門をくぐる 09:44 22.03.2013
42番佛木寺山門から境内への石段 09:45 22.03.2013
石段を上がると42番佛木寺の七福神と山門 09:47 22.03.2013
鐘楼から手水舎へ、正面は42番佛木寺の本堂 09:47 22.03.2013
42番佛木寺には種類の違う椿が咲いていました 09:48 22.03.2013
42番佛木寺の本堂 10:03 22.03.2013
42番佛木寺の大師堂 10:03 22.03.2013
42番佛木寺の大師堂 10:03 22.03.2013
42番佛木寺の大師堂と本堂 10:03 22.03.2013
42番佛木寺の大師堂と本堂 10:04 22.03.2013
42番佛木寺の聖徳太子堂と不動堂 10:04 22.03.2013
42番佛木寺のカヤぶき屋根の鐘楼 10:21 22.03.2013
佛木寺の前から県道279号で高速道下を越えると小川があり歯長峠3.0kmの道しるべがある (Google)
その草道を歩いてゆくと歯長峠2.4kmの道しるべ 10:32 22.03.2013
小川を挟んで県道31号線がる、歩いてきたのは小川沿いのこの草道 10:32 22.03.2013
歯長峠へんろ道 10:42 22.03.2013
歯長峠へんろ道 10:44 22.03.2013
歯長峠へんろ道 10:47 22.03.2013
歯長峠へんろ道 10:47 22.03.2013
歯長峠へんろ道 10:55 22.03.2013
歯長峠へんろ道上り口の道しるべ 11:06 22.03.2013
歯長峠へんろ道上り口には「歯長峠の上り口にきついのは最初だけの」注意書き 11:06 22.03.2013
歯長峠へんろ道 11:08 22.03.2013
木根道には鎖が張られていた歯長峠へんろ道 11:24 22.03.2013
木根道には鎖が張られていた 11:27 22.03.2013
歯長峠へんろ道 11:29 22.03.2013
歯長峠へんろ道 11:29 22.03.2013
歯長峠へんろ道 11:40 22.03.2013
歯長峠の由来 11:41 22.03.2013
歯長峠 11:44 22.03.2013
歯長峠 11:44 22.03.2013
歯長峠 11:44 22.03.2013
歯長峠 11:45 22.03.2013
歯長峠 11:45 22.03.2013
かわいらしいへんろマーク 11:45 22.03.2013
歯長峠へんろ道 11:47 22.03.2013
歯長峠へんろ道 11:49 22.03.2013
歯長峠へんろ道 12:03 22.03.2013
歯長峠へんろ道 12:05 22.03.2013
木根道の歯長峠へんろ道 12:07 22.03.2013
歯長峠へんろ道の43番明石寺道しるべ 12:07 22.03.2013
へんろ歩きへんろ道案内マーク 12:10 22.03.2013
歯長峠から1.0km下ると県道31号線に合流 12:11 22.03.2013
肱川にかかる歯長橋を渡りと43番明石寺への標識がある 12:19 22.03.2013
県道29号線から歯長峠方向を振り返る 12:19 22.03.2013
道引大師堂 12:26 22.03.2013
道引大師表柱と石仏 12:27 22.03.2013
おなかが空いてきた道端の堆肥販売小屋がたこ焼き小屋に見える 12:30 22.03.2013
高速道路の所から県道29号線右手の旧道を歩き下宇和で県道29に戻り、稲生から旧道を歩きましたが29号線沿いにどんぶり館を見つけ食事をしました 12:33 22.03.2013
どんぶり館の海鮮丼(950円) 12:12 22.03.2013
どんぶり館 13:26 22.03.2013
どんぶり館の駐車場 13:26 22.03.2013
どんぶり館 13:27 22.03.2013
どんぶり館と駐車城 13:27 22.03.2013
どんぶり館から県道29号線を横断して再び旧道へ 13:28 22.03.2013
43番明石寺へ旧道を歩く 13:30 22.03.2013
へんろ道しるべマーク 13:40 22.03.2013
43番明石寺と白王権現の道しるべ 13:49 22.03.2013
☆☆
平成25年3月22日(金)
43番明石寺 ( Genkozan Meisekiji, 43rd of Shikoku 88 )
H271m
第43番札所 源光山 明石寺 (げんこうざん めいせきじ)
本尊 千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)
真言 「おん ばざら たらま きりく そわか」
開基 正澄上人
宗派 天台宗寺門派
御詠歌 きくならく せんじゅふしぎの ちかいには だいばんじゃくも かろくあげいし
所在地 愛媛県西予市宇和町明石201
☆ 歯長峠を越えて約十五㌔。宇和町よりは約五㌔ほど、静寂な山地へ入る。仁王門からは、山を背景に唐破風造りの本堂がみえる。欽明天皇の勅願により、円手行者が千手観世音を安置し、七堂伽藍を建立して開創し、後の天平六年(七三四)には寿元行者が、紀州熊野より十二社権現を勧請して十二坊を建立し、修験道場として法灯を伝承した。やがて弘仁十三年(八二二)弘法大師が巡錫し、嵯峨天皇の勅願により荒廃した伽藍を再興して霊場に定められた。また、建久五年(一一九一)には源頼朝が池の禅尼の菩提のため阿弥陀如来を造顕し、経塚をきずいて堂宇を再興し、山号を「源光山」に改めている。現存の御堂は宇和島藩主伊達氏が寛文十二年(一六七二)に建立したもの。第三十五世の尊栄が西園寺氏と縁戚関係を結んでから、寺は明石家代々の世襲による管理となった。次の大宝寺への途中、大師が橋の下で一夜をすごされた番外十夜ヶ橋がある。☆ (四国ネットより)
43番明石寺の山門下 13:57 22.03.2013
43番明石寺の山門 13:57 22.03.2013
43番明石寺境内の桜 14:14 22.03.2013
43番明石寺の大師堂 14:14 22.03.2013
43番明石寺の鐘楼と修復中の本堂 14:15 22.03.2013
43番明石寺の延命地蔵堂 14:15 22.03.2013
43番明石寺の方丈と納経所 14:15 22.03.2013
43番明石寺大師堂前の夫婦杉 14:15 22.03.2013
43番明石寺の夫婦杉 14:16 22.03.2013
43番明石寺の大師堂 14:16 22.03.2013
43番明石寺に咲く椿 14:17 22.03.2013
43番明石寺の境内 14:17 22.03.2013
43番明石寺の山門前にて 14:21 22.03.2013
43番明石寺の延命地蔵堂と境内 14:33 22.03.2013
43番明石寺の延命地蔵堂 14:33 22.03.2013
43番明石寺の山門とその前は手水舎 14:33 22.03.2013
43番明石寺の方丈と納経所 14:33 22.03.2013
43番明石寺に咲くモクレン 14:33 22.03.2013
43番明石寺から宇和町卯之町へ抜けるへんろ道 14:38 22.03.2013
43番明石寺から宇和町卯之町へ抜けるへんろ道 14:39 22.03.2013
宇和町卯之町の建造物保存地区 14:52 22.03.2013
宇和町卯之町の建造物保存地区 14:53 22.03.2013
宇和町卯之町の建造物保存地区 14:54 22.03.2013
宇和町卯之町の建造物保存地区 14:54 22.03.2013
宇和町卯之町の建造物保存地区 14:56 22.03.2013
宇和から大洲までの間に民宿も無いので明石寺から3.5kmの宇和パークホテルを予約明日は大洲の番外7番金山出石寺(812m)へ上り下りするため、今日のうちに歩いておく永長口から宇和加茂局まではホテルの山手側の道を歩きだし56号線に合流した付近から激しい雨に遭い7kmほど歩いた正信の酒六冷蔵倉庫横のカレー屋のガレージで雨宿りそこでタクシーを呼んで宇和のホテルまで打戻りした。ホテルに着くまでかなりの移動距離だったこの間は大雨の為写真撮影はしておりませんホテルの前のコンビニで昼食用のパン、ジュースを買っておいた。 17:18 22.03.2013
宿泊した宇和パークホテル 17:18 22.03.2013
宿泊した宇和パークホテルの夕食はバイキング 18:38 22.03.2013 明朝はタクシーで正信の酒六冷蔵倉庫横のカレー屋のガレージまで戻り継続して歩きます。