四国88箇所 🚙 24 神峯寺

四国88箇所車遍路 🚙 24 神峯寺

Shikoku pilgrimage 88
2014-10-27
27番神峯寺  ( Chikurinzan Kounomineji 27th of Shikoku pilgrimage 88 ) 
Above sea level 425m
第27番札所 竹林山 神峯寺 (ちくりんざん こうのみねじ)
本尊  十一面観世音菩薩 (じゅういちめんかんぜおんぼさつ 伝、行基菩薩作)
真言  「おん まか きゃろにきゃ そわか」
開基  行基菩薩
宗派  真言宗豊山派
御詠歌 みほとけの めぐみのこころ こうのみね やまもちかいも たかきみづおと
所在地 高知県安芸郡安田町唐浜2594
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☆ 仁王門をくぐると左に手水場が、その先右側に鐘楼が、左側に庫裏・納経所があり、石段手前の右側に神峯の水が湧く。石段を上って行くと経堂(聖観世音菩薩像を安置)があり左に進むと本堂が、右に進むと大師堂がある。 ☆  (Wikipediaより)
☆「真っ縦」といわれる勾配四十五度の一.三㌔の急坂で知られた土佐の関所。寺のある山頂までは三・三㌔あるが、遍路で難行した宮地達観氏の奉仕で自動車道が開通し、歩かずして山門までゆける。三菱王国を築いた岩崎弥太郎の母は、幕末のころ弥太郎の開運を祈願して、この急坂を登り、二十一日の間二十㌔離れた井ノ口から神峯寺へ日参した。やがて、弥太郎は大成し後に山林を寄進し、報恩を感謝している。寺の縁起によれば、当初天照大神、その他諸神が祀られ、後に行基菩薩が自ら十一面観音を刻んで安置し、神仏を合祀した。大同四年には勅命によって観音堂と名づけられ、廷暦年間に四国霊場に定められた。明治の神仏分離で一時廃寺となったが、明治十七年再興された。山門は龍園尼の発願で建立。本堂、大師堂は急な山の斜面に建てられている。境内には清澄な霊水が湧き出ており眼下に美しい紺青の海原が望まれる☆ (四国ネットより)

宿から唐浜まで55号を走り民宿きんしょうの角から右への道を入る、線路の下をくぐり細い道を上ったが唐浜の駅に抜ける新しいバイパスが出来ており打戻はそのバイパスを利用した。駐車場(200円)から寺へは歩いて10分ほどの上りになります。

駐車場から寺まではかなりきつい上り坂の歩きです

27番神峯寺の山門、右の鳥居は神峰神社の鳥居

27番神峯寺の山門

27番神峯寺の山門

境内のトイレの脇には烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)は怨霊の侵入箇所でもあった便所を清めると言われる明王トイレの神様的な存在

石柱門と27番神峯寺の境内

石柱門と27番神峯寺の境内

27番神峯寺の鐘楼と本堂への石段

27番神峯寺の鐘楼と本堂への石段

鐘楼の後ろ、本堂への石段脇に湧く名水 「神峯の水 」 手水をします

神峯の水

本堂

本堂の内陣

経堂

不動明王立像

正面の本堂から大師堂へ

大師堂

鐘楼と庫裏納経所

山道を登っていくと、何やら意味不明の宮崎駿のアニメに出てきそうなダルマのようなオブジェが立っておりその先にも同様にある、説明は無く高知大学の教授が平成11年に作成したという石碑が隣に立っていた。2013.03.10歩き遍路の時は意味不明の造形物と思った。 今回2014.10.27の車遍路の写真を整理中によく見ると顔の部分に 「同」 胸の部分に 「行」 おなかから下に 「二人」 と彫られたこけしのようなオブジェで 「同行二人」 と彫られていることが判りました。

27番神峯寺の納経、墨書き御朱印と開創1200年記念スタンプ Osamekei of Kounomineji with the retractor 1200 Memorial special stamp.

27番神峯寺の本尊御影 Principal image card of Kounomineji temple is usually black and white. The red card is the retractor 1200 Memorial special.

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2013 あるき遍路ブログ記事はこちらから 
boianuf.hatenadiary.com
2016 逆打ちくるま遍路記事はこちらから 
boianuf.hatenadiary.com
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