四国霊場逆打ち車遍路 🚘 30 十夜ヶ橋 出石寺 明石寺 仏木寺
☆☆
2016.11.02(水)
いやしの八丁坂から四国別格20霊場8番札所十夜ヶ橋へ 55km/69分
県道12号線を県道153号線に向かって西に進む 8 分(4.7 km)
三坂/国道33号線 を進み、国道380号線、国道379号線、松山自動車道 に入って
大洲市 東大洲 の 大洲街道/国道56号線 に向かう 1 時間 2 分(50.3 km)
2016.11.02(水)
四国別格20霊場、8番札所 十夜ヶ橋
番外別格8番十夜ヶ橋 (Toyogabashi Eitokuji, Ex. 8th of Shikoku 88 )
EL+11m
番外別格第8番札所 十夜ヶ橋 永徳寺 (とよがばし えいとくじ)
本尊 弥勒菩薩 (みろくぼさつ)
真言 「おん まいたれいや そわか」
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
御詠歌 ゆきなやむ 浮き世の人を 渡さずば 一夜も十夜の 橋と思ほゆ
所在地 愛媛県大洲市東大洲1808
略縁起、今を去ること一千百有余年の昔、弘法大師は衆生済度大願のため四国の各地を行脚し給い、当大洲地方をも御巡錫になりました。当時この地方は未開のこととて、村落人家至って少なく且つ農繁期にて、宿るに家なく、途中に日暮れて空腹のまま一夜を小川に架けたる土橋の下に野宿され、夜の明けるのを待ちかね給い、一夜も十夜の長さに感じられました。かかる艱難を受けられるにつけても衆生済度の念願は愈々切なるものとなり、御身の苦しみをば忘れ給い生死の六道に生き悩む衆生をして早く信仰の橋を渡らし、速に常楽の彼岸に至らしめんと大悲の御心をは、生きなやむ 浮き世の人を 渡さずば 一夜も十夜の 橋と思ほう と詠じられ久万菅生山に旅立たれました。それより十夜ヶ橋という名が起こったと伝えられています。又、遍路が橋の上を通る時、杖をつかないという風習はこの話から起こったものです。案内・地図、JR伊予大洲駅よりバスにて「十夜ヶ橋」下車、またはタクシーにて約5分(伊予大洲駅より七キロ)車の場合は、国道56号線沿い。松山自動車道大洲インター出入り口交差点東20メートル。普通車20台、バス5台駐車可。 (四国ネットより)
番外別格20霊場、第8番札所 十夜ヶ橋の宝号印、墨書きお納経
十夜ヶ橋の本尊御影(おすがた)と本尊梵字(2016年)、散華は2013年歩き遍路の時に
十夜ヶ橋の手水舎
十夜ヶ橋の本堂と大師堂
十夜ヶ橋の大師堂
十夜ヶ橋の本堂と納経所
十夜ヶ橋は国道のすぐ脇です
手水場の右手から橋を渡り橋の下へ
弘法大師御野宿所、十夜ヶ橋
弘法大師御野宿所、十夜ヶ橋
弘法大師御野宿所、十夜ヶ橋
弘法大師御野宿所、十夜ヶ橋
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十夜ヶ橋から出石寺へ 22.8km/1時間26分
大洲街道/国道56号線 と 県道240号線 から 上須戒 まで行く 21 分(8.9 km)
県道248号線 まで進む 38 分(7.1 km)
左折して県道248号線に入る 3 分(1.2 km)
県道28号線 まで進む 9 分(2.9 km)
右折して県道28号線に入る 3 分(1.1 km) 目的地まで行く
2016.11.02(水)
四国別格20霊場、7番札所 出石寺
番外別格7番出石寺 ( kinzan Shussekiji, Ex. 7th of Shikoku 88 )
EL+806m
番外別格第7番札所 金山 出石寺 (きんざん しゅっせきじ)
本尊 千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)
真言 「おん ばさら たまら きりく」
開基 道教法師
宗派 真言宗御室派
御詠歌 くもりなき 二名の島の 金山に みのりの光 かがやくを見よ
所在地 愛媛県大洲市豊茂乙1
略縁起、開創は養老二年(718年)六月十七日である。宇和郷田中庄に住する猟師作右衛門が、狩りに出て一匹の鹿を見つけ、そのあとを追うて山に登り、まさに鹿を射殺そうとしたところ、突然全山振動して光明赫赫と輝き、鹿の姿はかき消え、鹿の立っていた足下の岩が真二つに割れ、千手観音菩薩・地蔵菩薩の像が地中から湧き出して金色の光を放った。この奇瑞を目撃してから、作右衛門は殺生を業とする生活をやめ仏道に入り、自ら道教を名乗りこの仏像を本尊とし、出石寺と命名した。大師巡錫の砌、「三国無双の金山」なりと賛嘆され、後世この仏像が粗末に扱われ冥罰を蒙ってはならぬと、石室に密閉して秘仏とされ、護摩供を修法されたと言う。
案内・地図、JR予讃線八幡浜駅より出石寺行バスにて終点下車(ただし、朝一便のみ)。JR伊予大洲、八幡浜、長浜駅からタクシーにて40分。車の場合、宇和島方面からは宇和町のはずれより八幡浜駅を経由して197号線喜木より、56号線大洲西トンネルにて平野に抜け、伊予平野駅付近より、大洲駅付近より上須戒を経由して、また、松山方面からは、出石駅より豊茂を経由して、八田喜駅付近より上須戒を経由して、それぞれ登山可能。普通車100台、バス20台駐車可 (四国ネットより)
番外別格20霊場、第7番札所 出石寺の宝号印、墨書きお納経
出石寺の本尊御影(おすがた)と本尊梵字(2016年)、散華は2013年歩き遍路の時に
駐車場の前には護摩ケ石、熊野権現社
熊野権現社とこのツルデマリ(ゆきのした科)で覆われた巨岩は”護摩ケ石”と呼ばれ、大同2年(809年平安時代)”弘法大師”が四国を巡錫されていたときこの山に登られてこの”護摩ケ石”の上で21日間護摩供を修法され、この山を「菩薩応現の勝地、三国無双の”金山”なり」と讃嘆(さんたん=感心して褒めること)されたといいます。
熊野権現社の鳥居
弘法大師像
歩き辺の道はここへと上って来れます
歩き遍路道を上って来ると弘法大師がお迎えされます
山門への石段
山門の横、石垣上の大灯篭も蔓に絡まれたおりました
出石寺の鐘楼山門
山門の扁額
護摩堂
寺に迷い込んだ野犬
納経所
境内には茶店があり、うどんが名物
山門の鐘楼
本堂の前から
本堂
大師堂
大師堂前の塔
大師堂からの眺望
茶店の暖簾
駐車場の石仏
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出石寺から明石寺へ 42km/1時間24分
別⑦出石寺から43番明石寺 (37.8km)/66分
県道248/234(出石寺へは行かない八幡浜・保内?(大州・平野方面)を平野へ下る
平野で線路を渡りT字路を右折し平野駅前を左折し国道197へ右折
国道197から左折して大洲西トンネルに入る
トンネルを抜け国道197から松山道の大洲北只IC〜西宇和IC
西宇和ICを出て右折し県道29に入り
次の信号を(明石寺の表示)右折で県道237から明石寺
(県道28号線を下り道路標識 大洲 に道を取ると再び出石寺に戻るのでご注意)
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2016.11.02(水)
四国88ヶ所、43番札所 明石寺
43番明石寺 ( Genkozan Meisekiji, 43rd of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+271m
第43番札所 源光山 明石寺 (げんこうざん めいせきじ)
本尊 千手観世音菩薩 (せんじゅかんぜおんぼさつ)
真言 「おん ばざら たらま きりく そわか」
開基 正澄上人
宗派 天台宗寺門派
御詠歌 きくならく せんじゅふしぎの ちかいには だいばんじゃくも かろくあげいし
所在地 愛媛県西予市宇和町明石201
歯長峠を越えて約十五㌔。宇和町よりは約五㌔ほど、静寂な山地へ入る。仁王門からは、山を背景に唐破風造りの本堂がみえる。欽明天皇の勅願により、円手行者が千手観世音を安置し、七堂伽藍を建立して開創し、後の天平六年(七三四)には寿元行者が、紀州熊野より十二社権現を勧請して十二坊を建立し、修験道場として法灯を伝承した。やがて弘仁十三年(八二二)弘法大師が巡錫し、嵯峨天皇の勅願により荒廃した伽藍を再興して霊場に定められた。また、建久五年(一一九一)には源頼朝が池の禅尼の菩提のため阿弥陀如来を造顕し、経塚をきずいて堂宇を再興し、山号を「源光山」に改めている。現存の御堂は宇和島藩主伊達氏が寛文十二年(一六七二)に建立したもの。第三十五世の尊栄が西園寺氏と縁戚関係を結んでから、寺は明石家代々の世襲による管理となった。次の大宝寺への途中、大師が橋の下で一夜をすごされた番外十夜ヶ橋がある。 (四国ネットより)
納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました
山門への石段
手水舎と山門
本堂
本堂
大師堂内陣
大師堂前の夫婦杉
鐘楼
本堂
山門からの本堂
明石寺の延命地蔵堂
明石寺の本堂と延命地蔵堂
山門と本堂
手水舎と山門
へんろ道しるべ
明石寺の説明
熊野神社
石仏
手水舎と山門
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明石寺から佛木寺
県道237号線 から 宇和町稲生 の 松山自動車道(無料区間) に入る 7 分(3.2 km)
宇和島市 の 県道31号線 まで 松山自動車道(無料区間) を進み、高速三間IC で
松山自動車道(無料区間) を出る 9 分(11.0 km)
県道31号線を進む (西予市 の表示) 目的地は前方右側です 4 分(3.3 km)
2016.11.02(水)
四国88ヶ所、42番札所 佛木寺
42番佛木寺 ( Ikkazan Butsumokuji, 42nd of Shikoku pilgrimage 88 )
EL+190m
第42番札所 一カ山 佛木寺 (いっかざん ぶつもくじ、一カ山の「カ」は王偏に果という漢字)
本尊 大日如来 (だいにちにょらい 伝弘法大師作)
真言 「おん あびらうんけん ばざら だどばん」
開基 弘法大師
宗派 真言宗御室派
御詠歌 くさもきも はとけになれる ぶつもくじ なをたのもしき きちくにんてん
所在地 愛媛県宇和島市三間町則 1683
仁王門があり、石段を登ると鐘楼、左の奥まったところに本堂、大師堂がある。本堂左手にはかつての通夜堂がある。縁起によれば、大同二年、この地を巡錫していた大師は、牛をひいていた老翁に出会いすすめられるままにこの牛にのった。すると近くの楠の杖に一つの宝珠がかかっているのを発見した。この宝珠は大師が唐におられるとき、有縁の地を選ばれるようにと、三鈷とともに東へ向けて投げた宝珠であった。大師はこの地こそ霊地と直感し、楠で大日如来を刻み、その尊像のマユの間に宝珠を納めて本尊とし、堂宇を建立して一 山仏木寺とした。その後牛馬安全の守り仏むして信仰をあつめた。宗尊親王の護持仏や西園寺氏の祈祷ならびに菩提所となったこともあり、慶安以降は藩主の保護によって伽藍は再建された (四国ネットより)
納経所で宝号印を納経帳にお納経、本尊御影と平成28年閏年参拝記念の散華を頂きました
佛木寺の仁王像
佛木寺の仁王像
佛木寺の境内
佛木寺の山門
佛木寺の手水舎と本堂
鎮守堂
大師堂
本堂
本堂
本堂と大師堂と観音像
道祖神像
聖徳太子堂と不動堂
納経所
六地蔵
六地蔵
六地蔵と境内
茅葺屋根の鐘楼
茅葺屋根の鐘楼と本坊
鐘楼からの境内
本堂と大師堂
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